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 NHKスペシャル取材班 『超常現象ーー科学者たちの挑戦(新潮文庫、2018年)

 

 NHKスペシャルの書籍化。「生まれ変わり」や「テレパシー」といった超常現象は非科学的と一笑に付されることが多いが、そういったものを科学的に研究している学者もいる。彼らを追ったり、自ら科学的に解明しようと試みたりすることで、超常現象と科学とのせめぎ合いの最前線を明らかにしようとしている。(とはいえ、超常現象に肯定的なものを取り上げている割合が高いが。)

 本書が出した結論は、超常現象の存在を科学的に証明したと言い切れるものはない。とはいえ、「ある」と思わざるを得ないようなものが確かにある。したがって、「わからない」、「どちらとも言えない」というもの。

 NHKが超常現象を取り上げるという挑戦には敬意を表したいけれど、ここまでしょうもない結論であるのなら、取り上げる意味が果たしてあったのか疑問だ。

 そして、全体的に、超常現象を無碍(むげ)に扱わないようにという配慮が、逆に超常現象側の主張へのチェックを緩めてしまっているように思う。子供がどっかの誰かのことを詳細に語るのを見て、なぜ「生まれ変わり」と考えるのか? このようなことが起こった場合、多くの人が言っているから「生まれ変わりだ」と考えているだけではないのだろうか? そのような「生まれ変わり仮説」を立てる理由は一体何なのだろうか? 仮説もそれなりの論理的な筋道の上に立てられるべきものであるはずだ。なのに、それが全く示されない。あるいは、乱数発生器が歪むのを見て、その原因を人々の意識・感情の集まりだと考えるのはなぜか? その仮説を立てた論理的な理由は全く出てこない。

 「宇宙人」といって思い浮かべる姿が、人間と基本的な構造を同じくしていたり、あるいは、かつての有名映画に出てくるものに影響されていたりという現象はよく指摘されることだ。

 同様に、不思議な現象を経験してそれが「生まれ変わり」や「テレパシー」だと考えること自体が、ただの先人たちの語ってきた内容に影響されているということではないだろうか? その、ただの文化的な非拘束性ではないというのを示すためにも仮説の論理的な理由が必要なのだ。

 実際、人間の意識や認識なんてそもそも相当に不正確ででたらめなものだ。チャブリス、シモンズ『錯覚の科学』(文春文庫)を読むとそれがよくわかる。本書は『錯覚の科学』に全く応えていない。

 本書の最後では超常現象を科学的に研究しているプットフ博士の言葉を引用している。「過去を振り返ってみてください。19世紀、18世紀、17世紀には分からなかったことを今の私たちがどのくらい知っているでしょうか。」p337)

 確かに、かつてあり得ないと思われていたことが真実だったということはいくつもあるだろう。しかし、その一方で、人間が(科学者さえも)いかにしょうもない俗説(医学的なことは特に多そうだ)をこれまでたくさん真に受けてきたかということにも思いをいたす必要があるだろう。



 


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