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 カフカ 『変身/掟の前で 他2編(丘沢静也訳/光文社古典新訳文庫、2007年)


 「変身」はかなり前に読んで以来の再読。 他は初読。

 思惟/私意/恣意こそがこの世界のすべてである( すべてになってしまう )ことを、淡々と象徴的に描いた作品群。

 特に大きな衝撃は受けなかった。

 「掟の前で」が、ちょっと説教じみてるところがあるけれど、一番おもしろかった。

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 ドストエフスキー 『地下室の手記(安岡治子訳/光文社古典新訳文庫、2007年)

 徹底的に過剰で卑屈な自意識によって、それを自覚していながら、友情や恋愛など人生のあらゆるもの(というか人生そのもの)を駄目にしてしまう男の独白。

 男のあまりの過剰さや卑屈さに笑ったり、自分に当てはまってて笑ったり。

 とにかく、深くて徹底している。

 おもしろい。じっくり味わいながら読むに耐え得る。


 男は言う。

過剰な意識のみならず、いかなる意識でも、それは病気だってことを、おれは確信している。 (p16)



 しかし、また、男は言う。

いっそ彼女が今、永久に屈辱を抱えたまま、立ち去るほうがマシじゃないだろうか? 屈辱は、何と言っても浄化なのだから。これは、ぴりぴりと突き刺すような最も大きな痛みを伴う意識だ! 俺は明日にでも彼女の魂を汚し、彼女の心を苛(さいな)み、へとへとにさせることになるだろう。しかし、屈辱は、彼女の中で、もはや決して死に絶えることはなく、彼女を待ち受けるどぶ泥がいかに醜悪なものであろうと、屈辱は常に彼女を高め、浄化してくれるはずだ・・・・ (p257)


 そして、男は読者に向かって問う。

安っぽい幸福と高尚な苦悩の、どちらが良いだろうか? さあ、どちらがいいか? (p258)


 男は言う。

もっとよく見てみるがいい! 生き生きとしたものが今やどこに生きているのやら (p260)


 M.J.アドラー、C.V.ドーレン 『本を読む本(外山滋比古、槇未知子訳/講談社学術文庫、1997年)

 経済評論家の勝間某とかいう人が紹介・推薦したとかで(?)、最近、増刷され平積みで売られてたりする、本の読み方を教えている本。

 初級読書、点検読書、分析読書、同一主題について複数の本を読む場合の読書という、幼児のときの読書も含めた包括的な4つの段階を設定し、それぞれ説明している。(学術書とか啓蒙書の読書を主に想定している。)

 アマゾンのレビューを見ても高い評価を得ている。

 けど、得ることはなかった。

 言ってることは当たり前のことだけど忘れがちだから気を付けなければ、とかも思わなかった。

 だって、ここに書かれている以外の読書法なんて、ありえないでしょ?

 目次を見るとか、何についての本かを知るとか、批評するには著者の論拠を知るとか、何らかの目的を持って読むときは精読ではなくてその目的に資するところだけに注意を払うとか。


 まあ、内容自体は間違ってないから、別にこの本を賞賛する人が多くても害はないのだけど、そういう人たちはいったい普段どんな読書をしてるんだか、ということは気になる。

 セルバンテス 『ドン・キホーテ 前篇(一)(牛島信明訳/岩波文庫、2001年)

 騎士道の物語を読みすぎ憧れすぎて、自分がその騎士道の世界の人間(英雄)だと思い込んでしまったドン・キホーテと、そんなドン・キホーテの大言壮語による約束に期待しつつもドン・キホーテに対して冷静な(普通の)ことも言うサンチョ・パンサの珍道中を描いた1605年の小説。

 その意図するところ(皮肉)は400年経った今でも完全に通用する。思い込み(とそれが引き起こす悲喜劇)というものは、人間生活、人間社会の実にあらゆるところに存在している。人間ってのは本当に変わらないものだなぁと思う。

 ただ、いかんせん、冗長な気がする。( 要は、ドン・キホーテが現実を騎士道的に曲解・捏造することによって起こる悲喜劇的なエピソードがひたすら繰り返される。)

 今回読んだのは「前篇(一)」だけで、それでもちょっと飽きてきた。けど、実際は、他に5冊(前篇3冊と後篇3冊の計6冊)もある。

 結末はどうであれ、さすがに読み続ける気にならない。し、読む必要もないような気がする。登場人物たちのキャラクター設定は分かったし、有名な、風車に突っ込む話ももう出てきたし。


 アルフレッド・ベスター 『虎よ、虎よ!(中田耕治訳/ハヤカワ文庫SF、2008年)
 
 
 人類がテレポーテイション(瞬間移動)の能力を手に入れ、また、人類による惑星間戦争が勃発している未来における、一人の男の復讐と最終秘密兵器(みたいなもの)の行方を描いた1956年のSF小説の新装版。

 SF的な小ネタは随所に散りばめられていても、シンプルなストーリーの復讐話でしかなく、話にぐいぐい引き込まれはするけど「 まさかこのまま終わるのか!?」と、心配しながら読み進めていたら、最後が圧巻。

 大仕掛けが重なり合い、刺激的でイメージ豊かな世界に連れて行ってくれる。

 そこで描かれる(新たに突入したばかりだった)“核の時代”を意識した描写も、その現実の本質や緊張感を鋭く捉えていて見事。

 全体の評価としては、まあ、終わりよければすべてよし、といったところ。
 
 
 ちなみに、同じ著者の後の作品『ゴーレム100』(国書刊行会)は、その圧巻な迫力で最初から最後まで(やや強引ながら)駆け抜けていて、そちらを先に読んでいると、本作に(必要以上に)物足りなさを感じることになる。『虎よ、虎よ!』を読んでから『ゴーレム100』を読めば、両作とも文句なしに楽しめたのかもしれないけど。

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