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常井健一 『誰も書かなかった自民党』 (新潮新書、2014年)
はたして「自民党青年局」とは何か。その歴史と小泉進次郎という人物からその答えを探ったルポであり、研究でもある本。
自民党青年局は、45歳以下の自民党員12万人が所属している。そして、45歳以下の国会議員である青年局長がそれらのトップとして君臨し、選挙応援や地方講演など全国各地を駆け回る。
青年局は自民党の中でも元気のいい存在として独自色を発揮し確かな地位を党内でも築き上げているとされる。それは若者からの支持という幹部たる長老たちの弱いところをつかんでいるがゆえのパワーかもしれない。
そんな党内の有力組織である青年局、青年局長の活動を小泉進次郎の行動から探ったルポを読むと、地方の党員たちの集会に行ったり、青年会議所のメンバーが動員をかけた集まりに行ったり、だ。
それを草の根の国民の意見を聞く誠実さととるか、関連団体に属する支援者とばかり話す自民党の旧来型の利益団体民主主義ととるか、難しいところではある。
この本を読んでの印象は後者だった。少なくとも、自分と似た志向、環境、境遇から意見を伝達するような人との接触はなさそうに思える。
言うまでもなく、国民全員の意見をくみ取ることは無理だ。結局はバランスや程度の問題になる。
果たして「青年局」とは何か。は、果たして「自民党の民主政治は是か非か」につながる問いを提示していた。
石破茂 『日本人のための「集団的自衛権」入門』 (新潮新書、2014年)
前半が総論で、個別的自衛権と集団的自衛権との違いや、国際法上の自衛権の考え方や、政府解釈の歴史などについて説明している。 後半では対話編として、「アメリカの巻き添えになるだけでは?」とか「個別的自衛権で何とかなるのでは?」などよく出される素朴な批判や疑問に答えている。
ちなみに、この本はあくまで集団的自衛権とは何かを初学者にもわかりやすくなるようにまとめている本である。そのため、著者の主張や疑問への応答は、わかりやすい例を持ち出すに留めていたりでそれほど説得的なものにはなっていない。
早野透 『田中角栄--戦後日本の悲しき自画像』 (中公新書、2012年)
生まれや政治家になる前の話から首相になってからの話まで、どこかだけを多く描いているのではなく、角栄の人生の歩みのスピードに寄り添いながら角栄の人生を通覧している。 今でも評価の大きく分かれる人物なだけに、その点、バランスもあり、偏ってもいなくて好感を持って読み進められる。
そこで描かれる人物像は、いかにも「大物」の典型のようなもの。 細かいことには目もくれず、目的のためには手段を選ばず、良いと思ったら即実行するなど。 抽象的な倫理やら理論やら思想やらとは無縁である。 まさに戦後の世の中から体一つで建設会社を作り生き延びてきた人物らしい。
翻って現代の政治は、実に現実感、現場経験の希薄なものとなっている。 それは政治家しかり、国民しかり。 政治に関わる必要がないというのは良いことでもある。 ただ、そういう環境で生きてきた人が政治家になり、有権者になって、政治を決めていくというのは恐ろしいことだ。
その一方で、増田悦佐が『高度経済成長は復活できる』で書いている角栄の「日本列島改造論」的な経済・国土政策の結果、日本経済が低成長へと至ったという統計データに基づく分析もあり、抽象的な視覚がすべて不要ということももちろんない。
そんな2つの視点から考えると、著者が「あとがき」で書いている「 いま、日本政治を見ると、国家像を見失い、技術主義に陥り、ポピュリズムが跋扈する 」(p396)という言葉は、2つの視点が混ざって包括的になりすぎていて、角栄からの教訓を生かし切れないものだ。
「友愛」、「生活が第一」、「税と社会保障の一体改革」、「戦後レジームからの脱却」など抽象的な主張が跋扈する今の政治を見るに、角栄の現場主義、現実主義はとても大事な資質、視点だと思う。
内田貴 『民法改正』 (ちくま新書、2011年)
主な方向性としては、「わかりやすさ」や「明文化」、あるいは、「市民のための民法」、「国際競争の中の民法」といったものが挙げられている。これらは大義としても否定しがたいものだけど、それらが一線の民法学者によって具体的な事例・改正箇所として示されるととても説得力がある。
法実務(あるいは法解釈学)の世界では、ある程度結論ありきで、それを後付的に条文と結びつけるという側面がある。それだけに、実務家は今のままでも問題ないという意見に傾きがちだ。けれど、逆に言えば、変えたら変えたでまた上手くやっていくということでもある。それならば、大義に勝る改正推進派に分がある。
裁判員制度、法科大学院と、法に関わる制度の大改革がここのところ相次いだ。その中でも特に法科大学院制度は、その成否はまだ時間が経ってみないと分からないとはいえ、司法試験合格率が当初の見積もり通りにいかなかったりと、やや怪しい雲行きだ。そして、法科大学院制度への移行の際には佐藤幸治らの議論の拙速さがしばしば指摘されていた。(もちろん最終的な判断は立法権を持つ国会議員がしたわけだけど。) それと比べると、今回の民法改正は、まだ早い段階から論点を説明するこのような一般向けの本が出たり、またその内容も説得的であったりと、信頼できる。
著名な著者で、出版社の協力があって初めて成り立つものではあるが、民主的な立法過程として望ましいとも思った。
海部俊樹 『政治とカネ――海部俊樹回顧録』 (新潮新書、2010年)
1989年8月~1991年11月という、冷戦終結、湾岸戦争、バブル崩壊という時代の大転換期に首相を務めていながら、その記憶や業績の存在感がいまいち希薄な海部俊樹の回顧録。
200ページに満たない新書でもあり、内容もかなり軽めで細部まで細かく語っているわけではない。 そして、純粋に過去を回顧するだけではなく、ある程度は現在の政治(小沢一郎や民主党政権)を批評するという意図も入っている。
それでも、三木派・河本派・高村派と連なる小集団ながら理想主義的な政治を追求する清廉潔癖さ、とはいえ自民党らしい現実主義的な権謀術数を駆使する泥臭さが、様々な逸話から窺い知れる。
そして、自民党内で少数派でありながら理想主義を追求していくことでの様々な軋轢や葛藤、そして、様々な場面での苦渋の決断が語られている。
政治家としては小物のようなイメージもあるけれど、さすがに激動の時代を生き抜いただけあり、信念に基づいて飄々と真っ当な決断を下していっている。 さすがは政治家といったところだ。 安倍以来の最近の首相たちの優柔不断ぶり、迷走ぶり、大外しぶりを見ていると、優れているようにさえ思えてくる。
そんなわけで、さすがに激動の時代の首相なだけの最低の資質は感じられた。
けれど、それにしても、最近の首相たちによってかつてと(首相に求める基準の)感覚がずれてしまっていることの悲しさよ。