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by ST25
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 唐突ながら、自分にとっての「今年の一字」を発表。
 
 
 
 
 無。

 「無」。

 む。

 
 
 無、だけど、虚しくはない。

 むしろ、今年も人間らしく楽しい一年を過ごすことができました。ホントに。

 ところで、「楽しい」っていうと、「笑えること」だとしか思えないらしい人を見ると、なんか虚しくなる。人間をやりきれてない気がして。

 あっ、ところで、Underworld(アンダーワールド)のライブCD『Everything, Everything』にはまったってちょっと前に書いたけど、その自然な展開として、Daft Punk(ダフトパンク)のライブCD『ALIVE 2007』にもはまりました。( ただ、どっかの動画で観た@Wirelessだかの方が圧倒的に好パフォーマンスだった。)

 そう、ところで、本物の「今年の一字」は、ダイレクトに「偽」だったけど、江原啓之だとか細木数子だとかがテレビのゴールデンタイムに看板番組を持つくらいに流行ったことを考えると、あながち「偽」という選択も浅はかではないかもしれない。

 ところで、この前読んだ本に、自分が好きなことが書いてあったからこの場でメモ的に書き出しておこう。

狂人の多くは論理を、自らが育んでいる夢に対する脅威であると、その夢を現実のものにしようという試みに対する脅威であると、見なしている。だからこそ理性ある人間は、たいてい専制君主によって真っ先に殺害されるか追放されるのである。
 この世界に一連の属性を負わせるのではなく、この世を詳細に分析するという型の人間は、ごくごく控え目で寛容な人物だとわかっていても常に仲間から危険視されるのだ。 (ムアコック『軍犬と世界の痛み』、ハヤカワ文庫、p25)

 あっ、ところで、平田薫の2008年の目標は、「自己確立」だって。カワジメなところが平田薫らしくて良いなぁ。( ※カワジメ:カワイらしいマジメさのこと。)

 あー、ところで、帰国したときから気には留めてたんだけど、やはり、というか、パキスタンのブット元首相が暗殺されてしまった・・・・・・。
 
 
 
 っていうか、2007年を振り返って語ることがない。
 
 
 ゴウセイのゴビュウ、「合成の誤謬」という言葉を知ってるだろうか?

 ミクロ的には合理的・正しいことでも、マクロ的には不合理・正しくないこと、を表す経済学の言葉。

 ようは、一つ一つでは良くても、足してみると良くない、ということ。
 
 
 なんてことを思いながら、2008年(というか、平成20年!)を迎えようとしている。
 

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 今年読んだ本の中のベスト3。(手短に。今年の回顧はまた明日にでも。)

 〈2007年に読んだ本・ベスト3〉
 
 ① 山形浩生 『新教養主義宣言
  (河出文庫、2007年/感想記事
 ② 吉岡忍 『M/世界の、憂鬱な先端
  (文春文庫、2003年/感想記事
 ③ K.アッカー 『血みどろ臓物ハイスクール
  (渡辺佐智江訳/白水社、1992年/感想記事

 は、雑文集にして素晴らしき思想書。ある個人が個人であることの有意味性を攻撃的なまでに伝えてくる。その反射的効果として、世に溢れるある個人が個人であることの無意味性の存在も伝える。出会って以来、思考においても読む本においてもかなりの影響を受けた。最良の味方であり最強の敵でもある。購入以来、文字通り“座右の書”だった。中でも「プロローグ」は少なくとも10回は読んでいる。
 は、宮崎勤を追った渾身のノンフィクション。“変人”宮崎勤を通して人間の真理にまで到達している。全てを引き受けつつ読むには、相当の体力を要する。
 は、人間の全てをさらけ出し、そこにあるカオスと秩序、ちっぽけさと壮大さを描きだした小説。現在絶版。
 
 
 今年は、人間というものをとことんまで突きつめたこの3冊が圧倒的に素晴らしかった。4位以下の名を挙げるのもはばかられる。

  柿喰う客 『 親兄弟にバレる <お台場SHOW-GEKI城~T-1演劇グランプリ決勝大会参加作品> 』 作・演出:中屋敷法仁2007年12月15日~21日@フジテレビ1F・マルチシアター
 
