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 今年も一年の終わりに毎年恒例になりかけているこの企画を。

 今年は、2005年に出版された本のベスト3と、今年以前に出版されたけれど今年自分が読んだ本のベスト3とを分けて、それぞれ選んだ。

 
 
 
 〈2005年に出版された本・ベスト3〉

 ①奥田英朗『サウス・バウンド』(角川書店)
 ②黒崎視音『交戦規則―ROE―』(徳間書店)
 ③大江健三郎『さようなら、私の本よ!』(講談社)

 三冊ともこのブログで感想を書いたから詳しくはそちらを見ていただければよい。だから、簡単に一言。①と②は文句なしにダントツにおもしろかった。③はおもしろさでは劣るけれど、大江健三郎の遺言的な小説という位置付けと著者の気迫とT.S.エリオットを話の中に取り入れている事を評価して三位にした。

 他の候補としては、幸福輝『ピーテル・ブリューゲル――ロマニズムとの共生』(ありな書房)、村上春樹『象の消滅 短篇選集1980-1991』(新潮社)、A.O.ハーシュマン『離脱・発言・忠誠』(矢野修一訳/ミネルヴァ書房)あたり。ブログで取り上げていない『離脱・発言・忠誠』は、市場を分析対象とする経済学が想定する“離脱”行為と、民主主義を分析対象とする政治学が想定する“発言”行為に、“忠誠”という行為を合わせて、この3概念によってより一般的な社会分析のモデルを導出しようとしたもの。古典的位置を占める名著だが、今年新しく訳され直した。
 
 
 
 〈2005年以前に出版された本・ベスト3〉

 ①パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』(イースト・プレス、2004年)
 ②グレッグ・イーガン『万物理論』(山岸真訳/創元SF文庫、2004年)
 ③T.S.エリオット『四つの四重奏曲』(森山泰夫注解/大修館書店、1980年)

 こちらも①と②は圧倒的におもしろかった。そして、詳細はブログに書いた。③は、万物には共通の理法が支配しているのに大抵の人間は自分の知恵で万事意のままになると思って生きている。というヘラクレイトスの言葉に表される主題についてのエリオットの詩「四つの四重奏曲」の、原文(英語)、訳文、訳注、解説という至れり尽せりが収録された書。
 
 
 
 さて、今年も昨年に引き続き読書の幅が広がった一年だったと思う。特に今年は、現代文学・流行作家での初挑戦が多かった。その結果、今年のNo.1に奥田英朗がなったのはその一つの成果だろう。しかし、その一方で、もう一生読むことがないだろう作家たちをも見出すことになった。ただ、現代の作家たちを色々読んで思ったのは、やはり岩波文庫に収録されているような作品・作家の影響力、重要性、凄さであった。現代の作品を読んでいても、過去の名作が参照されたり、明示的に取り入れられたりしていることが多々あった。(以上はあくまで「小説」での話である。)

 来年一年のことを今言ってもしょうがないが、とりあえず、岩波文庫を色々読もうと思う。それ以外には、自分が興味のある、近年急速に問題化した日本における「格差」の問題について色々読んでみようと思う。

 また、今年読み残した本は数多くあるが、その中でも特に悔いが残る本をここでさらけ出し自分への宿題としておこう。

・ダンテ『神曲』(集英社文庫)
 読み始めてはあるが、まだ「地獄篇」の中盤。訳も非常に分かりやすいし、おもしろくはある。

・大江健三郎『憂い顔の童子』(講談社文庫)
 三部作の二作目。1と3を読んで2だけ残っている。購入済み。

・阿川弘之『山本五十六(上・下)』
 年末に急に山本五十六についての小説がなぜか読みたくなった。その気持ちは現在も継続中。

・グレッグ・イーガン『ディアスポラ』
 あれだけ衝撃を受けたイーガンの他の作品をまだ読んでいない。最も新しい邦訳。

 これらはできるだけ速やかに読み終えたい。
 
 
 さて、本について今年の総括と来年に向けての課題を書いてきた。来年は、今年とほぼ同じ生活をもう一年送ることが決まっている。そんなわけで、2006年も充実した読書生活が送れそうだ。そして、今年の後半のように、できるだけ多く、読んだ感想をこのブログで言語化して、記録していきたいと思う。なんせ、人間という生き物は、忘れやすいし、記憶の容量には限界があるし、思い出を美化してしまうから。

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 またまた、naosanのブログで紹介されている占いに挑戦。今回は、司法試験占い

 なんとも怪しい結果が出た。

  
 

 studさんは適性試験の隠れた才能を持っています!
 
