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 高瀬淳一『「不利益分配」社会(ちくま新書、2006年)
 
 
 読んでいてここまで怒りがふつふつと沸いてきた本も久しぶりである。
 
 
 愛の力のすごさを改めて実感した。

 Love is Blind――小泉純一郎にフォーリンラヴした政治学者の恋文。

 これだから政治学者は信用できない。

 
 
 そんなわけで、愛にうなされて冷静に(学問的に)考えられなくなってしまっている箇所を引用。

小泉は「バラマキ政策」をウリにしたわけでもない。かれが熱心に進めた郵政民営化は、世論調査ではけっして最優先すべき重要政策とは思われていなかった。そうした人気のない、しかも金銭的利益にも直結しない政策を、何年にもわたって掲げつづけるポピュリストなど、形容矛盾もいいところである。 (p15)

 小泉首相が田中真紀子を外相にしたことをお忘れですか? 「最優先すべきではない」政策は全て「人気のない」政策ですか?
 
 
 さらにこの本、政治ドラマの演出競争万歳、政治家の自己演出のための演技万歳、事実上の首相公選万歳、政治のパーソナル化万歳、大衆動員政治万歳などなど、独裁政治を目指しているとしか読めない。

 恐ろしかー、恐ろしかー、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、God bless us、God bless us・・・。

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 小林良彰『公共選択 〔現代政治学叢書9〕(東京大学出版会、1988年)
 
 
 昨日取り上げた井堀利宏『経済学で読み解く日本の政治』を読んで、公共選択論の主流もあんなに“金銭”的基準で政治を分析しているのかが気になって、この本に取り掛かってみた。

 とはいっても、政治学者が書いている時点で金銭的基準が相当弱められているだろうことは想像できるが。(もちろん実際そうであった。)
 
 
 この本は「公共選択」とはいっても扱っている対象は広い。

 なんせ、ロールズの正義論から入り、アローの一般可能性定理、連合理論、ダウンズ・モデル、空間理論といった一般的な内容がたっぷり来て、それから、オルソン、ハーシュマン、ティボーなどを挟み、最後に公共選択論の意義と課題で締められている。

 途中、数学を使い、さらに十数種類にパターン分けされていたりして複雑であり、議論を追えないところもあった。(想定の範囲内だが。)
 
 
 そんな自分には、前日の『経済学で読み解く日本の政治』からの関心で、「投票に行くか棄権するか?」に関する議論のところがおもしろかった。

 ダウンズの「P×B+D-C≧0」で投票に行くという「期待効用モデル」以外にも、フィアジョン&フィオリナによる「ミニマックスリグレットモデル(最大損失最小モデル)」というのがあるらしい。

 これは、他の有権者の投票意思が不明確な場合に、他の有権者の投票についての予測を誤って思わぬ損失を被ることがあるため、自分が最悪の事態に陥ることを防ぐという戦略を用いるモデルである。この消極的選択はロールズの「無知のヴェール」を思わせる。

 このモデルの利点は、ダウンズのモデルより棄権を選択する可能性を低く抑えることができる点である。

 とはいえ、平凡にも、やはりポイントは「D(投票義務感とか長期的に民主主義を擁護する目的とか)」にあるのではないかと思えてしまう。この本が書かれてから二十年近くも経っているだけに、その後の研究の進展が少し気になる。

 ちなみに、アメリカ大統領選を用いたシミュレーションによると、ダウンズのモデルでは実際の棄権の少なさを予測できないが、他の部分に関しては説明力があるとのことである。
 
 
 この本は、理論の紹介が重視されているため、実証があまり書かれていない。実証までしている本も余裕があれば読んでみたいと多少思う。

 井堀利宏『経済学で読み解く日本の政治(東洋経済新報社、1999年)
 
 

経済的な誘因をきちんと考慮して、人々の実際の利己的行動を前提として、それでも、結果がより適切になるように、全体の制度を設計する必要がある。そのためにも、日本の政治問題を読み解くうえで、経済学的な視点は有益だろう。 (p8)

 との考えのもとに書かれた本。

 
 
 そして、前半では、投票行動、政党の行動、圧力団体について論じられている。

 最初は、定石どおり、有権者が投票するか棄権するかに関するダウンズのモデルから始められている。

 すなわち、その有権者の一票が投票結果に影響を与えられる可能性を「P」、異なる政党や候補者を選ぶことによって期待される利得を「B」、投票のコストを「C」とすると、「P×B-C≧0」の場合に投票するとされる。

