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by ST25
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 真渕勝 『大蔵省はなぜ追いつめられたのか(中公新書、1997年)
 
 
 最近取り上げた戸矢および田原の本と同じ対象、すなわち、1996~97年頃の大蔵省、日銀改革を扱っている本。

 大蔵省からの金融検査・監督部門の分離、大蔵省からの日銀の独立性の確保という、大蔵省にとって「敗北」に終わった出来事の過程を、当時行われた議論の詳細を中心に追っている。

 
 
 「大蔵省はなぜ追いつめられたのか?」という問いに対する答えとして著者は、第一に、自民党という大蔵省の庇護者の力が弱まったこと、そして、第二に、何より、大蔵省自身の誤った認識に基づく行動の結果として味方を失い敵を作っていったことを挙げている。

 著者によると、自民党と大蔵省の関係は、戦後以来、「ライバル」、「パートナー」と来て、自民党が下野を経験した1993年以降は「ネイバー(隣人)」となったされる。基本的な制度は変わらないのに、果たして関係が逆転したりするのだろうか? 根源的な関係はそのままで表面上に現れるものが変わっただけなのではないだろうか?
 
 
 
 それにしても、官僚にはなりたくないと心の底から感じる。この本に出てくる官僚が行っている仕事というのは、要は、「抵抗」だ。しかも、権力・権限は持っていない。権力を持たずに抵抗するとなると、必然的に、陰に陽にせせこましいことをせざるを得なくなるわけだ。もちろん、もっと創造的で前向きな仕事もあるのだろうけれど。

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 田原総一朗 『巨大な落日――大蔵官僚、敗走の八百五十日(文藝春秋、1998年)
 
 
 金融ビッグバン前後(1996~98年くらい)の大蔵省の「敗走」の状況をインタビューを中心に描いたもの。

 該当する出来事としては、日銀法改正、外為法改正、金融ビッグバン、住専問題、大蔵省キャリア官僚の過剰接待(ノーパンしゃぶしゃぶ)など。登場する人物としては、塩崎恭久、水野清、橋本龍太郎、与謝野馨、榊原英資、長野証券局長など。

 前々回取り上げた戸矢哲朗『金融ビッグバンの政治経済学』がこの本をしばしば参考にしていて興味を持ち、ブックオフで105円で購入した。

 この本は、大蔵バッシングの熱の覚め遣らぬ内に取材し、書いているだけに、当時の雰囲気を知るにはいい。

 ただ、そんなわけで、この本では鋭い分析を提示したりはしていない。

 そんなこの本でおもしろかった(funnyの方)のが二箇所。

 一つ目がこれ。

ノーパンしゃぶしゃぶの接待を受けたあるキャリア官僚に聞くと、「一見の価値があると言われて、つい・・・。(中略)」とひたすら恐縮していた。(p204)

 
 
 二つ目はこれ。ちなみに、答えているのは匿名の大蔵官僚。

――世論なんてしょっちゅう間違っている。ご存知でしょう。
 「だけど、そういうことを言えば、大蔵省は傲慢だと、バカバカ叩かれるわけです。もう叩かれ過ぎて、本当にニヒルになっている。ニヒルですよ。」(p226)

 
 
 なんとも幼さがかわいらしい。

 戸矢哲朗 『金融ビッグバンの政治経済学(青木昌彦監訳、戸矢理衣奈訳/東洋経済新報社、2003年)
 
 
 全体的にくどい印象だが、要は、1996~1998年に「金融ビッグバン」が生じたのは、それまで金融政治の「仕切られた」政策策定過程を支配していた二つのアクターである自民党と大蔵省が、それぞれ政権交代の可能性、政策の失敗とスキャンダルという組織存続の危機に瀕していたため、支持者や業界だけの利益ではなく、公衆の支持を追求したからである、というのが主張の概要。

 これは、政府の審議会や自民党の政調会を通したこれまでの主流の政策過程(本書の言葉では「仕切られた多元主義」)に取って代わるとまではいかないが、それを補完する新しいタイプの政策過程である点が重要だとされる。

 この本では基本的な分析枠組みを提示はしているが、過度の単純化、理論偏重、画一な説明を避けた、現実に即したまとめとなっている。その分、エレガントさやおもしろさはあまりないけれど、金融ビッグバンに関わる背景、過程、特徴などはよく把握できる。

 ただ、問題点も多い。重要な点をいくつか指摘すれば、まず、公衆の支持が重要とする一方で、選挙を重視した合理的選択論との違いを強調しているのだが、公衆の支持と選挙とは密接不可分にほとんど同じ機能を果たしているように思える。また、組織存続をアクターの最重要の選好とし、そのために自民党と大蔵省がビッグバンを実行したとしているが、当時、自民党がそこまで政権転落の可能性があったか?、あるいは、大蔵省が組織解体の危機をどこまで認識し、どこまで嫌がり、どこまでその可能性があったのか?、明らかでない。

 そして何より、著者は、政策過程における「公衆」の重要性を果敢に分析に取り入れているが、上でも少し述べたように選挙も軽視していて、その影響力が伝わるメカニズムが明示されていない。そのため、自民党議員、大蔵官僚の政策選択と公衆の支持する政策との相関関係を示しているに過ぎないようにも取れる。「なぜ公衆の選好がパラメータとして機能したのか?」についての詳細な分析が欠けているのではないだろうか。
 
 
 
 それにしても、90年代の日本の経済・金融は色々劇的なことを経験している。バブル発生、バブル崩壊、金融ビッグバン、不良債権、金融危機、莫大な財政出動、デフレスパイラル、巨額の財政赤字、等々。現在の日本経済を理解するためには、90年代の出来事を改めて振り返ることが有益なように思える。今回この本を読んだ動機の一つはこんなところにある。