● 適性試験…04年から始まった新司法試験の事を教えてくれるロースクールに入るために受けなければならない試験。論理問題や読解問題がある
 
○性格→生まれながらにして素晴らしい才能を持つあなた。その才能に憧れる友達も多いはず。ただ少し世の中を甘くみているところがあるので、気を引き締めてさらなる努力をすれば、もっと幸運を掴めるはず。
 恋愛では無意識のうちに自己中ぶりを発揮することも。相手の意見をもっと取り入れるようにすれば、さらに魅力的な人になる事でしょう。夜の生活でも神から授かった天性のモノを持っているので、それほどテクニックに走らなくても、相手を満足させる事ができるでしょう。
 
◇あなたが弁護士になったら→海外にも飛び回る「国際派弁護士」がピッタリ!世界をまたに駆けて大活躍することでしょう。
 
◎相性のいい相手→小論文さん・面接さん
 
☆ラッキーアイテム→HBの鉛筆・大きな才能と小さな努力

 
 
 
 しかし、ここまで滅茶苦茶な結果の出る占いは初めて見た。貴重だ。

 「恋愛頭脳」というサイトが「真鍋かをりのここだけの話」で紹介されていました。選択式の質問に応えると恋愛について色々評価してくれるサイトです。おもしろいのは、一度診断してもらうと、自分との相性が分かるようにできること。例えば、真鍋かをりとの相性は→http://hanihoh.com/love/index.cgi?checkname=kawori&mystat=427107008 から診断すると判定できます。もちろん、ここからやっても普通の診断結果も一緒に出てくるので一度で二度おいしい仕組みです。

 それで自分の結果。(抜粋)

 恋愛観レベル:先生(14段階中4番目)

【恋愛観支持率】 86.4%
【恋愛スタイル】 中期低テンション恋愛型
【印象】 とくにありません

総合コメント
studさんの恋愛観は、非常に好感の持てるものです。studさんに恋愛相談をすれば、なかなかの満足を得られることでしょう。studさんが特定の誰かと恋愛観で衝突するとすれば、それはおおよそ相手の恋愛観が歪んでいると思われます。ただその人がstudさんにとって唯一無二の人ならば、その歪んだ恋愛観をstudさんは受け入れざるを得ません。くれぐれもこの恋愛観こそすべてだと思わぬように注意。

ジャンル別コメント
・人生における恋愛
 なかなか良いバランスです。studさんにとっては、男女関係にあまり没頭するのは好ましくないようです。ヒマな人や寂しがりやな人と付き合うとトラブルも多そうですが、その気持ちも汲めればさらにstudさんの恋愛観は磨かれることでしょう。
・社会における恋愛
 少し現実主義の傾向があるものの、ロマンチックな面も持ち合わせ、なかなか魅力的なバランスを保っています。あまりベタベタした付き合いは好まないようで、二人だけの世界にどっぷりということはなさそうです。ベタベタしたい人を彼氏彼女にすると摩擦を生じやすいので注意。
・自己犠牲の精神
 尽くすことで自ずとテンションが上がるのでしょうか?studさんはあまり自分を省みず、前のめりの恋愛を繰り広げるタイプです。この場合、彼氏彼女選びは慎重にならなくてはいけません。寂しさなどにまかせて決して都合のいい人にはならないよう、相手の気持ちもよく読みましょう。
・ルックス
 面食いすぎるわけでもなく、外見に妥協するわけでもなく、優しい人ならいいというわけでもなく、最も好感の持てるルックス観と言えます。短期的にも恋愛のエンジンのかかりが平均よりも早く、また燃費よく長持ちすることでしょう。自分のルックスへの配慮も忘れずに。
・財力
 studさんは非常にバランスのとれた考え方をしていると言えるでしょう。お金があることで得られる喜び、減らせる苦労の範囲をよくわきまえているのではないでしょうか。あとはstudさんのパートナーにも共通認識をもってもらえば、お金に関する不満やトラブルなどはなさそうです。
・安定と刺激
 安定と刺激をなかなかバランス良く求めています。やや落ち着いた付き合いを望んでいるようですが、決して所帯じみてしまうことを望んではいないようです。また浮気に走るよりはひとりのパートナーとの付き合いの中に刺激を見出すことを望んでいるのでしょう。その工夫が一番難しいのですが…
・駆け引き
 studさんは一般レベルよりかなり駆け引き重視に偏っています。テクニックを駆使して相手より優位に立つ恋愛を無意識のうちに繰り広げていませんか?このテの恋愛は自分はラクですが、気づけば相手が疲弊していたり、別れた後にむなしさが残ったり…
・許容と束縛
 とてもバランスの良い価値観を保っています。放任と束縛、どちらに寄るわけでもなく、一般的な感覚にマッチする線引きができていると言えます。studさんは、鈍感や無関心ではなく包容力があり、また束縛ではなく相手を惹きつけることで距離感を上手に保てるタイプでしょう。
・将来への意識
 将来にわたって物事を捉えがちで、どことなく今を楽しめないでいませんか?それはstudさんの彼氏彼女にも伝播し、ちょっと退屈な感覚を味わわせることもあるでしょう。しかしバランスは及第点。そんなあなたをきっと理解してくれるはずです。

