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by ST25
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 世耕弘成 『プロフェッショナル広報戦略(ゴマブックス、2006年)
 
 
 先の衆院選で自民党に戦略的な広報を導入した参院議員による、党の広報改革および自己のNTTでの経験などについての本。

 結論から言うと、絶対に買うべきではない。

 なぜなら、本の作りがあまりに悪どいからである。問題点を列挙していく。

 1ページあたりの文字数が少ない。余白のスペースが多すぎる。分量が少ないのに見出し・小見出しがやたらと多い。目次が長い(182ページ中9ページ)。写真が多い(182ページ中13ページ)。小さな写真でも1ページまるまる使っている。白紙ページおよびページの半分以下しか使っていないページが多い(182ページ中10ページ、写真だけのページ含まず)。発言ごとに改行する会話文を多用。それにもかかわらず1500円は高い。著者が会見している写真の説明文に「総選挙用CMを公開する世耕弘成広報本部長代理」と自分の名前をそのまま書いている。

 最近、小さな出版社による、このような「水増し本」をしばしば見かけるようになった。(例えば、宮台真司、宮崎哲弥『M2:思考のロバストネス』(インフォバーン))。世耕によるこの本の場合、内容からしても小泉内閣が継続中である限りそこまで出版を急ぐ理由はないはずだ。なのに、中身がスカスカのまま出版するのはただの怠慢であり、詐欺的行為に他ならない。

 そんなわけで、とてもではないが心穏やかに読むことはできず、批判的に読まずにはいられなかった。以下、問題点を箇条書き風に挙げ連ねていく。

・森首相自身のパソコン講習を肯定的に評価。あの映像は国民に好印象を与え、かつ、パソコン講習会の予算獲得に寄与したとしている。しかし、本当か? 森首相の講師が著者自身がかつて勤めていたNTTの職員だったことによる歪んだ判断ではないのか? パソコン講習の予算に効果や意味はあったのか?

・民間企業というより、自分が経験したNTTの例ばかり引き合いに出しているが、普遍性があるのか怪しい。それに、自民党の広報改革ならアメリカ政治こそを参照すべきだが、「あまり公開されていない」と言い訳して、終いには、ドラマ「ホワイトハウス」が良い教材になると言い出す始末。アメリカ政治に関しては大して調べていないのだろう。

・自分が委員会で行った演説を小泉首相が評価してくれたという理由で自画自賛して、かなり長く引用までしている。しかし、日本語も上手いとは言い難いつまらない演説。例えば、次のような文が出てくる。今回の郵政民営化は、行財政改革を始めとするあらゆる構造改革に連動する小泉構造改革の本丸です。(p57) 「改革」という言葉を付け過ぎだ。

・先の総選挙で評判の良かった「改革を止めるな。」というキャッチコピーならびに4年前の写真を使ったポスターは、広報チームのアイディアではなく、小泉首相自らのアイディア。

・小泉首相の一回の街頭演説で何千票はひっくり返っている(p113)と言っているが、根拠がない。あらゆる箇所で「データが重要」と言っておきながら、肝心な「効果」に関してのデータが全篇に渡って欠如している(笑) 著者の言葉で言えば、PDCAの「See」が欠如しているということになる。

・首相の街頭演説場所の戦略的な選択と選挙での勝利とを結び付けているが(p110)、因果関係は極めて怪しい。

・今回の郵政解散選挙での勝利に自分たちの戦略的な広報が寄与していると考えているが、今回の選挙での自民党の勝利は小泉首相に依るところが大きい。真価が試されるのはこれから。

