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枝野幸男 『「事業仕分け」の力』 (集英社新書、2010年)
「事業仕分け」の陣頭指揮を執り、その後、行政刷新担当大臣になった民主党議員による、「事業仕分け」に関する簡単な解説書。
マスコミや利害関係者の、センセーショナルな、あるいは、党派的な報道や主張だけでは分からないところまで冷静に説明されていて有益。
ポイントの1つは、事業仕分けの目的が、仕分けの対象とされる事業の存在意義自体を問うことではなく、その事業の目的を達成するための手段の合理性や効率性を判断していたこと。 (目的合理性の判断。)
ポイントの2つ目は、限りある国民のお金を使う以上、その事業自体の存在意義や成果は、お金を使う方こそが、国民や仕分け人をしっかり納得させられなくてはいけないということ。 (挙証責任の転換。)
この前提が国民の間でもっと共有できていれば、事業仕分けについての様々な報道のとらえ方ももっと生産的なものになっていただろうに、と思う。
それにしても、事業仕分けに絡んで、改めて思ったのは、みんな自分に関することだけはお金を減らされないように必死だなぁということ。 (ノーベル賞科学者しかり、稲葉振一郎しかり。)
彼ら自身としては、本当に悪気なく純粋に、お金を減らされたら酷いことになると思っているのだろうけど、事業仕分けに対する国民の支持が高いのは、(優しさで)そういうミクロの個々の事情ばかりくみ過ぎていると、全体(国の財政)がどうすることもできないくらいの状況まで来てしまう、というか来てしまった、ということを感じているからだと思うのだ。
厳しい時代なのだ。( もちろん、それまで無駄遣いをしてきたことの報いを国民全体が受けているだけで自業自得、と言えなくもないのだけど。)
伊藤惇夫 『民主党――野望と野合のメカニズム』 (新潮新書、2008年)
民主党の事務局長も経験した「政治アナリスト」による民主党の歴史や政策・党首の移り変わりなどをまとめた本。
本当に新聞や党の公式資料を「まとめた」だけ。大学生の卒論みたい。
民主党などの事務局長経験を生かした逸話はほんのたまに出てくる程度。
「アナリスト」という肩書きや帯に書いてある「初の本格的な組織研究」という大それた宣伝文句から期待される、「分析」なんてものもほとんど皆無。 (選挙で勝った負けたとか、政策が以前と変わった変わってないとかっていう程度。)
そんなわけで、悪い本ということもないけど、特におもしろみもない本。
伊藤惇夫は、テレビに出てくる政治(政界)評論家たちの中では( 自分の主張と事実とを分けて考えられるという点で、)かなりまともな方だとは思うけど、この本に関しては上に書いたとおり。 (というか、こういう「まとめ」本は、誰かしらが書く必要はあるとは思うけど、あなたが書く必要はなかったんじゃないの、という気がする。)
最後に、政治評論家に政策の話を期待するのはどだい無理なことだとはわかっているけど、一つだけ。民主党の憲法改正に関する公約について。
著者は、
「 憲法の姿を決定する権限を最終的に有しているのは、政党でも議会でもなく、国民です 」
「 国民の多くの皆さんが改正を求め、しかも国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます 」(p212)
という、民主党の公約について、
「 政権交代の是非を問う総選挙のマニフェストだからこそ、具体的な民主党案を提示すべきではなかったのか。 」(p212)
と言ってるけど、憲法は国民が政治家や行政機関に与えるもの( つまりは、改正「点」について国民の間でコンセンサスができて初めて政党が議題にあげるもの )で、なおかつ、憲法改正には衆参両院での3分の2以上の賛成と国民投票での過半数の賛成が必要なんだから、これはどう考えたって、民主党の意見の方が正しい。
高橋洋一(原作) 『マンガ霞が関埋蔵金』 (脚色:東史朗、漫画:シュガー佐藤/晋遊舎、2008年)
小泉・安倍政権下で(主に竹中平蔵の手足として)郵政民営化や財投改革のシステム設計を担った官僚が書いた、『さらば!財務省』(講談社)を漫画化したもの。
漫画化されて内容が平易になっているところは確かにある。
けれど、基本的には文字によるダラダラとした説明が続いていて、漫画という媒体の良さは活かされていない。
