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 見田宗介 『社会学入門(岩波新書、2006年)
 
 
 著者の社会学の講義の「序論」「総論」「結論」にあたる部分を収録した本。

 したがって、タイトルから思い描かれるような一般的な社会学のテキストではないし、一つのテーマを論じたものでもない。が、著者の問題意識や趣味などが活き活きと語られていて、おもしろい読み物になっている。

 本書全体を貫く一つのテーマとして、“近代の光と影”を指摘することができる。具体的には、論理と感情、ゲゼルシャフトとゲマインシャフト、リベラリズムと共同体主義といったものである。

 これは、インドやラテン・アメリカへの旅行で感じるような「言葉にできない不思議な魅力」の存在を確信し愛好しつつも、経験科学的な方法でもって自己の問題意識を解明しようとする、著者の中の相反する感情を反映したものとも言える。

 この難問に対しては、補章の「交響圏とルール圏」で、両者の対立を止揚した社会構想が提示されている。また、著者による同じ岩波新書の『現代社会の理論』(1996年)も、この近代社会の難問に対する別の解答であるようだ。どちらも興味深いけれど、実現(現実化)可能性が低いように、個人的には思う。
 
 
 それにしても、この本で展開されている著者の視点は確かに非常におもしろいのだが、これをどこまで「社会学」と言っていいものか、疑問である。この点、いかにも旧世代の社会学者による本という感じがする。柳田国男を参照しているあたりなんか特に。

 序章の「越境する知――社会学の門」では、「社会学とは何か?」について鋭い認識眼から述べられていて、説得的で魅力的なのだが、やはり「方法」がよろしくない。

 そんなわけで、芸の無いこのタイトルは不適切なように思える。

 こんなことをしていては社会学は雲散霧消してしまうのではないだろうか。

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 長谷部恭男 『憲法とは何か(岩波新書、2006年)
 
 
 立憲主義、民主主義、権力分立、憲法改正手続、国境などに関して、憲法理論や政治思想といった学問的な観点から説明し、近年の憲法論議を批判している。

 各章とも既発表の文章が基になっている。ちなみに、各章の最後に「文献解題」が付いていて、本文中に出てきた文献の紹介がなされている。これは本文の理解が深まるし、おもしろい。

 この本は、全体的に、「憲法(典)は大して重要ではない」という憲法学者である著者の冷ややかなスタンスから書かれているような印象を受ける。

 個々の主な主張は以下の通り。

 ・憲法で、「愛国」や「国を守る責務」というときの「国」とは、国土や人々の暮らしではなく、「憲法によって構成された政治体としての国家」のことである。

 ・冷戦終結は、立憲主義(=リベラルな議会制民主主義)が共産主義に勝利したことを意味する。

 ・「憲法」と「憲法典」とは異なる。

 ・憲法の条文には、「準則(rule)」と「原理(principle)」とがある。9条は「原理」を表現したに過ぎない。

 ・国境のあり方に関する「正解」はない。

 どの主張も、議論を呼ぶような主張であって、通説となっているものとは限らない。特に冷戦や国境に関しては、憲法学者である著者の守備範囲外でもあり、本文中の説明も一冊の本の主張をほぼ踏襲するようなもので、より深くて幅広い検討がなされているとは想像しがたい。

 とはいえ、この本は、憲法学や政治思想といった学問的な視点から巷の憲法論議を意識しつつ書かれた、憲法のより深い理解を可能にする勉強になる本である。「憲法改正」を言うならこのような原理的、学問的な理解は必要不可欠だという著者の意思も読み取れる。ただ、体系的・包括的に憲法の原理を示しているわけではなく、やや断片的であるのは難点の一つである。
 
 
 
 
 ところで、全体を通して、一つ気になったのが、不用意な主張がしばしば現れることだ。

 それは特に事実認識が関わるところにおいて現れる。どういうことかと言うと、事実を見ることや、事実を認識することに対する意識が希薄なために、真に事実かどうか大した検証もせずに、直感や俗説に従って、見えるままに事物を認識し、それを真実だと信じてしまっているのだ。これは憲法学者一般に言えることであるように思える。

 先に疑問を呈した冷戦についての理解はこの問題が現れた典型的な例だろう。

 他にも、憲法と密接に関係する政治に関する理解においてこの問題がしばしば出てくる。一例として、日本政治についての「事実」認識を説明している108~109頁の計14行の記述における疑問を挙げていく。

・自民党は「整合した体系的政策の遂行を目指した政治家の集まりではない」となぜ言えるのか? 「整合した体系的政策」とは何か? ここで言う「遂行」が最終的な行政における「執行」を意味しているのなら著者の認識は間違っていると言えるのではないか?

