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「15 minutes made volume 2」 (主催:Mrs.fictions/2007年10月18~21日/@ザムザ阿佐谷)
7つの劇団がそれぞれ15分の芝居を演じる企画。
けっこう先進的・実験的な芝居を見せる団体が多くて、参加団体の選び方はなかなか良い。
とはいえ、7つの団体のうち4つに関しては今回はノーコメント(という名のコメント)。批判ならいくらでも出てきそうだけど。
そういうわけで、良かった、他の3つの団体について簡単に感想を。
1つ目。 ろりえ・『アイスコーヒー』。
現代の女の子の生態(コミュニケーション)を、かなりの程度抽象化して、機能的等価物に置換可能なものは置換した、そんな感じ。その(コミュニケーションの)特徴は、無内容、支離滅裂。理不尽な結末(不幸)さえも、無内容・支離滅裂な生き方の延長線上にあると、実に自然(必然)。シュールな笑いを引き起こす。時間が長くて話がもっと複雑になったらどうなるのか、興味深い。星野夏『あおぞら』を思い出した。
2つ目。 M.O.E. PROJECT・『天使のオシゴト』。
ベタ中のベタな“萌え”のシチュエーションを舞台上で演じてしまうお芝居。ちょーバカ。マジくだらない。めっちゃ笑った。(あきれた笑い。)
3つ目。 柿喰う客・『傷は浅いぞ(未放送版)』。
11月に行われる公演でカットになる予定のもの。バカでお下劣なものに見えながらもその中に鋭い批評性もこもってて、1秒たりとも無駄なく展開していって時間どおり(15分)に感じさせない、そんな柿喰う客の魅力の一端はしっかりと感じさせてくれた。でも、この劇団はやっぱり、長い時間でのもっと複雑怪奇なものにおいてこそ真価が発揮される。
それから、個別の作品とは関係なく、全体的に感じたことを2つほど。
1つ。ダメな団体の作品を見てると、論理的思考力が欠けてるように思った。特に、作品全体を通しての論理的思考の持続力・統一力。1つ前の場面とのつながりは分かっても、もう1つ前の場面とのつながりが弱かったり、ということ。もちろん、論理のつながりだけでなくて、感情のつながりに関しても言える。
2つ。“男と女”という存在に、ほとんど無意識のうちに拘束・既定され、窮屈さを感じた。(フェミニズム的な主張をしているのではない。)“男と女”の違い(男女の関係)を扱ってないものでなら、にもかかわらず意識させてしまっている、ということであり、“男と女”の違い(男女の関係)を扱ってるものでなら、話の上での必要性以上に影響を受けてしまっているということ。演出によってか、話によってか、演技によってか、いずれの方法であってもこの窮屈さから解放することはできるのだろうか?
結論。15分という時間でもけっこう楽しめた。(良し悪しの判断は十分できた。)
演劇は、無駄に時間の長い作品が多いような気がするから、こういう刺激的な企画は楽しい。