話も、ストーリー性やドラマ性はむしろ原作よりも失われてしまっている。(思うに、悪役(官僚や族議員や増税派議員)の描き方がぬるい。)
そんなわけで、このマンガの存在意義は小さい。これを読むなら原作を読んだ方が良いと思う。(個人的には原作・原作者を評価してないけど。→原作の感想)
それにしても、まあ、小泉政権って何だったんだろうか? 本当に存在していたのだろうか? なんてことを思ってしまうほど、安倍以降の政治はすっかり様変わりしてしまっている。(自民党という点では同じはずなんだけど。)
森政稔 『変貌する民主主義』(ちくま新書、2008年)
民主主義をめぐる現在の最新の議論状況(政治理論・政治哲学上の)を1960~70年代の世界(民主主義)の質的変化を起点に一つながりで論じ・紹介している力作。
中学の「公民」、高校の「政治経済」レベルの民主主義理解をし、民主主義を絶対の正義だと思い込んでいる人たちにこそ是非知ってほしい内容。(著者も「はじめに」でちょっと触れているとおり。)
なんだけど、それにしては内容・説明が難しい、あるいは、不親切。前提知識があれば何とか本文を補いながら読めるけど、そうでないなら、これだときっと届かない。( この手の分野の本をいくらかは読んだことのある自分も論理のつながりや説明が分からないところはあった。)
なお、扱われてるのは、大きくは、経済的自由主義と民主主義、差異・アイデンティティと民主主義、ナショナリズム・ポピュリズムと民主主義など。他にも、多元主義的民主主義/利益集団民主主義、討議民主主義、闘技民主主義、新しい市民社会論、ガヴァナンス論、民主主義の主体の問題など、主だったところは大抵(一連の流れの中で)網羅されている。
民主主義(理論・思想)を教科書的に論じた本というと、アリストテレスだのマキャベリだのルソーだのロックだのといった古典に多くの紙幅を割くものが多いだけに、現代的な論点に絞っている本書は貴重。
それだけに、やはり広く一般に届かなそうなのは残念。(それとも、入門者でも頑張れば何とかなるだろうか?)
細かいところでは、個人的には、民主主義と政治的自由主義(あるいは立憲主義)との緊張関係に関する記述が少なく、その記述も、基本的人権の尊重を定めている近代憲法(日本国憲法)を所与とした、憲法の枠内での棲み分けを言ってるだけというのは不満。その前提となっている憲法を制定する権力や憲法の正統性はどこから来ているのかという問題は重要。( 改憲論議が出てたり、中高校の教科書的な浅薄な民主主義理解が跋扈してる状況なら特に。)
まあ、なにはともあれ、これだけ濃厚な議論を展開してる新書なんて久しぶりに見た気がする。のは、きっと、最近ブームな軽すぎる新書群に毒されているからな気がする。
与謝野馨 『堂々たる政治』 (新潮新書、2008年)
前官房長官が最近の政治や自分のこれまでについて語っている新書。
おもしろいの/有益なのは、これまでの人生の歩みを語っている4章と5章だけ。(8つ章があるうちの。)
帯に書かれてる「 耳障りなことを言う。それが私の仕事である。 」というのの「耳障りなこと」として出てくるのは兼ねてからの持論である消費税10%論くらいなもの。
あとは、(本人はそうは言わないけど)ただひたすら「バランスが大事/行き過ぎはダメ」と言ってるだけ。
その他、自己矛盾や恣意的な自己正当化もしばしば。( 例えば、小泉構造改革(「国家観なき市場原理主義」らしい)は小泉首相が誕生した2001年の時点では正しかったけど、今はもうダメなんだって。あっ、でも、小泉首相は国民の意識を高揚させただけで実際には大して何もやってないとも言ってた。)
中でも特にいただけないのが、当事者意識の欠如。政治家というより政治評論家みたいな物言いが多い。例えばこれ。
「 構造改革、格差、規制緩和といった大雑把な括りではなく、個々のケース、現実に即して、マイナーチェンジで済むものと、土台から仕組みを立て直すものとを峻別することが必要だ。その上で、日本中の英知を集めて、新たな仕組みを設計していく。
これからの政治家の仕事としては、こうした日本のいろいろな仕組みの再設計が一層重要になるだろう。 」(p80)
ってのを、「はじめに」でではなく、章の終わりの「まとめ」で言ってしまうあたり。( あっ、でも、政治家は大まかな方向性を示すことが仕事で、あとの制度設計は官僚の仕事だとも言ってた。)
耳障りなことを言わせてもらえば、もはや、百害あって一利なし。さようなら。