・自民党が「派閥の連合体である」ことと、自民党が「整合した体系的政策の遂行を目指した政治家の集まりではない」こととは相反することなのか?

・自民党が「派閥の連合体」であって「整合した体系的政策の遂行を目指した政治家の集まりではない」ことが理由で、「党総裁=首相の政策は、必ずしも党全体の支持を自動的に獲得することができない」のか? 党総裁=首相の政策が自動的に支持される国や政党なんてあるのか? そんなの独裁制くらいなものではないのか?

・政府の法案が固まるまでに、「与党である自民党内部の政策決定過程をも経る必要がある」というのは、そんなに特別なことか? 議院内閣制の日本では特に。

・「自民党内部の政策決定過程をも経る必要がある」ことのために、各官僚組織が「政府と必ずしも同じ政策を支持しないさまざまな政治家や政治集団を操縦する余地が残ることになる」と言うが、官僚が省庁の政策に反対する政治家のところに赴くのは「操縦」なんていう優越的なコントロールを効かすためではなく、「何とかして説得し、支持を取り付ける」ためではないのか?

・官僚が政治家を支配しているという純粋な見方は、基本的な政治学の教科書を読む限りもはや怪しい主張であるようだが、著者はその程度のことは認識した上で言っているのか? 認識しているとするなら、その根拠は何か?

・このような官僚が与党政治家に接触することをもって、日本の官僚機構はイギリスほどには「党派政治から中立的であるとはいえない」としているが、ここで言う「党派政治から中立的」とは何を意味しているのか? 官僚が「自分たちの利益を擁護するために」与党政治家に接触する行為は、「党派政治」からは「中立的」と言えるのではないか? 官僚が特定の政党を利する行為のことを「党派政治から中立的ではない」というのではないのか?

・「官僚組織による政治過程の操作可能性は、郵政民営化をめぐる動きの中で、改めて浮き彫りになった点でもある」としているが、本当か? 小泉首相は官僚に「操作」されていたのか? 郵政民営化という超超特殊な事例を持ち出して、日本政治に関する一般論の論証に使うとは呆れる。
 
 
 以上、著者の社会科学的なセンスがかなり怪しいことがよく分かる。

 であるなら、憲法典が要請しているところ(理念)を解説するに止まっているべきだ、となりかねない。

 そして何より、著者も「巷の憲法論議」と大して変わらない。

 寺島実郎 『われら戦後世代の「坂の上の雲」(PHP新書、2006年)
 
 
 1971年、1980年、1991年、1999年、2006年に書かれた既発表の文章をまとめて、「一人の戦後生まれ日本人の三十五年間にわたる思考の軌跡」にしたもの。

 どれも「戦後生まれ」や「団塊世代」といった視点から同時代を診断したものである。

 誠実さと重みがひしひしと伝わる文章はいつもの通り。

 
 
 著者は、「世代」や「時代」という視点や区切りを好んで用いる。がしかし、「世代」というものは“何か時間を区切るもの”があって初めて成り立つ概念である。この本で言えば、それは「戦争」である。すなわち、「戦後生まれ≒団塊世代」という図式も「戦争」という画期的な出来事を欠いては成り立たない。翻って現代を考えれば、ほとんどの人がもはや戦後生まれ(「戦無世代」)であって、これといった区切りがない。そういう状況においては、「世代」という分析単位は使いにくいし、馴染みにくい。それに、世代論を展開することは、人類普遍の単純な善悪図式である「大人vs.若者」という図式をも受け入れることに通じるように思えて、個人的にはあまり気が進まない。

 ただ、これは方法論に関する瑣末な問題とも言える。

 というのも、「世代」という言葉を使ってはいるが、著者が次のようなことを書くとき、その視野はより大きく見据えられているからである。

戦後世代には避けることのできない世代のテーマが、厳然と存在していることに気づかざるをえない。それは、約言すれば、「近代化」以後の社会構想を具体的なかたちで求めることである。例えば政治的なテーマに関していえば、「国家」を止揚し「個」を基軸にした社会構想をいかに現実たらしめるかというテーマが存在している。(p80)