・ボストン大学大学院で企業広報論の修士号を持っているとのことだが、その卒業論文の結論は、

(大きなスキャンダルに)巻き込まれない企業は社会的にそれほど評価されておらず、世の中のスタンダードについていこうと必死の企業。一方、スキャンダルに巻き込まれる企業はある時期、非常に評判がよく業績も好調、世間のスタンダードよりはるかに上をいっている。そこで社員や会社が「ウチはコレで大丈夫」と慢心してしまう。
 ところが、環境問題など世の中のスタンダードは常に変化し、求めるレベルも高くなっていく。危機感が薄れ、成長する努力を怠っている間に、自分たちがスタンダードに追い抜かれていることに気づかないでいる。 (p164)

 というもの。果たしてどこにオリジナリティがあるのだろうか? 誰かがすでに言っていてもおかしくない内容。

・父が近畿大学の経営者、祖父と伯父は政治家という著者は「NTTにコネで入ったのではない」と言っているが、NTTの同期には自民党の尾身幸二衆院議員の娘もいるとのことである。本人が何と言おうと採用する側のNTTが著者の親類を意識した可能性は否定できない。

・著者自身はこの本を「ビジネス書」だと言っているが(p182)、タイトル以外はどこをどう見ても政治家による自伝的な本。

広報をライフワークに生きていくつもり(p176)と言っている人が果たして政治家をしていて良いのか? 少なくとも、著者は政治家としては小物であることは間違いない。この本の中に、自分の主張と思しきものも出てこないし。

・とはいえ、頭の硬い自民党議員たちの中で、首相・幹事長の支持を得たとはいえ、(すでに行っていて当然のことではあるが)新しい試みを取り入れさせたことは評価されるべきである。

・しかしながら、この本に書かれていることは、自民党にとってメリットがあることばかりで、国民にとってメリットがあるかと言えば、決してそうとは言えない。(この辺の著者の政治センス、政治家としての資質は疑われるところである。)

・そんなわけで、国民・マスコミは、自民党の内実を覆い隠すことを仕事とする世耕弘成に騙されないように気を付けなくてはならない。
 
 
 以上

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 竹内洋『丸山眞男の時代(中公新書、2005年)
 
 
 丸山眞男を通して当時の時代を解き明かす本。あるいは、当時の時代を通して丸山眞男を解き明かす本。

 丸山眞男の死去や葬儀に関わる逸話などが出てくる序章を読んでいるときは「一体何が言いたいんだ?」という感じだったけれど、二章あたりまで読み進めていったらその意図するところがはっきりと理解できるようになった。ただ、やはり序章は余計な感じがするが。

 
 
 それで、この本では丸山眞男を、戦前における彼の“蓑田胸喜経験”などの重要な要素を取り入れながら知識社会学的に論じている。そこにおいて丸山眞男を理解するために導入されている概念は、ブルデューの文化資本/経済資本や、大学場/ジャーナリズム場や、インテリ/大衆などである。そして、このような概念を使って当時の時代状況と丸山眞男の位置取りを分析し、丸山眞男を「絶妙なポジショニング」だったとしている。しかし、そんな丸山眞男も時代の変化と共に「大衆インテリの反逆」などを受けるようになったとも述べられている。

 そんな本書の丸山眞男についての結論的な理解は次のようなものである。

(アカデミズムとジャーナリズムを上手く股にかけていた)丸山は、大衆が知識人化への背伸びにつとめた大衆インテリの時代、活字ジャーナリズムがアカデミズムの力をもとに大衆インテリの媒体になった時代、そして法学部的知と文学部的知が交叉しえた時代、そうした時代の中で覇権をにぎることができた(p316)

 なかなかおもしろい分析だと思う。
 
 
 ただ、丸山眞男が活躍した当時の社会を通した分析の正しさをより強く主張するためにも、丸山眞男なき現在における丸山眞男の受容についても分析し、そして、当時と現在とで比較してほしかった。著者は次のようなことを言っている。

作者の死後は文化場の構造が変容しているし、作者の来歴や発表媒体の文化場における位置の記憶が消去される。作品は作品として読まれ、評価されやすくなる。(pp303-304)

