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by ST25
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 読売新聞盛岡支局編 『椎名素夫回顧録 不羈不奔(東信堂、2006年)
 
 
 読売新聞岩手県版に連載されたものに加筆し、新たに椎名素夫の高校の同窓である岡崎久彦との対談を加えたもの。

 椎名素夫は、三木武夫を指名した「椎名裁定」で知られる椎名悦三郎の息子であり、「外交通」と称される数少ない政治家の一人であった。(2004年に政界を引退。)

 北朝鮮によるミサイル発射問題が起こり、石破茂をはじめとした「軍事オタク」がのさばっている現状に対して、「“軍事”ばかりで“外交”が欠けている」と思っていたところ、この本を見つけた。
 
 
 結果から言うと、北朝鮮のような“厄介な国”との外交については有益な知見はあまり見つけられなかった。

 椎名素夫の「外交」は、主にアメリカの要人たちとの個人的な交流だからである。

 そして、その要諦は、自分が「話せる」ようになることで相手との信頼関係を築くことだからでもある。

 確かに、外国との関係は政府の要人たちの間での個人的な関係に依存することが往々にしてあるし、信頼の基礎であるコミュニケーションは官僚の作った作文の棒読みではダメである。

 しかし、このような「外交」では、北朝鮮や中国のような前提を共有できない相手に対してどこまで適用できるか疑問である。

 これでは、現状の日本のように、“外交”をすっ飛ばして“軍事”に行き着くような状況を打破することはできない。

 実際、岡崎久彦との対談で見せる椎名素夫の中国に対する外交スタンスは、ほとんど「無視」だけである。この点、「Love America☆ Love is blind☆」という点での椎名素夫と岡崎久彦の一致は気持ち悪いほどである。(こういう人たちを、「冷戦時代の思考から抜け出せない旧世代の遺物」という。)
 
 
 北朝鮮によるミサイル発射問題が起こって改めて実感したのは、日米vs.中国及び北朝鮮という構図になったとき、中国・北朝鮮と地理的に接している日本と、太平洋を挟んでいるアメリカとの間の、被るであろう被害の非対称性である。

 確かに軍事超大国であるアメリカと“軍事上”の同盟関係にあることは大きなメリットをもたらすが、それとは別に、問題が起こったときの被害が大きくなる近隣諸国との“外交上”の関係は日本が独自に築き上げる努力が必要であるはずだ。

 この後者の、近隣諸国との外交においても「アメリカ頼み」というのでは、やはり外交なしに軍事的な話になってしまわざるを得ない。
 
 
 「票にならない」と言われる外交を自分のフィールドとし、自民党では無派閥、自民党を抜け出してからは無所属の会で貫き通すという椎名素夫の生き方は嫌いではないが、残念ながら、喫緊の課題に対する教訓という点では限定的であると言わざるを得ない。

 そもそも、椎名素夫が「外交通」と言われるときの「外交」は、外交と言うよりかは、「人的ネットワーク作り」と言った方が適切なものである。もちろん、「人脈作りも外交である」と言うのなら、やはり「外交通」ということになるが。

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 大田弘子 『経済財政諮問会議の戦い(東洋経済新報社、2006年)
 
 
 Love is blind.

 小泉、竹中を愛した女性の回顧録。

 以上。

 
 
 
 
 これだけだと「一方的」だと思われるかもしれないから、この人の愛情や経済(評論)センス、政治センスが端的に現れている一文を引用しておく。

解散総選挙がなされたときに、「他にも大事な課題がある」という声は多かった。しかし、郵政民営化は、ひとりの首相が進退をかけ、内閣をつぶしてでも挑むだけの大テーマだと私は思う。諮問会議が資金の流れからアプローチしたように、郵貯によって集められた資金が財政投融資に使われ、あるいは国債や地方債の引受けに充てられ、まさに政府依存型の風土の支えてとなってきたのである。 (p79)

 
 
 一個人の私的な“想い”で、一億二千万日本国民の人生・生活を弄ぶな。だいたい、失敗したらどう責任を取るつもりなのか? その認識・覚悟が全く見られない。あたかもオママゴトを楽しんでいるかのような書きっぷりだ。「日本国民とは何か」が書かれている日本国憲法を心して読め。

 御厨貴 『ニヒリズムの宰相 小泉純一郎論(PHP新書、2006年)
 
 
 小泉純一郎好きな政治学者が政治学者という身分を離れて感性の赴くままにざっくばらんに日本の政治について語っている本、といった趣きで、あまりおもしろくない。

 著者が、あたかも「政治学者ならではの洞察!」、「新しい見方!」、「大発見!」であるかのように語っている内容は、新聞かテレビでニュースを見ている一般的な社会人なら誰でも知っているようなことである。

 例えて言えば、「みんな、空や太陽が動いていると思っているけど、本当は地球が動いているのですよ!」と21世紀に喧伝しているような感じだ。

 一般の国民をバカにしているのだろうか? 一般の国民とは別の世界に住んでいるから一般の国民のことが分からないのだろうか?(実際、「あとがき」によると財界、官界、マスコミ界、学界、政界との付き合いだけは盛んなようだ。)
 
 
 
 さらに、序章で、小泉首相になって「三つのタブーがなくなった」と言って、何を挙げるかと思えば、「憲法、天皇、靖国」の三つなのである。

 「憲法」は、現実的な動きが活発化したという意味で、まあ分かるにしても、「天皇」は戦後間もなく、責任論や存廃などが論じられていたし、最近女帝論が論じられ始めたのも現実的な必要に迫られたからに過ぎない。「靖国」も中曽根首相が散々問題提起している。

 小泉賛美をするばかりに盲目的になっているのではないだろうか?
 
