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 有川浩 『三匹のおっさん(文春文庫、2012年)

 

 還暦を迎えた幼馴染の3人組のおっさんが、身の回りの問題を痛快に解決していくお話。

 解決の方法を楽しむというよりは、個性的な登場人物たちの会話や行動を楽しむのがメイン。 この3人のおっさんたちは、必要なら手も出すといったおっさんらしい古い考えを持っていながら、ファッションに気を遣ったりという若い心も持ち合わせている。 それが説教がましくなりすぎず、厭味ったらしくなくていい。

 主人公の孫である、まさに「今どきの若者」の存在によっても説教臭さは消されている。 そして、そんな現代っ子で敬語も使えないその孫が、女の子に対してはドギマギしていたりするあたりがまた絶妙なさじ加減でもある。

 個人的には、この孫と育ちの良い女の子との微妙な距離感の恋物語が一番おもしろいポイントだった。

 ありきたりと言えばありきたりではあるけれど、楽しく読める読み物だった。




 
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 J.K.ローリング 『ハリー・ポッターと賢者の石(松岡佑子訳/静山社、2012年)

 

 シリーズ第一作の2分冊で文庫化されたものを読んでみた。 さすがにすらすらと最後まで飽きることなく読み切れた。

 映画の方はテレビでやってたのを片手間に観ただけだったから、900円ちょいで売ってたDVDも買って観てみた。

 本と映画を比べると、小説は一つ一つのことをじっくり書いて行ってるのに対して、映画の方は色々と端折られていてあっさり。 例えば、最初のダーズリー家で、魔法のような類のものを一切信じない夫妻からハリーが散々な目にあわされるところなんかは、小説では色々なエピソードが出てくるけれど、映画では1つ2つ程度で済まされている。 それから、最後のハリーが「石」が悪に渡るのを守り切った場面でのダンブルドア校長のセリフも、小説ではなかなかカッコイイものなのに映画ではあっさり。

 小説を読まずに映画だけを観た場合、作品のおもしろさが伝わらないのではないかと思った。

 シリーズのこの後の作品は「読まなくていいかな」と思ったのだけど、それは、作品のおもしろさがそうでもないからなのか、自分が子供の心をなくしてしまったからなのか、果たしてどっちだろうか。



 大江健三郎 『定義集(朝日新聞出版、2012年)

 

 朝日新聞で月に1回連載されていたエッセーをまとめたもの。 扱われる話題は、原発のような時事ネタ、クンデラやサイードなどの作家や作品の話、20代の頃の筆者の経験など、幅広い。 それがバラエティに富んでいて飽きさせずにおもしろいというところもあるけれど、どちらかというと、一つ一つの話の掘り下げが浅くて物足りなさを感じさせる面の方が強い。

 筆者のスタンスとして一貫しているのは、相変わらずの、ひたすらな、真面目さ。 短いエッセーをまとめたこの本では、類似した話題も出てくるため、平和関連ネタでの最終的には「人間の道義・倫理」や「民衆の声」に訴えるだけの堅物さが、殊にワンパターンで気に障る。 本当に自分の主張を実現したいのなら、いかに非賛同者を説得させるか、あるいは、いかにそれを実現させるか、という観点から色々とアプローチを変えてみたりするものではないのだろうか? そう考えると、筆者の書くものは、所詮、内輪向けの自己満足のものなのではないのか、と思ってしまう。

 それから、多岐な話題に渡るこの本を読んで、ふと思いついたのが、筆者が書くものの背後にある筆者が持つ問題意識について。 これまで大江健三郎が書いてきたものは、3つの問題意識から書かれているように思える。 すなわち、「若者の実存」(初期の傑作の結実したけれど、もう筆者の中で消えてしまっている)、「太平洋戦争」(今現在の戦争や核の話をするにも、60年以上前のことからしか話や考えが引き出せない)、「障害をもった子供」(作品としての成否は別として一つのリアルではあるのだろう)の3つだ。

