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平山夢明 『異常快楽殺人』 (角川ホラー文庫、1999年)
異常快楽大量殺人犯7人(全て20世紀の海外)の犯行の詳細やその背景(時代や犯人の生育環境など)を綴ったノンフィクション。
400人殺したり、死体を食べたり、死体を着たり・・・。
同じ人間として(だからこそ)、驚き戦(おのの)くとともに、興味をひかれる。
人間はどうとでもなるのだなぁ、という感じ。
人間、その可能性の限界を見た、そんな感じ。
それにしても、彼らの行為を「人間のすることじゃない!」と言ったところで、彼らが人間でなくなるわけではない。
「まったく理解できない」と言って彼らとの間に境界線を引いたところで、彼らと別世界に生きられるようになるわけではない。
理解・解決への端緒がまったくないということはない。
最近の、犯罪・犯罪者へのあまりに短絡的・感情的な反応に対する危うさも改めて感じた。
パオロ・マッツァリーノ 『コドモダマシ――ほろ苦教育劇場』 (春秋社、2008年)
好奇心旺盛(あるいはただのバカ)で(どんなにピントがずれてても)何でも思ったことや疑問を口に出してしまう子供と、そんな子供に対して父親としての威厳を何とか保とうとする父親と、その周辺の破天荒な人たちによって繰り広げられる人間模様を描きながら、毎話ネタ元になった本の紹介もしている本。
けっこうどの話もおもしろい。
中でもおもしろかったのは、現代美術鑑賞入門、寺子屋では「学級崩壊」が普通だった、学校に行く意味など。
けど、いかんせん、一つ一つの話がかなり短いために、どうしても物足りなさばかりが読後に強く残ってしまい、本全体としての満足度はいまいち。
けど、とにもかくにも、子育てや教育は(良くも悪くも)思い通りにはならないということだ。「人間いいかげん史観」同様、この著者の、現実主義的諦念から出発するポジティブな人生観や思考には大変共感する。
山田昌弘、白河桃子 『「婚活」時代』 (ディスカヴァー携書、2008年)
「就活」(=就職活動)ならぬ「婚活」(=結婚活動)というキャッチーなタイトルでちょっと話題な本。
amazonのレビューで多くの人が指摘してる通り(あるいは、それ以上に)、ひどい。
特に自称「少子化ジャーナリスト」の白河桃子が書いてるところは、話に一貫性がなく支離滅裂。取り上げている事例も、自分の伝聞による特異なものばかりで、それを勝手に一般化したり、勝手な解釈をしたりで、目も当てられない。まるで『ホットドッグ・プレス』(wikipedia参照)を読んでるみたいだった。
「年収2倍の法則」(女性が結婚相手の男性に自分の年収の2倍を望むこと)なんてものを持ち出して、結婚したくても結婚できない理由(結局100個くらい?出てきたような気がする)の1つに挙げているんだけど、これにしたって、そりゃ、「希望」ならみんな高くなるだろうよ、って感じ。
「希望」と「最低条件」は全く違うし、「最低条件」にしたって、具体的な(結婚するかもしれない)相手がいない人に聞いたものなんか当てにならないだろう。実際、結婚前に思っていた通りの相手と結婚した人なんてどれだけいるというのだ。
中大教授の山田昌弘も、こんな本に自分の名を冠して学者としての良心は痛まないのかという感じではあるけど、この人が書いてるところだってけっこうひどい。
特に昔の話をするとき。
「 出会う人数が少ない時代は、たいていの異性がすてきに見えたものでした。ところが、今の子は、もう中学生くらいのときから、あっちの子がかわいいとか、こっちの子がかっこいいとかやっています 」(p53)
いったい昔の人や社会に対してどんなイメージを持ってるんだ・・・。
「昔は男性は狩るだけでした。自分は他の男性と比べてたいしたことがなくても、声をかければなんとかなりました。でも、今は違います。」(p109)
昔は、会社が「集団見合い」みたいな役割を果たしていて、さらに、地縁・血縁によるお見合いが多かったからみんな結婚できていたと、自分で言ってただろうに・・・。
そんなわけで、読む価値のない本。
そのくせ、ただの新書なのに1000円もするというダメ押しぶりで、まったく救いようがない。
最近、毎月読んでる、世界中の雑誌や新聞の記事を集めた月刊誌。
今号はいつもよりおもしろさ3割減。
大特集は「石油」。今まで言われてきた話や曖昧な内容の話が多かった。
他の記事も、新鮮味、切れ味ともにイマイチなのが多かった。
そんな中でも、おもしろい記事は複数あったのだけれど、特に、ハリポタの作者によるハーバード大の卒業式での講演と、アフリカの話2つ(赤道ギニアでの失敗に終わったクーデタに関わったジャーナリストによる手記と、産油国ナイジェリアの世界にも影響を与え得る政情の話)が、おもしろかった。
アフリカの話は、日本で普通にマスメディアに接しているだけだと特に手薄になるところだけに、有益かつ新鮮。
なにはともあれ、600円なら買って損な気はしない。
ちなみに、次号の発売は明後日(9月10日)。なんとか間に合った。
上杉隆 『ジャーナリズム崩壊』 (幻冬社新書、2008年)
「ジャーナリズム」という観点から、記者クラブを中心に、日本のマスコミの醜態を記している本。
大・爆・笑。 電車の中では読めなかった。
この本は、是非とも翻訳して世界中の人たちに読んでもらうべきだ。なんせ、おもしろいから。
それで、読んで考え至った結論。
つまるところ、日本のマスコミは、「マスコミは第4の権力として何より権力監視の役割を果たすべきだ」という前提を共有していないのだ!
だから、日本のマスコミに「ジャーナリズム」という観点からの批判が聞き入れられないのは当然なのだ。
日本のマスコミは、新聞もテレビも「通信社」にすぎないのだ。(そして、一部(?)は「政府広報」なのだ・・・。)
そして、問題が深いのは、国民の側もそれを当然のことだと思い込んでしまっていることだ。
試しに、国民に新聞・テレビ(報道)の役割が何かを聞いてみるといい。きっと、「ニュースを伝えてくれること」、「わかりやすくニュースを伝えてくれること」という回答が大半を占めるから。
ダメだこりゃ。
ということで、日本のマスコミにジャーナリズムを期待することを完全に放棄させ、もう笑うしかないことを決心させてくれる、そんな一冊。
マスコミが少しでもジャーナリズムとして自己認識してることを言い出したら、全力で笑ってあげましょう。(もう罵るのもめんどうだ。)
そんなわけで、タイトルの『ジャーナリズム崩壊』は誤っている。そもそも日本に「ジャーナリズム」なんてないのだから「崩壊」のしようがない。