 こんな大きなテーマを一つの世代に課すのはさすがに酷だろう。

 一方、このような壮大なテーマを「団塊世代」に課す著者の問題意識、時代認識は次の文に上手く要約されている。

私の論点は、結局のところ日本の戦後が生み出したのはけっして「柔らかい個人主義」ではなく「虚弱な私生活主義」ではなかったのか、ということである。表層に漂う「やさしさ」の本質に踏み込んでいくと、「他者を傷つけたくないし、自分も傷つけられたくない」という精神状況に気づく。そして、対人関係に異常なほど過敏で、他者との距離感をとって自分に沈潜し、つねに心は寂しいというコミュニケーション不全症候につきあたる。「みんなしあわせになれたらいいのに」といったやさしげな感性は保有するが、どうすれば皆が幸福になれるのかに関し、思考を深め、構想し闘うことはしない。自分の寂しさに酔いしれ、絶えず何か癒しを渇望するが、他者を大きく救う仕組みを模索するわけではなく、その意味でけっして満たされることはない。渇望と孤独と不安の私生活の中で漂っているだけである。(pp122-123)

 ちなみに、著者は、一つの構想として、2007年に大量に引退するとされる「団塊世代」の人たちが、引退後に、会社以外の新しい楽しみとして消費を楽しむのもいいが、一人一つ何かしらのNPOに関わり、国家に吸収されない「公」を大規模に創造することを提唱している。

 確かに、鋭い分析であって感覚的に感じていることを見事に言語化していると感じる。NPOによる「公」の創造というその解決策も筋が通っている。

 が、疑問に感じるのは、これだけ豊かで自由な社会において「虚弱な私生活主義」を批判する理由がはっきりしないことだ。言い換えれば、現代はこれだけ豊かで自由なのだから、「虚弱」になるのも、「私生活主義」になるのも不可避だし、むしろ環境に適応している自然で合理的な行動だし、それによって危急存亡に関わる重大な問題が生じているとも言えないのではないか、ということである。この点がはっきりしないと、一個人の道徳による「オヤジの説教」に聞こえてしまう。本の中でいくつかの問題点は指摘されていたが、どれも、小さい問題か、道徳的な問題か、例外的な問題に感じてしまった。

 もちろん、自分も、「虚弱な私生活主義」は好ましいと思わないし、「NPOによる公の創造」は素晴らしいと思う。だけれど、それこそ、私的な価値観や道徳に閉じ込まらずに、社会的、公的にこれらを正当化しようとすればそれ相当の理由や問題の指摘が必要となる。

 この問題は、突き詰めると、「リベラリズムとデモクラシーとの衝突・矛盾をいかに解決するか」というところに行き着くようにしか、自分には思えなくなってしまった。

 ちなみに、著者の問題意識はリベラリズムの徹底によって顕在化した問題であるのだから、デモクラシーの観点からのカウンターパートや問題意識の正当化が求められることにはなるのだろう。
 
 
 ここで終わってしまうと、著者による「批判的知性から創造的知性へ」という言葉が胸に響くが、問題を明らかにして後は宿題ということで終わりにしよう。

 愛敬浩二 『改憲問題(ちくま新書、2006年)
 
 
 改憲へ向けた動きが本格化して以降、一般向けの新書や論壇誌に著名な憲法学者が登場することが多くなってきた。不勉強な人の間での憲法学の蓄積を無視した議論だけで改憲論議が行われるのはあまりに愚かしいことだけに、歓迎すべき傾向だと思う。そんなわけで、本書も期待して手に取ってみた。

 が、結果、〈冷戦=55年体制〉的な旧態依然とした左翼による小ざかしい改憲批判だった。

 今時、こういう、相手の瑣末な論理矛盾を指摘して喜んでいるような本は、実際の憲法論議に対して“全く”影響力を持ちえないどころか、改憲派へのシンパシーを増すことさえありうるという事実をいい加減、認識してほしいものだ。
 
 
 では、どういうところが問題か?

 まず、著者の記述の姿勢・目的が、護憲擁護と改憲批判という漠然としたものであって、憲法論議に新しい視点や一つの主張を投げかけるものではない。このために、一つ一つの論点に対する突っ込みや批判は甘いものになっているし、本全体も散漫とした印象を受ける。

 次に、その「護憲擁護と改憲批判という漠然とした」視点は、改憲派の主張には常に悪意に満ちた厳しい解釈をしている一方で、護憲派の主張には常に楽観的で甘い解釈をしている。例えば、象徴的なのが、一度改憲してしまうと権力側の歯止めが利かなくなるという最悪の場合を想定して発言する一方で、有事法制のような最悪の場合を想定した立法には現実的な脅威がないとして否定的なのである。分析におけるスタンスが一貫しないのは、学者ではなく評論家である。

