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by ST25
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 浅羽通明 『右翼と左翼(幻冬社新書、2006年)
 
 
 「右翼/左翼とは一体何なのか?」について、前半ではフランス革命や共産主義の歴史などを見ることでその概念史を追っている。そして、後半では日本での「右翼/左翼」の概念史について、戦前、戦後、現代の3つに時代を分けて追っている。

 著者の見るところ、「右翼/左翼」という言葉は、それぞれの意味するところにある程度の共通点があるとは言え、時と場所によって使われ方はけっこう異なっている。そして、冷戦が終わってからは、「右翼/左翼」という言葉は真剣で体系的な思想を表す言葉ではなくなり、いわば「歴史は終焉した」としている。
 
 
 その時々によって意味するものが異なる「右翼/左翼」の歴史を追うということは、その時々の「思想の布置」を追うことに他ならない。

 その点、右-左という一次元の軸から近代史を整理しているこの本は、歴史の理解には役立つ。

 けれど、結局、時と場所によって使われ方が違うのであれば、「共通性・一貫性はなさそう」ということの認識以上に何か大きな意味があるのか、個人的には微妙だと思う。

 もちろん、歴史の一時点を勝手に切り取って「本来、左翼は~」とか、「真の右翼は~」みたいに無理に一般化した言説を抑止するのには役立つけど。

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 久保文明、砂田一郎、松岡泰、森脇俊雅 『アメリカ政治(有斐閣アルマ、2006年)
 
 
 初学者にも分かりやすいテキストが多い有斐閣アルマから最近出た一冊。

 日本人がアメリカ政治を学ぶさいに陥りやすい傾向は、日本政治の類推で(アメリカ政治を)理解しようとすることだという問題意識の下、日本人が日本人の立場でアメリカ政治を学ぶことを意識して書かれた概説書。

 読んでみて、確かに、いかに自分が日本政治に引っ張られてアメリカ政治を理解していたかを思い知らされた。(もちろん、日本でのアメリカ政治に関する一面的な報道の影響も大きい。)

 大統領の権限がかなり制約されていること、議会が重要なこと、政党も強くなっていること、司法の規模の大きさと影響力の強さetc、これまでの理解やイメージの根本的な転換を迫られた。

 そんなわけで、とても勉強になった。

 と同時に、異文化理解というのは想像以上に難しいなぁと実感した。
 
 
 
 ウッドワードの本(『攻撃計画』等)の議会ヴァージョンみたいな本(日本で言えば大下英治?)があれば読んでみたい。

 「読書案内」には20~30年前に下院議長を務めた政治家の回顧録が挙がっているけど、さすがに古いし売ってないし・・・。

 森田朗 『会議の政治学』 (慈学社、2006年)
 
 
 政府の審議会に何度も参加してきた行政学者が、審議会の実態に関するあらゆることを詳(つまび)らかにしている本。

 昨日取り上げた『ネット時代の反論術』が“日常での議論術”であるなら、今回のは“オトナの議論術”。

 第1章で「会議の政治学」として審議の実態が、第2章で「会議の行政学」として事務局(省庁)の暗躍が、第3章で「会議の社会学」としてマスコミの取材の実態が取り上げられている。

 具体的には、委員のタイプ分け、スケジュールの決め方、意見主張のテクニック、議事録の直し方など、かなり細かい(が、政治的でおもしろい)ことまで書かれている。

 審議会の座長も務めるような、審議会の主流派のインサイダーがここまで書くか!と驚くくらいに色々なことが明かされている。

 もちろん、新聞の政治面や週刊誌の関連記事などを読んでいれば、ある程度は想像がつく内容ではあるけれど、やはり信頼できる内部の人間がまとめて書いているというのは、事実認識を形作る上で大きい。

 しかも、しばしば批判を浴びる事象も、(全て肯定しているわけではないが)それなりの合理的な意味があるという観点から説明されているから、外部の人間からすると不可解で不透明に見える事象を理解するのに役立つ。

 ただ、やや教科書的な記述の仕方であるから、猪瀬直樹の『道路の権力』を併せて読むと、よりリアルに「審議会とはどういうものか?」、あるいは、「オトナの議論とはどういうものか?」を理解できるだろう。

 特に教育再生会議の注目メンバーは2冊とも必読。読んどかないと、官僚の言いなりか、意見が何もまとまらないか、というどっちにしても意味のないことになりかねない。(個人的には、余計なことをするよりはその方が良いと思っているが。)
 
 
 
 ところで、著者は「あとがき」で次のように言っている。

著者としての見解を述べれば、本書で書いたことは、会議運営の技法としては、まだ初級か、中級程度の内容である。まだまだ上級の技はあるのであり、奥は深い。上級編については、私がもはやそのような委員を引き受けなくなってから発表したいと思っている。 (p182)

 なんとも思わせぶりな言い方だ。こう言われるとより一層興味が沸いてくる。

 しかし、果たして、こんな本を書いた著者に今後も委員の要請はくるのだろうか?

