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by ST25
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 大江健三郎 「部屋(『大江健三郎全小説1』講談社、2018年/所収)

 

 「部屋」は、1959年に雑誌『新潮』にて発表された短編。その後、どの本にも収録されておらず、今年出版が始まった『大江健三郎全小説』が初の書籍化。1935年生まれの大江健三郎が24歳になる年に書かれている。

 安保闘争で学生らが国会議事堂を取り囲んだのが1960年。アメリカとの関係にまだまだ賛成・反対が激しく対立していた「政治の季節」に書かれている。

 したがって、初期の多くの大江作品と同様、当時の日本の政治状況、国際関係を暗に示唆するものとなっている。

 主人公の24歳の男は映画批評を仕事としている。そして、あるホテルの一室で「なぜ自殺しないのか?」と自問する。戦争が終わった今、生きることへ精神を昂揚させる(p463)ものは「性」しかない。しかし、この男は若くして性的不能に陥っている。

 人生という大波に身を任せ、時間が流れるがままに無気力に生きている。自分の意思もなければ行動力もない。それは、あたかも、アメリカという大国に身を任せ、国際的な潮流を漂い、自らの意思を形成することもなく付和雷同する日本(政府・与党)であるかのようだ。思えば、男の職業が、外国映画を称賛し、外から語るだけで自ら何かを創造するわけではない映画批評というのも示唆的だ。

 男のいる部屋の隣には、黒人の男との間に娘をもうけた日本人娼婦がいる。そして、客の相手をしている間に娘を預かってくれるように男に頼む。娘が語るところによると、母は自分を殺そうとしているというのだ。「黄金の国」へといつか行くことを夢見る娘は、母は「黄金の男」と結婚するために自分を殺そうとしていると言う。

 黄金に輝いているように見える“アメリカ”。ここでのアメリカとはあくまで“白人の国アメリカ”だ。“白人の国アメリカ”へと行くことを(そしてその一員になることを)夢見る娘。“白人のアメリカ人”と結婚することを夢見る女。そう読める。

 そして、男は悟っている。この道の行く先は「地獄」だと。あるいは、日本は“娼婦”でしかないのか。
 
 
 
 男たちがいるホテルは海に面している。そして、暗く閉ざされた空間として描写されている。その鬱屈した環境の中で悪い方向へと流されていく人々を描いている。

 そこを抜け出すためには、意志と行動力が必要となる。この小説が書かれてからおよそ60年。果たして日本は、国際関係において意志と行動力をもって何事かをなしてきたのだろうか。自ら道を切り開いてきただろうか。大過なく(「地獄」へ行くことなく)ここまで来られたことを思いつつ、一方で、意志と行動力を垣間見せている近年の日本外交(集団的自衛権等をめぐる動き)が果たして良い方向へと動き出しているのだろうかという疑問を感じずにはいられない。

 皮肉なことに、意志と行動力こそが「地獄」へと日本を突き進めていくのかもしれない。


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 松本清張 『点と線(新潮文庫、1971年)

 

 汚職事件が取りざたされている「××省」の課長補佐が九州で若い女性と並んで死んでいた。誰もが情死と考える中、その真相を解き明かすべく、粘り強く刑事が奮闘する。

 時刻表が大きな役割を果たしていた時代の、時刻表を巧みに用いたミステリー。その巧みさは文学的ですらある。

 そして、登場人物が背負っている社会的な背景(役人の汚職など)を通して、その時代や社会をも描けていて、いかにも松本清張らしい。トリックを明かして終わりというミステリーとは一線を画している。

 それだけに、時代の暗さ・重さはあるが、それが読みごたえを生んでいる。



 原田マハ 『暗幕のゲルニカ(新潮文庫、2018年)

 

