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 ポール・ポースト 『戦争の経済学(山形浩生訳/バジリコ、2007年)
 
 
 「戦争は経済を活性化するか?」とか、「核兵器の市場での値段」とか、「軍人の適正な給与水準」とか、「内戦と経済発展の関係」とか、戦争の(主に)経済的側面を概括した教科書的な本。

 戦争のあらゆる面があらゆる経済学理論を用いて説明されている。戦争の(“悲惨な戦場”以外の様々な)実態を把握することができるとともに、経済学の基本的な理論も学ぶことができる。データによる簡単な理論の実証も行われている。

 よくできている。
 
 
 特に、実証を行っていることもあって、理論偏重にならず、想像以上に戦争の実態に迫れているところが、この種の本としてはよくできている。

 そのため、( 戦争する国や人にとっても、戦争したくない・止めさせたい国や人にとっても、テロ対策法案やら防衛省の不正問題やらでもめてる日本にとっても、)それなりに役立つと思える分析も随所に見られる。

 結論部からいくつか抜粋。( 何より大事な、その結論に至る理由・ロジックを知りたい場合には直接本書を。)

 「戦争は経済を活性化するか?」という問題に対する答え。

条件がそろえば戦争は経済にとって有益だ。その条件とは、開戦時点での低経済成長、および開戦時点での低いリソース利用度、戦時中の巨額の継続的な支出、紛争が長引かないこと、本土で戦闘が行われない戦争であること、資金調達がきちんとした戦争であること (p104)

 紛争地域での平和維持活動について。

平和維持活動はアメリカなど先進国にとっては経済的に非効率だ (p300)

 テロについて。

テロリストの資金がたどりにくいのは、もともとあまり資金を使わないことと、資金調達と移動に数多くの手法が使われていることからきている/政府が市民権を認めないときに集団は非合法な表現形態に走る (p343-344)

 大量破壊兵器について。

核兵器の製造は、通常兵器よりはコスト効率が高いとはいえ、非常に高価な事業となり、国の防衛予算の相当部分が取られてしまう/化学兵器、生物兵器、核兵器は、通常兵器よりも(低コストで死傷者を出す能力の点で)効率が高い/北朝鮮とパキスタンはそれぞれ比較優位を持つ財の生産に特化した (p389-390)

 
 
 戦争というと、どっかとどっかの殺し合いで、どっちが良いだのどっちが悪いだの、あるいは、殺し合い(暴力での解決)自体がダメだのしょうがないだの、という程度の話にしかならないことがけっこう多い。

 そういう話をする人たちは、この本のタイトルを見て、「 人間(or国の威厳)の価値を経済学なんていう金銭的・一元的な基準でしか測れないもので見るなんて!」と思うかもしれない。(※ 経済学が金銭的基準だけでない点はここでは措いておく。)

 だけど、この本がしてくれているのは、そこから先へと議論を進めていくことだ。すなわち、“戦争トータルでの善し悪しの判断”という呪縛から人々を解放し、大雑把な戦争というものを具体的な様々な側面に分解し、その上で、それぞれのメカニズムを明らかにする、ということだ。

 そして、色々な側面に分解してみると、戦争という一つの事象(と見なされてしまうことが多いもの)も、様々な動機やメカニズムをもった、様々なアクターや制度の働きの積み重ねでしかないことがよく分かる。

 そして、そういう分解された一つ一つに関してであるなら、経済学的な分析は当てはめやすくなる。

 ここにこそ、この本が戦争と経済学という一見馴染まなそうなものを見事に組み合わせることに成功した要因、および、この本の意義がある。

 この点、自衛隊のイラク派遣の収支分析も含む、訳者による「付録・プロジェクトとしての戦争」は、収益率の計算を戦争に(大胆にも)直接的に適用した功績はあるにしても、議論の土俵を“戦争全体”という曖昧で非生産的なレベルに戻してしまっている点で、問題がある。実際、 経済への影響は、定量化がむずかしいものや不可能なものも多い (p411)なんていう、つまらない(当然に予想される)結論を書くことになってしまっている。
 