 感想。常日頃から自分の恋愛観自体はすごく真っ当だと思っていたから、まあ無難な結果かと。ただ、コメントが「バランスがいい」ばかりであまりおもしろくない気もする。悪い気持ちはしないけど。けれど、診断結果は自分の実感と大体合ってる。

 
 

 それで、真鍋かをりとの相性は、

kaworiさんとの相性レベルは やや良し です( 相性 65 %

とのこと。あまり高いとは言えないけど、全然悔しくない。というのも、ジャンルごとのコメントを見るとこんなことが書いてあるからです。(以下も抜粋)

自己犠牲の精神× studさんがkaworiさんに見返りのない愛を注ぎ、いずれ朽ち果てます
ルックス kaworiさんのルックス至上主義にstudさんは疑問を抱きます
財力× kaworiさんの恋愛にお金を絡める姿勢にstudさんがうんざりします
安定と刺激 kaworiさんという暴れ馬をstudさんは乗りこなせません
許容と束縛 kaworiさんがstudさんを好きかどうか、疑わしく感じられます
将来への意識× kaworiさんは短絡的すぎ、studさんは先のことまで考えすぎです

 もちろん、これ以外の項目は「問題なし」なのですが、さすがに・・・。真鍋かをりは一体どんな恋愛観を持っているのだろうか??? それにしても、これで相性「やや良し」というのもどうなんでしょう?
 
 
 
 ちなみに、無意味だとは思いますが、下のリンクから飛ぶと自分との相性が分かります。(微妙に「stud」とは違う名前でやってます。)
 →http://hanihoh.com/love/index.cgi?checkname=Duts&mystat=632553143
 

 愛読“所”であるnaoさんのブログの呼びかけに呼応して、政治的および経済的立ち位置を調べる「日本版ポリティカルコンパス」を行ってみた。
 
 
 「政治的」も「経済的」も、最も右だと+10、最も左だと-10になるのだが、結果は以下の通り。

政治的な右・左度(保守・リベラル度) -3.4
経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派) -0.56
あなたの分類は リベラル左派 です。

 とのこと。政治的リベラル度はやや高いようだけど、経済的にはほぼ真ん中という結果。

 政治的な極右は封建主義者か独裁主義者、政治的な極左はリバタリアンかアナーキスト、経済的な極右はアナーキストか新古典派経済学、経済的な極左は共産主義か社会主義、といったところだろうか?

 だとするなら、「政治的には左派度が強く、経済的には左派度が弱い」という自分の結果は、まずまず望ましいところかもしれない。
 
 
 最後に感想を。

 まず、一行の簡単な質問(52問)に4段階(「同意する」「やや同意する」「あまり同意できない」「まったく同意できない」)の中から答えを選ぶのだが、一刀両断できない性質の質問が数多くあった。そのため、「やや」とか「あまり」を選ばざるを得ないものが多かった。正直、設問の作り方がうまくない(知識や教養がない)ように感じた。そして、そのことが判定結果が真ん中に近いものになるのにつながったと思われる。

 しかし、それにもかかわらず、設問数がまずまず多いからか、質問内容がいいからか、自分の実感から遠く離れた結果にならなかったのは良い。
 
 
 
 最後に、naoさんの結果と自分を比べると、「naoさんより政治的に寛容で経済的に優しい」ということか(笑)

