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 竹中平蔵 『構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌(日本経済新聞社、2006年)
 
 
 竹中平蔵が、不良債権処理、郵政民営化、経済財政諮問会議に関してその内幕を語っている本。

 おもしろい。

 小泉政権の成功が、小泉純一郎という国民的人気のあるリーダーの存在に第一義的に依っていることは疑い得ない。

 けれど、竹中平蔵という政治センスのある政策専門家の存在なくしても成功はなかったというのもまた真実。(もちろん、「小泉あっての竹中」だけど。)

 小泉純一郎が首相になったとき、「改革なくして成長なし」などのスローガンばかりで「具体的な政策がない」と思ったものだが、それを補ったのが竹中平蔵であった。

 政治センスに関しても竹中平蔵は「学者大臣」と侮(あなど)れない。安倍晋三をはじめとした職業政治家も学ぶべきところは多い。

 そんなわけで、この本には重要な内容、おもしろい内容がたくさん出てくる。
 
 
 だからこそ、ここでは、逆に、問題点についていくつか指摘しておこうと思う。

 1つ目は、抵抗勢力とか野党とか「敵」が出てくると、「敵」を意図的に愚かに描いて、陳腐な善悪二元論に落としてしまう癖があること。

 2つ目は、不良債権処理とマクロ経済(景気)の動向を安易に結びつけてしまっていること。(この本の守備範囲を超えることだけど、さらにいえば、「本当に供給側がデフレの原因だったのか?」ということにつながる。)

 3つ目は、非拘束名簿式比例選挙で72万票を獲得してなった参院議員を4年という長い任期を残して辞任したことは、選挙を重んじる日本国民に対する冒涜、さらに言えば、民主主義を生み出した人類への侮辱であり、「批判は甘んじて受ける」なんていう無責任な言葉で償えるものではないこと。(小泉政権の終了とともに辞任するなら選挙の際にそれを明言しておくべきだ。)
 
 
 とはいえ、謙虚に学ぶべきところの多い本であることに変わりはない。

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 沢木耕太郎 『危機の宰相(魁星出版、2006年)
 
 
 当時ほとんど誰も信じなかった「所得倍増」という考えを信じ、実現していった首相・池田勇人、大蔵省のエコノミスト・下村治、宏池会事務局長・田村敏雄の3人の物語。1977年に雑誌に掲載されたものの書籍化。

 「安保」という政治問題から「所得倍増」という経済問題に見事に舵を切ったことで知られる池田勇人が、いかにして「所得倍増」という考えを獲得していったのかのプロセス(とその後の顛末)が描かれているのはおもしろい。(※この過程を政治学的に描いている最近の本に、牧原出『内閣政治と「大蔵省支配」』がある。)
 
 
 ただ、読み物としてはあまりおもしろさを感じなかった。

 それと、一つ欠けていると思ったのは、「安定経済派」、「成長経済派(所得倍増)」それぞれの具体的な政策の内容。

 これが抜けているから、彼らが実際問題として何で対立していたのか、また、「所得倍増」実現のために池田勇人が何をしたのか、が全く分からない。

 この本が細かい経済学の話にまで踏み込んで書かれているだけに、逆に不思議な感じさえする。

 今では、「所得倍増」が達成できたのは、それが「(当時の状況からして達成が)約束された目標」だったからというのが通説であること。

 《私は経済成長についての計画主義者ではない。(中略)私の興味は計画にあるのではなくて、可能性の探求にある。だれかのつくった青写真に合わせて国民の活動を統制することではなく、国民の創造力に即して、その開発と解放の条件を検討することである》 (p209)

 と、「所得倍増」の理論的な支柱である下村治が述べていること。

 これらを考え合わせると、著者は「所得倍増“実現”」が池田らによるものではないと薄々気付きつつも、おもしろさのために、意図的か無意識かは分からないけれど、具体的な政策の話を書くことを避けたのではないかと思えてくる。
 