 あるいは、死後10年ではまだ文化場の構造が変化していないと言われるかもしれない。しかし、文化場がもう変化して作者の来歴などが意味をなさなくなっているとするなら、現在の受容を分析することは、それこそ、丸山眞男の“真の評価”をすることになるわけである。やはり、ここにこそ最大の興味がある。

 猪口孝 『国際政治の見方(ちくま新書、2005年)
 
 
 国際関係論で言うところのリアリズムを軸足にした、地に足の付いた国際政治および日本外交の包括的な概説書。「普通の国」、地域安保体制、日中米関係、二国間/多国間外交、国連などについて、あらゆる事例や可能性を踏まえて検討がなされている。

 靖国参拝による日中・日韓関係の悪化、安易な全面的アメリカ追従、目的の見えない常任理事国入りなど、最近の日本外交およびそれに対する論調は、近視眼的なものばかりで迷走が続いている状態である。そんなときこそ、落ち着いて、より鳥瞰的な立場からより長い時間軸を持って考える必要がある。そんな現在に適しているのが本書だ。

 ただ問題点として、今現在の状況を所与のものとして前提にしすぎている結果、今現在においても将来においても、“理想のない無策で受動的な日本(外交)”ばかりが想定されてしまっている。もちろん、分析が目的だからそれでもいいという主張はあり得るわけだが、完全に分析に徹しているとも言い難いし、何より、この本からおもしろみをなくしてしまっているように思える。
 
 
 
 さて、ところで、日本外交の長期的な方向性についての自分の意見を簡単に述べておきたいと思う。個人的には、今後も中国が少しずつでも民主化していくという条件の下でなら、経済的に非常に重要な巨大市場で、しかも地理的にも日本と非常に近い中国へと日本の軸足を徐々に移していくべきだと考える。つまり、長期的にはアメリカから中国へのシフトを考えるべきだということである。

 中国が世界的に重要な国になることを考えたとき、“勝ち馬”の中国との関係、ないし、そこから得られる利益を犠牲にしてまでもアメリカに付くことのメリットが日本にはないと思うからだ。日本と中国との関係を良好なものにすることができれば、経済以外でも、安全保障の観点からのメリットも大きい。とにかく近隣における軍事的な脅威が軽減される。当の中国はもとより、北朝鮮からの軍事的な攻撃の可能性も低くなる。その帰結としてアメリカ依存からの脱却も可能になる。

 もちろん、日中関係が簡単に上手く進むとは思えないし、中国が民主化路線から逆送する可能性もないではない。また、そもそも、これはあくまで50年、100年という長期を見越しての考えである。しかし、アメリカべったりで、気付いたらアジアで日本が取り残されていて、中国市場からの利益も享受できず、中国がアジアを仕切っているなんてことのないようにしたものだ。

 結局のところ、すぐ近くに“勝ち馬”がいるのにそれに乗らないという選択肢はあり得ないということだ。

 大下英治 『郵政大乱!小泉魔術(マジック)(徳間文庫、2005年)
 
 
 郵政法案の衆院可決から解散総選挙での自民党大勝までを描いた書き下ろしの政治小説。非常に多産な著者らしい素早さ。(ちなみに、この著者は最近、平沼赳夫、武部勤についての小説も出版している。→『平沼赳夫の「宣戦布告」』、『驚天動地の男 武部勤』)

 ただ、この本は、あまりに出来事が起ってから間もないためか、やや強引な解釈とか、筋の通らない記述とかが散見されて、いまいちの出来なように感じる。一つ例を挙げれば、国民の関心が徐々に郵政に向かっていったというのは各種の世論調査からしてもそうとは言い切れない。

 
 
 しかし、この本には先の総選挙や内閣改造で初めて注目されたような人たちが勢揃いしていて、いろいろ初めて知ることが多いのはおもしろい。具体的に、出てくるのは、二階俊博、小坂憲次、世耕弘成、能勢和子、鮫島宗明、藤田幸久など。
 
