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 吉村昭 『生麦事件(上・下)(新潮文庫、2002年)


 生麦事件を一つの契機に「攘夷から倒幕へ」と変化し、そして、大政奉還へと至る幕末の激動の時を描いた歴史小説。

 1862年、神奈川の生麦村で薩摩藩の大名行列に立ち入ったイギリス人を薩摩藩士が斬殺した生麦事件。それをきっかけとして起こった薩英戦争。時を同じくして欧米の4か国連合艦隊に砲撃を受けた長州藩。外国艦隊との軍事力の差に攘夷を不可と見なすようになる藩士たち。そして、同盟、倒幕、大政奉還へ。

 一応、長州藩への連合艦隊による砲撃や薩長同盟や大政奉還へ至るところも描かれてはいるけれど、この辺は駆け足に経過を辿っただけになっている。あくまで、メインは生麦事件から薩英戦争までのところで、ここは結構詳細に描かれている。

 
 血気盛んに燃え上がる攘夷への情熱の中、攘夷が無理なことを悟り、裏切り者として殺される危険性をも秘めながら、薩摩藩の有力者たちがイギリスとの和議へと至る過程は、なかなか緊張感があっておもしろかった。

 「攘夷から倒幕へ」という変化がいかにして生じたのかという興味から読んでみたのだけど、この点に関してはいまいち明確な答えは得られなかった。確かに薩英戦争で軍事力の差は明らかになるのだけど、小説ではけっこう薩摩藩側も健闘していたりする。結局、攘夷を捨てたのは、第一に、薩英戦争の際にイギリスとの軍備の差を冷静に見抜けた有力者がいたこと、第二に、欧米へ視察や留学した経験を持つ者が数人いたこと、が理由であるように思えた。

 実際、そうなのかもしれないけれど、何か決定的な出来事や人物があるわけでなく、なんとなくいつの間にか変わっていったという印象が残った。


 

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 庄司薫 『赤頭巾ちゃん気をつけて(新潮文庫、2012年)


 青春小説の傑作が、「あわや半世紀のあとがき」を新たに収めて新潮文庫で刊行された。中公文庫のものも今でも手に入るのに「どうしてまた?」と不思議な気持ちではあるけど、かなり好きな小説の一つなだけに新聞広告を見て素直に嬉しく思った。そして、買って、久しぶりに読んでみた。

 以前も一度感想を書いたけど、さまざまな理想と現実、あるいは、本音と建前との間で葛藤しながらも、「だから何なの?」、「それに何か意味があるの?」と開き直ることなく理想や建前をがんばって守り抜こうとする男の子を描いている。

 「最新の」フランス思想を語れたらカッコイイ。けど、「ぼく」はシェークスピアだの『椿姫』だのといった古典的なロマンスで涙してしまう。 あるいは、受験に向けての勉強に少しでも時間を費やすのが賢い。けど、「ぼく」は「自主性」の大義のもとに授業や担任の先生を選ぶのに丸一日を費やす日比谷高校の仕組みに愛着を持っている。 また、自分を誘っていると思われる美人な女医さんを前に強姦魔になりたいと頭の中では強く思う。けど、「ぼく」は黙って目を閉じる。

 そんな情けない「ぼく」だけど、ものすごい痛みを伴いながらも小さな女の子にやさしくされたというささいな出来事に、とってもとってもうれしく感じる。

 そして、覚悟を決める。理想を捨てずに理想を実現しようと。びやかで力強い素直な森のような男になろう。 (中略) この大きな世界の戦場で戦いに疲れ傷つきふと何もかも空しくなった人たちが、何故とはなしにぼくのことをふっと思いうかべたりして、そしてなんとはなしに微笑んだりおしゃべりしたり散歩したりしたくなるような、そんな、そんな男になろう・・・・・(pp178-179)と。


 人は、成長するにつれ、色々なことを知るにつれ、様々な現実を知るようになる。その真っただ中で苦しむのは若者たちだ。そんな若者たちを励ましてくれる小説。 そんな苦しみがもはやなくなった大人たちには、理想と現実の葛藤をいかにして乗り越えてきたのか(または、いかにして捨て去ってきたのか)を問いかける小説。




