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木村元彦 『オシムの言葉』 (集英社文庫、2008年)
祖国である旧ユーゴの内戦と解体という「政治」に巻き込まれながらも、自分のサッカーを追い求め、貫き続けたオシム前日本代表監督のサッカー人生を追ったノンフィクション。
タイトルから想像されるような、ただの「オシム語録」ではない。
さまざまなエピソードやオシム自身の言葉や行動を通して、一本筋の通ったオシムのサッカー哲学が垣間見える。
しかし、オシムに教えを受けた選手自身による証言が、何より、オシムのすごさを伝えてくれている。
特に代表を外された宮本との交流が興味深かった。
それにしても、「とにかく走る」とか、「攻守の切り替えを早く」とか、2006年のワールドカップで日本代表に明らかに欠けていたものだし、次のワールドカップにオシムジャパンで挑んで、世界の中でどこまで闘えるのか見てみたかった気がする。
それから、なんといっても、オシムのサッカーに合いそうなナカタとの組み合わせも是非見てみたかった。
東野圭吾 『レイクサイド』 (文春文庫、2006年)
4組の親子が参加する中学受験のための勉強合宿で起こった殺人事件を描いたミステリー小説。
トリックだけのミステリー。
つまりは、アイディアだけが見せ所なミステリー。
だとすると、300ページ弱のストーリーも冗長に思えてしまう。
ところで、この本のAmazonのレビューがひどい。
いわく「演劇的」、いわく「心情が描かれていない」・・・・。 しかし、これらは「解説」に書いてあることそのままだ。 それをあたかも自分が考えたみたいに平然と書くのはどうなんだろうか。
あるいは、いわく「社会派」、いわく「現代的」・・・・。 しかし、社会的なことを描けばなんでもかんでも「社会派」になるわけではない。 というか、そもそも、人間を描く時点で全ての作品は「社会派」だとも言えるわけだ。 ということは、設定とか舞台とか表層だけを見て「社会派」とか言うべきではないのだ。
ったく。
重松清 『小さき者へ』 (新潮文庫、2006年)
例によって、弱くとも優しい人々が登場する、家族や友情や大人や子供を描いた6つの短編。
他の本に比べると、最後はぐっとくるけどそこまでの過程が少し平坦で冗長気味な話が多め。
とはいえ、重松清であることに変わりはないけど。
人生は、確かにこの小説たちみたいに甘酸っぱく辛いものではあるんだけど、でも、こんな爽やかできれいで美しくはない。 もっと、泥臭く、醜く、苦しく、つまらないものだということも承知していただきたいところではある。
中原昌也 『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』 (河出文庫、2000年)
意味だの教訓だの結末だの現実だの論理だのとは無縁なところで作品をつむぐポストモダン小説。 12本の超短篇を収録している。
次元というか、世界というか、を次々飛び越えて行って、パタリ、と終わる小説の爽快さと無意味さ( あるいは自由さ )よ。
ただ、この手の、支離滅裂な(、それでいてそれだけに止まらないところを持ち合わせている )小説群は、すでに色々存在していて( ウィリアム・バロウズやキャシー・アッカーなど )、特段目新しいということはない。 (中原昌也もポストモダン小説の書き手としてはそこそこセンスはあるにしても。)
未だ人に知られていない、気の利いたユーモラスな話。人々は無意識のうちに、そういった物を求めている筈だ。
その時、ピンキーが急ブレーキをかけたせいで、文庫本と同じように俺の体も勢いよく車内から外へと飛び出た。
バイバイ。
(p87、p118より)
唐十郎 『佐川君からの手紙 〈完全版〉』 (河出文庫、2009年)
日本人の青年がパリでオランダ人女子学生を殺害し、その人肉を食した「パリ人肉事件」を基にした1982年の小説「佐川君からの手紙」などを収録している。 表題作は芥川賞受賞作。
この事件に関する人々の関心は圧倒的に「人肉食」のところに向くけれど、この小説では、「その相手が白人女性だった」ところに注目している。
そして、「白人女性」の「白」を様々な形で象徴的に用い、「色の着いている」日本人女性をそれとの対比で登場させている。
「白」は、純白で無垢な色であり、さらに無色なだけに人々の勝手な妄想や憧れの余地を与えてしまう。 それに対して、「色の着いた」日本人女性は、その妄想や憧れを現実へと引き戻す役割を果たしている。
しかし、その日本人女性が彼の前から立ち去ったとき、彼を現実へと引き戻すものはなくなってしまう。 そして、その妄想や憧れの極致が殺害であり食肉であった。
もちろん、究極点としての殺害や食肉は特殊であるにしても、日本人の西洋人への憧れやコンプレックスは(特に昔は)強固なものである。 その点、特殊な事件を題材に普遍的な事象を文学的に描いている小説だと言える。
そして、その文学的な表現はそこそこ見事。 人肉食の用い方に関しては肩透かしを喰らうけれど。
ちなみに、表題作以外は冗長で退屈。