 アンリ・ルソーの「楽園」を主題にした『楽園のカンヴァス』に続く長編美術ミステリー。今回の題材はピカソの「ゲルニカ」。

 ピカソが生きた1930年~40年代のパリと、2000年代初頭のニューヨークの2つの時代の話が並行して進んでいく。

 ピカソが生きた時代は、スペインでは内戦とその後のフランコ独裁があり、パリではナチス・ドイツによるパリ侵攻があった。そして、2000年代初頭のアメリカでは同時多発テロとイラク戦争があった。

 そんな戦争や対立の時代における「ゲルニカ」をめぐる物語が展開されていく。



 ずばり言うなら、『楽園のカンヴァス』の方が相当おもしろかった。『暗幕のゲルニカ』もおもしろいにはおもしろいが、どうしても『楽園』の方を基準にして期待値が形成されていたため、その期待値からの乖離はいかんともしがたかった。



 この『暗幕』を残念なものにしてしまっている一つの要因は「ゲルニカ」あるいは「戦争」の理解・解釈の浅さだと思う。

 話の中で、ピカソが「ゲルニカ」に込めたのは、フランコによるゲルニカ空爆に対する批判にとどまらず、戦争というもの全てに対してなんだ、というものが出てくる。そして、それがあたかも「新しい斬新な解釈!どうや!」てな感じで描かれる。

 ピカソが、私たちが戦っている敵はーー「戦争」そのものなんだ。
  私たちの戦い。それは、この世界から戦争という名の暴力が、悪の連鎖がなくなる日まで続くんだよーー(p284)

 人類がほとんど有史以来といって良いほど苦しみ向き合ってきた「戦争」というものに対する理解・解釈がとても浅いのだ。ただ「戦争=悪」だから「なくせ!」ということしか言っていない。小中学生レベルのあまりに純粋すぎる理解だ。したがって、あたかも、純粋な小中学生が書いた「戦争では何の解決にもならないし、むしろ悲しみや憎しみしか生まないから、戦争なんかするべきではない。」といったレベルのものを読まされているような気がしてしまうのだ。

 「主な参考文献」として同時多発テロやイラク戦争に関するものも何冊かあがっているが、「戦争」という壮大なテーマを扱うにしては質・量ともに浅薄と言わざるを得ない。具体的に言うと、事実を確認するための数冊と、サイードの『戦争とプロパガンダ』があがっているだけだ。もちろん、これは「主な参考文献」であり、他にも読んだのであろうが、「戦争」というものやその原因をどう捉えるのかに関するものが1冊だけでは心もとない。

 美術をメインに扱った本に対してあまりに高い要求をしているかもしれないが、「戦争」とはそこまで深くて困難なテーマなのだ。

 そして何より、「戦争」に対するこの浅い描写が、筆者が「戦争」をそこまで深刻な問題として捉え、向き合っていないということを図らずも明らかにしてしまっているのが何とも残念だ。






 

 朝井リョウ 『武道館(文春文庫、2018年)

 

 女性アイドルグループの1メンバーを主人公にした小説。ところどころAKB48を参照している。したがって、中心となるテーマはアイドルの恋愛について。

 グループであるだけに、恋愛に関して様々なスタンスのメンバーがいる。主人公の愛子は割とまじめなメンバーだが、小さい頃からとても仲の良い幼馴染の男の子がいる。

 グループが徐々に世間に売れていくのと並行して、愛子と幼馴染の男の子も大人へと成長していく・・・




 話の筋としては実にありきたりで驚くような展開はない。

 したがって、アイドルの心の葛藤が中心となる。その深さやリアリティが大事なところだが、そこがとても浅いし、無理がある。
 
 以下、本書の肝ではあるが、立ち入って書いていく。



 
 幼馴染との恋愛が週刊誌に掲載されると知った愛子は心の中で言う、

矛盾すべき二つの自分が、どちらも本当の自分だと知っているからだ。歌って踊ることが好きな自分も、好きな人がいてその人の体に触れることが好きな自分も、どちらも本当の自分だということを知っている。P329)

