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by ST25
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 ボブ・ウッドワード 『ブッシュのホワイトハウス(上下)(伏見威蕃訳/日本経済新聞出版社、2007年)
 
 
 ウォーターゲート事件を暴いた記者によるブッシュ政権内幕物「ブッシュの戦争」の第3弾。

 アメリカの対イラク戦後政策が失敗した過程が克明に描かれている。

 自分は正しくて全能だと(自覚なしに)信じ込み、ネガティブな情報やそういうことを口にする人員を近づけないという、あまりにベタな人間の弱さが、超大国の中枢で、主権国家間の戦争という超重要マターにおいて出てしまった。

 描かれる(やり玉に挙げられる)のは、ラムズフェルド前国防長官を中心に、ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、軍のトップである統合参謀本部議長など。

 アメリカからすれば政治も経済も宗教も全く違う遠く離れた国で行っている戦争であるにもかかわらず、ワシントンの人々が現地にいる軍人や行政官の情報や意見に耳を傾けないというのは、なんとも喜劇的である。

 無能なリーダーを持つことが、いかに自国にとっての“安全保障上の脅威”であるかを思い知らされる。

 実際、アメリカは対イラク政策の大失敗(と9.11を防げなかったこと)で、イランや北朝鮮など敵対している国家に対する抑止力を減じてしまったと考えられる。
 
 
 日本にとって、アメリカのこのパワーの浪費はどのようなことを意味しているのか。簡単に思考実験してみよう。

 今後、“数十年”に渡って、“世界の警察”アメリカによる抑止の実効性が怪しくなり、また、アメリカ国内でも対外不干渉で内向きなモンロー主義が主流になることが予想される。(「イラクの後遺症」とでも呼べる。) さらに民主党政権になるとするなら、親日より親中路線になることが予想される。(これは冷戦終焉後においてクリントン民主党政権が(たった)8年続いたのとは訳が違う。)

 この場合、東アジアにおける「日米対中朝」という構図が変わりうる。

 すなわち、アメリカの抑止力の低下および強硬路線の放棄に、アメリカと仲良くしたい中国と中国と仲良くしたいアメリカとの利害の一致が加わり、北朝鮮に対する態度で米中が妥協すると思われる。すると、「米中+朝と、孤立する日本」という構図になりうる。(この場合、日韓が近づくかもしれない。)

 こうなった場合、日本は対米追従からの脱却が進めやすくはなるだろうが、(アメリカがいる限り武力衝突にはならないにしても、)中朝との緊張関係が高まり、東アジアでの孤立を深める可能性がある。

 これは良いシナリオではない。

 これを回避するには、(これまでの話の前提を覆すが、)そもそも、日米関係を徹底して維持するか、米中がくっ付く前に日中の親密さを上げておくか、もしくは、スイスみたいな完全な独自路線を歩むかしかないように思える。

 これはかなり単純で大雑把で過激(※ここ重要。言い訳。)な一推量だけど、日本にとってイラク政策失敗のインパクトが大きいことに変わりはない。

 そして、それがマイナスの結果になったとき、ラムズフェルドはこの本を基に、将来の日本人から恨まれることだろう。

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 片岡鉄哉 『核武装なき「改憲」は国を滅ぼす(ビジネス社、2006年)
 
 
 ネットで検索してみるとなかなか評判な本。

 主な主張はタイトル通り。

安倍首相に直言したいのは、日本に好意的なブッシュ政権が続いているうち(注:2008年まで)にできるだけのことをやっておいてほしいということだ。それを列挙しておけば――、
 ①日本の集団的自衛権行使による日米攻守同盟の確立。
 ②憲法の改正(注意書き略)
 ③日本の核武装 (pp12-13)

 
 
 ただ、自分に関心があるのは90年代後半の日本の政治と経済の動向である。

 しかし、この点、解釈・主張の前提になる事実認識に問題がある。

クリントンは橋本首相に「景気刺激策をやれ」「公共投資をやれ」と注文をつけてきた。ところが日本は、それ以前に、アメリカ国債をかなり大量に買っていたため、橋龍は「日本はやるべきことはやった」と思っていたのだろう、クリントンの注文を軽くあしらった。するとクリントンは、 (中略) 中国からの帰途、東京へ立ち寄らなかった。 (中略) それがシグナルになって、ニューヨーク・タイムズが急に橋龍叩きをはじめ、自民党は次の参院選挙に敗れてしまった。それ以後、橋龍の運は二度と元には戻らなかった。 (pp14-15)