 
 また、忘れかけていた重要な出来事についての記憶を蘇らせてくれるのも一つの効用だろう。例えば、旧橋本派の闇献金事件で一人罪を被せられた感のある村岡兼造が小泉首相の“毒まんじゅう”を食っていたこと。郵政法案反対にある程度まとまっていた亀井派の中で土壇場になって賛成票を投じたのが、増原義剛、永岡洋治、西川京子であったこと。郵政法案に欠席・棄権した議員を不問に付したこと。そして、何より、次の事実。

「亀ちゃん、助けてくれ」
 小泉の手は、震えていたという。
 亀井は言った。
 「おれは、そもそも総裁選に出るつもりはなかった。あなたも、マイナス成長はやむをえないなどといわずに、われわれときちんと政策協定ができれば、協力をおしまないよ」
 亀井から報告を受けた江藤は、若手議員に命じた。
 「小泉陣営と、政策協定をやってくれ」
 これにより亀井は、本選挙を辞退することになった。
 亀井・小泉会談は、さらに総裁選の朝も内密におこなわれた。亀井は、小泉に釘を刺した。
 「われわれは、人事に注文をつけない。しかし、志帥会は、会長一任ということですべてやってきている。あとは、江藤会長と、よく相談してやってほしい」
 小泉は、江藤会長と相談してやることをはっきりと了承した。
 「わかった」
 小泉は、亀井が降りたことで、総裁選に確実に勝利をおさめることができた。
 ところが、小泉は、「江藤会長と相談して人事をやる」と約束した舌の根も乾かぬうちに、なんと、江藤・亀井派の平沼赳夫を、江藤会長に相談することなく、政調会長にと一本釣りにかかったのである。(pp77-78)

 このことに限らないが、マスコミの世論迎合ぶりを改めて感じる次第である。
 
 
 他にも、この本では、小泉首相を支えるキーマンであるが表には活動があまり見えない、飯島秘書官、武部幹事長、二階総務局長(当時)、与謝野政調会長(当時)の活躍(暗躍?)が分かるのもおもしろい。
 
 
 それから、民主党の枝野幸男の政局についての状況判断はなかなか鋭い。

民主党の枝野幸男は、突然の解散に苦い表情になった。
 〈解散させてはいけなかった・・・〉
 そうかといって、民主党が賛成に回り、法案を可決させるわけにもいかない。
 たとえば、民主党は、衆議院の郵政民営化特別委員会で竹中平蔵郵政民営化担当相の秘書官の知人が経営する広告会社が随意契約で政府広報を受注した問題を追及してきた。竹中担当相に対する不信任決議案を提出し、反対派が造反しにくい構造を作るのも一つの手である。
 枝野は、もともと、その論者であった。この一月の段階で、すでに親しい新聞記者に語っていた。
 「郵政民営化法案が出てきたら、三日ぐらい審議し、うちの主張だけきちんとして、さっさと採決させて通しちゃったほうがいい。ぼくが執行部なら、そうするけどな」
 平成十五年十一月の総選挙、平成十六年七月の参院選で民主党が躍進したのは、民主党の土俵で戦ったからである。つまり、選挙は、どちらが土俵を設定するかで決まる。
 郵政民営化関連法案は、自民党が設定する土俵だ。それは、選挙という観点でいえば民主党にとって得ではない。しょせん、自民党の内輪もめで政権交代は起こらない。それなら、さっさと法案を通してしまったほうがいいと枝野は考えていた。(pp226-227)

 
 
 
 しかしいずれにせよ、この本を読みながら一番考えたのは小泉首相の政治手法についてである。

 大平内閣不信任決議可決のときの行動や、90年代の“政治改革”への抵抗や、亀井派との合意を覆したことなどから、小泉首相は、自分の(あるいは、自分の主張の)ためなら筋を曲げることをも全く厭わない。

 しかし、郵政法案の欠席・棄権組を不問にしたことや、参院で否決されて内閣総辞職ではなく衆院解散を選択したことなどから、その自分の主張が筋が通っているかといえばそうでもない。