 

 小川洋子 『博士の本棚(新潮文庫、2010年)


 『博士の愛した数式』の著者が、本や生活などについて書いたエッセーを集めたもの。

 ところどころに「さすが作家」と思わせる華麗な表現も散見されるけれど、内容自体はそれほど刺激的なものではない。つまり、エッセーや書評の成否を決する視点の独創性や鋭さはそれほどではない。ただ、著者のファンであれば著者の普段の生活なんかも書かれていて楽しめるかもしれない。

 とはいえ、この本をきっけけに興味を持った本もあって、一冊は、宿命な人格により深い自己嫌悪に陥り、深い底から出発へと向かうらしい、ケイニン『宮殿泥棒』。もう一冊は、美しい日本語で何の無理もなく異世界へと連れて行ってくれるらしい、梨木香歩『家守奇譚』。おもしろそう。


 

 重松清 『カカシの夏休み(文春文庫、2003年)


 学校を舞台にした中編3作品。

 安定の重松作品で、さくさくと読み進めたくなり楽しめる。

 表題作、「カカシの夏休み」。授業中、急に立ち歩いたり叫んだりする問題児童のカズをめぐる周囲の大人たち・子供たちの姿を描いている。どのようにカズが立ち直るのか、興味深く読み進めていたのだけど・・・、あまりに呆気なく治ってしまって、不完全燃焼かつ「こんなに簡単なものか?」という不満が沸いてきた。

 「ライオン先生」。たてがみをなびかせていた熱血先生が今ではかつらをかぶり、無気力な生徒に手こずっている。先生本人には実に深刻な悩みだろうけれど、社会性はなく、どうしても軽く感じて軽く感じたまま読み終わってしまった。

 「未来」。いじめ自殺が発生し、遺書に書かれていた男の子が「ハンニン」扱いされる。また、男子生徒が自殺直前に大して仲が良くもない女子生徒に電話していて、その女子生徒が「ハンニン」扱いされる。はたして誰が悪いのか?いじめた側か自殺した側か?それはとりあえず措いておいて、事実や善悪の全てを知っているかのように、アカの他人が「死ね」だとか「おまえのせいだ」とか言うことが悪いというのは確かなことだろう。そして、人が死んだことに対して、「誰のせいか?」よりも先に「悲しい」という気持ちが湧いてきているのか?それこそが大事ということだ。




 

 内田貴 『民法改正(ちくま新書、2011年)

 

 東大教授を退き、民法改正のための法務省の作業チームのメンバーとなった民法学者が、なぜ今、民法改正が必要なのか?、そして、どのように改めるのか?といった現時点での論点や方向性をわかりやすく説明している。

 主な方向性としては、「わかりやすさ」や「明文化」、あるいは、「市民のための民法」、「国際競争の中の民法」といったものが挙げられている。これらは大義としても否定しがたいものだけど、それらが一線の民法学者によって具体的な事例・改正箇所として示されるととても説得力がある。

 法実務(あるいは法解釈学)の世界では、ある程度結論ありきで、それを後付的に条文と結びつけるという側面がある。それだけに、実務家は今のままでも問題ないという意見に傾きがちだ。けれど、逆に言えば、変えたら変えたでまた上手くやっていくということでもある。それならば、大義に勝る改正推進派に分がある。

 裁判員制度、法科大学院と、法に関わる制度の大改革がここのところ相次いだ。その中でも特に法科大学院制度は、その成否はまだ時間が経ってみないと分からないとはいえ、司法試験合格率が当初の見積もり通りにいかなかったりと、やや怪しい雲行きだ。そして、法科大学院制度への移行の際には佐藤幸治らの議論の拙速さがしばしば指摘されていた。(もちろん最終的な判断は立法権を持つ国会議員がしたわけだけど。) それと比べると、今回の民法改正は、まだ早い段階から論点を説明するこのような一般向けの本が出たり、またその内容も説得的であったりと、信頼できる。

 著名な著者で、出版社の協力があって初めて成り立つものではあるが、民主的な立法過程として望ましいとも思った。



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