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書店で新装版が出ているのを目にして、ふと購入して読んでみた。
別に死後50年だから読むというわけではない。けれど、最近たくさん出版されている三島関連本を目にしていてそんな気持ちになったのかもしれない。
中学生のとき初めて手に取ったけれど途中で挫折したのも当然だなと今回思った。表現も内容も中高生には難しい。表現も特有な感じ。
実際に1950年に起こった金閣放火事件をもとにした小説。
主人公は、実際の事件と同様、金閣に火をつける(金閣寺の)学僧の青年。
爆笑問題の太田光がラジオ番組で述べている通り、金閣の美の捉え方はおもしろい。
すなわち、永劫な時間の中での不滅な金閣は輝かない。しかし、金閣への空襲の恐れを感じたり、金閣の前で尺八の音色が流れていたり、夕焼けの時間帯だったり、一時的で時間に限りがあるとき、金閣は最高に輝き出す。
これはいろいろなところに共通するように思われる。欲しいものと実際に所有してしまったもの、旅行に行く前の計画段階と実際に行くときの気持ちなんかでも共通するのではないだろうか。
もう一つ、学僧が金閣を放火する動機だが、いささか浅いと感じた。
この学僧は、本人では何もやり遂げていないにもかかわらず、何でもかんでも不満(他者に対しても自己に対しても)を持ち、その原因を自己に帰さず、すぐに他者や別のもののせいにしてしまう。金閣の老師のせいにしたり、母親のせいにしたり、友達のせいにしたり。
そして、金閣をも己の不完全さの原因に帰されてしまう。そして、火をつけられてしまう。
自己の不十分さを認めず、何かにその原因を帰する犯罪者には枚挙にいとまがない。犯罪者としては相当浅はかなタイプだろう。
したがって、この小説では、放火をした学僧は最後の場面で、新しい(辛い・つまらない)現実を生きていくことを決意していることを示唆している。
しかし、もし仮に学僧がこのまま生きていくならどういう人生になっていくだろうか。
この学僧に精神的な成長をもたらすきっかけなしには、この学僧は、また辛い現実に遭遇したら何かのせいにするだけだろう。日本の法制度のせいとか、アメリカのせいとか、~さんのせいとか。
そんなわけで、美意識のようなおもしろい点もありつつも、より重要な、放火の動機については浅いと思え、小説としては高評価は与えられないと思った。
ジェイムズ・クラブツリー 『ビリオネア・インド』 (笠井亮平訳/白水社、2020年)
中国が“これからの国”とはもはや言えなくなった今、次の“これからの国”といったらインドではないだろうか。
しかし、インドについて知ってることの浅さと言ったら顔を赤らめたくなるレベルだ。
そこで、インドについてのおもしろそうな本を見つけたのをきっかけに意を決して読んでみることにした。
450ページ近くある大部だけに、小難しい文体・内容だったら嫌だなと不安も抱きつつ読み始めた。
「プロローグ」。事故を起こしたアストンマーチンの話からうかがい知れる異様な社会の空気に、一気に興味を惹きつけられた。
そして、続く「序章」での世界でも類まれなレベルの巨大な個人邸宅「アンティリア」の話。
おもしろい!インドってこんな国なの!って目から鱗が落ちるレベルの知識・エピソードが次から次へと出てくる。
全12章で知ることができるのはインドの超大金持ちのことだけではない。確かにビリオネアは全編を通して登場する。しかし、ビリオネアは政治、行政、経済、法律、スポーツ、地方政治、宗教とあらゆるところに影響力を持っているため、ビリオネアを通してインドのあらゆる現実を知ることができるのだ。
この1冊でインドについて相当広範な知識が手に入る。
インドにおいても相当ひどいレベルの汚職が蔓延っていた。(モディ首相の改革によって相当良くなったと著者は指摘している。現状の汚職レベルはわからない。)
これは、(違いもあるだろうが)日本も中国も通ってきた道だろう。
そこで一つ気になったことがある。
汚職にも合理性があるのだろうか。あるいは、もし汚職がなければもっと生産性を高くすることができたのだろうか。あるいは、脆弱な社会保障システム・公的支援の代替的な役割でも果たしていたのだろうか。
経済学ではきっとその辺の研究もあるのだろう。いつか見つけたら読んでみよう。
そんなことが、インドのあまりにひどい汚職エピソードの数々を読みながら気になった。
この本ではモディ首相の改革によって汚職も相当抑えられているとしている。
しかし、本当だろうか。なぜそんなことが可能だったのか。
これからも汚職は減り、法システムの安定した先進国へとインドは進んでいくのだろうか。
そのあたりはこれから個人的に注視しつつ、他の本を見つけたら読んでみたい。
夏目英男 『清華大生が見た 最先端社会、中国のリアル』 (クロスメディア・パブリッシング、2020年)
著者は5歳で中国に渡り大学卒業・大学院修了まで中国で暮らしていた。
著者が卒業した清華大学は、北京大学を押さえて中国ナンバー1と評される大学。そして、東大はもちろんのこと、シンガポール国立大を負かしアジアナンバー1大学にランクされることもある。特に理系に強い。
そんな超優秀な著者が、日本のメディアでは報じないリアルな中国社会についてレポートしてくれるとあれば、興味をそそらないわけがない。
しかし、結論から言うと、超絶期待外れ。
なんせ、著者が実際に体験したり見たりしたことを書いている部分は全体の1~2割くらいだけ。タイトルと違うじゃん!