 今朝、我が家で取っている読売新聞の朝刊を読んでいて、社説のタイトルが目に留まった。
 
『[『戦後』を超えて]「新憲法へ大きく踏み出す時だ…国家目標を定めよ」』

というもの。なかなかかっこいい、力の入ったタイトルだ。これは読売の主張を年の初めに張り切って出してきたに違いないと思い、久しぶりに読んでみた。社説を読むのはプロ野球の新規参入が問題になっていたとき以来だ。

 読んでみて驚いた。さすがに張り切って主張しているだけあって、読売らしさが全開だ。以下、コメントしていこう。

 最初の方に以下のような、主張の大枠である文章が出てくる。
 
 『戦後の国際政治の基本的な枠組みだった冷戦構造が消えて久しい。戦後政治を彩った、イデオロギーの対立を背景にした保守・革新の対決や、高度経済成長ももはや歴史の一コマになった。「戦後民主主義」も、時代の変化に既に乗り越えられつつある。

 憲法制定時には想像も出来なかった歴史的変化を乗り切る指針となる新たな国家像を描かなければならない。

 憲法改正とは、「戦後」思考を超えて、二十一世紀の日本の確かな基盤を築くことにほかならない。』

 タイトルからも分かるとおり、この社説全体に渡って「戦後を超えて」がキーワードになっている。上の文はそれを説明している。そして、その「戦後」とは「イデオロギーの対立を背景にした保守・革新の対決」、「高度経済成長」、「戦後民主主義」の3つだと分かる。これらが「歴史的変化」であり、これを乗り切るために「新たな国家像を描」く必要を説く。そして、その国家像を描くこととは「憲法改正」にほかならないとする。

 『「戦後民主主義」も、時代の変化に既に乗り越えられつつある』とはどういうことだろうか?「戦後民主主義」とは何を意味するのか?そんなに一般的にコンセンサスの得られる意味が定まっているのか?「戦後民主主義」と現在の民主主義との違いは?

 『憲法制定時には想像も出来なかった歴史的変化を乗り切る』とあるが、「変化を乗り切る」というのはおかしい。「変化」という言葉自体は中立的な言葉であって、すぐさま「乗り切る」べきものとはならないからだ。変化に伴う問題点を指摘する必要がある。

 「国家像を描くこと=憲法改正」という意味不明なロジック(?)。自分の主張を正当化することに気を取られすぎて盲目になり、論理を追うことさえできなくなってしまっている。正直恥ずかしい。


 続いて、現在の憲法改正をめぐる国民や政党の動きが紹介され、『憲法改正へ論議を加速させることは、政治の責任である』としている箇所。この冒頭がひどい。

 「読売新聞世論調査では「憲法を改正した方がよい」と答えた人は、65%にも上る。現行憲法の理念や規定が現実と大きく乖離し、もはや限界を超えている、という認識が国民に広く定着している。」

 ここでは一つの事実から一つの解釈が引き出されている。一つの事実とは、「憲法を改正した方がよい」とした国民が65%いたというものだ。解釈とは引用文の後半だ。おかしさは一目瞭然だ。「憲法を改正した方がよい」という内容から、どうすれば『現行憲法の理念や規定が現実と大きく乖離し、もはや限界を超えている』という解釈を引き出して来れるのだろうか?凄まじき力技。さすがにこれには脱帽。


 次は憲法論議に際しての基本的な注意事項が述べられている。

 『憲法を論じるに際して、国家と国民を対立概念としたり、「個の尊重」を過度に強調したりするのは、「戦後民主主義」の思考の一つだ。

 個人主義とは本来、社会や共同体の重要性を認識し、他者の自由や権利を尊重する、責任ある個人主義だ。だが、行き過ぎた「個」の尊重のため、単なる自己中心主義に陥る傾向が目立っている。』

 まず前半部。「国家と国民を対立概念」とすることは「戦後民主主義の思考」だからダメだと。全く論証になっていない。戦後民主主義を持ち出せばなんでも否定できると思い込んでしまっているようだ。さらに、思えば最初の方で『「戦後民主主義」も、時代の変化に既に乗り越えられつつある。』と自分で言っていたではないか?乗り越えられつつあると思うなら、あえて主張するまでもないはずだ。

 続いて後半部。『個人主義とは本来』から始まる。「本来」って言うけど果たしていつ、どこで唱えられた個人主義の話をしているのだ?個人主義とは本来、ルネサンス期や宗教改革期の頃に起こってきたものであったのだ。Do you know that?