 これでは、大江健三郎の作品(小説もエッセーも)が、古臭くて、リアリティを感じられないのも納得だ。 戦後以降を生きる、あるいは、今を生きる人たち(つまりは、筆者が寄り添っているつもりの庶民たち)が経験してきた現実や苦しみとは別の世界からしか作品を創れていないのだ。 「若者の実存」は普遍的だから今でも初期の小説群は評価が高い。 また、今の現実が関係ないから作家論や作品論や音楽論のところは楽しく読むことができる。

 この『定義集』もそうであるから、作家論とか作品論とかの知的遊戯の部分は楽しく読めるけれど、それ以外の時事ネタなどの部分は気持ち・意識の共有ができてなく、言葉が響かないし、面白く感じられない。




 コーマック・マッカーシー 『ザ・ロード(黒原敏行訳/ハヤカワepi文庫、2010年)

 

 核戦争か何かにより荒廃した世界を、父と子が孤独に南へと歩き続ける。 日中の灰色の世界を進み、日が落ちた後の暗黒の世界は眠ってやり過ごす。 道中、廃墟となった家々から食料などを頂戴する。 稀に遭遇する生存者に対しては、善なる者か悪者かを慎重に見極め、時に銃で威嚇し、時に無視し、そしてまた、淡々と先へと進む。

 今の世界の終わりを描きつつも、幼い子に託された「火」が受け継がれていくことで、新たな世界の静かで暗い始まりをも感じさせる。

 体力も気力も損なわれている極限状況の中、父は、我が子を、そして、「火」を守ることだけを生きるよすがに、何とか生き延びている。 そんな中では感情は最低限に抑えられる。 その状況に合わせるように、淡白な筆致で書かれ、話も淡々と前へと進んでいく。 それがリアルである。 一方で、読んでいて面白みに欠けるところでもある。


 それにしても、この本の英語版が170万部も売れているとの「訳者あとがき」の内容には驚いた。



 「 Summer Sonic 2012 in Tokyo 」 ( 2012年8月19日(日)/@幕張メッセ )


 もう1か月ほど前だけど、今年行った夏フェス。

 最大のお目当ては、Garbage。


 14時頃到着。 Mayday とか CASTとか行ってみたけど、自分好みではなかったから、先に休憩&腹ごしらえ。

 休憩後、無知なAzelia Banks。 そこそこ良かった。

 そして、POLYSICS。 こちらは知っているし、改めて予習もしていった。 のだけど、なんか、位置取りの問題なのか、低音が聞こえてくるだけで、ボーカルやメロディーがほとんど聞こえず・・・、乗れない・・・。 あの個性的な音を楽しみにしてたんだけど残念。

 その後、Hoobastank。 名前くらいは聞いたことがあるくらい。 これも好みではない軽めのバンドだった。

 そうして、ようやく18時半からお目当てのGarbage。 ボーカルの声はあまり出てなくてきつそう。 ただ、曲は良いし、知っている曲ばかりでもあるし、とっても楽しかった! 周りの盛り上がりも、聴衆自体が少なめで当初はさみしかったけど、曲が進むにつれてだんだん盛り上がって行って、なかなか上手く盛り上げてくれて実力・曲の良さを示してくれたと思う。 会場は、最新のアルバムの曲より昔の曲の方が知名度・人気ともあるような様子だった。

 それから最後に、New Order。 家で予習している段階では、好きなジャンルではあるけど・・・、という感じでそこまで期待してなかったんだけど、これがいい意味で期待外れ! すばらしかった! 会場の盛り上がりもかなりのものだったし。 今改めてオリジナルの曲を聴いても、やっぱり正直そこまでいいと思わないから、ライブでこその良さがあるのだろうと思う。


 とにもかくにも、初のGarbageは楽しめたし、最後に気持ち良く疲れることもできたし、気持ち良く帰路につくことができる、満足なフェスだった。


 
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