日本の10倍の13億人も人口がいる国のトップ大学の学生たちがどんな人たちで、どんな生活を送っていて、どんなことを考えているのか、そんなことを超知りたかった。もちろん、そんな内容も一部に出てくるけど、とても少ないし、あまりに表面的。
それから、残りの8~9割の内容もよろしくない。
中国の大企業であるアリババとテンセントの歴史と、中国で広く使われているウィーチャットの歴史をまとめただけ。本当にただまとめただけ。いかにも、日本の「マジメな」大学生がレポートで書きそうな内容。そんなのウィキペディアでも何でも読めば済むから。
この点でも、「日本のメディアが報じない中国のリアル」を期待していた自分からするとがっかり。シリコンバレー的な存在とも言われる、ハイテク都市・深圳がどんななのかとか知りたかった。
そんなわけで、タイトルとは大分異なる内容の本。
清華大学ってそんなもんかと決めつけてしまうのはさすがに性急すぎるだろうか。
岡本隆司監修 『サクッとわかる ビジネス教養 中国近現代史』 (新星出版社、2020年)
アヘン戦争から現在までの中国政治史をとても簡潔にまとめた本。
それぞれのテーマについて、はじめに3コマで大まかな流れを言った上で、その詳細(というほど詳しくは全くないけど)を文章で説明していく。
「イラスト入り」、「あっさり読める文章の少なさ」、「タイトルの「教養」という言葉」と、中田敦彦のYou-Tube大学で取り上げられるのを狙っているのではないかと思わせるようなテイスト。
それはさておき、確かに苦労することなくサラサラと読み進めることができる。それだけに「中国の近現代史を学ぼうとする人が初めに読むのにちょうどいい!」と言いたくなるけど、果たして本当にそうだろうか?
知識が本当にほとんどない人にとっては、情報量が少なすぎて分からないのではないかという気がする。それに、より致命的だと思うのが、簡単すぎて歴史のダイナミズム、おもしろさが伝わらないのだ。
したがって、当初のイメージとは逆に、最低限の知識がある人が、復習用や頭の整理用に読むのにいいのではないかと思う。
それでも中田敦彦ならこんな本でもおもしろく語ってしまうのだろうか?
竹内真 『図書室のキリギリス』 (双葉文庫、2015年)
高校の図書室司書になった女性を中心に、高校生たちと司書の本をめぐるストーリーが描かれる。
元から本好きもいればそうでない者もいるけれど、なんだかんだで本に魅かれる登場人物たちはとても魅力的。本好きにとって、読んでいてとても心地よい世界が描かれている。
当然、具体的な書名もたくさん出てくる。『モーフィー時計の午前零時』(存在自体知らなかった)、『ハリー・ポッターと賢者の石』(読んだことあるし、映画も見た)、『八犬伝』(山田風太郎は未読)、『小さな本の数奇な運命』(知らない)、『旅をする木』(知らなかった)、『マボロシの鳥』(太田光作の小説。読んだ。おもしろい。)などなど。
最近、本が出てくる小説をよく読んでいる。ハズレがなくて安心して楽しく読むことができる。重松清的な安心感があるジャンルだ。
しかし、問題は読みたい本が大渋滞を起こすことだ。