 
 そんなわけで、何かといまいちな本だった。

 とはいえ、この著者が、浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢を描いた『テロルの決算』(文春文庫)には興味が湧いてきた。古本屋で探してみよう。

 フランシス・フクヤマ 『アメリカの終わり(会田弘継訳/講談社、2006年)
 
 
 『歴史の終わり』で自由民主主義の最終的な勝利を宣言し、対イラク政策では強硬策を主張するなど、ネオコンと思われていた政治学者によるネオコン批判の書。

 アメリカで『America at the Crossroads(岐路に立つアメリカ)』のタイトルで出版され、ベストセラーになっていた。また、ニューヨーク・タイムズ紙の「今年の100冊(100 Notable books of the year)」の中にも選ばれている。

 のだけど、日本人の自分には、何がおもしろい or 新しい or 重要なのか、よく分からなかった。

 こんなとき頼りになるのが「訳者解説」なのだけど、訳してるのが共同通信の人ということもあってか、疑問に答えてはくれていなかった。

 自分が考えつくのは、アメリカ人は自分たちを「世界の警察」であるかのように信じきっているけど、今やアメリカは親米の国も含めた世界中の人々から信頼されていない、ということをはっきりと言っていることくらい・・・。

 ただ、さすがに、こんなことくらいアメリカでも左派によって言われてるだろうし、そんなにインパクトがあるとは思えない。

 というか、そもそも、この本の主張は、つまるところ、「イラク戦争は手段が間違いだった」ということだから・・・。(自分の読みが浅すぎるかもしれないけど)
 
 
 ちなみに、主な主張は以下の通り。

・ネオコンの源流は、1940年代にマルクス-レーニン主義に幻滅したニューヨーク市立大学に集った左派知識人で、その後、1960年代には学生運動などの過激な進歩的改革に異を唱えた。彼らの共通原則として、大胆な社会改造を批判するというものがあったが、それは今のネオコンには失われている。

・欧米でテロを起こすイスラム教のテロリスト(聖戦主義者)は、欧米で暮らしている人が多く、そこで疎外を感じ、イスラム教を自己のアイデンティティとし、その結果、過激な行動を起こしている。

・経済的に発展するためには、政治的な発展が重要。しかも、それは内発的なものでないといけない。

・国際機関には、正統性と実効性という、しばしば矛盾する二つの評価軸がある。

・アメリカが目指すべきは、「現実主義的ウィルソン主義」と「重層的多国間主義」。ソフト・パワーも重要。
 
 
 何気に、自分にとって一番興味深かったのは、欧米のイスラム教徒のテロリストが西洋的だという話。著者も指摘している通り、これは安易な「文明の衝突」説への反論になっている。

 アメリカが取る政策として「現実主義的ウィルソン主義」というのは、日本にとってもその他の自由民主主義国にとっても最も望ましい政策だと思う。ブッシュ政権が過度に介入主義(ウィルソン主義)だっただけに、その反動として孤立主義(モンロー主義)に傾くこともあり得ないことではない。その場合、日本は、北朝鮮、中国にどのように対処していくのか? ここのところずっとアメリカ頼りだっただけに、前もって想定しておく必要があるかもしれない。(ただ、現実的には、モンロー主義になるより、民主党の大統領になって日本より中国を重視するようになる可能性の方が高そうだけど。)
 
 
 なにはともあれ、刺激に満ちた、思考を促すような本ではなかった。

 飯島勲 『小泉官邸秘録(日本経済新聞社、2006年)
 
