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 大江健三郎 『定義集(朝日新聞出版、2012年)

 

 朝日新聞で月に1回連載されていたエッセーをまとめたもの。 扱われる話題は、原発のような時事ネタ、クンデラやサイードなどの作家や作品の話、20代の頃の筆者の経験など、幅広い。 それがバラエティに富んでいて飽きさせずにおもしろいというところもあるけれど、どちらかというと、一つ一つの話の掘り下げが浅くて物足りなさを感じさせる面の方が強い。

 筆者のスタンスとして一貫しているのは、相変わらずの、ひたすらな、真面目さ。 短いエッセーをまとめたこの本では、類似した話題も出てくるため、平和関連ネタでの最終的には「人間の道義・倫理」や「民衆の声」に訴えるだけの堅物さが、殊にワンパターンで気に障る。 本当に自分の主張を実現したいのなら、いかに非賛同者を説得させるか、あるいは、いかにそれを実現させるか、という観点から色々とアプローチを変えてみたりするものではないのだろうか? そう考えると、筆者の書くものは、所詮、内輪向けの自己満足のものなのではないのか、と思ってしまう。

 それから、多岐な話題に渡るこの本を読んで、ふと思いついたのが、筆者が書くものの背後にある筆者が持つ問題意識について。 これまで大江健三郎が書いてきたものは、3つの問題意識から書かれているように思える。 すなわち、「若者の実存」(初期の傑作の結実したけれど、もう筆者の中で消えてしまっている)、「太平洋戦争」(今現在の戦争や核の話をするにも、60年以上前のことからしか話や考えが引き出せない)、「障害をもった子供」(作品としての成否は別として一つのリアルではあるのだろう)の3つだ。

 これでは、大江健三郎の作品(小説もエッセーも)が、古臭くて、リアリティを感じられないのも納得だ。 戦後以降を生きる、あるいは、今を生きる人たち(つまりは、筆者が寄り添っているつもりの庶民たち)が経験してきた現実や苦しみとは別の世界からしか作品を創れていないのだ。 「若者の実存」は普遍的だから今でも初期の小説群は評価が高い。 また、今の現実が関係ないから作家論や作品論や音楽論のところは楽しく読むことができる。

 この『定義集』もそうであるから、作家論とか作品論とかの知的遊戯の部分は楽しく読めるけれど、それ以外の時事ネタなどの部分は気持ち・意識の共有ができてなく、言葉が響かないし、面白く感じられない。




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