 
 ともかく、戦争に対する思考にブレイクスルーをもたらしてくれる(かもしれない)本。

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 竹森俊平 『1997年――世界を変えた金融危機(朝日新書、2007年)
 
 
 1997年に発生したアジア通貨危機と日本の金融危機を、「質への逃避」、「ナイトの不確実性」、「流動性の危機」といった観点から分析した本。2007年の危機であるサブプライム問題についても最後に触れられている。

 全体としては焦点が散漫だし、年号にこだわったタイトルは内容と合ってないけど、個々の話は分かりやすくて勉強になった。
 
 
 キー概念の中でも特に中心的役割を負っているのは「ナイトの不確実性」。ここでは「リスク」と「不確実性」がはっきりと区別される。すなわち、「リスク」とは、その事象が起こるか否かを確率論的に表せるもののことを言い、「不確実性」とは、それが不可能な、客観的な判断や見通しが全く立てられないもののことを言う。

 この「不確実性」が存在する中で、人々の間で悲観的な見方が大勢を占めたことが(理由については失念した)、より安全な資産への選好(「質への逃避」)を作り出し、アジアへの投資を一斉に引き上げさせ、そうしてアジア通貨危機は引き起こされたとされる。

 ちなみに、だからこの危機は「返済能力の問題」ではなくて「流動性の問題」であって、したがって流動性を増やすという(グリーンスパンが主張した)政策が正解だとされる。だけど、その副作用として、増加し(すぎ)た流動性のためにアメリカでは住宅バブルが起こってしまった。さてどうすべきか?といったあたりで話は終わっている。 ( 日本の金融危機の話の方は、扱いが散発的で、政治の話に中途半端かつナイーブに足を踏み入れたりしていて、いまいち全体の論理の流れを掴めなかった。)
 
 
 経済学の難しい話に踏み込むことなしに、キータームをいくつか持ち出すだけでこれだけ分かりやすくアジア通貨危機をはじめとする重要な経済事象を説明してしまうのはすごい。

 それから、「不確実性」という“分からないもの”をそのまま“分からないもの”として理論や分析に組み込んでしまう経済学の柔軟な芸当に感心した。

 これだけすっきり説明されると、門外漢には簡単には批判できない。

 強いて批判点を挙げるなら、本全体の構成と政治の話の扱いくらい。

 伊藤修 『日本の経済――歴史・現状・論点(中公新書、2007年)
 
 
 明治から現在までの日本経済の流れ、および、貿易・産業・経営・財政・金融といった各論の現状に関するポイントをコンパクトかつ分かりやすくまとめた日本経済論の概説書。

 良書。

 読者に経済学に馴染みのない人を想定し、世間で流布している俗説を正すことに注意が払われている。

 そして、随所で核心を突く重要な基本データが載せられていて、説得力を高め、直感に反する事実の理解をスムーズにしてくれている。

 掲載されている興味深いデータとしては、「1人当たりGDPの歴史的国際比較(1820~1992年)」、「各国の貯蓄と投資の対GDP比の推移(1965~1993年)」、「実質GDP成長率の要因分解(1953~1971年)」、「代表的な大口不良債権企業の借入残高の推移(1986~1997年)」、「国民負担率とその内訳の国際比較」などがある。

 他にも色々なデータが載っているし、データがないところでも日本経済を理解する上で重要だけど知らなかったこととかがたくさんあって、ここで個別に取り上げるのは難しいくらいに勉強になることが多かった。
 
 
 ちなみに、各話題の最後でちょっとずつだけど出てくる政策的・政治的な話はナイーブすぎるから、軽く流しておけばよいと思う。

 野口旭 『グローバル経済を学ぶ(ちくま新書、2007年)
 
 
 「グローバル化(市場開放)すると自国経済に打撃を与える!」、「国際競争力をつけなければ!」、「貿易黒字/赤字を解消しなさい!」というよく聞く俗説が誤りであることを、基本中の基本な国際経済学を用いて簡単かつ丁寧に説明している本。

 同じちくま新書に、この著者による『経済対立は誰が起こすのか』という本があり、内容・主張で重複するところは多い。

 だけど、個人的には今回の本の方が説明が丁寧かつすっきりしていて分かりやすかった。
 
 
 それで、主張の正しさは分かったが、では果たして、直観に反するこれらの主張はどのように表現すれば世間で受け入れられるだろうか?

