忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 アイザック・アシモフ 『ファウンデーション――銀河帝国興亡史1(岡部宏之訳/ハヤカワ文庫SF、1984年)
 
 
 “心理歴史学”によって滅亡が予測されている銀河帝国での危機とその解決とを、銀河レベルでの数世紀にも渡る壮大なスケールで描いたSF小説の第1巻。

 このシリーズは、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を基にしていて、珍しく成功した社会科学のSFだとされる。

 この巻では、ハリ・セルダン、サルヴァー・ハーディン、ホバー・マロウが、それぞれ心理歴史学、宗教、貿易を武器に活躍する。

 危機に対してつい短絡的・表面的な対応を取りたくなるところを、彼らが一見軟弱な意表を突いた策で立ち向かっていく。
 
 
 さすがに第1巻を読んだだけでは、まだ感想はない。

 現時点ではまだ特に良いとも悪いとも判断しかねる。

 3~5巻はすでに古本屋で購入済みなんだけど、2巻がまだ手に入っていない。2巻が(105円で)見つかり次第、続きを読む予定。
 

PR

 ここ数ヶ月、音楽カテゴリーにアイドルソング以外を増やすために何回か頑張った。

 でも、今回は最近よく聴く音楽をそのままお届け。(つまり、アイドルソングも排除しない。でも、アイドルソングだけじゃない。)
 
 
 1.ATARI TEENAGE RIOT 『 ATARI TEENAGE RIOT 1992-2000 ( Digital Hardcore、2006年/アルバム )

 ドイツ出身の4人組、アタリ・ティーンエイジ・ライオット。超カッケェ。デジタル・ハードコア。歌詞も超アチィ。 Deutschland has gotta die !( ドイツよ、死にやがれ!)とか、 I'm targeted at the whitehouse.( ホワイトハウス、俺の狙いは変わらない!)とか、 Our governments are fucking murderers.( 政府こそ狂った人殺しなんだ!)とか。そして、 Revolution action!!!。左翼アナーキストっぽい。口だけじゃなくて実際にメーデーにゲリラライブで暴動を煽って逮捕されたりもしている。音楽を通じて世界を変えることを本気で信じてる。過激な行動は感心しないけど、音楽は素晴らしい。活動休止中なのが惜しい。どの曲も良いけど強いてあげるなら、「Atari Teenage Riot」、「Revolution Action」、「Rage」が好き。
 
 
 2.BUTTHOLE SURFERS 『 WEIRD REVOLUTION ( Hollywood、2001年/アルバム )

 バットホール・サーファーズ。バンド名からしてぶっ飛んでる。バラエティに富んだ収録曲の中でも、ダークで邪悪な声がいかんなく発揮されてる「The Weird Revolution」が最高。ノリがいいとはこういうことを言うのだ。しかも、だからといって軽いということもなく重厚なのがたまらない。他には、「Get Down」、「The Shame of Love」、「Jet Fighter」がいい。
 
 
 3.NIRVANA 「 Smells like Teen Spirit ( 作詞:カート・コベイン?)

 言わずと知れた、ニルヴァーナの名曲。もはや現代の古典。何回聴いても良い。頽廃、欲動、鬱屈とか、そんな感じ。PVも芸術的。(※この動画、レコード会社がアップしたもので著作権的にも問題ないと思う。)
 
 
 4.DOORS 「 The End ( 作詞:ジム・モリソン )

 1967年発表でけっこう古いし、特に最近たくさん聴いてるわけではないけど、今回のこの流れの中で取り上げないわけにはいかない(と個人的に思う)曲。フランシス・コッポラ監督の傑作『地獄の黙示録』の中でも使われている。静かで不気味な雰囲気で始まり、終盤、曲の盛り上がりとともに、狂気に陥り、父親を殺し・・・、というソフォクレスの悲劇を下敷きにした曲でもある。“自分の中にある自分でも理解できないやり場のない恐怖や怒りのようなもの(angst)”から表現しているという点では、上の3組と共通しているように思う。
 

 〔中休み〕

 さて、これらのグループに匹敵するくらいに深い世界を表現できる日本の歌手はいるだろうか?

