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 黒木登志夫 『新型コロナの科学』 (中公新書、2020年)

 
 新型コロナウイルスが広がり始めて一年近くが経つ頃に書かれた本。

 執筆時点での(英文のものも当然含めた)科学的研究の知見を踏まえて書かれている。まさにタイトル通り。

 内容も、パンデミックの歴史、ウイルスとは何か、新型コロナウイルスについての初歩的な知識(感染ルート、症状、発症者と無症状者の違い、アジアと欧米の比較、集団免疫、再生産数など)、ワクチン、日本政府の対応、外国政府の対応と、網羅的。

 したがって、いろいろな情報が飛び交い、なおかつ、蔓延当初の不正確な情報も混ざる新型コロナについての基本的な知識が得られる。

 「基本的な知識」とはいっても、日々のマスコミによる報道では得られない知識も多く、とても有益。新型コロナについて語るなら、これくらいは知っておかないと恥ずかしい思いをすることになりそう。



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 新井紀子 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち(東洋経済新報社、2018年)

 
 話題になった本。帯によると「28万部突破!」とのこと。そのうち何人が最後まで読んだのかは知らない。

 著者は数学者で、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトに関わっている。(そこでつくられているAIは「東ロボくん」と呼ばれている。)

 前半は「AIとは何か?」を、そのしくみから解き明かし、その可能性と限界とをどちらも書いている。

 後半では全国読解力調査から分かった「教科書が読めない子どもたち」についての問題を書いている。
 

 前半についての大きな疑問は2つ。

 1つ目。「MARCH合格」について。東ロボくんが“MARCH”に合格できるレベルの偏差値を模試でたたき出したことを猛烈にアピールしている。第1章のタイトルもまさに「MARCHに合格」となっている。果たしてその通りなのだろうか? 該当する記述がどうなっているか見てみよう。

 「初めて”受験”した2013年の代々木ゼミナールの『第1回センター模試』では、(中略)偏差値が45でした。ところが3年後の2016年に受験したセンター模試『2016年度 進研模試 総合学力マーク模試・6月』では、(中略)偏差値は57.1まで上昇しました。」p21)

 一見、どちらも「センター模試」を受けているように見えるが、最初は代ゼミ、3年後のは進研模試と変わっているのだ。これの意味するところは受験をまともにしたことのある若者には一目瞭然だろう。何かというと、進研模試は圧倒的に偏差値が出やすいのだ。(受験層のレベルのせいだろう。) その両者を無批判に比較するなんて、はっきり言えば、科学者失格レベルだ。

 そして、代ゼミの模試ならば現実味のある、「偏差値57でのMARCH合格」も、進研模試なら要確認レベルの微妙な(というか、一見怪しげな)数字だ。

 まず先に、偏差値57でMARCHに合格できると言っている著者の記述から確認してみよう。

 「偏差値57.1が何を意味するのか、合否判定でご説明します。(中略)私立大学は584校あります。短期大学は含みません。そのうち512大学の1343学部2993学科で合格可能性80%です。学部や学科は内緒ですけれど、中にはMARCHや関関同立といった首都圏や関西の難関私立大学の一部の学科も含まれていました。両拳を突き上げたくなるレベルです。」p21-22)

 さんざん東大だのMARCHだの具体的な大学名を出しておきながら、急に「学部や学科は内緒ですけれど」の胡散臭さたるや相当なものだ。

 ということで、調べてみた。東ロボくんが受けた「進研模試 総合学力マーク模試・6月」の判定基準だ。残念ながら2020年度入試用しか見つからなかったが、3年のブランクであり、そう大きくは変動していないだろう。

 MARCHの最も数値が低い学科(と参考に最も高い学科)を挙げてみよう。(以下は全て合格可能性80%の偏差値。)

