忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 岩崎育夫 『物語 シンガポールの歴史(中公新書、2013年)

 

 東南アジアにありながらアジアで最も豊かな国で、マレーシアの先端にありながら華人の国で、ごみを捨てるだけで逮捕される、マーライオンの国。

 しかし、なぜそうなったのかを全く知らない。

 そんな自分の無知を、かなりの程度この本は解決してくれた。

 依然、謎のままなのは、ごみを捨てるだけで逮捕されたり、ガムを街中で食べるだけでも逮捕されるようなモラルに厳しい国になぜなったのか、という点だけだ。



 赤道すぐそばのジャングルの小さな島を19世紀にイギリスが植民地にした。そこに出稼ぎのために中国から人がやって来た。インドからもやって来た。マレー人もいた。こうしてイギリス人、華人、マレー人、インド人からなる国ができあがった。割合として少なかったイギリス人が使用していた英語が主に使われるようになった歴史も本書には書かれている。

 太平洋戦争中は日本が占領していた時期もあった。

 そして、戦後。右往左往した後、独立国家となった。その頃から活躍しつつあったのが、日本でも馴染み深いリー・クアンユーだ。彼の時代はシンガポールが急激に経済発展していく時代ともかぶっている。筆者は、経済発展は開発独裁が成功したためだと分析している。それは国民の政治的自由を制限し、社会主義国のような経済統制さえも含むものである。また、堂々とエリートを選別し彼らを国家官僚とする仕組みを作るまでの徹底ぶりだ。イギリスの影響を受け、英語を話す、経済的に豊かな国という面からすると、意外な面があることに驚かされる。とはいえ、アジア的と言えば、まさにアジア的だ。

 経済発展に関しては、本書は経済学者の本ではないから当然だが、別の分析もあるだろうし、もっと詳細な分析を読んでみたいという気持ちになる。

 ただ、欧米を念頭に置いた、民主主義と資本主義を安易に結びつける議論に対して、シンガポールが強烈な反証になっていることは間違いない。そして、その発展の仕方が他のアジア諸国に見られる開発独裁的な手法であったことは興味深い。その先に欧米とは別の政治社会、経済社会のあり方が見えてきそうだからだ。

 ちなみに、日本もそのアジアの一団に属するのかそうでないのかは単純に結論付けられる問題ではない。戦後、優秀な官僚がけん引して高度成長を実現したというかつての主張は今や主流派ではない。だからといって、資本主義の徹底、つまり、強烈な競争が発展の要因かというとそういうわけでもなさそうだ。となると、どう考えればいいのだろうか・・・。


 
 話が逸れたが、そんな「アジア」について考える第一歩として、または観光に行くなら知っておこうと思ったとき、その基本知識が実にバランスよくまとめられている本書は秀作だと思う。



 
PR

 パオロ・マッツァリーノ 『みんなの道徳解体新書(ちくまプリマー新書、2016年)

 

 世の中には勝手な思い込みによる俗論があまた流通している。「最近、少年犯罪が増えている」、「昔はよかった」などなど。そんな俗論をデータとユーモアによってぶった斬ってきた著者が、今作では近々小中学校の正式科目に格上げされるらしい「道徳」をコテンパンにしている。

 もっとも紙幅が割かれているのは、小中学校で用いられている道徳副読本の読み解き。もちろん、その全ての話がおかしいというわけではないけれど、その一定数は突っ込みどころ満載だと著者は言う。

 例えば、流星を観測していた子が「うちゅうをうごかしているのは、だれなんだろう」とつぶやく話(p52、教育出版3年)。著者が一言。「だれでもないわ。」(p52)。この話から道徳的教訓を導き出すのは相当至難の業だ。こんなの読まされた後、先生に、「うちゅうをうごかしているのは誰だと思いますか」とか聞かれたら、とても困る。

 このような意味不明の話もあれば、事実に基づいていない話もあるし、トランジスタラジオを使う若者が出てくるような時代遅れの話もあるし、なかなかおもしろい(ひどい)。中には人間のダメさを隠さない深い話もあって、そんな話の紹介もしてくれている。

 そんなわけで、道徳の副読本なんて、ほとんどの大人が既に知っているとおり、そんな大それたものではない。当然、それを読んだところで道徳心が涵養されるなんてことはほとんどない。世の大人たちの道徳心の0.01パーセントも学校の「道徳」の授業で形成されたものではないだろう。

 にもかかわらず、道徳的な子供を作ろうと思って、学校の道徳の授業を正式科目にすればいいんだと考える大人というのは相当ヤバイと思う。現実に生きていなくて、お花畑に住んでいる可能性が相当高い。過去の自分の記憶も相当捻じ曲げてしまっている可能性が高い。一体、どこのどいつだよ。


 そんな疑問を抱きながら、文部科学省のホームページに行き、「道徳教育」のページへと辿り着いた。そこには、文科省が「児童生徒が道徳的価値について自ら考え、実際に行動できるようになることをねらいとして作成した道徳教育用教材」である『わたしたちの道徳』が掲載されていて、全ページ見られるようになっていた。これは小学校低・中・高学年、中学生と4種類あり、全国の小中学校に配布されているものらしい。試しに、中学生用のものを一通り全ページ見てみた。