 
 フジテレビが主催している演劇グランプリの決勝大会参加作品。

 政治、経済、スポーツ、どこを見てもかつてのような勢いのない日本。そんな日本の国威発揚のため、日本が誇る伝統文化「愛撫道(あいぶどう)」にエンペラーが最高権威を与え、オリンピック公式競技にしようとする。しかし、その「愛撫道」の流派間(セクハラ家とお触り家)には歴史的な因縁の対立がある。果たしてどちらが真の“国技”なのか? そこで、両家による壮絶な勝負が御前で執り行われる・・・。

 というような話。(すごい)

 「柿喰う客」のコアを再確認させてくれる芝居。

 おもしろかった。
 
 
 各所で警鐘が鳴らされる“希薄かつ淡白になった性に対する意識”。これに共鳴した作者が、あらゆる手を尽くして“性”に重み付けをした、すばらしき深世界を見せてくれる。

 そして、脳ミソある者に、社会に、自省を促す――。

 セックスはただの遊びだろうか?

 セックスはだたの子作りのための手段だろうか?

 そこに愛はあるのか?

 セックスについてどれだけ真剣に考えただろうか?

 君も、政府も。

 これらは、「 セックスとは何だろうか?」という問題に、究極的には行き着かせることになる。

 セックスって何?

 これについて、誰が真剣に考えているだろうか? 政治家?政府?マスコミ?学校の先生?学者?大人一人一人?若者?子供?みんなとは違う特別なあなた?

 金メダルの数だとか、稼いだ金の額だとか、国威発揚だとかについてはみんな散々考えてるくせに、あるいは、愛は大事だと散々言うくせに、愛の形について、セックスについて、愛(のあるセックス)が溢れる社会について、社会の中で考えの蓄積がどれだけあるだろうか?

 ちなみに、「セックスとは何か?」という問題をさらに考えていくと( 今回の芝居みたいに「愛撫」なんかを考えると特に)、 男のオルガズムは射精と直結しているのに、女のオルガズムは排卵や受胎とは結びついていない という生物学的なアポリアにまで突き当たることになる。( 山形浩生「セックスの終焉」参照。)

 けれど、今回の芝居では、さすがにそこまでは考えられていなかった・・・。(残念だけど、まあ、しょうがない)
 
 
 この芝居では、その「セックスとは何か?」という問題を全力尽くして追求しているわけだ。

 “セックス”や“愛”に国や生死や生涯をかけた人たちの姿を描き出すことで。

 それは、非常識で愚かで滑稽なものではある。しかし一方で、そこには、純情さや真面目さや情熱や愛情がある。

 そして、それを社会的文脈に置いて考えることで得られる、強力な(攻撃的なまでの)批評性と知的愉しみ。( 「柿喰う客」の芝居を社会的文脈を知らずに/無視して理解することは困難。)

 そこで、あなたに、社会に、発せられているものは大きい――。

 こういう、話の一番大きいレベルでの意味、あるいは、芝居全体でのメッセージこそ、「柿喰う客」の(すばらしい)コアな部分だ。
 
 
 そんなわけで、二義的な意味しかないけど、最後に、今回の芝居の物足りなかった部分についても2つほど。

 1つは、笑い。今回はそもそも量的にも少なかった(ように思う)けど、その一つ一つの質もいまいちで、笑いに関しては、“滑ってる感”を若干醸し出してしまっていた。( 上で書いたような内容のところで思わずニヤリとするような笑いはいっぱいあるけど、声を立てて笑うようなものの話。)

 2つ目は、演出。歌ったり、踊ったり、即興ネタを披露させたり、反省会をしたり、観客を巻き込んだり、といったハプニング的な演出がなかった。今回は、話(の展開)自体が、「柿喰う客」にしては比較的まとまっていてカオス的な要素が少ないものであっただけに、“楽しい演出”があった方が良かったと思う。

 上演時間が70分と短めだったからやむを得ないところもあるのかもしれないけれど、この2つを欠くと、物足りなさを感じるのは否めないし、退屈に感じる客(良い悪いは別にして)を作ることにもなってしまう。それに、この2つの要素の存在によって作品の他の(特にコアの)良さが消えてしまうわけでもないだろうし。( 実際、「女体3部作」はそれができていた。)
 
 
 そんなわけで、まとめると、今回の芝居は、コアの部分(話)はおもしろかったけど、装飾に物足りなさが残った。

 これが「柿」。だけど、まだ「柿」ではない。

 Thus with fuss(not kiss, not fuck) I die.

