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 奥田英朗 『オリンピックの身代金(上・下)(角川文庫、2011年)

 

 焼け野原から立ち直り、ついに東京オリンピック開催にこぎつけた高度経済成長まっただ中の日本。しかし、華やかな表向きの東京がある一方で、様々な暗い現実がまだそこかしこにあった。そんな中、経済格差や労働者の人権蹂躙など社会の不条理に納得いかない大学院生の島崎が、オリンピック開催を人質に、国に対して身代金を要求する。

 『イン・ザ・プール』などこれまでの奥田英朗のエンターテインメント作品とは違い、コミカルな登場人物が出てくることはなく、淡々と話が進んでいく純粋なミステリー小説。

 この小説では、東京オリンピック時の日本の政治・経済・生活・人々など様々な現実が描かれている。すっかり豊かになった日本で生まれ育った自分のような人間には想像できない当時の日本に、改めて気づかされた。また、北京オリンピックの際に中国の現状を批判・冷笑した日本の人たちに対して鋭く突き刺さる。この点では社会派の小説とも言うことができる。

 しかし、ミステリー小説として見ると、トリック自体はそれほど手の込んだものではなく、主人公は5階から(木の上とはいえ)落ちてもすぐに走れるとか設定に無理があり、話が長い割に(いくつかの視点で同じことを書いていることもあって)話が大して進まないし深まっていかないし、と、完成度はそれほど高くない。それに、最後まで読み通すだけの最低限のおもしろさは辛うじてあるとはいえ、それほどではなく、途中から退屈も感じながら一応最後まで読んでいる状態だった。

 エンターテインメントにするか、社会派にするか、どっちつかずで、おもしろさもなんとなく振りきれない中途半端な小説だった。


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 古屋兎丸 『ライチ☆光クラブ(太田出版、2006年)


 1980年代の演劇を基にした漫画。

 9人の中学生の少年たちが廃墟に秘密基地を作り、一人のリーダーを崇拝する秘密結社のような組織を築いている。そして、汚れた大人を嫌う彼らは、純潔な少女を捕獲するためのロボットを完成させ、一人の少女をさらってきて匿(かくま)うことになる。しかし、裏切り、猜疑心、偏執的な愛、ロボットと少女との交流などのために、組織はバラバラになり、ついに破滅を迎える。


 秘密基地、秘密結社というと、欲望の赴くまま極悪非道な行いをし、その果てに破滅へと進んでいくストーリーをまずイメージする。けれど、この漫画では、「汚れなき少女」という最高の目的の達成においては男子中学生らしい妙な倫理観や抑制が効いていて、基地や組織やロボットを作り上げたにもかかわらず、結局それによって何かを成し遂げることなく破滅を迎えている。その慎ましさともどかしさに、自分自身の中学生時代を思い起こさせるような懐かしさを含んだリアリティと、強烈な儚さを感じる。

 描写はかなりグロかったりもするけれど、その表面的な激しさが逆に、全てが終わった後の儚さや少年たちの脆さと対照的になっていて、作品の核心をより強く印象付けてくれる。


 ちなみに、汚れた大人を嫌った少年たちが結局残虐な行いに走り、彼らが作ったロボットだけが純潔なる少女と心を通わせることができるというのは、少しありきたりな感じがして、ロボットの存在はあまり読後まで強くは印象には残らなかった。

 

 池井戸潤 『オレたちバブル入行組(文春文庫、2007年)


 バブル期に大手都市銀に入り、今や課長となったやり手の銀行員が、理不尽な組織の論理や腹黒い上司たちに敢然と立ち向かう経済小説。

 分かりやすい勧善懲悪な話であり、ミステリー的な要素もあり、エンターテインメントとしては十分楽しめた。

 ただ、「バブル入行組」というと、圧倒的な売り手市場で就活をして内定後も歓待された楽して入ってきた世代という印象があるだけに、このタイトルでバブル入行組の行員が実力もあって大活躍するというのはいかがなものか、と思った。

 ちなみに、高杉良の経済小説と主人公のキャラクターとか似ているところもあった。比べると、高杉良の小説の方が登場人物の描写が緻密でかっこよかったりする。ただ、池井戸潤の小説は、ミステリー的な要素が高杉良のものよりおもしろい。


 

 司馬遼太郎 『坂の上の雲(一)(文春文庫、1999年)


 言わずと知れた、維新後の秋山兄弟と正岡子規を描いた作品。

 「いつか読んでおかないと」と思っていたものを1巻だけ読んでみた。

 社会制度が一新され、何もない状態から自らの信念で道を拓いていける「自由さ」にはいいなあと思った。(もちろん、道がないゆえの苦労も大きいだろうけど。)

 ただ、とりあえず一冊読み通させるだけの筆力はさすがとは思いつつも、あと7巻も続きを読もうと思うほど内容的に感じるところはなかった。

 

 井上靖 『あすなろ物語(新潮文庫、1958年)


 様々な人々と出会い、色々なことを経験し、成長し、そして、大人になり、という一人の少年の成長を描いた教養小説。作者自身と重ね合わされているところもあり、戦中から戦後にかけての時代が舞台になっている。

 題名にもなっている「あすなろ(翌檜)」とは、 あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木 (p47)のことで、何事かを成し遂げようとしている人間に重ね合わされている。

 とはいえ、主人公の少年が常に「あすなろ」で居続けるわけではなく、むしろ、その逆で、自身の不甲斐なさに常に葛藤しながら、周囲の「あすなろ」な人々に影響を受け、思考し、何とか克己しよう、ということを繰り返している。

 そうして少年も成長し、それなりの仕事をこなす新聞記者として働くようにはなる。しかし、周囲の活きのいい「あすなろ」な人々と比べると、どうも人間的な不甲斐なさは拭いきれていない。戦後間もない苦境の中、皆が生きるために「あすなろ」にならざるを得ないような状況でもそれは変わらない。

 そうして、物語は終わる。


 実は、「あすなろ」の説明には続きがあり、 あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! (p47)となっている。

 そういう意味では、まさにパッとしないままの主人公は「あすなろ」である。

 ただ、物語の後半、決して檜にはなれなくても、檜になろうとする人々は肯定的に描かれるようになっている。そして、その考え方は、主人公も自然と受け入れるようになっている。

 この「檜にはなれないあすなろ」の解釈に、作者のメッセージが込められているのだろう。

 

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