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 寺島実郎 『われら戦後世代の「坂の上の雲」(PHP新書、2006年)
 
 
 1971年、1980年、1991年、1999年、2006年に書かれた既発表の文章をまとめて、「一人の戦後生まれ日本人の三十五年間にわたる思考の軌跡」にしたもの。

 どれも「戦後生まれ」や「団塊世代」といった視点から同時代を診断したものである。

 誠実さと重みがひしひしと伝わる文章はいつもの通り。

 
 
 著者は、「世代」や「時代」という視点や区切りを好んで用いる。がしかし、「世代」というものは“何か時間を区切るもの”があって初めて成り立つ概念である。この本で言えば、それは「戦争」である。すなわち、「戦後生まれ≒団塊世代」という図式も「戦争」という画期的な出来事を欠いては成り立たない。翻って現代を考えれば、ほとんどの人がもはや戦後生まれ(「戦無世代」)であって、これといった区切りがない。そういう状況においては、「世代」という分析単位は使いにくいし、馴染みにくい。それに、世代論を展開することは、人類普遍の単純な善悪図式である「大人vs.若者」という図式をも受け入れることに通じるように思えて、個人的にはあまり気が進まない。

 ただ、これは方法論に関する瑣末な問題とも言える。

 というのも、「世代」という言葉を使ってはいるが、著者が次のようなことを書くとき、その視野はより大きく見据えられているからである。

戦後世代には避けることのできない世代のテーマが、厳然と存在していることに気づかざるをえない。それは、約言すれば、「近代化」以後の社会構想を具体的なかたちで求めることである。例えば政治的なテーマに関していえば、「国家」を止揚し「個」を基軸にした社会構想をいかに現実たらしめるかというテーマが存在している。(p80)

 こんな大きなテーマを一つの世代に課すのはさすがに酷だろう。

 一方、このような壮大なテーマを「団塊世代」に課す著者の問題意識、時代認識は次の文に上手く要約されている。

私の論点は、結局のところ日本の戦後が生み出したのはけっして「柔らかい個人主義」ではなく「虚弱な私生活主義」ではなかったのか、ということである。表層に漂う「やさしさ」の本質に踏み込んでいくと、「他者を傷つけたくないし、自分も傷つけられたくない」という精神状況に気づく。そして、対人関係に異常なほど過敏で、他者との距離感をとって自分に沈潜し、つねに心は寂しいというコミュニケーション不全症候につきあたる。「みんなしあわせになれたらいいのに」といったやさしげな感性は保有するが、どうすれば皆が幸福になれるのかに関し、思考を深め、構想し闘うことはしない。自分の寂しさに酔いしれ、絶えず何か癒しを渇望するが、他者を大きく救う仕組みを模索するわけではなく、その意味でけっして満たされることはない。渇望と孤独と不安の私生活の中で漂っているだけである。(pp122-123)

 ちなみに、著者は、一つの構想として、2007年に大量に引退するとされる「団塊世代」の人たちが、引退後に、会社以外の新しい楽しみとして消費を楽しむのもいいが、一人一つ何かしらのNPOに関わり、国家に吸収されない「公」を大規模に創造することを提唱している。

 確かに、鋭い分析であって感覚的に感じていることを見事に言語化していると感じる。NPOによる「公」の創造というその解決策も筋が通っている。

 が、疑問に感じるのは、これだけ豊かで自由な社会において「虚弱な私生活主義」を批判する理由がはっきりしないことだ。言い換えれば、現代はこれだけ豊かで自由なのだから、「虚弱」になるのも、「私生活主義」になるのも不可避だし、むしろ環境に適応している自然で合理的な行動だし、それによって危急存亡に関わる重大な問題が生じているとも言えないのではないか、ということである。この点がはっきりしないと、一個人の道徳による「オヤジの説教」に聞こえてしまう。本の中でいくつかの問題点は指摘されていたが、どれも、小さい問題か、道徳的な問題か、例外的な問題に感じてしまった。

 もちろん、自分も、「虚弱な私生活主義」は好ましいと思わないし、「NPOによる公の創造」は素晴らしいと思う。だけれど、それこそ、私的な価値観や道徳に閉じ込まらずに、社会的、公的にこれらを正当化しようとすればそれ相当の理由や問題の指摘が必要となる。

 この問題は、突き詰めると、「リベラリズムとデモクラシーとの衝突・矛盾をいかに解決するか」というところに行き着くようにしか、自分には思えなくなってしまった。

 ちなみに、著者の問題意識はリベラリズムの徹底によって顕在化した問題であるのだから、デモクラシーの観点からのカウンターパートや問題意識の正当化が求められることにはなるのだろう。
 
 
 ここで終わってしまうと、著者による「批判的知性から創造的知性へ」という言葉が胸に響くが、問題を明らかにして後は宿題ということで終わりにしよう。

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