 恐ろしいことに、自身の行動の判断基準(あるいは是か非かの基準)は自らの感情のみなのだ。自分のために働いてくれている事務所やレコード会社の大人たち(彼らにも生活や家庭がある)。様々なものを犠牲にして売れようと必死に活動している他のメンバー。そういったものへと思考が至ることがないのだ。主人公の愛子は究極の自己中人間なのか? あるいは、サイコパスなのだろうか? これではアイドルと恋愛を扱った小説としては、心の葛藤の描写が浅すぎる。


 また、本書では「選択」を軸にその行動(アイドルの恋愛)を正当化している。本書の中でアイドルが言っている。(P323-326) 要約すると以下のようになる。

 アイドルが恋愛へと一歩踏み出すのも自己の「選択」によるものだ。しかし、「選択」するその瞬間においては「正しい選択」・「間違っている選択」なんてものはない。あるのは(後から振り返っての)「正しかった選択」だけだ。だから、この「(恋愛するという)選択」をこれからの行動で「正しかった選択」にしていけば良い、と。

 いろいろ問題がある。

 まず第一に、「正しい/間違った選択がない」と言うことで、「(恋愛する/しないの)選択」を行ったはずの自己の責任をあいまいにしている。主人公の愛子は恋愛をすることに対してのやましさや罪悪感を感じている。であるならば、「アイドルとしての自分」と「幼馴染と性的関係をもつ自分」という矛盾(そして、それは事務所の大人や他のメンバーに大きな影響を与える)に何らの対処・解決もせずに行った「選択」であり、無責任で正しくない選択だと言えるのではないだろうか。少なくとも、様々なことに思いを致すことなく行われた「不十分な選択」「誠実ではない選択」と言えるのではないだろうか。それを「正しい選択なんてない」の一言で済ませるのは、問題から逃げているだけだ。

 それから、「後々、正しかった選択にすればいい」と言うが、(現在の自分を肯定せずには生きていけない)人間という生き物には自己の来歴を正当化する強い傾向がある。自分の選択を間違っていたとすることは稀だ。であるならば、他人に迷惑をかけたような行動であっても、本人が判断する以上、「正しかった選択」として肯定されることになる、と誰もが思うだろう。また、そもそもいつの段階で「正しかった選択」かを判断するのかに言及されていないため、ただの、問題の先延ばしにしか思えない。



 このように、描写は浅く、恋愛するアイドルを肯定するにしては正当化の仕方が弱く、説得力に欠ける小説だと思う。

 ただ、一人ストイックにアイドル業に励んでいる「るりか」の健気さは感動的だった。何かを犠牲にし、我慢し、自ら選んだ道を突き進む者こそ応援したくなるものだ。




 大崎梢 『だいじな本のみつけ方(光文社文庫、2017年)

 

 中学生を主人公にした本をめぐる2篇が収められている。

 1つ目の「だいじな本のみつけ方」は、人気作家を取り巻く中学生や書店員などの話が書かれている。深い感動や衝撃の展開があるわけではないけれど、読み物としてよく書かれていてすいすいと読み進められる。

 2つ目の「だいじな未来のみつけ方」は、本の読み聞かせをめぐる物語。テレビの司会者やアナウンサーなんかもそうだけれど、普通に話しているように見えてあのように自然に聞きやすく話すのには技術がいる。読み聞かせも、上手な人がすると本の魅力をより引き立たせてくれるだろう。そんなことを考えながら読み進めた。それだけに、ただの中学生が読み聞かせて果たして本の魅力は伝わるのだろうかと少し疑問に思った。

 連作短編のように2篇とも同じ世界を描いている。主人公の中学生はちょっと幼く感じるくらいな女の子。童話に出てきそうな無垢な感じ。

 そんなわけでちょっと童話みたいな世界観の物語。暇があれば読んでもみてもいいかなって感じ。


 
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