 青山学院大学:理工学部 電気電子工学科(全学部)など→68
        国際政経学部 国際政治学科(センター)→80
 中央大学  :文学部 人文学科中国言(英語検定)→66
        法学部 法律学科(センター)→83
 法政大学  :理工学部 応用情報工学科(英外部)→66
        グローバル教養学部(センターB)→80
 明治大学  :文学部 文学科(演劇)→69
        政治経済学部 政治学科(センター)など→80
 立教大学  :文学部 キリスト教学科(センター6科)→67
        経営学部 経営学科(センター3科)→82

 ご覧の通り、進研模試の偏差値57でMARCH合格がいかに非現実的かがわかるだろう。

 では、なぜ筆者はそんなことを言っているのか? 可能性としては3つ。①ただのミス。②ただのウソ(誇張)。③配点の妙で、全体では偏差値57だったけど、科目の取り方によって偏差値66になった。

 どれなのかはわからないが、少なくとも「AIがMARCH合格」を大々的に喧伝するレベルではないだろう。そして、それを言ってしまうのは科学者としての誠実さに欠けるという誹りは免れないのではないだろうか。(学部・学科を秘密にせずに言ってくれてればもっと確かめようもあったのに。)


 続いて、2つ目の疑問。AIが仕事を奪うという主張について。

 筆者は東ロボくんがセンター試験で上位20%に入ったから、東ロボくんに負けた80%の子どもたちは仕事を奪われると主張している。(p62、p272)

 ペーパーテストの偏差値と仕事の能力はそんな単純な関係だろうか。受験勉強で身につけたものが直接的に仕事に関わってくることがどれだけあるだろうか。

 以上が、本書の前半部についての根幹にかかわる疑問だ。



 では、後半(教科書が読めない子どもたち)についてはどうだろうか。

 読解力が大事。これには賛同する。英語なんかより読解力。これも賛成。

 それにしても、筆者は教科書をやたらと大事なものかのように書いているが、果たしてそうだろうか。

 「教科書なんて、分かりにくいし、情報も不十分だから大して使わない」ということが多いのではないだろうか。高校の教科書なんて特に。大学受験を「高校の教科書だけで乗り切りました!」なんて人が1人でもいるだろうか。みな、市販の参考書や問題集を使っていないだろうか。学校の先生でさえ、自作のプリントを主に使ったりしているのではないだろうか。

 だいたい、そんなに読み間違えられる教科書を出している出版社・教科書の著者はどう思っているのだろうか。



 さて、そんなわけで、本書は、センセーショナルなタイトルと内容で危機感を煽るが、全面的には到底受け入れがたいものだ。数年に一度、この種のものが出る印象がある。(分数ができない大学生とか。)そんなものが教育政策・教育行政をゆがめることのないように願うばかりだ。
 
 

 NHKスペシャル取材班 『超常現象ーー科学者たちの挑戦(新潮文庫、2018年)

 

 NHKスペシャルの書籍化。「生まれ変わり」や「テレパシー」といった超常現象は非科学的と一笑に付されることが多いが、そういったものを科学的に研究している学者もいる。彼らを追ったり、自ら科学的に解明しようと試みたりすることで、超常現象と科学とのせめぎ合いの最前線を明らかにしようとしている。(とはいえ、超常現象に肯定的なものを取り上げている割合が高いが。)

 本書が出した結論は、超常現象の存在を科学的に証明したと言い切れるものはない。とはいえ、「ある」と思わざるを得ないようなものが確かにある。したがって、「わからない」、「どちらとも言えない」というもの。

 NHKが超常現象を取り上げるという挑戦には敬意を表したいけれど、ここまでしょうもない結論であるのなら、取り上げる意味が果たしてあったのか疑問だ。

 そして、全体的に、超常現象を無碍(むげ)に扱わないようにという配慮が、逆に超常現象側の主張へのチェックを緩めてしまっているように思う。子供がどっかの誰かのことを詳細に語るのを見て、なぜ「生まれ変わり」と考えるのか? このようなことが起こった場合、多くの人が言っているから「生まれ変わりだ」と考えているだけではないのだろうか? そのような「生まれ変わり仮説」を立てる理由は一体何なのだろうか? 仮説もそれなりの論理的な筋道の上に立てられるべきものであるはずだ。なのに、それが全く示されない。あるいは、乱数発生器が歪むのを見て、その原因を人々の意識・感情の集まりだと考えるのはなぜか? その仮説を立てた論理的な理由は全く出てこない。

