by ST25
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ドストエフスキー 『地下室の手記』 (安岡治子訳/光文社古典新訳文庫、2007年)
徹底的に過剰で卑屈な自意識によって、それを自覚していながら、友情や恋愛など人生のあらゆるもの(というか人生そのもの)を駄目にしてしまう男の独白。
男のあまりの過剰さや卑屈さに笑ったり、自分に当てはまってて笑ったり。
とにかく、深くて徹底している。
おもしろい。じっくり味わいながら読むに耐え得る。
男は言う。
しかし、また、男は言う。
そして、男は読者に向かって問う。
男は言う。
徹底的に過剰で卑屈な自意識によって、それを自覚していながら、友情や恋愛など人生のあらゆるもの(というか人生そのもの)を駄目にしてしまう男の独白。
男のあまりの過剰さや卑屈さに笑ったり、自分に当てはまってて笑ったり。
とにかく、深くて徹底している。
おもしろい。じっくり味わいながら読むに耐え得る。
男は言う。
「 過剰な意識のみならず、いかなる意識でも、それは病気だってことを、おれは確信している。 」(p16)
しかし、また、男は言う。
「 いっそ彼女が今、永久に屈辱を抱えたまま、立ち去るほうがマシじゃないだろうか? 屈辱は、何と言っても浄化なのだから。これは、ぴりぴりと突き刺すような最も大きな痛みを伴う意識だ! 俺は明日にでも彼女の魂を汚し、彼女の心を苛(さいな)み、へとへとにさせることになるだろう。しかし、屈辱は、彼女の中で、もはや決して死に絶えることはなく、彼女を待ち受けるどぶ泥がいかに醜悪なものであろうと、屈辱は常に彼女を高め、浄化してくれるはずだ・・・・ 」(p257)
そして、男は読者に向かって問う。
「 安っぽい幸福と高尚な苦悩の、どちらが良いだろうか? さあ、どちらがいいか? 」(p258)
男は言う。
「 もっとよく見てみるがいい! 生き生きとしたものが今やどこに生きているのやら 」(p260)
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