 
 小泉純一郎の昔からの秘書であり、小泉政権下では首席総理秘書官だった著者による回顧録。

 小泉政権が終わったばかりの時期ということもあってか、暴露系の話はない。

 とはいえ、さすがにインサイダー中のインサイダーによる本だけあって、そこそこおもしろい。
 
 
 この人は、まさに根っからの「政治好き」な人間。

 だから、地方分権とか年金改革とか具体的な政策の話をしているところは本当につまらないけど、政局の話、人事の話はおもしろい。

 特に、政権および官邸の体制・布陣の話である「第1部」はおもしろい。
 
 
 思ったことは二つ。

 一。最終的に人事権を握っているということは重要。党の公認権、大臣の罷免権、上級公務員の任命権とか。

 二。小泉内閣は当初から内閣と与党(自民党)とがディスコミュニケーション気味であって、郵政民営化問題で深刻な亀裂に至るのも必然であるように見える。
 
 
 だけど、とにもかくにも、政務担当の総理秘書官としてこれだけ有能な人材はそんなにいないだろうし、天才的なセンスの持ち主である総理だったとはいえ、小泉政権の成功はこの秘書官のはたらきに依るところも大いにあったのだろうと推測される。

 ただ、日テレへの言論弾圧事件に全く触れられていないのは残念だった。

 石埼学 『デモクラシー検定(大月書店、2006年)
 
 
 資格・検定ブームに乗ったこの本のタイトルを本屋で見たとき、思わず「ナイス・アイディア!」だと感心してしまった。 (もちろん、「デモクラシー検定」なんてものが実際にあるわけはない。)

 この本では、「多数決」、「国民主権」、「憲法」といった項目ごとに「問題文」が最初に載っていて、その後に、著者による(その「問題文」との結びつきがそれほど高くはない)「解説」が書かれている。

 そんなわけで、一応「検定」らしい体裁を取ってはいるのだけれど、「検定」というせっかくのアイディアはあまり活かされていないように思う。

 「検定」というと、厳格で中立公平で無機質なイメージがあるけれど、それこそが安心感、信頼感を生む源泉になっている。

 にもかかわらず、この本では、「解説」が著者の個人的な主張に満ちていて、厳格や中立公平とは全く無縁の内容になってしまっている。

 そのダメなところが最もよく表れているのが、ちょっと長いけど、次の文。

(2001年に)小泉内閣が生まれた。小泉政権の誕生の経緯というのも不思議で、自民党員しか参加しない党内の総裁選挙が、あたかも国民投票ででもあったかのように多くの人々に錯覚されてしまった。その結果として内閣発足当初から支持率が異常に高まり、それが高水準のまま維持された。自民党員ならばともかく、自分が総裁選に投票したわけでもないのに、なぜ多くの人が小泉首相を「自分たちの代表」だと思ってしまったのか。
 しかも、2005年9月の総選挙では実際に多くの人が自民党に投票した。最初は錯覚だったものが、現実になってしまったのだ。小泉首相を「自分たちの代表」だと思う意識を多くの人がもった結果だが、しかし、それで何か自分が得をしたり、自分の生活がよくなったりしたのか、あるいは本当に自分の考えと小泉首相の考えが一致していたのか、といったことを、もう一度問い直してみたほうがいい。
 あの選挙で自民党が圧勝して以来、社会はますますおかしな方向に動いていると私は感じているが、それは私だけだろうか。いまの状況があのときの一票の結果かもしれないと、自分の投票行動を検証し直すということもしてみるべきだろう。
 「小泉首相は、いったい自分の何を代表してくれていたのか」「何を代弁してくれていたのか」と考えたとき、おそらく多くの人にとっては何もないのではないか。私たちは小泉首相のことを知っていても、小泉首相は私たち一人ひとりのことなど知らないという非対称性があることも考えてみるといいかもしれない。 (pp50-51)

 これだから憲法学者は・・・。(と一般化したくもなってくる。)

 憲法学者が政治の話とかに首を突っ込むとろくなことにはならない。

 他の箇所で民主主義には妥協とか諦めも重要だと言っているのに、自分の主張を正当化するとなるとこれだから・・・。(もちろん、問題点はこれだけに止まらず他にもたくさんある。)
 
 
 他のところでは、重要な指摘とか、興味深い主張とかもしているし、「検定」ということを忘れて、各章の最初の「問題文」も読み飛ばして読めば、一つの読み物としてはそこそこおもしろいのだけど、さすがに酷い箇所が酷すぎる。

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