 ちょっと挑戦してみる。

 「貿易黒字/赤字」問題に、貯蓄-投資バランス論によって応える。

 貿易黒字/赤字の問題とは、要は、輸入超過側=貿易赤字国側(例えば、アメリカ)から見れば、 貿易赤字になるのは、国民の消費が活発で、自国内で生産をまかないきれない場合、輸入せざるを得ず、貿易赤字になる。ということであり、別段問題はない。 ということである。
 
 他方、輸出超過側=貿易黒字国側(例えば、日本)から見れば、 貿易黒字になるのは、国民の消費が活発ではなく、自国内の生産資源(機械とか労働とか)に余裕があり、その余裕分で作った製品を必要としている国に輸出できるから輸出する、と貿易黒字になる。 ということである。
 
 これを見ると分かるとおり、貿易黒字/赤字というのは、あくまで、ある一時点での国の間での過不足分のやり取りに過ぎない。
 
 決して、二国間の国際競争力の違いによって生まれるものではない。
 
 これのどこがいけないのだ? むしろ、助け合いじゃないか?

 というのはどうだろうか?

 いや、もちろん、貯蓄-投資バランス論というのは、正確には「 経常収支=貯蓄-国内投資 」で表されるものだというのは百も承知だけど、上の説明でもほぼ同じことは言えているのではないだろうか?どうだろうか?

 
 他にも、比較優位論、ヘクシャー=オリーン=サミュエルソン・モデル、プロダクト・サイクルなどを使って各種俗説が正されている。

 保護貿易主義の間違いも重要だから簡単な言葉で説明できるようにしたいけど、こっちは結構複雑だから難しい。
 
 
 ところで、この本は良書であってここで書きたいことがあったから最後に簡単に批判するに止めておくけど、この著者は未だに「専門知-世間知」とかいう分類を使っている。

 「専門知」に依って立つことを明言しているこの著者は、経済学の他にも、この本の内容・文章と関係する、政治学、社会学、法学、歴史学、心理学、医学、言語学、日本文学、日本語学といった、あらゆる学問のあらゆる領域の「専門知」を全て習得しているということだろうか?

 「専門知」という言葉を使い、(「世間知」に対する)「専門知」というものを擁護できるのはそういう人のみのはずである。

 ちなみに、著者が何の間違いか、「世間知」を用いてしまっている箇所を少なくとも1箇所見つけた。

対外自由化とはまさに自らが保持している行政権限の縮小を意味することになるのですから、通産省がそれに抵抗するのも当然です。 (p36)

 ここで「当然」とか言ってしまうのは「世間知」。

 佐和隆光 『この国の未来へ――持続可能で「豊か」な社会 (ちくま新書、2007年)
 
 
 確かに佐和隆光は主流派経済学を語る人ではなかったけれど、それにしても、ここまで「暴走」する人だったかなぁとちょっと驚いた。

 「地球環境問題をめぐる、一般読者向け著作」らしいんだけど、前半は、現代社会について語ったり、日本型経営システムについて語ったり、教育について語ったりと、なんともまとまりのない印象。

 で、後半では(なぜか)地球環境問題に話が収斂している。

 前半部はなくても良かった。というかむしろ、ない方が良かった。
 
 
 「暴走」が特に酷いのが第1章。

 それで、その最たるものだと自分が思ったのがここ。

なぜ日本経済は、かくも長期間、低迷状態を抜け出せないのだろうか。その答えは明らかだと思う。若者が勤勉でなくなり、努力を怠るようになった国の経済が成長することなど、そもそもあり得ないことではないだろうか。 (pp34-35)

 って、おい!

 と、思わず声に出して突っ込みそうになるほど、突拍子もない話だ。
 
 
 そんなわけで、せっかく温暖化対策の経済的影響について細かい政策の話にまで踏み込んで議論してるのに、ここでの自分の感想のように、前半部の主題とは関係ないところで反発、批判されそうな、戦略ミスが痛い本である。

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