 重複するが、もう一つ詳しい説明を引用。

橋龍の金利操作(注:1996年5月の大蔵省による公定歩合引き下げ。p54)で再選されたクリントンは大喜びで、ここに「ビル・リュウ」の蜜月がはじまったが、しかし長続きはしなかった。クリントンの二期目に、日本の不況がじつは恐慌であることがわかってきたからだ。そこで財務長官ローレンス・サマーズは景気刺激策としての「公共投資」と「減税」をやいのやいのと要求してきた。察するに、橋龍総理はムッとしたのであろう、アメリカの要求を軽くあしらった。
 それに対するクリントンの反撃は、一九九八年七月の参院選の直前に来た。六月に訪中したクリントンは帰途、東京に立ち寄ってブリーフィングすることを避けたのである。 (中略) しかも選挙戦の最中に、ニューヨーク・タイムズの東京支局長ニコラス・クリストフが一面トップで「ハーバート・フーバー・ハシモト」への総攻撃をはじめた。橋本総理はアメリカに大恐慌をもたらしたフーバー大統領と同じことをやっている、と書き立てたのだ。この介入で自民党は惨敗した。 (p55)

 “確実な”誤りを2点指摘しておこうと思う。

・「1996年5月」に公定歩合は引き下げられていない。公定歩合は1995年9月から2001年2月まで0.5%で変化していない。「1996年5月」という表記が「1995年9月」の単純な表記ミスだったとは受け取れない。なぜなら、橋本龍太郎が首相に就任したのは、公定歩合が底値になって以降の1996年1月だからである。つまり、「橋龍の金利操作で~」という事実認識は誤り。

・ニューヨーク・タイムズ紙のクリストフによる「橋本総理=フーバー大統領」という批判記事が掲載されたのは、「選挙戦の最中(98年7月)」ではなく、1997年12月17日のことである。(Sheryl WUDUNN with Nicholas D. KRISTOF “INTERNATIONAL BUSINESS; Japan, Economic Power Aside, Seems Paralyzed by Asia Crisis”) また、クリストフによる橋本首相批判は、クリントンの訪中以前の98年4月からすでに行われている。

 もちろん、これら以外にも、「クリントンは元々親中なのでは?」とか「アメリカの介入によって自民党は参院選で敗北したのか?」といった疑問点はある。
 
 
 いずれにしても、そんなわけで、90年代後半の日本の政治・経済に対する新しい見方を得られるようなまともな本ではなかった。

 蒲島郁夫、竹下俊郎、芹川洋一 『メディアと政治(有斐閣アルマ、2007年)
 
 
 メディアと政治の関係についての色々な理論・視点を網羅しているテキスト。

 ところどころで、実際の政治の出来事やデータを用いて理論の適用(実証)も行っている。また、日経新聞の編集局長が著者に名を連ね、ニュースや新聞ができるまでを3つの章を割いて説明しているのはユニーク。

 総じて、「有斐閣アルマ」らしい優れた入門書。

 そんなわけで、この本を読むと、政治におけるメディアの影響力や役割を考える際の多角的な切り口を獲得することができる。

 「切り口」をいくつか挙げてみると、補強効果、フレーミング効果、沈黙の螺旋、培養理論、属性型議題設定など、いかにも学術用語っぽい単語が並ぶ。

 だけど、実際のところ、これらの理論や視点が意味するところは、ちょっとメディアと政治の関係について考えたことのある人ならば思いつくであろう考え・視点の域を出るものではない。

 だからこそ、重要なのは、お互いに相入れなかったりする多様な理論間での比較検討などの実証になる。

 けれど、この本でなされている実証は理論の紹介という目的のための簡単なものに過ぎず、理論間での比較といった本格的な検証結果の紹介まではされていない。

 この点は、入門書だからやむを得ないとはいえ、「で、結局どれが正しいの?」という不満が残る点だとも言えるし、逆に、更なる学習への導入として成功しているとも言える。

 いずれにしても、これがこのテキストの内容とその限界である。
 
 
 本全体の紹介に関してはこれくらいにして、一つ内容で気になったことがあったからそのことについて少々書いていく。

 それは、この本では、「メディアから政治や国民への影響」と、「政治からメディアへの影響」については色々な理論やその実証が紹介されている。

 だけど、「国民からメディアへの影響」については、各章の最後にまとめ的に述べられている程度で、本格的な研究は紹介されていない。

 個人的には、メディアがどのように報道するかは多数の国民の意向に依っていると思っている。同じ閣僚の不祥事であっても小泉内閣と安倍内閣とで取り上げ方が異なったりするのは、多くの国民が「小泉内閣は倒すまではしたくない」と思っている場合に不祥事に対するメディアの追及も弱くなるからだと思う。

 もちろん、メディアが国民の多数派を形成するという側面を否定するわけではないけれど、国民からメディアという方向性の方が影響力は大きいのではないかと思っている。

 そして、この「国民からの影響」というものを、この本では随所にまとめ的に述べているだけに、その研究について触れられていないことが気になった。
 
 
 他にも、小泉政権に衝撃を受けすぎなところとか、気になったところはあるけど、優れた入門書であることに変わりはない。

 今村都南雄 『官庁セクショナリズム(東京大学出版会、2006年)
 
 
 セクショナリズムを病理だとする単純な見方に対して異を唱え、色々な事例を取り上げながらセクショナリズムの多様な意味を明らかにしている本。

本書で、セクショナリズムの歴史過程、政治過程、そして組織過程について、それぞれ章を分けて考察したのは、何よりもセクショナリズムにかんする短絡的、一面的把握を拒もうとしたからである。セクショナリズムはすぐれて複合的な現象であり、短絡的、一面的に割りきってとらえることなどできはしない。ましてや、それを諸悪の根源であるかのように断定してすますことなど許されることではない。 (p210)