 ―――それは、(女性)アイドルしかいない。しかも、世間的にはマイナーなアイドルをおいて他にはいない。

 これは冗談ではなく、97%本気で言っている。

 以下で挙げる素晴らしい歌たちは、「恥」の観念が強く、慎み深さを持ち合わせ、「かわいい」が分かり、オタク文化を発展させてきた、日本人(の女の子)にしか歌えない。
 
 
 5.あさくらはるか17 「 17☆ろまんす 」 ( 作詞:あさくらはるか17、作曲:Taka-C. Temple. )

 あさくらはるか17は、永遠の17歳、おっきなリボン、153センチなアイドル。この曲は、“ヲタ芸”の動きを歌いつつも、それに恋や彼女自身の話をオーバーラップさせた歌詞が生きている、元気さと胸キュンなかわいさを兼ね備えた、(現代的な)“The・アイドルソング”。のれて萌えられる。・・・ということがよく伝わる歌詞の一節を。 時々ふにゃりゅんりゅん・・・落ち込んじゃうけど/あなたに会うとOver Actionなハート/ちょっと大袈裟な生き方に憧れてる/Seventeenは来年もまた17歳! やばい。 (※ “ロマンス”とか“Over Action (Dolphin)”というのはヲタ芸の用語。)
 
 
 6.松本香苗 「 秋葉原天女伝説 」 ( 作詞:松本香苗、作曲:Taka-C. Temple. )

 あさくらはるか17が出てるライブに出てるのを見て知った松本香苗。ライブだと大音量の音に負けて歌声が聞こえないアイドルがけっこういる中、高いパフォーマンスと曲の良さで好印象を持った。天から舞い降りて仕えているご主人様に恋をしてしまう天女の物語を歌った曲。「天女」という言葉のイメージにぴったり合った歌詞、曲、声が相まって、独特な神話的世界を創り上げている。聴いていて実に心地良い。とはいえ、舞台がアキバで、歌詞に“神田明神”とか“万世橋”とか出てくるあたり、ディープでもあり、かわいらしくもある。きれいな黒髪と浴衣をアレンジした衣装もこの歌の世界に(は)合っていてグッド。( いつも持ってる扇子の文字はちゃっちいけど。)
 
 
 7.chee's 「 ガラガラゲッチュ 」 ( 作詞・作曲:森若香織、編曲:吉田建 )

 ガールズポップの伝説的名曲。chee's(チーズ)は、伝説的アイドルグループ・チェキッ娘の中から結成された3人組ガールズバンド。(※ 後に4人になった。すでに解散。) 1stシングル「スナップショット」も負けず劣らぬ名曲。どちらの曲も元気でさわやかでちょっぴり甘酸っぱさを感じさせるような、そんな曲。無理してカッコつけず、女の子らしさをそのまま出していて実に伸びやか。それができるのはチェキッ娘での全てを出し尽くした活動があったからだろうと思う。この2曲を上回るガールズポップ(バンド)は今後もそんな簡単には出てこないだろう。
 
 
 8.平愛梨 「 Wish 」 ( 作詞・作曲・編曲:T2ya )

 元気系とは違うもう一つのアイドルソングの定番がしっとり系。その中のなかなかいい曲。「金八」に(たしか学級委員役で)出てた女の子。たいらあいり。静かでしっとりした中でどれだけ豊かな表現や自己主張をできるかが、こういう曲のポイントになる。その点、まずまず。その点、奥菜恵はもっと上手い。その点、来月デビューする新垣結衣(の「heavenly days」)はちょっと弱い。( サビとかで使ってる裏声っぽいのの1種類しか普通の歌声以外の表現がない。)
 
