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新井紀子 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 (東洋経済新報社、2018年)
話題になった本。帯によると「28万部突破!」とのこと。そのうち何人が最後まで読んだのかは知らない。
著者は数学者で、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトに関わっている。(そこでつくられているAIは「東ロボくん」と呼ばれている。)
前半は「AIとは何か?」を、そのしくみから解き明かし、その可能性と限界とをどちらも書いている。
後半では全国読解力調査から分かった「教科書が読めない子どもたち」についての問題を書いている。
前半についての大きな疑問は2つ。
1つ目。「MARCH合格」について。東ロボくんが“MARCH”に合格できるレベルの偏差値を模試でたたき出したことを猛烈にアピールしている。第1章のタイトルもまさに「MARCHに合格」となっている。果たしてその通りなのだろうか? 該当する記述がどうなっているか見てみよう。
「初めて”受験”した2013年の代々木ゼミナールの『第1回センター模試』では、(中略)偏差値が45でした。ところが3年後の2016年に受験したセンター模試『2016年度 進研模試 総合学力マーク模試・6月』では、(中略)偏差値は57.1まで上昇しました。」(p21)
一見、どちらも「センター模試」を受けているように見えるが、最初は代ゼミ、3年後のは進研模試と変わっているのだ。これの意味するところは受験をまともにしたことのある若者には一目瞭然だろう。何かというと、進研模試は圧倒的に偏差値が出やすいのだ。(受験層のレベルのせいだろう。) その両者を無批判に比較するなんて、はっきり言えば、科学者失格レベルだ。
そして、代ゼミの模試ならば現実味のある、「偏差値57でのMARCH合格」も、進研模試なら要確認レベルの微妙な(というか、一見怪しげな)数字だ。
まず先に、偏差値57でMARCHに合格できると言っている著者の記述から確認してみよう。
「偏差値57.1が何を意味するのか、合否判定でご説明します。(中略)私立大学は584校あります。短期大学は含みません。そのうち512大学の1343学部2993学科で合格可能性80%です。学部や学科は内緒ですけれど、中にはMARCHや関関同立といった首都圏や関西の難関私立大学の一部の学科も含まれていました。両拳を突き上げたくなるレベルです。」(p21-22)
さんざん東大だのMARCHだの具体的な大学名を出しておきながら、急に「学部や学科は内緒ですけれど」の胡散臭さたるや相当なものだ。
ということで、調べてみた。東ロボくんが受けた「進研模試 総合学力マーク模試・6月」の判定基準だ。残念ながら2020年度入試用しか見つからなかったが、3年のブランクであり、そう大きくは変動していないだろう。
MARCHの最も数値が低い学科(と参考に最も高い学科)を挙げてみよう。(以下は全て合格可能性80%の偏差値。)
青山学院大学:理工学部 電気電子工学科(全学部)など→68
国際政経学部 国際政治学科(センター)→80
中央大学 :文学部 人文学科中国言(英語検定)→66
法学部 法律学科(センター)→83
法政大学 :理工学部 応用情報工学科(英外部)→66
グローバル教養学部(センターB)→80
明治大学 :文学部 文学科(演劇)→69
政治経済学部 政治学科(センター)など→80
立教大学 :文学部 キリスト教学科(センター6科)→67
経営学部 経営学科(センター3科)→82
ご覧の通り、進研模試の偏差値57でMARCH合格がいかに非現実的かがわかるだろう。
では、なぜ筆者はそんなことを言っているのか? 可能性としては3つ。①ただのミス。②ただのウソ(誇張)。③配点の妙で、全体では偏差値57だったけど、科目の取り方によって偏差値66になった。
どれなのかはわからないが、少なくとも「AIがMARCH合格」を大々的に喧伝するレベルではないだろう。そして、それを言ってしまうのは科学者としての誠実さに欠けるという誹りは免れないのではないだろうか。(学部・学科を秘密にせずに言ってくれてればもっと確かめようもあったのに。)
続いて、2つ目の疑問。AIが仕事を奪うという主張について。
筆者は東ロボくんがセンター試験で上位20%に入ったから、東ロボくんに負けた80%の子どもたちは仕事を奪われると主張している。(p62、p272)
ペーパーテストの偏差値と仕事の能力はそんな単純な関係だろうか。受験勉強で身につけたものが直接的に仕事に関わってくることがどれだけあるだろうか。
以上が、本書の前半部についての根幹にかかわる疑問だ。
では、後半(教科書が読めない子どもたち)についてはどうだろうか。
読解力が大事。これには賛同する。英語なんかより読解力。これも賛成。
それにしても、筆者は教科書をやたらと大事なものかのように書いているが、果たしてそうだろうか。
「教科書なんて、分かりにくいし、情報も不十分だから大して使わない」ということが多いのではないだろうか。高校の教科書なんて特に。大学受験を「高校の教科書だけで乗り切りました!」なんて人が1人でもいるだろうか。みな、市販の参考書や問題集を使っていないだろうか。学校の先生でさえ、自作のプリントを主に使ったりしているのではないだろうか。
だいたい、そんなに読み間違えられる教科書を出している出版社・教科書の著者はどう思っているのだろうか。
さて、そんなわけで、本書は、センセーショナルなタイトルと内容で危機感を煽るが、全面的には到底受け入れがたいものだ。数年に一度、この種のものが出る印象がある。(分数ができない大学生とか。)そんなものが教育政策・教育行政をゆがめることのないように願うばかりだ。