 猪瀬直樹 『道路の権力――道路公団民営化の攻防1000日 (文春文庫、2006年)
 
 
 特殊法人のスペシャリストにして道路公団改革の当事者になった著者による息詰まるドキュメント。「事実は小説より奇なり」と思わせる秀逸な読み物となっている。改革派、嫌官僚派、民主主義者、必読。

 舞台は、石原伸晃行革相の私的機関である行革断行評議会と内閣に設置された道路公団民営化委員会。主な登場人物(アクター)は、民営化委員会メンバー7人、官僚、道路公団職員、自民党道路族議員、小泉首相、石原行革相、各種マスコミ。

 物語は、会議の議事の様子を中心的アリーナに据え、各アクターの思惑と政治的な動きが克明に描かれている。一部には著者による推測も含まれている。

 著者のスタンスは、データと論理を共有することで一つずつ「ファクツ・ファインディング(Facts Finding)」をしていき、最終的には「意見集約」を行うこと。データを基にしながら、押すところでは押すが、自分が引くべきところでは引くという、民主主義に関して非常に現実的な理解をしている。過去の「闘争」経験によって得てきたと思われるこの一級の政治センス、民主主義センス、議論倫理に、経営感覚が加わり、これらが、逆にそれらを理解していない(非民主主義的な)他のアクターたちとの間に軋轢を生じさせてしまっている。

 酷いアクターとは、データを出さない官僚、データを改ざんする官僚、データを希望的観測で作成する官僚、データを会議寸前に渡す官僚、何でも国民負担=税金で解決しようとする官僚、妥協を知らない今井敬委員長、リーダシップを発揮しない石原大臣、力づくで主張を通そうとする族議員、等々。

 1990年代の官僚バッシングを経て少しはましになったかと期待していたのだが、姑息な官僚たちが21世紀になっても依然として健在であることを思い知らされた。やはり官僚は信頼できない。感情論ではなく経済学風に言えば、そもそもまともに仕事をするようにインセンティブが設計されていないのだから当然だ。

 ただ、「84.18%を四捨五入して86%」とするような仕事に高学歴の人がわざわざ就いてくれている状況には、最近ではそうではなくなりつつあるようだが、感謝したい。これは国民からしたら「儲けもの」だ。
 
 
 それにしても、道路公団改革なんて、ほとんどの国民が「改革すべき」ということでコンセンサスを得られる話である。そんな常識的なことを行うのでさえこれだけ大変なことに驚く。小泉首相が国民から見ると瑣末に思える改革群を自画自賛するのも頷ける。が、そんなんでは、もっと大きな改革は実行不可能ということになってしまうがそれでも良いのかという疑問もある。
 
 
 
 ところで、「おもしろかった」と思いながらこの本のAmazonのレビューを見たら、櫻井よしこの熱狂的なシンパなどから激しく批判されていて驚いた。自分は特に猪瀬直樹のファンというわけでもないし、まだ猪瀬直樹を信頼しているわけでもないから、櫻井よしこの『権力の道化』(新潮社)も確認のため読んでみようと思った。ただ、猪瀬直樹によると、櫻井よしこは雑誌の論文の中で民営化委員会の議事録を恣意的に抜き出してそれを勝手にくっつけて委員会を批判していると反論されていた。ホームページで委員会の議事録を確認したところ、確かに猪瀬直樹の言うとおりだった。櫻井よしこの分が悪い気がするが・・・。
 
 
 
 ただ、いずれにしても、この本は民主主義のリアリティを描いた傑作だ。民主主義国の日本だが、選挙以外に民主主義を体験したことのある国民というのは意外に少ないと思っている。確かに、子供時代の学級会や企業の会議はそれに近いかもしれないが、予定調和だったり、身分が平等でなかったりといった点で異なるし、何より、「公」のことを議論していない点で全く異なっている。異なる主張を持った人たちが国民全体に関わることについて真剣に議論して最終的には一つの結論を出すという過程を描いたこの本は、まさに真の民主主義の過程を教えてくれる。そして、民主主義の難しさをも教えてくれている。

 そんなわけで、20歳以上の日本国民、必読。

 川崎修、杉田敦編 『現代政治理論(有斐閣アルマ、2006年)
 
 
 政治、権力、リベラリズム、デモクラシー、平等など、政治理論に関わる主要キーワードごとに、その重要な論点を紹介している初学者向けの入門書。

 基本的な論点はほとんど網羅してあるが、その一方で、登場する学者や理論は最低限だけ。本当に初学者のための入門書。それ以外の人が読んでも物足りなく感じる。

 ただ、各キーワードごとに分けられた各章は、どれも簡潔で分かりやすく、しかも、競合する理論間の関係がはっきりとされていて、優れた入門書だと思う。

 また、フェミニズムに一つの章が割かれているのは珍しい気がするし、意義深いと思う。(読んだ感じだと、フェミニズムはまだ学問としての体系化において未発達な印象を受けたが。それでも、印象だけでフェミニズムを批判する人が多い現状からするとやはり意義深い。)
 
 
 
 ところで、この本のタイトルにもなっている「政治理論」という領域と「政治哲学」という領域との違いとは何なのであろうか?(これに「政治思想」という領域も加えられる。) 「はじめに」でこの点について少し書かれていたが、「より哲学的」なものが政治哲学で、「経験的な学問との接点がより多い」ものが政治理論とのことである。もちろん、厳密な区分はないようだが。

 しかし、個人的な印象では、より評論に近くて厳密性が弱いのが政治理論で、より厳密性が強いのが政治哲学だという感じを受ける。しかし、であるならば、政治哲学に統一した方が学問としては望ましい気がするのだが、どうなのだろうか?

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