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by ST25
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 春日真人 『100年の難問はなぜ解けたのか――天才数学者の光と影(新潮文庫、2011年)


 数学界の重要な未解決問題で、100万ドルの賞金が掛けられていた「ポアンカレ予想」を証明したのにもかかわらず、賞金の受け取りを拒否し、表舞台から姿を消しているペレリマンに迫る、NHKのドキュメンタリー番組の書籍化。

 ペレリマンによる解決に至るまでの他の数学者の貢献と、ペレリマンの生い立ちや人となりを描いている。

 ただ、肝心の「ポアンカレ予想」がいかなるものかという説明は、分からせようという努力の跡はうかがえるけれど、イメージできないし分かりにくい。

 また、結局ペレリマン本人とは接触できていなくて、賞金受け取り拒否の理由などの真相も明らかにならないまま終わっている。

 そんなわけで、(ページ数も多くなく、内容も多くないこともあって、)読みやすいけれど、ペレリマンについてもポアンカレ予想についてもそこまで詳しく知ることができない。

 わざわざテレビ番組にして本にまでするくらいだから、(サイモン・シンの本並みとまではいかなくても、)それくらいのことは期待していただけに、少し期待外れで読み応えがない本だった。

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 池内了 『疑似科学入門(岩波新書、2008年)
 
 
 疑似科学の種類やメカニズムを概説した本。

 初心者には不親切で難しめ、多少でも知ってる人には浅くて物足りない。

 一応、この分野の先達であるカール・セーガン、マーチン・ガートナーの日本版たらんことを目指し、なおかつ、地球温暖化のような複雑で科学的に依然不確定なものまで「疑似科学」に含めることに存在意義を見出そうとしているようではあるけれど、成功してるようには思えず、大して意義・おもしろさは感じられない。

 そして何より、社会問題に関して語るところ(あちこちにある)で連発される、(「最近の若者は~」的)道徳的説教や、(教条左翼的)“擬似社会科学的俗説”には辟易する。疑似科学を批判する本においてあるまじき態度。

 いくつか例示しておこう。

電車に乗れば携帯電話をマナーモードにすることが推奨される。スイッチを切るのではなく、音が出ないだけで受信可能な状態にするのだ。マナーとして道徳心の発揮を求めており、乗客の多くもそれに従っている。それはそれで良いことのように見えるが、道徳を(マナーモードという)技術によって代行される事態が進行しているとも言える。道徳を人間関係のなかで身につけていくのではなく、技術力によって遵守させようとするのだ。
 (中略)
 この類の、道徳を代行してくれる技術はこれからも数多く開発されていくだろう。すでに、トイレ使用後に流れる洗浄水、自動的に水の止まる蛇口、人を察知すれば点灯する照明、携帯電話を使えなくする音楽ホール、自動消火するガスコンロなど、実に多くの製品が出回っている。それらは、本来人間の手で操作していたのだが、汚したり、つけっぱなしにしたり、事故を起こしたりしたものだから、技術によって代行しようというわけだ。
 便利になったのは事実だが、「お任せ」体質がはびこり人間はますます横着になっていくことも確実である。 (p96-97)

 「ゲーム脳」を批判してる同じ本の中の記述とはとても思えない。全く証拠さえ示そうとしていないあたりは、よりトンデモナイと言えるかもしれない。そもそも、人間の安全とか実質的なメリットより道徳を重んじる問題提起自体がどうかと思うけど。

文部科学省が全国一斉学力テストを行ったのは、意味ある偏差値を手に入れ、幼い頃から子どもたちをランク付けしてエリートと非エリートに区分けしようという陰謀のためかもしれない。 (p76)

 擬似科学に嵌ってしまう人の典型的な心理メカニズム(本書第1章参照・・・)が垣間見える。

統計的には日本は史上最長の好景気と言われているが、私たちにはその実感がなく、ワーキングプアが続出していることからも、何かおかしいと思わざるを得ない。会社の生産高や売上げの統計を前年と比べると確かに良くなっているのだが、それは大企業の分しか考慮されていないために違いない。「統計でウソをついている」のである。 (p76)

 「実感」だの(ワーキングプアという)一事象へのこだわりだの、自分で気を付けろと言ってたのに。
 
 
 そんなわけで、ある意味“すごい本”と言えるかもしれないけど、まともに考えれば、ひどい本。


 カール・セーガン 『人はなぜエセ科学に騙されるのか(下) (青木薫訳/新潮文庫、2000年)
 
 
 「懐疑」を中心に科学的な思考の意義を説くエッセー。

 上巻(感想)は宇宙人誘拐説といった具体例(の素朴な科学的解釈)をたくさん扱っていたけど、下巻は科学の役割とか科学の楽しさとか科学教育とかいった科学全体に関する話が中心。

 そんなこともあって、社会に対して、あたかも“科学者代表”として科学の意義や楽しさを必死に訴えんとする著者の熱さや愚直さまで伝わってくる。

 また、科学との関係で自由や民主主義の意義にまで語り及んでいる視野の広さには感心する。

 下巻まで読んで初めて、気高く教養深い著者の素晴らしさに感じ入ることができる。「科学者の良心」という呼び名も伊達ではない。

 ただ、その愚直さは「科学の楽しさ」を伝えるには愚直すぎると思うけど。( それは本書の中でも出てくるけどファインマンとかグールドとかの仕事なのだろう。)
 