 そこで一つ思うのは、“筋を通すことと自分の主張を通すこととは違う”ということだ。本来、この違いには十分注意して見分けなければならないが、この点での国民的な不注意があるように思える。

 自分の主張を強く押し通すのは良いのだが、筋は通さなければいけない。自分の主張のために筋を曲げるというのは、独裁者の一歩手前である。

 旧態依然とした左派や一部の自民党造反議員は、安易に小泉首相を独裁者と呼ぶが、「独裁者が登場したのかどうか」は極めて重要な問題であり、政治的な目的のために安易に独裁者という蔑称を用いるべきではないと自分は考えている。

 そこで冷静に考えて、自分は小泉首相を独裁者だとレッテル貼りすべきだとは思わない。確かに、“手法”や“手続き”は民主的というよりは独裁的である。しかし、その主張の“内容”が既存の決定ルールや手続きを変えるものでもないし、法を無視して人権を簡単に蹂躙するようなものでもないからだ。(この点、首相の任期延長は一つのメルクマールであったと思うが、今のところポスト小泉への流れを作っていて、延長しそうにない。違った観点から見れば、任期延長を唱えていた人たちは独裁者を作りかねない人たちであり、要注意だ。)

 しかし、これらのことは、言い換えれば、小泉首相と同じ手法や手続きで過激な内容の主張をしたら、独裁者になるということでもある。この点では、小泉首相の手法はその主張の中身に辛うじて助けられたものであって決して誉められたものではない。

 何はともあれ、あと10ヵ月ほどで小泉首相は首相を退く。カリスマなき後、常人・凡人たちでいかに政治を行っていくのか。(※自分は、安倍晋三は凡人だと思っている。)また、カリスマ支配に慣れてしまった国民は常人・凡人の政治にどういう態度を見せるのか。日本政治の山は来年9月以降だろう。

 多谷千香子 『「民族浄化」を裁く(岩波新書、2005年)
 
 
 旧ユーゴ戦犯法廷(ICTY)の日本人判事によるボスニア紛争とその戦犯裁判の報告。ボスニア紛争は、セルビア人、ボスニア人、クロアチア人といった複数の民族がとても複雑に入り混じっている地域での独立や主導権を争っての紛争で、「民族浄化」と呼ばれる他民族の虐殺が行われた。後にNATOが武力介入して停戦にこぎ着け、戦犯裁判ではセルビアの指導者ミロシェビッチが起訴され現在も係争中である。

 ボスニア紛争でのNATOの空爆は、湾岸戦争、イラク戦争という比較的是非がはっきりしている問題の中間的な位置にあって、日本の軍事面での国際協力を考える際にもっとも重視されるべき事例だと思う。

 また、停戦後に戦犯を裁く旧ユーゴ戦犯法廷は、ボスニア紛争のためだけに創設された対症療法であるという問題もあるが、国連安保理決議によって設置されている。この点では、未だに問題となる東京裁判や最近本格的に始まったイラクのフセインを裁く裁判、さらには今後の発展が期待される国際刑事裁判所を考えるのに有用である。

 以上二つの点から、ボスニア紛争とその戦犯裁判には以前から興味を持っていた。
 
 
 それで本書だが、ボスニア紛争へ至る経緯から、実際の犯罪の事例・証言、戦犯法廷設立の経緯・正当性、ミロシェビッチの役割、と包括的に説明がなされていてとても勉強になった。

 ただ、一つ不満なのが、「ICTYは反セルビア的か」、「勝者の裁判か」といった項目への応答が簡単に済まされていることである。筆者は、

審理の過程でおのずから明らかになったのは、(中略)一部の政治家や軍人が、自己の権力拡大と蓄財のために、一般市民の恐怖を煽り拡大して「民族浄化」に利用したという構図であり、それは、どの民族でも驚くほど似ているということである。(p167)

