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 山田悠介 『貴族と奴隷(文芸社、2013年)

 

 中学生たちが連行されていき、貴族役と奴隷役に分けられ生活しろと言われる。その様子を観察する国家による実験だと伝えられる。共に連行され奴隷役になった主人公の少年は目が見えない。

 そんな設定から、人間の醜い本質が出てくるのか、高度な政治的駆け引きが見られるのか、盲目の人物がいることがどう展開に影響するのか、奴隷に栽培や収穫の労働をさせることができるのがどういう意味を持っているのか、等々、色々楽しみを持てる設定。

 がしかし、大して話が深まらないまま、本は全体の半分、7割と進んで行ってしまう。

 そして、どこ一つとして話が深まることのないまま終わりを迎える。


 片手間で書きなぐっただけの小説。


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 中村文則 『去年の冬、きみと別れ(幻冬舎、2013年)

 

 芥川賞・大江健三郎賞、LAタイムズ文学賞最終候補、ウォールストリート・ジャーナル2012年ベスト10小説・・・・ 日本と世界を震撼させた著者が紡ぐ、戦慄のミステリー という帯の宣伝文句に、「この人いつの間に世界的な作家になったんだ!」とビックリ半分、嬉しさ半分に、久しぶりに中村文則の小説を読んでみた。

 これまでに読んだ著者の「銃」、「土の中の子供」、「遮光」、「悪意の手記」では、主に、人殺しや拳銃など歪んだものによってしか生を実感できない人物が描かれていた。そして、「生きる意味とは何で、それがどんなものであれ生は尊いのか?」という実存に悩む人間の姿を攻撃的に提示していた。

 そんなわけで、「今回は何によって生きる意味を感じる人物なの?」と少し見下した気持ちも持ちながら読み始めた。

 そしたら、完全にノックアウトされてしまった。


 そこで展開されていたのは、狂気を少々含んだ濃厚なミステリーだった。

 一つの出来事を様々な視点から描写することで、読者に常に謎を与えて想像を巡らせた上で、(狂気な方向へと)予想を超える展開で戦慄を与えていく。

 さらに、登場人物たちが中村文則らしい内側に闇をもった人物として描かれていて、こちらの面でも楽しめる。「対象の内面の全てを写してしまう写真家」、「実際の本人以上にその人らしい人形を作れる人形師」など。

 こうして、狂気な展開に狂気な人物たちが相まって濃密な物語が紡がれている。


 この小説は200ページに満たないもので、どちらかというとミステリーの要素が強く、登場人物の内面の掘り下げには十分な分量が割かれていない。

 今後は、ミステリーの要素と人物描写の要素とが共にさらに深く掘り下げられた作品を是非とも期待したい。それこそドストエフスキーに近づくような長編になるかもしれないとさえ思ってしまう。

 貴志祐介 『ダークゾーン(上・下)(祥伝社文庫、2013年)

 

 軍艦島がダークゾーンと呼ばれる異世界に変わり、そこで将棋の奨励会員であった主人公とそれを取り巻く人たちが自らの生命を賭して将棋のようなゲーム/戦いを行う。

 「ハリーポッター」にチェスで同じような状況の場面が出てくるのが思い浮かんだ。 ただ、この小説では将棋と全く同じルールではない。

 「解説」で大森望は、この小説オリジナルのルールに関して最初から示されていた可能性がフルに活用され(下巻p337)と書いているけれど、「昇進」の存在や昇進後の戦闘能力などオリジナルのルールが後出しじゃんけんでたくさん出てくる。そのため、読みながら「こういう戦略で行くべきなのでは」と読み手が想像し、それを小説が超えていくという驚きや敗北感が得られず、後から後から出てくるルールに「あぁそうなんだ」と思いながら完全に受け身で読み進めていくしかない。

 「断章」として挟まれる現実での主人公たちの話もそれほど深い話ではない。


 そんなわけで、ゲームの面でも人間の描写の面でもそれほど面白さに感動するようなところのない小説だった。

 何だかんだ最後まで読めてしまったけど。

 池井戸潤 『民王(文春文庫、2013年)

 

 首相をはじめ、国を預かる有力政治家たちが自分の息子や娘と中身だけ入れ替わる事態が発生した。 バカ息子は「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだり、泥酔状態で会見をしたり、国政は混乱しだした。

 ぶっ飛んだ設定に、ぶっ飛んだ登場人物たち。 事実とは思えないような日本の現実についての事実とは思えないような一つの仮説なのかとか、世襲議員に対する皮肉なのかとか、下らない話に合わせた下らない茶々をいれながら読み進めた。 力のある作家だけに、現実離れした設定でもスムーズに読み進められた。

 話が進むにつれて、親子が入れ替わることで気付くことが出てくる。 死期を迎える人たちを世話するホスピスで、息子の体をした首相が話を聞く。

自分の死を見つめる人が信じられるのは、真実だけなんです。余命幾ばくもない人にとって、嘘をついて自分をよく見せたり、取り繕ったりすることはなんの意味もありません。 」(p303)

 そうして、自分でなくなって初めて自分とはどういう人間だったのかということに気付く。

 そんなマジメなところもある、軽くて楽しい小説だった。



 

 山田悠介 『オール(角川文庫、2009年)

 

 田舎から出て一流会社に就職するが、退屈な日々に満足できず仕事を辞め、アルバイトを転々とし、ふと見つけた求人看板を見て「何でも屋」として働くことになった健太郎。 「ゴミ屋敷を片づけたら500万円」という依頼や怪しげなものの運び屋など、刺激的で充実した生活を送るようになった。 そんな破天荒な雇われの「何でも屋」の日々を描いている。

 物語としてストーリーは破綻していないし、文は読みやすいし、途中ドキドキもあるし、それなりにカタルシスも感じられる。 

 だけど、その一つ一つは特に「すごい」と思わせるようなものではなく、あくまで想定の範囲内でしかない。

 そんなわけで、軽い物語であって、刺激を求める主人公・健太郎のような人には満足できる読み物ではないと思われる。





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