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 竹内洋『丸山眞男の時代(中公新書、2005年)
 
 
 丸山眞男を通して当時の時代を解き明かす本。あるいは、当時の時代を通して丸山眞男を解き明かす本。

 丸山眞男の死去や葬儀に関わる逸話などが出てくる序章を読んでいるときは「一体何が言いたいんだ?」という感じだったけれど、二章あたりまで読み進めていったらその意図するところがはっきりと理解できるようになった。ただ、やはり序章は余計な感じがするが。

 
 
 それで、この本では丸山眞男を、戦前における彼の“蓑田胸喜経験”などの重要な要素を取り入れながら知識社会学的に論じている。そこにおいて丸山眞男を理解するために導入されている概念は、ブルデューの文化資本/経済資本や、大学場/ジャーナリズム場や、インテリ/大衆などである。そして、このような概念を使って当時の時代状況と丸山眞男の位置取りを分析し、丸山眞男を「絶妙なポジショニング」だったとしている。しかし、そんな丸山眞男も時代の変化と共に「大衆インテリの反逆」などを受けるようになったとも述べられている。

 そんな本書の丸山眞男についての結論的な理解は次のようなものである。

(アカデミズムとジャーナリズムを上手く股にかけていた)丸山は、大衆が知識人化への背伸びにつとめた大衆インテリの時代、活字ジャーナリズムがアカデミズムの力をもとに大衆インテリの媒体になった時代、そして法学部的知と文学部的知が交叉しえた時代、そうした時代の中で覇権をにぎることができた(p316)

 なかなかおもしろい分析だと思う。
 
 
 ただ、丸山眞男が活躍した当時の社会を通した分析の正しさをより強く主張するためにも、丸山眞男なき現在における丸山眞男の受容についても分析し、そして、当時と現在とで比較してほしかった。著者は次のようなことを言っている。

作者の死後は文化場の構造が変容しているし、作者の来歴や発表媒体の文化場における位置の記憶が消去される。作品は作品として読まれ、評価されやすくなる。(pp303-304)

 あるいは、死後10年ではまだ文化場の構造が変化していないと言われるかもしれない。しかし、文化場がもう変化して作者の来歴などが意味をなさなくなっているとするなら、現在の受容を分析することは、それこそ、丸山眞男の“真の評価”をすることになるわけである。やはり、ここにこそ最大の興味がある。

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