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 重松清 『みんなのなやみ(新潮文庫、2009年)


 出版社のホームページで募った悩みに重松清が答えるという企画を本にしたもの。 悩みは子供からのものが多く、家族、学校、いじめ、恋愛、実存など。

 答えのスタンスは、基本的には、重松清の小説の登場人物たちと同じで、「 人間は弱くて情けない。 それでも頑張って生きて、人生に喜びを見出したりしている 」というもの。

 だから、「まえがき」でも書いてある通り、悩みを消し去ることは目的とはしていない。 悩みを共有すること、悩みに真剣に向き合ってくれる人がいることを伝えることが目的となっている。


 そんなわけで、答え(考え方)はスタンダードで無難で、(少なくとも大人にとっては)それ自体で参考になることはあまりないと思われる。 

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 伊坂幸太郎 『魔王(講談社文庫、2008年)


 伊坂幸太郎の小説。 以前読んだライトなミステリー『陽気なギャングが地球を回す』とは打って変わって、政治を題材にした小説。

 社会に広がる停滞や無気力を打ち破ってくれそうな一人のカリスマ指導者の登場に狂喜する国民たち。 その空気や奔流に危機感を覚え一人立ち向かおうとする、超能力は持っているがちっぽけな男。 高揚する国民たちと焦る男。 果たしてその勝負の行方は!?というような話。

 「解説」で斎藤美奈子は小泉首相の郵政選挙より前の2004年に発表されていて予言的だと書いているけれど、2001年の小泉が自民党総裁になったときも国民的な盛り上がり( 「自民党をぶっ潰す」とか「抵抗勢力」とかのとき )はあったから、それを意識して書いているのは間違いない。

 ただ、親米の小泉に対して反米で盛り上がっていたり、犬養という名の首相が何度も右翼に襲撃されていたりと、2001年の政治状況をそのまま描いているわけではない。

 だけど、いずれにせよ、あの頃および郵政選挙の頃の自分や日本社会の状況について内省を迫る作品であることは間違いない。

 というのは、かなり希望的観測であって、それでも「自分とは関係ないこと」としてスルーしてしまう人が多いのが現実である気がするけれど。

 そして、それは著者(伊坂)本人としては敗北感を感じる気がするけれど。 話の中ではファッショな空気や改憲で盛り上がる国民たちに対して批判的な考察がしばしば出てくるから。


 それから、一つ興味深いと思ったのが、カリスマに熱狂する国民たちに立ち向かう主人公が持っている超能力。 これは、自分が何かを言わせようと念じるとその人が本当に自分が念じたままを言うという能力。

 これはカリスマ指導者に熱狂する国民一人一人が行っていることに近いように思える。 つまり、不満や鬱屈感を晴らすために普通なら言えないような過激なことをカリスマ指導者を通じて言う( or に言わせる or に言ってもらう )という状況に。

 政治では、一人が念じるだけでは実現しない。 それが圧倒的多数になった時、その念じた内容はカリスマ指導者(独裁者)を通じて実現することになる。


 太田光 『トリックスターから、空へ(新潮文庫、2009年)


 太田光の短いエッセーを集めたもの。

 前半は子供の頃の話から好きな本の話までいろいろな話題について書いている。 けれど、後半はアメリカやイラク戦争の話題ばかり。 で、さすがに中盤から終盤にかけてちょっとだれる。

 ただ、一つ一つの内容は、核をしっかりどっしりと持ちつつ、鋭さや面白さも持ち合わせていて、心踊りながら充実した読書の時間を味わえる。

 テレビでは相変わらずおちゃらけてるけれど、思考や文才はすっかり円熟している。

 かっけーなぁ、ちきしょー。


 思考の正しさではなく、思考のしなやかさなのだ。

 重松清 『見張り塔からずっと(新潮文庫、1999年)


 どこにでもよくいる、弱さゆえに周りに迷惑をかけてしまう人たちのために、つらい状況に追い詰められながら生きている人たちを描いた3つの中篇。

 マンションの中でのけ者にされる、自然好きで人のいいサラリーマン一家。 息子を幼くして亡くし精神的に参ってしまっている妻を持つ夫。 マザコン夫に苦しむ人のいい若奥さん。

 人の弱さ、醜さ。 ひたすら耐えなくてはならない境遇で生活し続けなければならない悲しみと孤独と虚しさ。

 劇的な悲劇とは違う、日常の日の目を浴びない辛さが、リアルで孤独で悲しみを誘う。

 酒井邦秀 『どうして英語が使えない?(ちくま学芸文庫、1996年)


 日本の英語教育や英和辞典は日本語と英語との違いを無視し、英語を強引に日本語に引き付けすぎていると批判し、(いわゆる「母語干渉」を排して、)英語を英語のまま理解するべきことを主張している。

 筆者の物言いはやや過激なきらいがあって、日本人にイギリス人/アメリカ人になるべきだと言ってるみたいで無理があるところもあるけど、まったくもって正論だと思う。


 それから、日本語と英語の違いに関しては具体例がたくさん書かれていて、異文化理解もできて、読み物としてもおもしろい。

 そして、英語ができるのではないかという希望を持たせ、多読への挑戦をとてもそそる。


 ただ、筆者の主張する方法論については、日本の英語教育的な緻密な文法理解の上にこそ「英語のシャワー」とか多読が可能なのであって、文法の理解なしでは多読も不可能なのではないかと、つい、どうしても、自分の経験を絶対化して思ってしまうのだけど、どうなのだろう。

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