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 川原彰 『現代市民社会論の新地平――《アレント的モメント》の再発見(有信堂、2006年)
 
 
 現代市民社会論に関する既発表の論稿に手を加えてまとめたもの。

 内容は3部に分けられていて、3つの観点から現代市民社会論が論じられている。

 1部では、ハンナ・アレントの政治理論(特に全体主義経験と革命論)の読解を通じて、現代市民社会論と通底する“公共空間を求める志向性(「アレント的モメント」)”を浮かび上がらせている。

 2部では、東欧の民主化から現代市民社会論が生まれてくる政治史および概念史と、そうして誕生した現代市民社会論と戦後日本で丸山眞男らによって提出されていた議論との類似性を論じている。

 3部では、「アレント的モメント」のグローバルなレベルでの可能性について、ハート&ネグりの〈帝国〉論を手がかりに論じている。
 
 
 この本で格闘されている問題は、新しくて非常に壮大だから、興味深いしおもしろい。
 
 
 ただ、疑問点が2つほど。

1.NGOなど“団体”を基礎とする現代市民社会論は、トクヴィルが描いた実際のアメリカ政治・社会とどこが違うのか? とりわけ、「利益団体自由主義」と揶揄されるアメリカ政治をどう評価しているのか?

 アメリカにおける現代市民社会論の受容に関しては、ウォルツァーが挙げられていたけど、よく分からなかったし、読んだこともないからよく分からない。
 
 
2.上のアメリカの評価の問題とも大いに関係するけど、皆が私的立場を捨ててパブリックなことについて考える(フランスに代表される)“共和主義”と、各人が各人の立場から政治的な要求を掲げる(アメリカ的な)“自由主義(リベラリズム)”とで、どちらを選択しているのか?

 つまるところ、現代市民社会論における「市民」とはどういう人が想定されているのか?

 非政治的な目的をもった自主的結社が、まさにその立地から、政治を含めて時代の重要な課題に対して、不断に批判していくことを期待している丸山眞男は(多少穏健かもしれないが)アメリカ的な自由主義になるのだろう。

 けれど、自由主義的(≒個人主義的)な立場を採ると、公共空間は(今の日本の民主主義みたいに)一部の国民だけのかなり狭いものになり、現代市民社会論が求める公共圏の再興を達成できないのではないだろうか?(≒利益団体自由主義の問題)
 
 
 以上が、この本を読んで感じた疑問点。

 ちなみに、上の2つの問題は、ドゥブレが『思想としての〈共和国〉』で過激に提起している問題と関係している。
 
 
 それにしても、フランス革命とアメリカ独立革命ではアメリカ独立革命の方が好きで、フランス的な共和主義とアメリカ的な自由主義ではフランス的な共和主義を取り、国家とも市場とも違う第3の領域の活性化を主張する(トクヴィルが描いたアメリカのような)現代市民社会論を肯定的に評価している自分のような人間は、果たしてこれらの主張をどのようにして結びつければよいのだろうか?

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