 「行き過ぎた「個」の尊重」を批判するが、アナーキストでもない限り、「行き過ぎた」個の尊重は否定するものだ。「行き過ぎ」とか「過度」とかを言うならばその程度や内容が問題なのだ。したがって全く内実のない主張に過ぎない。

 「個が行き過ぎて自己中心主義に陥る」って、自分たちの前会長のことか? それなら説得力がある。


 続いて、個の問題から共同体の問題へとつながる。

 『この結果、公正、正義といった観念が薄れているという指摘がある。社会や共同体の絆(きずな)が失われ、社会の存立の基礎が揺らぐ不安も広がっている。

 社会の基礎単位である家族の崩壊も、その一例だ。家庭内で、児童や高齢者への虐待が絶えない。引きこもりの青年が両親を殺害するなどの事件も発生している。独居老人も増えている。』

 「正義」というあいまいで多義的な言葉を安易に使うな。

 後半では家族の崩壊の例証として、児童や高齢者への虐待と引きこもり青年の両親殺害事件、独居老人の増加の3つを挙げている。“しつけ”という名の児童への虐待は昔からある。「引きこもり青年」が両親を殺したことが家族の崩壊の象徴たり得るのか?子が親を殺したことが重要なはずで「引きこもり」というのは関係ないだろう?悪い印象を与えようとする悪意が見える。独居老人の増加は「老人が自己中心主義に陥った」「自立した」とも言える。要は、どれも例証たりえていない。日本人は数学が弱いという記事を先日見たが、「なるほど」という感じだ。


 次に、『[権利と義務のバランスを]』という小見出しの下、まず、プライバシー権について以下のような文が出てくる。

 『例えば、「売れさえすればよい」と、個人の名誉やプライバシーの権利を侵害し、商品化する低俗な週刊誌が氾濫している。公益性などとは無縁だ。』

 読者のほとんどが「お前らはどうなんだ?」と突っ込みを入れているはずだ。勇気があるのか、鈍感なだけなのか?


 続いて、小見出しの核心が登場する。

 『現行憲法の権利と義務の規定は、権利に偏重している。そのバランスを正すための議論も必要である。

 国家には、国民の生命・財産を守る義務がある。だが、国家が国民の生命・財産を守ることが出来るのは、国家の独立と安全があってこそだ。徴兵制を採らない国でも、憲法に「国防の義務」を明記している国は少なくない。』

 とにかくおかしいのは、なぜ権利と義務の「バランス」を取る必要があるのか?別に、権利と義務はトレードオフの関係ではない。


 最後にメインディッシュ。読売さんのために全て引用。

 『憲法改正の核心は九条改正だ。何よりもまず、憲法に「自衛軍」を明記し、「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を解消するべきだ。世界を見渡しても、日本だけの戦後思考の典型例だ。集団的自衛権の行使や、国際平和維持・創出のための武力行使を認めないのも同様である。

 9・11米同時テロ後の安全保障環境の変化に伴い、自衛隊の活動範囲は国際的にも広がっていくだろう。日本の安全は無論、日本の存立の基盤である、国際社会の平和の構築と維持のためにも、九条改正は急ぐべき課題である。』

 九条を改正の核心としている割には薄弱な根拠。



 主張はどうであれ、論理がこれだけひどいと苦情を言いたくなってくる。しかし、読売の社説には執筆者の記名はない。いくら「社説」とはいっても社内でこんな政治的な問題で意見が一致するわけもないし、民主的手続きを経て作られたものでもないだろう。責任者・担当者の記名は行うべきだ。

 ただ、現時点で記名はなく、社説は読売新聞社の総意と受け取るのが妥当だろう。そうすると、読売新聞の人たちは皆、イデオロギッシュに論理も無視して主張する前近代的な野蛮人だということになる。(おそらく、朝日新聞もNHKもあらゆるマスコミは同様だろう。本当はバランスを取るために朝日新聞も取り上げたいのだが、家では朝日新聞は取ってないし、ネットで見るのは手間がかかるためやらない。)


 それにしても、こんな主張をされても議論や対話は不可能だ。論理は前提にしてほしい。この前提が崩れると、それこそ「社会の存立の基礎」も崩壊しかねない。気を付けてほしいものだ。


 ※以上、引用は『読売新聞』(2005年1月4日朝刊第3面、URLはこちら

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