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 竹森俊平 『経済論戦は甦る(東洋経済新報社、2002年)
 
 
 近年の日本経済に関する諸説を、シュンペーターの「創造的破壊」とフィッシャーの「デット・デフレーション」という二つの相対する軸から整理し、検証している。より具体的には、シュンペーターとフィッシャーという経済学者、1930年代の大恐慌時の経験、新FRB議長になるプリンストン大教授のバーナンキの経済理論、巷に流布している様々な分析や主張などを参照しながら、不良債権処理の如何や財政危機問題の見方などのホットな日本経済の問題を論じている。語り口はとても丁寧だが、内容自体は決して簡単ではない。

 
 
 「創造的破壊」とは、不況を通して、老朽化したものや非効率なものを破壊することで新陳代謝を行い、市場に新技術やより効率的なものを創っていくという思想のことである。小泉・竹中路線は、具体的内容は曖昧だが、一応このシュンペーター的な考えを採っている。

 一方、「デット・デフレーション」とは、かなり簡単に言えば、経済がデフレ・スパイラルに陥ると個人や企業にとっての合理的な行動が悪循環にはまってしまい経済全体は破局的な結果に行き着くとする経済理論である。量的緩和やインフレターゲットなどのデフレ対策を強調する人たちはこちらに属する。(日本以外の)経済学者の間での多数説でもある。

 著者は、その名前(俊平)とは違って、シュンペーターではなくフィッシャーの主張を支持している。
 
 
 
 本書の内容の中で特に興味深かったのは、不良債権処理について検討されている章。「貸し渋り」や「逆選択」などの概念を使って実際の日本の状況に関して説明している。そこでは、不健全な銀行が多く混じっている状況や不況下では「逆選択」によって健全な銀行も増資をするのに高コストを強いられるため、「健全な銀行にこそ資本注入を」という主張が展開される。ただ、資本注入をする前段階にはその銀行の「健全/不健全」は情報の非対称性のため判断できないから、全ての銀行に一旦資本注入をし、事後的に生じるパフォーマンスの違いによって「健全/不健全」を判別するべきだとしている。こうして、健全な銀行の増資における高コストは抑えられ、浮かび上がってきた不健全な銀行に対しては「しかるべき対処」をすれば良いということになる。

 このような不良債権処理策は、必ずしも構造改革派だけの占有物ではなく、デフレ対策を重視する立場とも排他的な政策ではない。ただ、その代わり(?)に、次のようなおもしろいジレンマがある。

最近の「不良債権問題」をめぐる論争を概観すると、一方には、公的資金を注入して、銀行の不良債権問題を解決することが第一だとする立場がある。すなわち、不良債権処理優先の立場である。ところが、もう一方では、資金の需要がないかぎり、不良債権だけ減らしても、貸し出しの停滞は止まらないと論ずる立場がある。この後者の立場をとる論者は、まずデフレをストップするのが第一だと提言する。これがデフレ対策優先の立場である。
 
 こうした二つの意見の両方にまともに耳を傾けると、堂々めぐりに追い込まれてしまい、一歩も先に進めなくなる。つまり、まず、デフレ対策優先の立場に耳を傾けて、それでは、どうしたらデフレをストップできるのかと考えていくと、そのためには「不良債権問題」の解決が必要だという議論にぶつかる。では、「不良債権問題」の処理からスタートしたらどうかというと、今度は、デフレ対策が行われないかぎり、銀行への資金需要は起こらないから、そんなことをしても貸し出しは増えない。もちろん、銀行の利益も増えないから、利益を使って銀行が不良債権を償却することもできないばかりか、不景気で不良債権はどんどん増えていく、といった議論にぶつかる。これでは、まったくの袋小路である。 (p274)

 とはいえ、やはりデフレ対策と不良債権処理は矛盾するわけではないから、著者は両者を行うべきだとしている。

 ちなみに、ゼロ金利下でのデフレ対策に関して、日銀の「買いオペ」の対象を拡げて、日銀が700兆円ある一般政府債務残高の全額か、少なくとも金融機関の持っている分を買い切って、貨幣の流通を増やすことを提言している。これは政府にとっては「デフォルト」の心配がなくなるというメリットもある。
 
 
 
 この本を読んで、「リフレ政策」が適切な政策だという主張にさらに傾きかけている。ただ、それでもまだ完全には傾倒しきれないのは、リフレ政策の効果への疑問にある。ゼロ金利までの金融緩和、巨額の財政出動という政策を過去に繰り出したにもかかわらず、その成果がほとんど得られていない経験をしていると、リフレ政策を行ったところで効果がどれだけあるのかに関しても疑いたくなってくる。これは、クルーグマンのインフレターゲット論への疑問にも共通している。すなわち、政府・日銀が義務的にインフレ目標を掲げたところで、国民や企業がそれを“信用”しなければインフレは誘発されない。