 
 最後に、著者らしく、個人的にも印象深い言葉を(再)引用しておこう。

 まず、独立戦争で活躍したアメリカの革命家イーサン・アレンの言葉。

理性など役に立たないという人たちがいる。そういう人が真面目に考えなくてはならないのは、いったい自分は理性的に理性に反対しているのか、理性的でなく理性に反対しているのかということだ。 (p77)

 続いて、『種の起源』のダーウィンの言葉。

確信というものは、知識のあるところよりも、知識のないところから生まれることが多い。あれこれの問題は科学では決して解明できないだろうなどと自信ありげに断言するのは、知識のある人々でなくて、無知な人々なのである。 (p96)

 最後に、2人のアメリカ大統領の言葉。

どうして知的好奇心などに助成しなくてはならないのか。
      ロナルド・レーガン、1980年、大統領選演説 (p290)

何にもまして助成に値するのは、科学と文学であります。どこの国であろうとも、知識こそは、人民の幸福の土台として何よりたしかなものだからです。
       ジョージ・ワシントン、1790年、議会演説 (p290)

 


 カール・セーガン 『人はなぜエセ科学に騙されるのか(上) (青木薫訳/新潮文庫、2000年)
 
 
 「宇宙人による誘拐」や「悪霊」や「セラピー」といった話を素朴な論理的・科学的な視点で読み解いているエッセー。

 人間は他の生き物に比べれば格段に優れた能力を持っている。しかし、だからといって、その人間も完全無欠な“神”などではなく、依然、様々な弱さや無知を持ち合わせている。ここで取り上げられているエセ科学はどれも、その弱さや無知を(多くの場合は無意識のうちに)埋め合わせるために用いられている。

 これを見て思うのは、科学を信じる人だけでなく、エセ科学を信じる人も、人間の能力を信じている、ということだ。

 ただし、科学を信じる人が信じる「人間・人間の能力」とは“人間一般”や“人間が自力で生み出した科学”であり、一方、エセ科学を信じる人が信じる「人間」とは“自分”や“自分の能力や感覚”のことだ。

 科学を信じる著者が、ひたすら「懐疑」を語るのも、“人間一般”を信じつつもこの“自分”(という個人)の独善に陥るのを防ぐためだろう。

 エセ科学を信じる人に欠けているのは、自分という人間の能力や感覚の弱さや至らなさへの自覚だ。

 前田知洋のマジックをマジックだと知らされないで見たら自分が知らない不思議な力の存在を信じかねない。アニメを見ているだけでは平野綾が多重人格でもないのにあんなに色々な声を演じているなんて理解することはできない。何の予備知識もなく急に窓から飛び降りる自分の息子や娘を見て憑き物ではなくインフルエンザ(かかなりの低い確率でタミフル)の副作用だと理解できる人はいない。分かっていても錯視には騙される。

 人間一人の素朴な感覚や理解力なんてのはこの程度のものなのだ。そして、科学的には、空想と記憶との境界が曖昧であることや疲労や薬や寝起きなどで幻覚が見えることも分かっている。

 「 (霊とかが)見えるんだからしょうがない 」なんていう、あまりに素朴に自分の感覚を信じすぎる人たちは、こういう人間のしょぼさをきちんと認識するべきなのだ。
 
 
 さて、最後に、個人的に何らかの思い入れのある文をいくつか引用しておこう。

気持ちよくさせてくれるものと真実との違いを識別できなくなった人たちばかりだ。 (p62)

 例の告白本の中で奥菜恵がやたらと「真実」という言葉を使ってて違和感があったんだけど、とりあえず収まった。

『魔女は存在する』と主張する人たちの言い分は、『もしも魔女が存在しないなら、どうしてこんなことが起こるのか?』というものだった。 (p63)

 つい最近(てほどでもないか)、某知人が同じ論法を使ってたのを思い出して思わず苦笑い。

(科学では)誰であろうと、専門家の厳しい批判の前で自説を証明しなければならないのだ。さまざまな意見を出し合って討議することに価値が置かれ、それぞれの意見を徹底的にぶつけあうことがよしとされる世界なのである。 (p73)

 自戒を込めて。そして、“場の空気”だの“温かさ”だの“優しさ”だのばかりを重んじる人たちに対して。


 高野栄治 『図解入門 よくわかる中学数学の基本と仕組み (秀和システム、2006年)
 
 
 中学数学の初歩を相当シンプルに解説している本。一度習得したはずだけど忘れてしまっただけのものを思い出すのにはちょうど良い。(覚えてるところを飛ばし読むのが楽。) 演習問題も各内容ごとに2問ずつ付いている。

 構成は、「数と式」「方程式」「関数とグラフ」「平面図形」「図形の計量」「確率」の6つ(と応用問題を集めた章)から成っている。随分簡単にまとめられているけど、実際の中学数学で勉強することから過不足があるのかどうかは分からない。

 三角形の「合同条件」・「相似条件」なんてすっかり忘れていた。(「3辺がそれぞれ等しい」とか。)

 2次関数の曲線とある点で接している直線(接線)の方程式を求める公式なんて習った記憶がないんだけど・・・。(Y=aX2乗と点(x,ax2乗)で接する直線の方程式はY=2axX-ax2乗。)
 
 
 中学数学は(も?)基本の暗記と解答パターンの認知ですな。

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