 それから、その「分析におけるスタンスが一貫しない」という点と同根だが、現実を認識する力が貧困である。つまり、社会科学的な素養が欠けている。例えば、社会保障給付費や福祉の国民負担率などの“数値の比較”から「日本の社会保障のレベルは低い」とし、「アメリカとほぼ同じという状況にある」と断言している。この著者が「福祉に関する本を一冊も読んでいないのでは?」と疑わせるほどに愚かしい話だが、問題はより根深いところにある。すなわち、著者は数字の読解に置いて、経済学や社会学や政治学などの社会科学の学部一年生の最初の授業で教わりそうなレベルの失態を犯しているのだ。「現状分析」や「事実認識」や「(福祉などのレベルの)高低の判断」というのはそんなに簡単な話ではないのだ。

 全体に関わる問題点はこんなところだ。

 これだけ根本的な批判をすると、この本を読む価値はないと思われるかもしれないが、実際に読む価値はない。
 
 
 とはいえ、この本の中で一箇所、非常に感銘を受けたところがあった。それは、著者が99条が日本国憲法の中で一番好きな条文だという話のところである。同条は「公務員の憲法尊重擁護義務」の規定であるが、そこには「国民」という言葉は入っていないのだ!著者が指摘するとおり、この点、自民党や読売新聞にはしっかり考えてほしいものだ。

 ちなみに、憲法学者が書いた新書なら、個人的には、すでに何回か言ったことがあるかもしれないが、樋口陽一『個人と国家』(集英社新書)が、改憲論議を直接扱ったものではないが、憲法の持つ奥深さや重さを教えてくれてお薦めだ。
 
 
 
 さて、最後に、この本を読みながら考えた自分の憲法改正についての意見をいくつか述べておきたい。

 1.自分は、生まれてからずっとその下で生きてきた現行憲法に愛着やアイデンティティを感じている。これは、改憲派が敗戦以前の「日本」や大日本帝国憲法に愛着やアイデンティティを感じるのと同じだ。

 2.自民党や読売新聞が現行憲法の「全面改正」を行おうとしているが、「部分改正」ではなくて「全面改正」を行うということは、「押し付け憲法論」を受け入れることを(大抵の場合)意味する。

 3.自分は「押し付け憲法論」に与しない。理由は以下の通り。当時としても今から見ても“自主憲法であった”「松本試案」は内容が悪い。当時としても今から見ても「GHQ案」の方が断然内容が良い。GHQといえども日本国民の支持の得られない試案は作れなかったことを考えると、日本国民が間接的には「試案」に影響力を行使したと言える。実際、当時の日本国民の多くが「GHQ案」を支持していた。また、日本国憲法制定から60年間改正がなかったということは多くの国民が現行憲法を自主的に支持していることを表している。

 4.したがって、「全面改正」には反対する。

 5.とはいえ、軍事力の保持を禁止した9条、私学への助成を禁じた89条といった条文の「部分改正」には、その内容次第では賛成する。むしろ、改正すべきだと考える。

 猪木武徳 『経済成長の果実1955~1972 〈日本の近代7〉 (中央公論新社、2000年)
 
 
 〈日本の近代〉シリーズの通史編の一冊。高度成長時代の経済、政治、社会の姿がなかなか活き活きと描かれている。現代史は、経済史、政治史、文化史、政党史、新聞史など、どうしても領域ごとや下位領域ごとのものが多くなってしまう中で、このような当時の全体像を扱った本は貴重だし、ありがたい。

 ただ、全体像とは言っても、どうしても政治と経済に比重が置かれ、大衆文化といったものの扱いが少なくなっているのはやむを得ないところか。

 また、著者は経済学者ということもあり、経済に関する記述では少々多めにスペースを割いて、俗説を経済学の成果を用いて批判したりしているのはこの本の一つの特徴だろう。例えば、日本の貿易依存度の例外的な低さを示して、日本の高度成長が輸出ではなく国内需要によるものだとするところや、8割以上を占める中小企業労働者の企業間移動率は大企業とは違って低くはないことを示すところなどである。

 ただ、そんなこの本の落ち着いた記述の中で異色を放つのが最後の「エピローグ」である。ここでは著者の個人的で感覚的な道徳観全開で所感が述べられている。そのため、読後感を後味の悪いものにしてしまう。この本を読むなら、「エピローグ」は読まない方が良いだろう、と個人的には思う。

 しかし、何はともあれ、この時代はやはり全体的に成功基調の時代だったなあ、と感じる。

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