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by ST25
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 黒崎視音 『交戦規則―ROE―(徳間書店、2005年)
 
 
 自衛隊と北朝鮮工作員との日本での戦闘を描いた小説。おもしろかった。

 ちなみに、副題の「ROE」とは、「Rules of Engagement」の略で有事における部隊の軍事力行使の基本枠組みを示したもののことである。

 この本では、自衛隊や安全保障関連の法制度や国際環境など非・人的な面についての記述は現実そのままで、他国が攻めることはないという楽観論、軍事力不要論、アメリカが絶対助けてくれるという安保機能論から、戦車の公道での速度制限、戦車不要論まで、安全保障の議論の中で頻繁に登場する、あらゆる有名かつ有力な逸話や主張がストーリー上でそれなりの必然性をもって看破されている。これは見事だ。

 そして当然、そのストーリーは、日本国内が(一地域とはいえ)戦争状態になるというもっともあり得ないと思われている状態を、それなりのリアリティをもってイメージさせてくれる。もちろん、この本のまま現実が進むわけはないが、一つの状況の想定として場面場面で有益な思考訓練をしてくれる。

 また、マクロな視点からの記述だけでなく、登場人物の内面における葛藤の描写もあることが、この小説の完成度を上げている。それは例えば、在日(or留学生?)の女性との恋愛や、障害をもつ子供といった設定から見て取れる。

 その結果、軍事と福祉に類似性を見出して、主人公に以下のような発言をさせたりしている。

「一般の、大多数の国民は福祉の必要性は解っていても、よそで誰かにしてほしいと思っているんじゃないのかな。予算を出すから自分たちの生活と重ならないところにいて欲しい、とな」
 (中略)
 「観念だけで現実を見失えば、結局それは無責任だ。現実が露呈すれば、観念しか持ち合わせない人間は、途端に感情だけを先走らせてしまう。」(p137)

 とはいえ、批判されるべきところもある。

 それは、この小説で主に対象として措定されている“敵”が古いことだ。すなわち、ここで攻撃対象とされているのは、冷戦下の社会党のような議論をする人たちなのである。もちろん、この種の人たちが今も存在してることは否定しない。しかし、これらの人たちはもはや「声は大きいが数は少ない」のが実情ではないだろうか。

 このような想像しやすい“敵”を設定することでおもしろさや分かりやすさは増しているのだろうが、その分、欠点も出てくることになる。

 一つは、自衛隊万能論とでも呼べるような楽観的思考だ。本書の基本的な流れは、有事において政治、行政、警察が機能せず自衛隊のみが有効性を発揮するというこの手の小説としてはスタンダードなものである。しかし、現実に目をやれば、最近ようやく、軍事に詳しい政治家が登場してきている。もはや時代は、「政治を知らない軍事オタク」、あるいは、「軍事を知らない政治屋」のどちらをも過去のものとして捨て去り、新しい段階へと入り始めている。そんな新しい時代における軍事小説がこれからは求められるのではないだろうか。(改めて言うまでもないことだろうが、“今現在”においてはこの本の鋭い批判が必要な人たちがいる事実は否定していない。)

 それから、同じ批判から出てくる別の欠点は、軍事力の必要性を説く際に、左派によるまともな批判に応えていないことだ。例えば、「安全保障のジレンマをどう解決するのか?」、「軍事力を持つとして、どこまでの軍事力を持つべきなのか?」、「どこまで最悪の状態を想定するのか?」、「予防外交的な手段は本当に無意味か?」といった点には、回答が示されていない。著者に「今回の小説はそこまで対象にしていない」と言われればそれまでだが。
 
 
 さて、上の点とは直接は関係ないが、この小説が描き出している現実からして、あまりに現実離れし過ぎだと感じたところがある。それは、マスコミの描写全般に渡って言える。メインのストーリーとは関係ないとはいえ、ややネタバレだが一つ引用しておく。それは、有事の最中に、現地の司令本部近くのテントにおける自衛隊の指揮官幹部による会見でのやり取りである。(以下、発言者と発言だけを抜粋した。)

記者「投降勧告は、ヘリで空から紙を撒いたって話ですよね」
 副旅団長「はい。文面についてお知りになりたければ、いまここで――」
 記者「違うわ、・・・・私が知りたいのは紙よ」
 副旅団長「――は?」
 記者「だから、空から撒いた紙は、ちゃんと環境に配慮したのか、ということが聞きたいのよ」(pp257-258)

 さすがに、あり得ない(だろう)。このようなマスコミの描写が他にも2,3箇所あるのだ。ここまでやると、“敵”をおとしめたい著者の悪意があまりにあらわになり、小説の評価を落とすことにもなりかねないのではないだろうか。
 
 
 とはいえ、上に挙げた批判にもかかわらず、おもしろく、かつ有意義な小説だった。何事もいかにリアリティをもって考えるかは重要であるが、フィクションであっても小説は、机上の空論を弄んだ学者の教科書より役立つことが多い。

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 眞鍋かをり 『眞鍋かをりのココだけの話(インフォバーン、2005年)
 
 
 1日に15万アクセスと言われる眞鍋かをりのブログの書籍化。メインは2004年6月30日から2005年7月2日までの記事と、その半分くらいに一言二言ずつ自身でコメントを付け加えたもの。それに、撮り下ろした写真、スタッフによるブログというものの紹介、眞鍋かをりによるブログの魅力のインタビューが付け加えられている。(ちなみに、各記事ごとのトラバの数は載っていない。なぜ?)