 川原彰 『現代市民社会論の新地平――《アレント的モメント》の再発見(有信堂、2006年)
 
 
 現代市民社会論に関する既発表の論稿に手を加えてまとめたもの。

 内容は3部に分けられていて、3つの観点から現代市民社会論が論じられている。

 1部では、ハンナ・アレントの政治理論(特に全体主義経験と革命論)の読解を通じて、現代市民社会論と通底する“公共空間を求める志向性(「アレント的モメント」)”を浮かび上がらせている。

 2部では、東欧の民主化から現代市民社会論が生まれてくる政治史および概念史と、そうして誕生した現代市民社会論と戦後日本で丸山眞男らによって提出されていた議論との類似性を論じている。

 3部では、「アレント的モメント」のグローバルなレベルでの可能性について、ハート&ネグりの〈帝国〉論を手がかりに論じている。
 
 
 この本で格闘されている問題は、新しくて非常に壮大だから、興味深いしおもしろい。
 
 
 ただ、疑問点が2つほど。

1.NGOなど“団体”を基礎とする現代市民社会論は、トクヴィルが描いた実際のアメリカ政治・社会とどこが違うのか? とりわけ、「利益団体自由主義」と揶揄されるアメリカ政治をどう評価しているのか?

 アメリカにおける現代市民社会論の受容に関しては、ウォルツァーが挙げられていたけど、よく分からなかったし、読んだこともないからよく分からない。
 
 
2.上のアメリカの評価の問題とも大いに関係するけど、皆が私的立場を捨ててパブリックなことについて考える(フランスに代表される)“共和主義”と、各人が各人の立場から政治的な要求を掲げる(アメリカ的な)“自由主義(リベラリズム)”とで、どちらを選択しているのか?

 つまるところ、現代市民社会論における「市民」とはどういう人が想定されているのか?

 非政治的な目的をもった自主的結社が、まさにその立地から、政治を含めて時代の重要な課題に対して、不断に批判していくことを期待している丸山眞男は(多少穏健かもしれないが)アメリカ的な自由主義になるのだろう。

 けれど、自由主義的(≒個人主義的)な立場を採ると、公共空間は(今の日本の民主主義みたいに)一部の国民だけのかなり狭いものになり、現代市民社会論が求める公共圏の再興を達成できないのではないだろうか?(≒利益団体自由主義の問題)
 
 
 以上が、この本を読んで感じた疑問点。

 ちなみに、上の2つの問題は、ドゥブレが『思想としての〈共和国〉』で過激に提起している問題と関係している。
 
 
 それにしても、フランス革命とアメリカ独立革命ではアメリカ独立革命の方が好きで、フランス的な共和主義とアメリカ的な自由主義ではフランス的な共和主義を取り、国家とも市場とも違う第3の領域の活性化を主張する(トクヴィルが描いたアメリカのような)現代市民社会論を肯定的に評価している自分のような人間は、果たしてこれらの主張をどのようにして結びつければよいのだろうか?

 村松岐夫、久米郁男編著 『日本政治 変動の30年――政治家・官僚・団体調査に見る構造変容 (東洋経済新報社、2006年)
 
 
 1976年から行われている国会議員、官僚、利益団体リーダーに対する大規模な面接調査の「第3回」の結果が出たことを受けて出された本。この本で示されている分析結果は、まだ総括的なものや仮説的なものが多い。

 
 
 この面接調査でされている質問がなかなかおもしろいから、高価なのについ買ってしまった。(※全ての質問項目および回答が掲載されているわけではない)

 質問項目としては例えば、「政策形成で力を持っているのは誰だと思うか?」とか、(政治家に)「誰とどのくらい会っているか?」とか、(官僚に)「官僚の役割をどう考えているか?」とか、(官僚に)「省内で力を持っているのは誰か?」とか。(※回答は選択式)

 部外者には分からない、彼らの行動や考えが分かっておもしろい。
 
 
 この本に収録されている分析からは、55年体制の崩壊以降、あるいは、選挙制度改革以降の日本政治の変化が明らかになっている。

 政治家・立法府においては、首相に対して権力が集まってきている。

 官僚に関しては、自己の役割を立法府・内閣の示す方向に忠実に従うことだと規定する人が増えている。

 利益団体は、政治に対する影響力が落ちつつある。
 
 
 これらを見る限り、どうやら、右往左往して10年を失いながら90年代に行ってきた政治改革・行政改革の成果が、少なくとも当事者たちの認識においては、現れているようだ。小泉政権を見る限りでは認識レベルだけでなく現実レベルでも成果が(まだ不十分だとしても)上がっているようだし。良かった良かった。
 
 
 やはり制度(改革)は重要なのだなあと思った。

 その点、タイのクーデタとか、ホリエモンに対する(「拝金主義」という)道徳的批判とかは、何とも心許ない。

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