 
 
 異常8極。もとい、以上、8曲。

 時代は世界的に、Angstと、萌え(Moe)かわいい(Kawaii)なのだ。( どれも英語版Wikipediaに項目がある。)

 竹森俊平 『1997年――世界を変えた金融危機(朝日新書、2007年)
 
 
 1997年に発生したアジア通貨危機と日本の金融危機を、「質への逃避」、「ナイトの不確実性」、「流動性の危機」といった観点から分析した本。2007年の危機であるサブプライム問題についても最後に触れられている。

 全体としては焦点が散漫だし、年号にこだわったタイトルは内容と合ってないけど、個々の話は分かりやすくて勉強になった。
 
 
 キー概念の中でも特に中心的役割を負っているのは「ナイトの不確実性」。ここでは「リスク」と「不確実性」がはっきりと区別される。すなわち、「リスク」とは、その事象が起こるか否かを確率論的に表せるもののことを言い、「不確実性」とは、それが不可能な、客観的な判断や見通しが全く立てられないもののことを言う。

 この「不確実性」が存在する中で、人々の間で悲観的な見方が大勢を占めたことが(理由については失念した)、より安全な資産への選好(「質への逃避」)を作り出し、アジアへの投資を一斉に引き上げさせ、そうしてアジア通貨危機は引き起こされたとされる。

 ちなみに、だからこの危機は「返済能力の問題」ではなくて「流動性の問題」であって、したがって流動性を増やすという(グリーンスパンが主張した)政策が正解だとされる。だけど、その副作用として、増加し(すぎ)た流動性のためにアメリカでは住宅バブルが起こってしまった。さてどうすべきか?といったあたりで話は終わっている。 ( 日本の金融危機の話の方は、扱いが散発的で、政治の話に中途半端かつナイーブに足を踏み入れたりしていて、いまいち全体の論理の流れを掴めなかった。)
 
 
 経済学の難しい話に踏み込むことなしに、キータームをいくつか持ち出すだけでこれだけ分かりやすくアジア通貨危機をはじめとする重要な経済事象を説明してしまうのはすごい。

 それから、「不確実性」という“分からないもの”をそのまま“分からないもの”として理論や分析に組み込んでしまう経済学の柔軟な芸当に感心した。

 これだけすっきり説明されると、門外漢には簡単には批判できない。

 強いて批判点を挙げるなら、本全体の構成と政治の話の扱いくらい。

 ドリス・レッシング 『破壊者ベンの誕生(上田和夫訳/新潮文庫、1994年)
 
 
 あまり、というか、ほとんど話題になってないけど、今年のノーベル文学賞を受賞したイギリスの女流作家の1988年の小説。原題は、"The Fifth Child"。

 代表作は『黄金のノート』(1962年)とされることが多いみたいだけど、ノーベル賞の受賞理由は、 女性の経験を叙事詩的に描いた。懐疑と激情、予見力をもって、分裂する現代社会を吟味し、題材にした とのことだから、「今年のノーベル賞受賞作がどんなものだったか?」を知るために読むには、この作品も悪くはないと思う。
 
 
  明るくて賑やかな、絵に描いたように幸せな家庭が、5人目の子供――全世界に戦いを挑むような目をし、気味の悪い呻き声をたてる――ベンの誕生によって崩れ去っていく。夫、4人の子供たち、親、親戚たちは、ベンから離れたり、ベンを離そうとしたりする。けれど、ベンの母親であるハリエットだけは、ベンを見捨てることもできず、かといって、心を打ち解けて好きになることもできず、苦悩する。また、さらには、自分がベンを産んだこと、自分だけがベンにこだわり続けることによって家族皆の幸せを奪っていること等によって、自責の念に駆られる。そうした中で、ベンが中学生になるまでが描かれる。
 