 1300円とはいえ、買う必要は全くない。付加価値なし。

 誰が考えても分かるように、ブログに公開されている記事はいつでも無料で読めるわけだから、「それに何がどれだけ追加されているか」が書籍化の価値や意味を決める。記事もまだそこまで膨大な量でもないし。

 その点、この本で追加されているのは、記事に対するコメントとグラビアとブログの魅力のインタビューだけ。確かにコメントはおもしろいものも多いが、インタビューは当たり前のことを“女王”らしく偉そうに語っているだけだし、写真もかなりきれいだけどページ数を稼いでるだけ。

 しかし、このことは眞鍋かをりのブログの内容から想像されることでもある。眞鍋かをりのブログのおもしろさは、その書かれる「話の内容」であって、それを誰が書いていようと大きな差はないものだ。そうなると、書籍化に際して、そのおもしろいブログの「内容」に頼ることは自然のことだし、その話の内容以上の楽しみがないのも否定できない。
 
 
 その点、9月中旬発売予定の『しょこたん☆ぶろぐ』の書籍化は期待できる。なんせ、『しょこたん☆ぶろぐ』の内容はほとんど中身のないものだからだ。あの内容をそのまま本に載せても・・・、という感じだ。したがって、本の紹介文にある、

ぶろぐ星人しょこたんの織り成す奇天烈で不思議でヲタ気質全公開の彼女の脳ミソ全解剖

 というような“分析的なスタンス”で本を作ってくれているなら期待できる。

 というか、正直なところ、「しょこたん☆ぶろぐ」を通して、そこに登場する喜屋武ちあきと小明がもっと注目されることを期待しているのだが・・・。どうもテレビなどの大手メディアは世間(特にネット上での)の流れに対して反応が鈍すぎる。

 立松和平 『軍曹かく戦わず(アートン、2005年)

 第二次大戦下の中国で通信隊の軍曹として行軍した日本兵・小松啓二の心情と行動を描いた、実在の人物を基にした小説。上海を出発して南西の奥地へと、川を上ったり、舗装の行き届いていない道路を行ったりとする過程が描かれる。
 

 そのため偶然にも、このブログで(自分の中で)懸案となっている映画「地獄の黙示録」(あるいはその基となったコンラッド『闇の奥』)と似た雰囲気をもっている。また、内容面でも、「戦争を扱っているようで戦争を扱ってない」、あるいは、「戦争を扱ってないようで“戦争”を扱っている」という、隠喩的なようで現実主義的なパースペクティブという点では共通している。
 
 
 それから、内容に関しては、帯に書かれた戦場で、敵を殺さず、部下を死なせず――といった宣伝文句や『軍曹かく戦わず』というタイトルから勝手に期待してしまうような(してしまった)派手さや熱さはない。というか、やはりタイトルはミスリーディングだと思う。もちろん、「ある意味では正しい」と見ることもできる。けれど、タイトルはむしろ『軍曹かく戦えり』の方がふさわしい気がする。なぜなら、主人公の小松軍曹の心情は「積極的非戦」というより「消極的非戦」だからだ。

 ただ、その「非戦」の感覚は極めて庶民的・日常的なものであり、このことが、この小説からイメージされる「戦争」を、非現実的な遠いものではなく、具体的でかつ身近なものとして把握させていると思う。

 そんなこの小説のおもしろいところを二つほど挙げると、一つは、戦争と呼ばれるものの現場で行われている“戦争”の内実であり、もう一つは、「消極的非戦」を自然のことのように信じる主人公がどのように現実の戦争を感じ、認識するか、である。

 第二次世界大戦については昨今、当時の国際関係から見た戦争の意味や軍部などの指導者層といったマクロなものに対する注目が、自己の正当化やヒロイズム(英雄主義)といった観点から集まりがちである。しかし、そのことによって忘れ去られそうな戦争の現実を提示し、しかもそれを庶民的感覚から見つめることは、それがすでに何度となく行われていることだとしても、意義のあることだと認められるべきだ。
 
 
 
 事実を描いた作品は、その事実を活き活きと記述してその事実を知らしめることに意味があるとも言えるから、「おもしろい/おもしろくない」という基準で評価するのは適切ではないかもしれない。でも、それを分かった上であえてこの基準から判断するなら、(自分が、読む前にタイトルから過剰期待したこともあるのだけれど、)やはりストーリー展開が物足りない。大どんでん返しを期待したまま結局最後まで行ってしまった・・・。もちろん、落ち着いて戦争について知りたい・考えたいという人には悪くないが。

 高杉良 『労働貴族(徳間文庫、2005年)
 