 「宇宙人」といって思い浮かべる姿が、人間と基本的な構造を同じくしていたり、あるいは、かつての有名映画に出てくるものに影響されていたりという現象はよく指摘されることだ。

 同様に、不思議な現象を経験してそれが「生まれ変わり」や「テレパシー」だと考えること自体が、ただの先人たちの語ってきた内容に影響されているということではないだろうか? その、ただの文化的な非拘束性ではないというのを示すためにも仮説の論理的な理由が必要なのだ。

 実際、人間の意識や認識なんてそもそも相当に不正確ででたらめなものだ。チャブリス、シモンズ『錯覚の科学』(文春文庫)を読むとそれがよくわかる。本書は『錯覚の科学』に全く応えていない。

 本書の最後では超常現象を科学的に研究しているプットフ博士の言葉を引用している。「過去を振り返ってみてください。19世紀、18世紀、17世紀には分からなかったことを今の私たちがどのくらい知っているでしょうか。」p337)

 確かに、かつてあり得ないと思われていたことが真実だったということはいくつもあるだろう。しかし、その一方で、人間が(科学者さえも)いかにしょうもない俗説(医学的なことは特に多そうだ)をこれまでたくさん真に受けてきたかということにも思いをいたす必要があるだろう。



 


 池谷裕二、糸井重里 『海馬――脳は疲れない(新潮文庫、2005年)

 

 もう十年以上前に出版され、一時ちょっとしたブームのようになった海馬についての対談本。

 素人の糸井重里が質問したり、自分なりに理解したりしながら、雑談のような感じで進んでいく。 その中では、堅い本ではないから池谷裕二の仮説なんかも取り上げられている。

 好きなことは記憶しやすいとか、やる気になるためにはまず取り掛かることが必要とか、普段実感していたり、困っていたりするようなことが話題の中心になっている。「他の動物と比べて賢い人間」みたいな捉え方は全くされていなくて、ありのままの(ダメな)人間の実態を脳科学的に捉えていておもしろい。

 この本に書かれていることは今となっては大分世間に広まっているように思う。したがって新鮮さとか驚きとかはあまりなかった。出版当時に読んでいたらまた違った感想を持てたのだろうけれど。

 脳科学に関する本はかなりたくさん出版されている。いつか色々読みたいと思いつつなかなかできていない。脳科学的にはとりあえず一冊読んでみろということになるのだろうけれど。



 

 水野和敏 『プロジェクトGT-R 常識はずれの仕事術(双葉新書、2013年)

 

 パフォーマンスでもポルシェなど世界の一流に比肩しうる日本産のスーパーカー「GT-R」。その製作責任者が自らのキャリアとGT-R誕生までの内幕を綴った本。

 見た目だけでなく中身のある世界レベルのスーパーカーを作るには、固定観念や組織の論理に囚われないようにしなければならない。責任者である著者は、スタッフや下請けに具体的な理想像を思い描かせ、妥協を許さず、地道に製作を指揮している。

 そして、その困難な指揮を執る上で著者の様々な経験に基づく確固たる信念が大きな役割を果たしている。

 正直なところ、読み物としては大きな感動も刺激もない。(停滞気味の自動車会社には得るところはありそうな気はするけれど。)

 とはいえ、ここまで実力にこだわり、見かけ倒しではない実力を持ち合わせている日本産スーパーカーは稀有であり、いかにしてその車が誕生したのかは興味がわくところであり、読んでおいて損はない。


 それにしても、こういう中身のある車は、やはり組織の論理が強いところでは誕生せず、一人のカリスマ的リーダーなくしては生まれてこないということなのだろうか。そういうリーダーがいるかどうかは偶然に任せるしかない。そう思うと少し暗い気持ちになる。


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