 
 母親である女性を中心にして語られてはいるけれど、もっと一般的に、“家族”や“人間”というものの一つの現実・本性が暴き出されている。すなわち、“家族”という温かい響きを含んだ言葉の背後に(正常時には)隠されている、“人間の冷たさ”や“「幸せ」というものの脆さ・不自然さ”が描かれている。そして、もちろん、その中で、母親・女性の苦悩、愛情、感情的反応なども描かれている。

 全体を通して、結局、ベンが一体何者なのかも含めて、善と悪、個人と家族、親と子、正常と異常などの単純な図式では、いろいろと割り切れない。でも、そんな割り切れない状態のままに時は確実に過ぎていき、崩れていったり育っていったり・・・。

 でも、“幸せ”というイメージを剥ぎ取った現実の家族とは、(親から見ると特に、)そんなものかもしれない、と最後まで読み終わって感じた。

 15 minutes made volume 2」 (主催:Mrs.fictions/2007年10月18~21日/@ザムザ阿佐谷

 

 7つの劇団がそれぞれ15分の芝居を演じる企画。

 けっこう先進的・実験的な芝居を見せる団体が多くて、参加団体の選び方はなかなか良い。

 とはいえ、7つの団体のうち4つに関しては今回はノーコメント(という名のコメント)。批判ならいくらでも出てきそうだけど。

 そういうわけで、良かった、他の3つの団体について簡単に感想を。
 
 
 1つ目。 ろりえ・『アイスコーヒー』。

 現代の女の子の生態(コミュニケーション)を、かなりの程度抽象化して、機能的等価物に置換可能なものは置換した、そんな感じ。その(コミュニケーションの)特徴は、無内容、支離滅裂。理不尽な結末(不幸)さえも、無内容・支離滅裂な生き方の延長線上にあると、実に自然(必然)。シュールな笑いを引き起こす。時間が長くて話がもっと複雑になったらどうなるのか、興味深い。星野夏『あおぞら』を思い出した。
 
 
 2つ目。 M.O.E. PROJECT・『天使のオシゴト』。

 ベタ中のベタな“萌え”のシチュエーションを舞台上で演じてしまうお芝居。ちょーバカ。マジくだらない。めっちゃ笑った。(あきれた笑い。)
 
 
 3つ目。 柿喰う客・『傷は浅いぞ(未放送版)』。

 11月に行われる公演でカットになる予定のもの。バカでお下劣なものに見えながらもその中に鋭い批評性もこもってて、1秒たりとも無駄なく展開していって時間どおり(15分)に感じさせない、そんな柿喰う客の魅力の一端はしっかりと感じさせてくれた。でも、この劇団はやっぱり、長い時間でのもっと複雑怪奇なものにおいてこそ真価が発揮される。
 
 
 それから、個別の作品とは関係なく、全体的に感じたことを2つほど。

 1つ。ダメな団体の作品を見てると、論理的思考力が欠けてるように思った。特に、作品全体を通しての論理的思考の持続力・統一力。1つ前の場面とのつながりは分かっても、もう1つ前の場面とのつながりが弱かったり、ということ。もちろん、論理のつながりだけでなくて、感情のつながりに関しても言える。

 2つ。“男と女”という存在に、ほとんど無意識のうちに拘束・既定され、窮屈さを感じた。(フェミニズム的な主張をしているのではない。)“男と女”の違い(男女の関係)を扱ってないものでなら、にもかかわらず意識させてしまっている、ということであり、“男と女”の違い(男女の関係)を扱ってるものでなら、話の上での必要性以上に影響を受けてしまっているということ。演出によってか、話によってか、演技によってか、いずれの方法であってもこの窮屈さから解放することはできるのだろうか?
 
 
 
 結論。15分という時間でもけっこう楽しめた。(良し悪しの判断は十分できた。)

 演劇は、無駄に時間の長い作品が多いような気がするから、こういう刺激的な企画は楽しい。

カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]