 1984年に出版された本の再文庫化。実際にあった事実に沿って実名で描いている。ちなみに、タイトルの「労働貴族」とは、辞書によると、

労働貴族・・・一般の労働者よりも特別に高い賃金や社会的地位を得ている特権的な労働者層。また、大企業の労使協調的な労働組合幹部をさすこともある。(大辞林)

とのこと。しかし、この本で描かれる日産の労組のトップである塩路一郎は、貴族なんてものではなく、“天皇”である。(実際“塩路天皇”と呼ばれている。)彼は、夜な夜な銀座に繰り出し、豪華クルーザーで遊び、愛人を囲うという破天荒ぶりである。そして、労組の指導者が銀座で飲み、ヨットで遊んで何が悪いと公言してはばからない。今では到底想像もできないが、「解説」によると、昭和40、50年代ならそれでも変ではなかったとのことである。

 そして、そんな彼と経営側として戦うことになるのが、社長の石原俊である。社長就任当初は日産のエースとして社員の期待を一心に集めていたエリートである。この小説で特に焦点となる「英国進出問題」では、個人的な怨恨なども絡んで(というよりはそのために)塩路に反対され、「経営権の侵害」と思いつつも労使が合意するまでひたすらに耐えるという道を選ぶ。

 それから、もう一人の有力な登場人物が会長の川又克二だ。彼は英国進出に絶対反対ではなく、むしろ賛成に動きつつある。そして、会長であるのだから、当然経営側の人間のはずである。しかし、それにもかかわらず、労働トップの塩路との個人的な事情のために、あいまいながらも塩路側に味方するような発言や行動をしている。

 また、社員たちは一部に塩路の“独裁”に疑問を持つ者もいるのだが、言論の自由のない相互不信の環境の中で、団結したり、発言したりすることができない。

 そんな中で、最終的に英国進出が達成されるまでの過程が主に社長の石原の視点から描かれる。しかし、全ての登場人物にとって情けないその結末(英国進出に関する労使合意の要因)は、その後の日産の凋落を暗示しているかのようでおもしろい。
 
 
 この本は特に刺激的なストーリー展開というわけではない。それでも、普通では想像することさえ難しい一企業の内側を克明に知ることができるという点では非常に有意義だと思う。また、経営者ではなく労働組合側を描いているというのもあまり他にあるものではなく、ありがたい。また、組織において存在することが避けられない生身の人間関係というものの短所を分かりやすく見事に描いている。そして、これら以上のものではないが、最後まで飽きずに読める。

 城山三郎的な精神主義(?)もなく、経済(経営?)小説ならやはり高杉良が個人的にはいい。

 立花隆 『解読「地獄の黙示録」(文春文庫、2004年)
 
 先日、DVDでフランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録(特別完全版)』(英語だと「Apocalypse Now (Redux)」)を観たらすっかりはまってしまった。

 この映画はベトナム戦争を描いた作品なのだが、奥の深い象徴的・哲学的な作りになっていてその意味を理解・解釈するには非常に難解である。こういう、一回観ただけでも十分に楽しめるけれど、しっかりした意味や解釈を得るためにはさらにいろいろ考え込まなければならない作品は大好物だ。(ただし「好きこそ物の上手なれ」は怪しいので要注意。)

 そんなわけで、早速、関連書籍を4冊とCDを1枚購入した。その中の一冊がこの立花隆にによる解読本だ。立花隆がこんな本を出していたことには驚いた。立花隆は「はじめに」でこんなことを言っている。

私がなぜこの映画に関して、これほどしつこく語りつづけてきたかというと、この映画が、映画史上最も特異的に面白い作品だと思っているからである。/これはコッポラが自分自身でいっていることなのだが、この映画は、内容の深さにおいて、はじめて世界文学に匹敵するレベルで作られた映画である。(p10)

 ものすごい誉めちぎりようだが、この本を読むと、この映画が確かに世界文学並みの奥深さを有していることは納得させられる。

 さすがに立花隆だけあって(とはいえ、立花隆の理系の書き物は結構怪しいと思っているが)、巷に溢れている“自称・映画評論家”による“映画感想文”とは違って、しっかりと映画の解明・評価が試みられている。

 具体的には、コッポラ夫人による『撮影全記録』やコッポラ監督のインタビューといった直接的な資料だけでなく、コンラッド『闇の奥』、フレイザー『金枝篇』、エリオット『荒地』といったこの映画に大いに関係する文学・詩を引きながら、内容の解釈を提示している。

 この本には映画にまつわる様々なエピソードや基本的な関連情報、それに一般的な解釈が書かれていて、自分なりにこの映画の解明を試みようとしている人間にとっては最適の入門書だ。

 そんなわけで、ここで書かれている説明や解釈をベースにして、この夏の間中に『地獄の黙示録(特別完全版)』の自分なりに納得できる理解を得たい。
 
 
 なんか、いつもに増して内容のない記事になってしまったが、いつの日にか書くかもしれない『地獄の黙示録』の感想のための予告・布石として、たまにはこんなのもありかと。

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