 最近の経済状況はやや改善されてきているようであるから、これらの話はやや時代遅れ的な感もある。ただ、興味深い問題でもあるし、過去を検証するのにも必要であるから、今後もう少し、日本経済論・経済学をフォローしていこう。とりあえずクルーグマンの『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済入門』(春秋社)を読んで、上の疑問を解消したい。

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 ポール・クルーグマン 『クルーグマン教授の経済入門(山形浩生訳/日経ビジネス人文庫、2003年)
 
 
 基本的なレベルの(マクロ)経済学を使って実際の時事的な経済問題をとても分かりやすく解説している。学問と現実とを掛け橋することに見事に成功している。非常におもしろく、かつ有益な本である。

 そして、何より山形浩生による軽い口語調の訳が画期的。クルーグマンの原文が元々軽い言葉使いで書かれているらしいが。ちなみに、自分はこの山形浩生という人をポストモダンの人かと思って食わず嫌いをしていたが、少し前にそうでないことをホームページを見て知った。今回この本を手に取ったのもそのホームページを見ていて興味を持ったからでもある。
 
 
 
 議論はクルーグマンの十八番の(?)生産性の話から始まり、所得分配、雇用・失業、インフレといった経済学の得意分野、財政赤字、保護貿易といった時事的な政策問題、最近流行のファイナンスと来て、最後に、アメリカ経済の未来のシナリオという流れである。最後に番外編として、日本がはまった「流動性の罠」についての影響力の大きい分析が載せられている。

 これを見て分かる通り、大抵の経済問題は網羅されている。しかも、主張を押し付けるのではなく、対立する見方を提示してそれぞれを実際のデータや事例などで検討するという体裁を取っているから、本当に優れた経済・経済学の包括的な入門テキストとなっている。それでいて、経済評論家やマスコミなどで流布している俗説とは異なる結論に至っていることが多いからおもしろい。例えば、貿易赤字は問題ないとか、インフレは大して大きな問題ではないとか。
 
 
 また、原書(第三版)が出版されたのは1997年で、議論・分析の対象はアメリカだから、アメリカから“輸入”されて、まさに最近の日本経済で起こっている出来事とほぼ同じような事態について説明されていたりする。例えば、見当をつけた企業の株主になって経営に口を出し企業価値・株価を高めて高値で株を売却するという村上ファンドが行っている手法の経済学的な評価についての二つの主張が出てくる。すなわち、その企業の効率性を高めているから良いという見方と、雇用や賃金のカット分を株主に分配しているだけだという(長期的な黙示の)契約の不履行・再分配という見方である。ちなみに、クルーグマンは両者の妥協的な見解を示している。この他にも、日本で最もホットな、企業乗っ取り・LBOといったことについてもそのアメリカでの事態の推移が紹介されている。
 
 
 この本には得るものがたくさんあったけれど、その中で興味を持った一つに、アメリカの連邦準備銀行の経済運営の巧みさが描かれていた章がある。それを読む限り、連銀の政策がかなり意図した通りの成果を上げている。果たして、こんな上手いことが他の国でもできている(できる)のだろうか。他の国の事例が知りたくなった。そして、もちろん日本に関しても、実質ゼロ金利の現状では無理にしても、将来の日本でそれが可能なのかどうか、興味のあるところだ。
 
 
 さて、何回か言及している通り、今、(マクロ)経済学の入門的なテキストを読み進めている。今回、この本を読んだのも、本流の経済学の勉強の副読本の役割を果たしてくれることを期待したからでもある。結果的には、経済学の基本も説明してくれていて、さらに、経済学を実際の問題に適用するイメージも得ることができ、かなり直接的な効果があった。我ながら良いタイミングで良い本を読んだものだ、と思う。

 稲葉振一郎 『経済学という教養(東洋経済新報社、2004年)
 
 
 経済学勉強熱に乗って、発売直後以来、2年ぶりに読み直してみた。

 元々は「罠にはまった左翼 金子勝を例として」という節に興味を惹かれて買ったのである。ちなみに、この点に関しては、「左翼(サヨク)」というカテゴリーにマルキストからポストモダンから市民社会派(丸山真男など)まであらゆるものを含めてほとんど一緒くたに論じていることに違和感を感じたため、いまいち納得しがいものであった。しかし、経済学・日本経済論の簡潔な整理やその整理に沿った読書案内などは非常に分かりやすくて、有意義な経済学入門であったのは見込み違いの成果であった。