 まず何より、理想主義が過ぎる。「調和のある生活を送る」といって生活習慣を見直そうと言ったり、「真理・真実・理想を求め人生を切り拓く」といって夢や理想の実現のために今何をすべきか考えさせたり、「自分を見つめ個性を伸ばす」といって自分の直したいところを列挙させたり、「法やきまりを守り社会で共に生きる」といって法やきまりを守ることの意義を話し合わせたり、「つながりをもち住みよい社会に」といって町で見掛けた他社への配慮や思いやりのある行為について話し合わせたり、「国を愛し、伝統の継承と文化の創造を」といって世界の人から信頼され尊敬されるためにどのようなことが求められているかを考えさせたり、「認め合い学び合う心を」といって異なる意見を尊重しつつ自分も成長するにはどうすればいいかを考えさせたり、「異性を理解し尊重して」といって中学生の男女交際について友達と話し合わせたり、等々。こんな感じの内容が、エピソードや著名人の名言なども交えながら延々と続いている。これら全てのことを自信をもって教えられる人っているの? これらの理想的な人になるための解答を全て知っている人っているの? しかもそれを中学生に理解させようなんて無理にも程がある。皆、大人になる中で、もしくは大人になってから徐々に学んでいくようなことばかりではないの?

 そして、まず隗より始めよ。国会議員の皆さん、文部科学省のお役人さん、あなたたちがまず実践してください。百聞は一見に如かず。授業で延々とお説教を聞かされるより、世の政治家たち、文科省の役人たちがお手本になるような行動をしていれば、子供たちもすぐにそれを見習おうと思ってくれる。全てとは言わない。半分だけでも構わない。実践してください。話はそれからだ。(そんな世の大人たちが誰も、本当に誰もできないことを説教される子供たちの身にもなってあげなさい。)




 子供たちの道徳心を養いたかったら、道徳心をもった大人を増やすこと以外に道はないと思うのだ。
 
 
 
 
 
 

 福田ますみ 『でっちあげ(新潮文庫、2010年)

 

 2003年に新聞やテレビが一斉にセンセーショナルに取り上げた「教師によるいじめ」、「殺人教師」。福岡市教育委員会も教師による体罰を認めた。そして、当該教師は現場(小学校)から異動させられ、停職にもされる。民事裁判では生徒・保護者側が500人を超える大弁護団を結成し、対する教師側は弁護士が見つからない。しかし、事の真相はニュースを見ていた誰もが思ったのとは全く異なるものだった。

 事実を書いているノンフィクションのドキュメントだけれど、事の進みの恐ろしさ、理不尽さに、ミステリーやホラーを読んでいるかのような気持ちになった。

 周辺への聞き込みさえせず報道したマスコミ。事を荒立てずに済ませようと生徒・保護者の言い分を受け入れてしまう学校(校長、教頭)・教育委員会。あることないこと言ってくる保護者。適当な診断書を書く医師。本来、社会的に信頼されているような人たちばかりが登場するにもかかわらず、事態は最悪な方向へと進んだまま修正されることがなかった。


 今回攻撃対象にされた教師と同じ事態は誰にでも起こりうる。急に街中で因縁をつけられて、というように。渡る世間に鬼はないなんてことはなさそうだ。そんな世の中の現実をふまえた仕組みであってほしいものだ。マスコミ、法曹はそういったことを本来防ぐための存在でもあるはずだ。それが機能しないとなると、いよいよ生きるっていうのは実に恐ろしいことだ。君子危うきに近寄らずが最善の策になりそうだ。

 この事件を取り上げて、綿密に調べ上げたジャーナリストがいたのはせめてもの救いかもしれない。



 

 本村凌二 『競馬の世界史(中公新書、2016年)

 

 筆者は古代ローマ史を専門とする歴史学者。主に夏に欧米に研究に行ったときの週末に欧米の競馬を楽しんできた。そんな筆者が世界の競馬の歴史を辿っている。

 古代ローマの見世物だった時代、王や貴族がその威を競った時代、そして、民衆のスポーツ/ギャンブルとして普及していった時代と、今の競馬の形になるまで様々に変容してきている。もちろん、用いられる馬の種類も今と昔とでは異なるし、レース形態や競う距離も全く違っている。19世紀頃まで4マイル(約6400m)のレースが多かったというのは衝撃的だった。もちろん、戦に用いる馬ということで考えれば持久力が必要なのは理解できるけれど。

 また、その時代時代の名馬の紹介は、「聞いたことあるけれどよく知らない」名馬のことを知ることができて勉強になった。ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、エクリプス、グラディアトゥール、ハイペリオン、ノーザンダンサー、セレクタリアトなど。それぞれの馬(やその関係者)にドラマがあり、名馬の名馬たる所以はその強さのみにあらずと感じた。


 ギャンブルとして毎レース毎レースの結果に一喜一憂するセカセカした日々から、雄大な歴史の流れに身を任せ、平穏な心で競馬を楽しむような、そんな気持ちに変えさせてくれる本だった。



 

 パオロ・マッツァリーノ 『「昔はよかった」病(新潮新書、2015年)

 

 『反社会学講座』以来、誰もが陥りがちな俗説の誤りを統計データや歴史資料を基におもしろおかしく指摘する著者の新作。

 今作では「昔はよかった病」と名付け、様々な(主に老害じじい・ばばあたちの)思い込みを正している。「火の用心」の拍子木の音に対する受容の今昔、戦前日本における熱中症を巡る凄惨な現実、江戸っ子の絆・人情などが取り上げられている。

 人間の直感や印象がいかにあてにならないかを思い知らされる。自らの経験や感覚を絶対視して傲慢に振る舞うと恥ずかしい目に合う。謙虚に、そして、今の世の中の幸せを感じながら、生きていこうと思わされた。



 ちなみに、この著者の著作は基本的にはおもしろおかしく書かれているのだけど、本によって当たり外れがある、と個人的には感じている。この本はおもしろかった。


 
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]