 とのことなのだけど、そもそも(著者が敵と見なす)「セクショナリズムを諸悪の根源」とまで考えている人(や本)はどれだけ存在するのだろうか。

 それに、この本はセクショナリズム一般について論じているけれど、おそらく、セクショナリズムを批判する人も、何でもかんでもセクショナリズムはダメと言っているのではなく、個々の状況を想定してダメと言っているのではないのだろうか。 (この点では、セクショナリズムにもダメなところはあると言っている著者と同じだ。)

 だけど、この本では、論駁対象とする具体的な「相手」について言及されていないし、取り上げられている事例も全てが「セクショナリズムの典型」とされている事例というわけではないから、結局、読んでいても空疎な感じで、新しさ、おもしろさを感じることができなかった。
 
 
 そんなわけで、これといって特に異論反論等、言いたいことはない。

 菊池理夫 『日本を甦らせる政治思想――現代コミュニタリアニズム入門(講談社現代新書、2007年)
 
 
 

 なに、このうさん臭いタイトル!?
 
 政治思想が日本を甦らせられるわけねーじゃん!
 
 だいたい、「甦らせる」って、日本は死んでるってこと???
 
 バカじゃねーの。
 
 こんくらい、自分で気付けよ!!!
 
 しかも、コミュニタリアニズムって、欧米かっ!
 
 それに、共通善が大事なら、別に何もしなくたって共通善は自然に作られんだから、心配する必要ねーじゃん!
 
 オレらの共通善をオッサンに勝手に決められたくないんですけどー???
 
 つーかさー、なんつーの、オレも一応、社会のこととか考えたことあるんっすよ。
 
 ダチとかとたまに話したりもするし。
 
 だけどさー、例えばさー、なんで茶髪はダメで、かつらはいいんすか?
 
 明らか、茶髪もかつらも同じっしょ?
 
 納得できないっすよ。
 
 オッサンたち、すぐ「今どきの若者はっ!」つってオレらのことバカにするっしょ?
 
 なんか、オレらの価値観だけが問答無用に否定されてるみたいで、まじウザイんすよ。
 
 結局、自分たちが全て正しいって思ってるんしょ?
 
 だから、そんなオッサンたちと善を共有してるなんて、マジ勘弁!
 
 自由万歳!オレ万歳!
 
 まあ、だけど、こんなオレでも、ぶっちゃけ、ダチは命張っても守るっすよ。
 
 だって、仲間っすから。
 
 オッサンと違って、オレのこと、まじ理解してくれてっから。
 
 あいつらと一緒に、バイクぶっ飛ばしながら、Doragon Ashとか三木道三とか聴いてっと、まじテンション♂♂アガっから♂♂
 
 だから、オッサンもいいダチ見つけっといいっすよ。
 
 最高にバスミ!バーンスミ!って感じだから。
 
 マジ生きてるー!!!って感じっすよ。
 
 あー、ウゼー!!!!!!
 
 なんでこんなこと、いちいちオッサンに語らなきゃいけねーんだよ!!!
 
 欧米か!オレ、欧米か!!
 
 まっ、そういうこっだから。分かるっしょ、オレの気持ち?
 
                       [渋谷区/20代男性]

 He is a communitarian, isn't he?
 
 
 
 出版社が付けたであろう大衆受けを狙ったダサいタイトルは措いておくとして、(おそらく)日本で初めてのコミュニタリアニズム(共同体主義)の一般向け入門書。

 なのだけど、この本の問題なのかコミュニタリアニズムの問題なのか分からないけど、いろいろと問題が多すぎる。

  「現代のコミュニタリアニズム」とは何よりも「共通善の政治学」 (p36)だから、「共通善」を形成する土壌である家族とか地域社会といったものを重んじるのはとりあえず分かるとしておく。

 だけど、「共通善」って具体的には何なのか分からない。

 で、結局、予想されたことだけど、「共通善」という名で「菊池理夫イズム」を正当化して語っているようにしか見えない。

非常勤を含め、大学で専門の政治思想の授業をしていても、こちらの思いがなかなか伝わらないことが多くなっています。(p210)

 著者自身によるこの感想を受け入れることがコミュニタリアニズムの問題を解決する糸口になりそうだ。

 結論。

 頑張って言語化しましょう。

 おまけ。

 ダメさがよく現れてる文章。

郵政民営化選挙の自民党の圧勝をポピュリズムの勝利とか「共通善」の実現として否定的に捉えている政治学者が私の周りにもかなりいます。(中略)
 しかし、このことから「共通善」とは「多数者の専制」であるとして批判するのは間違っています。批判すべきなのは、その結果が本当に国民全体のためのものであり、一部のためのものではないか、つまり本当の「共通善」であるかという点です。 (p188)

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