 それまで、経済学的な視点のある経済論争の整理が含まれる本を読んだことがなかったため、やや感動さえ覚えたものだ。この種のマッピング本がないと、読んだ本、読んだ本、全てに共感するという状態になってしまうのだ。つまり、小野善康『景気と経済政策』(岩波新書)を読んでは説得させられ、野口悠紀雄『日本経済再生の戦略』(中公新書)を読んでは共感し、小林慶一郎・加藤創太『日本経済の罠』(日本経済新聞社)を読んでは納得する、という情けない状態になっていたのだ。そこでは、自分の思い込みに捕らわれない開放性があったとも言えるには言えるが、自分の評価基軸が全く築けないでいたわけだ。

 もちろん、この本を読んですぐに自分なりの経済分析や経済政策を評価する基準が作れたわけではないが、それを作るのに寄与する一つの要点を知ることができたのは意味のあることだったと思う。

 とはいえ、今現在もまだ経済分析において自分の依って立つ位置は定まっていない。

 だからこそ、経済学勉強熱がまた高まっているのだ。
 
 
 
 そんなわけで、今回の再読でも特に重要なのは、経済学理論的視点を簡潔に4つに分類(古典的ミクロ経済学、実物的ケインジアン2つ、貨幣的ケインジアン)した第3章である。

 著者は小野善康なども属する「貨幣的ケインジアン」に与している。確かに、この立場に自分も共感は覚えた。しかし、「実物的ケインジアン(ニューケインジアンⅠ)」も捨てがたいように思える。著者はこの立場について、「市場の完全性を理想としている」というようなことを言っているのだが、果たして完全な市場を暗黙のうちに理想とすることはこの立場から必然的に導かれることなのだろうか? もう少し市場に対して醒めた見方でこの立場を取ることはできないのだろうか? ただ、この違いが有する意味については本を読んでいるときは思うところがあったような気がしたのだけれど、今となっては・・・。
 
 
 そんなわけで、やはり地道に経済学を学ぶ必要があることに変わりはないわけで、今、基本テキストを読み進めているのである。

 小島寛之 『エコロジストのための経済学(東洋経済新報社、2006年)
 
 
 色々な環境問題を経済学の視点から捉えることで、環境問題の解決の難しさと経済学の基本的な思考法を教えることを目的とした本。

 「メインディッシュ」である2~5章および6章で扱われる環境問題は、地球温暖化、大気汚染、干拓・ダム問題、水俣病などで、使用される経済理論は、「コモンズの悲劇」、戦略的ゲーム理論、ケインズのマクロ経済学、外部不経済、コースの定理など。

 ただ、環境問題の経済学的理解と最新の経済学の基本的理解という二つの任務を負っているこれらの章は、前者の観点からするとそれぞれの問題の一側面を照らしているだけだし、後者の観点からすると紹介が簡単すぎるという、よくありがちな問題を生じさせてしまっているように思う。したがって、環境問題と経済学とが濃密に上手く接合されているようには思えなかった。

 そんなわけで、あまりおもしろくないなぁと思いながら読み進めていたら、7章の途中に、経済学を不勉強な自分には初耳な驚きの問題提起がなされていた。すなわち、ケインズ経済学は「占星術の域を出ていない」というのである。しかも、このような問題意識を持った経済学者は少なからずいるというのである。

 その問題点は複数指摘されているが、扱いの大きい一つの点を紹介しておこう。それは、ミクロ経済学とは違ってケインズ経済学は、経済を決定する仕組みを、「人々がどんな利得を思い描いて行動しているか」に依拠させず、原因不明の単なる「観測されたデータ」に依拠させるだけでは、科学的な結論を導出できないに違いない(p171)ということである。

 確かに、物理学をはじめ、(経済学的方法を応用した)社会学や政治学も、ミクロな基礎の上に「科学的な」議論を構築している(しようとしている)。

 ただ、ケインズ経済学をそもそもほとんど理解していない自分には、これだけではさすがに判断しかねる。が、これだけを読んだ感じではなかなか説得力があるように見える批判ではある。
 