 
 
 本当に、あらゆる点でセンスを疑いたくなる。

 そして、こんな本を買ってしまった自分のセンスも疑う。

 加藤秀治郎、林法隆、古田雅雄、桧山雅人、水戸克典 『政治学の基礎(一芸社、2001年)
 
 
 社会科学の中で未だによく全体像が掴めないのが、社会学と政治学である。(この点、経済学と法律学はかなりシステム化されている。)

 たまに、全体像を掴む試みを行ってみるのだが、そもそも全体像を描いているようなテキストがあまりなく、そのようなテキストであってもものによって内容がかなり異なっていて、なかなか成功しない。

 そんな試みを政治学において実践すべく読んだのが今回の本。

 大学の教養課程や短大で政治学を学ぶ人向けのテキスト。

 確かに、記述はかなり簡潔で、項目ごとに分けられた各章のページ数が10ページ前後しかない。

 それで、結果から言うと、やはり政治学の全体像を把握するには全く至らなかった。
 
 
 それより、政治学の素人である自分にその内容如何をあれこれ言う能力はないけれど、一つどうしても承服しがたいところがあった。

 それは、最後の章である「第26章 現代政治学の理論」の最終節である「3 政治学の最近の動向」のところ。

 ここで具体的な本の名前まで紹介されている研究が3つある。

 すなわち、ダウンズ『民主主義の経済理論』、オルソン『集合行為の理論』、ロールズ『正義論』の3つ。

 素人とはいえ、これらの研究くらいは知っている。

 で、問題は、これらの研究が発表された年である。

 調べたところ、ダウンズ『民主主義の経済理論』は1957年、オルソン『集合行為の理論』は1965年、ロールズ『正義論』は1971年。

 これが「政治学の最近の動向」なのだろうか?

 政治学がこれらの研究以降、大きくは発展していないということなのだろうか?
 
 
 やはり、政治学は謎な学問である。

 ちなみに、この本はブックオフで105円で購入したから、憐れみは無用。

 水木楊 『誠心誠意、嘘をつく――自民党を生んだ男・三木武吉の生涯(日本経済新聞社、2005年)
 
 
 戦中は翼賛選挙に反対し、戦後は鳩山政権樹立に尽力し、晩年には最後の命をかけて保守合同による自由民主党の誕生を演出した政治家・三木武吉の熱い人生を描いた小説。

 主人公が三木武吉であるから、鳩山一郎およびその周辺の人たちに好意的で、吉田茂およびその子飼いたち(池田勇人など)に厳しく書かれている。また、小説であるから事実の誇張・勝手な推測などもしばしば見られる。

 しかし、それらを割り引いたとしても、三木武吉の一徹さは全く揺るがない程度にずば抜けている。

 印象深い逸話はいくつもある。

 例えば、戦中、三木武吉が中野正剛、鳩山一郎と共に翼賛選挙に反対し、翼賛会の非公認候補として選挙戦を戦った話である。戦中にどういう行動を取っていたかは当時を生きた要人を評価する重要な里程標である。

 また、若いうちに囲った妾たちは全員、彼女たちが歳を取っても面倒を見たというのも、彼の他人に対する誠実な態度を表す逸話と見ることもできるだろう。
 
 
 ただ、三木武吉が、時には大嘘をつくような権謀術数を駆使する策士であったことは紛れもない事実である。これは、敵方からすれば全く信頼の置けない政治家という評価になるのも当然である。

 しかし、にもかかわらず、三木武吉が評価されるべきだと思うのは、彼の行動原理による。

 すなわち、散々苦労して作り上げた念願の鳩山政権を倒してでも保守合同を成し遂げようとした行動に見られるように、三木武吉は大義に従って行動する政治家であった。

 この、裏方に徹するが、かといって、自分の影響力を維持・拡大するために動くのではなく大義のために行動するというところは、現代で言えば、野中広務が一番近いかもしれない。(野中広務の場合、その政治手法に対する批判もあったが、その大義も時代遅れの感があったが。)

 この点、「政治家であるからには首相を目指すのは当然」と豪語してはばからない政治家たちには信頼が置けない。

 自らの“生命”をかけて政治をするとは何かについて、現在の政治家たちも三木武吉に学ぶところは大きいように思える。
 
 
 
 余談だが、それにしても中野正剛の熱さも凄まじい。三木武吉もそうだが、この政治家ももっと世間に知られてしかるべき人だ。

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