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ジョージ・オーウェル 『1984年』 (高橋和久訳/ハヤカワepi文庫、2009年)
言わずと知れた1949年に発表された傑作の新訳版。
全体主義が支配する空想の世界を、SFチックな巧妙なアイディアを組み込みながら緻密にリアリティをもって描いている。
物語全体としても魅力的であるし、個々の記述も哲学的洞察に満ちていて、小説の隅々まで楽しめる。 こういうのを完成度の高い読み応えのある傑作というのだろうと感じる。
突き詰めると個人にとっての自由の本質とはどこにあるのか、そして、その自由の欠如と幸福との矛盾しない関係、等々、興味深い問いを投げかけてくる、刺激に満ちた小説でもある。
アウグスト・モンテロッソ 『全集――その他の物語』 (服部綾乃、石川隆介訳/書肆山田、2008年)
グアテマラの作家が政治亡命先のメキシコで出版した短編集。
世界で一番短い短編「恐竜」も収録されている。
「訳者あとがき」にもある通り、モンテロッソ自身の政治的な境遇を意識して書いている部分も確かに見られる。 ただ、それ以上に、面白味があるところに共通しているのは、人間の想像力のたくましさとその滑稽さ、だと思う。
「レオポルド(その作品)」の青年とか、「コンサート」に出てくる父親とか、「みなさまを騙すなんて、できませんわ」の夫人とか、味のある人物はみな想像力がたくましすぎておかしなことになっている。 「恐竜」にしても使っているものは同じだ。
ちなみに、「恐竜」は、世界一短い短編と知っていて、どう来るかと思いながら初めて読んだけど、「あぁなるほど、これならありだ」と思った。
そんなわけで、上手いことをあっさりとやってしまう、なかなか上手い作家だなぁと思った。
ガブリエル・ガルシア=マルケス 『予告された殺人の記録』 (野谷文昭訳/新潮文庫、1997年)
コロンビア生まれのノーベル賞作家・ガルシア=マルケスによる中篇。
町をあげての祝祭の翌朝、田舎の町全体を巻き込みながら起こった殺人事件を、そこに関わるあらゆる人たちの様子をバラバラに組み上げながら包括的に描きあげている。
ブリューゲルの絵( 『謝肉祭と四旬節の喧嘩』、『子供たちの遊戯』とか )のような民衆たちの雑然とした様子を、決して長くないページ数によってはっきりと思い描かせてくれる。
その構成力に感心した。
そして、なんとなく、読後、郷愁とか儚さが残った。
アンドルー・クルミー 『ミスター・ミー』 (青木純子訳/東京創元社、2008年)
『百科全書』やルソーの『告白』を軸に、時と場を隔てた3つの話が相互にシンクロしながら進行していく、なんとも不思議な物語。
博識ながら抜けたところがある登場人物たちが作り出す雰囲気や世界がとても心地よく、そこにストーリーや知的な話が加えられていて、楽しい。
四方を本に囲まれた書斎で、裸で本を読む女性が映っているパソコン画面を眺めている一人の老人が描かれている表紙の絵と、「謎の書物、ロジエの『百科全書』とは? 書痴老人がネットの海に乗り出した・・・・。」という帯の宣伝文句に惹かれて読んでみたが、珍しく、そういった周辺情報から沸き起こる期待にたがわない内容・雰囲気を持つ本だった。
デュマ・フィス 『椿姫』 (新庄嘉章訳/新潮文庫、1950年)
美しい娼婦と純粋な青年との間の恋愛を描いた1848年の小説。
庄司薫の小説に(好意的に)出てきているのを見て、いつかは読みたいと思っていたもの。
純粋な青年アルマンは、純粋に恋心を抱き、その純粋さゆえに最高の幸せをつかみかける。 しかし、恋心のあまりの強さと純粋さのために、(猜疑心、嫉妬など)恋の罠にはまってしまい、醜悪な人間になってしまう。
一方、その美貌と娼婦という立場を利用して、浮き名を流し、派手な生活を送っていたマルグリットは、純粋な愛情を初めて受け、それまでの生活を一変させ、精神性をも高めていく。
そんな対照的な結果になってしまう2人のすれ違いぶりや、相当な悲惨な仕打ちにも堪え得るまでに高められたマルグリットの高貴な精神性が心を打つ。
好きなあまり、疑い、妬み、傷つけてしまう恋のつらさ、相手の幸せを第一に考えるという本当の愛情。
そんな普遍的な恋愛を描いた恋愛小説の古典。
それだけに、やや退屈な感じもしてしまうのだけど。