 
 ところで、著者はこの本の最後で、解決が非常に困難な環境問題をコントロールするための一つの「試論」を、まだ構想の段階だと何度も断りつつも提示している。それは貨幣の機能の解釈を通じて出されたモデルなのだが、ゲームの初めの段階で一人だけ「貨幣」(ないしは「エコカード」)を持っているという想定で、しかもその最初の一人が環境保護に肯定的な選好を持っているというのでは、あまりに恣意的な設定であるように思えてしまったのだが、著者は数理経済学者だから、自分の方が理解し損ねたようだ。
 
 
 それと、著者は政府が関与しなければならない経済理論を批判する際に、「役人が自分たちの既得権益を作るようになって腐敗するからダメ」というような論理をしばしば使っているのだが、こと役人の話に限ってだけあまりにも分析がナイーブすぎるように思えた。経済理論はゲーム理論などを使って厳密に作られているだけに違和感を感じた。

 青木昌彦 『経済システムの進化と多元性(東洋経済新報社、1995年)
 
 
 新古典派経済学やそれに支えられたアングロ・アメリカン・システムが想定する均衡の唯一性や一元的で独善的な評価基軸に対抗する比較制度分析の先導者による、数式などを使わない叙述的な入門書。

 予めお断りしておくが、本書の内容をおおよそは理解できたと思うが、細かいところで理解できなかったところもある。したがって、自分が理解した内容の要約を簡単にしておいた。

 
 
 比較制度分析とは、多様性の経済利益の源泉とその存立条件を、経済学の普遍的な分析言語で探る(p2)という学問分野である。

 そこで主眼が置かれているのは、これまでブラック・ボックスとされてきた企業内の組織における相違がマクロな経済にも大きな影響を与えるという視点である。すなわち、問題意識は以下のようにまとめられる。

各個人が企業活動に関連して収集する情報は組織内で交換され、集団的に使用される(この過程・機能を「コーディネーション」と呼ぶ)。そうしたコーディネーションの仕組みの中にどのような環境条件においても絶対的に優れた唯一無二の最適組織はあり得ない(限定合理性のため)。しかし、個人の情報処理能力の方向性の選択や組織のコーディネーションの仕組みの違いによって、変化する環境下で、企業組織がその目的追求のために全体として活用しうる情報には差が生じ、ひいては企業の生産性や競争力に差が生じる。 (pp12-13を基に若干整理した)

 このような分析視角は「制度的補完性」や「戦略的補完性」といった概念によって支えられる。ここで「補完性」とは、他の制度や他人の戦略の存在によってその制度や個人の働きが強められる(縛られる)状態のことである。

 こうした枠組みが、日米の対比を念頭におきながらコーポレート・ガバナンスやメインバンク制の存在の合理性に適用され説明されている。

 これら一連の分析の結論は次のようにまとめられる。

現場情報処理こそが生産効率を定める最も重要な要素となりつつあるが、人々とその組織の不可避の限定合理性の故にさまざまな組織形態が進化しうる。しかもいかなる型の組織形態が一経済において支配的になるかというと、それは歴史的経路と社会の制度体系に大いに依存する。 (p193)

 そして、具体的には、情報の共有と決定の共同化によって特徴付けられる日本の組織型は「水平的ヒエラルキー」で、そこで求められる人材は「文脈的技能(:特定の組織において通用する技能)」を有している人である。一方、アングロ・アメリカン・システムの組織型は「分権的ヒエラルキー」で、求められるのは「機能的技能(:どの組織でも通用する技能)」を有した人材である。
 
 
 
 さて、この本で述べられていることは、最近話題になっている二つの社会問題と密接に関連している。すなわち、アメリカ的な手法や価値観を有しているとされるライブドア・堀江社長の是非と、「ニート」というミスリードな概念によって一括されるような若年失業者やフリーターの問題(特に『「ニート」って言うな!』(光文社新書)で本田由紀によって示された解決策の是非)である。

 青木昌彦の分析によると、いわゆる「日本型」も「アメリカ型」も共に均衡状態にあるからそこから移行するのは容易ではないということになる。つまり、ホリエモン的手法は大勢を占め得ないし、技能付与的な教育と新規学卒採用の打倒は日本では経済的に非効率ということになる。ただ、思い切って言えば、そもそもここで青木昌彦によって出された分析というのは、現状を均衡として捉えて正当化しただけとも解釈しうるようなものである。その証拠に、「日本型」と「アメリカ型」に分かれる理由は初めの時点における制度配置に基づく経路依存だとするに留まっている。

 とはいえ、上記の問題を全体的に考える視点を提示しているのは間違いない。この比較制度分析からこれらの問題に関していかなる含意を引き出しうるかについての詳しい議論はあまりに困難だからここでは試みないが、今後ニュースなどを見るときなどに活用してみようとは思う。

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