 と述べ、起訴された者の数においてセルビア人が圧倒的に多いのは、「セルビア人勢力が圧倒的な軍事力を誇っていたため」(p167)だと考えている。

 しかし、本書でも書かれているようにボスニア人やクロアチア人による虐殺があったのは事実であって、この紛争がそもそもどちらかが一方的に攻め込んだものではなく、さらに、上で引用したように権力者が一般市民の恐怖を煽ったものであるなら、セルビアの大統領ミロシェビッチだけを起訴するのは偏ってないとは言えない。そもそもNATOがセルビアを“悪”として攻撃した時点で、公平性の欠損や「勝者の裁き」という性格を持たざるを得ないのは事実として認めるべきだろう。(この辺の事情については高木徹『ドキュメント戦争広告代理店』(講談社文庫)に詳しい。)

 しかし、どの民族であろうと一般市民は被害者で一部の権力者が加害者であるとしたり、裁判の役割を「歴史の真相を明らかにすること」に求める筆者の立場は、中立公平な裁判官としては採り得る中では最も適切な考えだとも思う。

 ただ、それでも、停戦が実施されて比較的冷静になった後でも、セルビア人の過半数が、裁判を反セルビアに偏ったものだと考え、戦犯の引渡しに反対しているという本書に書かれている事実はもっと傾聴に値すると思うが。

 しかし、本書の記述を読むと、さらに逆接で話をつなげ、筆者の主張を支持することもできる。すなわち、以下の事実である。

マスメディアの宣伝に毒される機会のなかった難民の対応は違っていた。クロアチアから逃れた難民のほとんどはセルビア人であったが、クロアチア人やモスリム人もいないわけではなかった。彼らは、前線の戦いをよそに、民族に関係なく、少ない持ち物を分け合い助け合った。難民は、身の安全に対する恐怖に怯えていたが、元の住居に帰る希望を捨てていなかった。難民が異口同音に訴えたのは、「私たちは、何百年も平和に一緒に住んできたのです。元の家に帰ることができるようにしてください」ということであったという。(p69)

 確かにこの話を聞くと、“権力者”や“政治”が対立と紛争をもたらしたという筆者の主張にも納得ができる。
 
 
 それで、結局のところ、本書を読んでこのボスニア紛争の複雑さを改めて思い知らされたわけである。

 東京裁判を「勝者の裁き」だとして、不当、無効なものだと主張している人なら、この複雑に見えるボスニア紛争の戦犯裁判もセルビア人の立場に立って無効だと主張するところだろう。

 しかし、強制力のある法律もルールもない政治的イシューである戦争である以上「勝者の裁き」もある程度は避けられないと考える自分は、セルビアを“悪”としたNATOおよび国際世論の“政治的判断”ならびに“政治的裁判”も、事態を収拾し(片方だけだとはいえ)“悪”を裁くという目的のためにはやむを得ない「一つの選択」なのではないかと思う。(もちろん、このような選択をするには本来、少しでも存在するその偏りを認識していなければならないが。)
 
 
 しかしいずれにせよ、ボスニアでの戦争犯罪の悲惨さはアウシュビッツと全く変わらない。アウシュビッツから50年経っていたにもかかわらず戦争犯罪への制度・対応もアウシュビッツとほとんど変わっていない。実際に起っている個々の紛争への対応も重要だが、個別に行っていたのでは毎回同じ問題点を抱えることになり、進歩がない。国際刑事裁判所のような一般的なルールの構築の重要性を改めて感じる。

 そして、内戦や民族間紛争などのような複雑な問題への共通ルールがない現状においては、PKOやPKFのようにかなりの程度中立な立場での介入にならない軍事的協力を日本は行うべきではないと考える。一方的な侵攻のような善悪がはっきりした事例でないならば、いくら国連のお墨付きがあっても、片方に加担するような介入は日本が紛争に巻き込まれ、さらには紛争を大きくすることになりかねないからである。

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