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井上靖 『あすなろ物語』 (新潮文庫、1958年)
様々な人々と出会い、色々なことを経験し、成長し、そして、大人になり、という一人の少年の成長を描いた教養小説。作者自身と重ね合わされているところもあり、戦中から戦後にかけての時代が舞台になっている。
題名にもなっている「あすなろ(翌檜)」とは、「 あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木 」(p47)のことで、何事かを成し遂げようとしている人間に重ね合わされている。
とはいえ、主人公の少年が常に「あすなろ」で居続けるわけではなく、むしろ、その逆で、自身の不甲斐なさに常に葛藤しながら、周囲の「あすなろ」な人々に影響を受け、思考し、何とか克己しよう、ということを繰り返している。
そうして少年も成長し、それなりの仕事をこなす新聞記者として働くようにはなる。しかし、周囲の活きのいい「あすなろ」な人々と比べると、どうも人間的な不甲斐なさは拭いきれていない。戦後間もない苦境の中、皆が生きるために「あすなろ」にならざるを得ないような状況でもそれは変わらない。
そうして、物語は終わる。
実は、「あすなろ」の説明には続きがあり、「 あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! 」(p47)となっている。
そういう意味では、まさにパッとしないままの主人公は「あすなろ」である。
ただ、物語の後半、決して檜にはなれなくても、檜になろうとする人々は肯定的に描かれるようになっている。そして、その考え方は、主人公も自然と受け入れるようになっている。
この「檜にはなれないあすなろ」の解釈に、作者のメッセージが込められているのだろう。