 マイクル・ムアコック 『軍犬と世界の痛み 〈永遠の戦士フォン・ベック1〉(小尾芙佐訳/ハヤカワ文庫SF、2007年)
 
 
 17世紀、三十年戦争下のヨーロッパを舞台に、神と和解したい堕天使ルシファーと契約を結んだ、冷酷な戦士ウルリッヒ・フォン・ベックの“聖杯”探しの世界を巡る旅を描いたSFファンタジー。

 話の筋はシンプルだけど、話の射程は壮大。

 中世キリスト教の世界観を描いたダンテの『神曲』とは、話の展開のさせ方が似てるけど、その内容は、『神曲』の時代的な拘束を突き抜けてより汎歴史的になっている。
 
 
 “聖杯”は、キリストが最後の晩餐で用いたとされ、また、十字架上のキリストの血を注ぎ入れたとされる。そして、そこから、その神聖な杯(いろいろなものに表象される)を見つけると、世界の痛みを癒してくれるという。

 では、この小説において“聖杯”とは何であり、それが発見されるとこの世界はどうなるのだろうか――?
 
 
 それについては、何を書いてもネタバレになりそうだけど、簡単に2点だけ書いておく。
 
 
 この小説では、“聖杯”による「癒し」とは言っても、近年流行っていてもはや日常語にもなりかけている“癒し”とは、その癒される内実においても、その癒しの方法においても、まったく異なる。

 また、それとも絡んで、この小説は、最後、それまでの話(世界)やそこで前提とされていたものを全否定する。最後にまったく新しい世界を創り出すと言ってもいいかもしれない。
 
 
 果たして、現代人は、ムアコックが描いた“世界の進化”に着いて行けてるだろうか?

 Charles Dickens. A Tale of Two Cities (Oxford Bookworms Library 4) , Retolded by Ralph Mowat, Oxford University Press, 2000.
 
 
 (英語圏の)子供向けに簡単に作り直されているシリーズの1冊。1400 headwords。

 フランス革命時の人間模様を描いた、ディケンズのA Tale of Two Cities(全文)。邦訳は、『二都物語』(新潮文庫)。

 英語の小説があまりにも読めないから、とりあえずこんなものから読んでみた。

 分からない単語もほんのいくつかで何の苦もなく読めた。

 これは6つ段階(stage)があるうちの4つめ(難易度4)なのだけど、それでも実際の小説とは格段の差。こんなのをたくさん読んだところで実際の小説を読めるようには絶対にならない。

 中学生、高校生(日本の)が、慣れと速読の習得のために読むにはいいんだろうけど。( というか、日本の英語教育はタラタラ全文訳するばかりではなくて、こういうドリル的な量をこなす学習をもっとすべきだと思う。少なくとも自分はそういう教育を受けなかった。)

 ということで、自分の英語学習的には、次はもう少し上のレベルのを読む必要がある。
 
 
 ところで、内容的には、話の筋が辿りやすいようになっていておもしろかった。( ただ、ミステリー的な、次の展開が気になる、というおもしろさが大きいように思うけど。)

 革命前後の悲惨な現実に生きる人たちの様子がよく伝わってくる。

 読み終わって、改めて、冒頭の有名な文が理解できる。

It was the best of times, it was the worst of times,
it was the age of wisdom, it was the age of foolishness,
it was the epoch of belief, it was the epoch of incredulity,
it was the season of Light, it was the season of Darkness,
it was the spring of hope, it was the winter of despair,
we had everything before us, we had nothing before us,
we were all going direct to Heaven, we were all going direct
the other way
(オリジナル版より)

 

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