 ただ、著者が提示する上の式では、ダウンズも言っていた(ように思う)「投票に対する義務感(D)」とか「民主主義を守るという目的」といったものを無視しているから、次のような愚かな主張を恥ずかしげもなくすることになってしまっている。

一般的に、すべての人が強制的に投票させられる場合に実現する結果と同じことが、多くの有権者が棄権するときにも生じるとすれば、そうした棄権はよい棄権である。これは、投票・開票の直接・間接の費用を小さくするメリットのある棄権行動である。
 前述の数値例では、4000万人の有権者が棄権することで、440億円が節約できる。こうした場合に、選挙管理委員会が巨額の税金を投入して、棄権防止キャンペーンを行うのは、税金のむだである。 (p20)

 やはり、「P×B+D-C≧0」みたいにしないと。

 いずれにせよ、前半はこんな感じの話がされている。
 
 
 で、後半では、「第四章 財政再建を阻むもの」、「第五章 問題先送りの損得勘定」といったような経済問題が、経済学的に論じられている。(全てではないが。)

 正直、財政赤字を憎むばかりに熱くなり、当初の目的から逸れているように感じる。

 しかも、内容は、「既得権が財政赤字を生んだ!」、「既得権をなくせ!」、「既得権を打破するには政治のリーダーシップが必要だ!」ばかり。

 そんなに「既得権をなくせば財政赤字がなくなる」と言うのなら、財政赤字の総額と同じだけ(つまり、年額で数十兆円)の「既得権が生んだムダ」を具体的に列挙してくれ。「TVタックル」が地道に取り上げているものの1万倍以上のものになるはずだ。これはすごい!(できたらの話だけど。)
 
 
 個人的には、経済学的に政治を分析することにやぶさかではないけど、経済学を政治の分野に単純に当てはめるというのでは、政治の存在意義を否定しているのと同じことであるように思える。政治固有の論理や特徴は尊重する必要がある。そのためには、憲法とか政治哲学とかが政治の重要な目的を語っているから、それらを学ぶ必要があるのではないだろうか。

 恒川恵市編『民主主義アイデンティティ――新興デモクラシーの形成〔比較政治叢書1〕(早稲田大学出版部、2006年)
 
 

編者が、まず「民主化の紛争理論」――民主主義体制の長期的持続は、激しい紛争と抑圧の過程で、人々が民主主義を価値として尊重する態度を学習する結果、可能となるという仮説――を提示し、研究会参加者がそれを念頭に置きながら、自分の専門とする地域の経験を分析し、紛争理論がどこまで有効か、紛争理論以外に、あるいは、それに付加すべき仮説はありうるかを検討した。 (p.vi)

 という本。

 より具体的には、第1章で編者がこれまでの民主化研究をレビューし、「民主化の紛争理論」を導入する。それ以降の章では、アルゼンチンとチリ、アフリカ、東南アジア、韓国、台湾、ウクライナの民主化の事例が分析される。
 
 
 個人的な判断から結果を言うと、ここで分析されている国や地域に関して、「民主化の紛争理論」は、あまり当てはまらないようである。

 統一的に設定された仮説に無理やり合わせようとしていないのは、この種の共著本としては珍しく、好感が持てる。逆に、であるなら統一的な仮説を設定した意味が希薄になるとも言えるけれど。
 
 
 事例分析の中でおもしろかったのは、第4章の東南アジアと第5章の韓国の2つ。

 4章では、「民主化の紛争理論」は「客観的な事実としての過去の紛争経験」を重視するが、そうではなく、重要なのは「紛争の記憶や解釈」であると主張する。そして、民主主義に対する評価が一転二転するタイやフィリピンの民主化の過程を見ることでそれを証明する。

 執筆者の浅見靖仁も指摘しているように、過去の紛争経験の「解釈」が重要であることは、60年以上前の戦争に関する激しく対立した議論が未だに絶えない日本にいる人間にとっては、とても説得力がある。ただ、タイやフィリピンの事例を読んでいると、「解釈」が、完全にその時々の世論に迎合した支配者の思うがままになされていて、結局、世論を導く社会・経済的条件の方が重要であることを物語っているように思えてしまう。
 
 
 5章では、韓国が1987年に民主化した際に、「なぜ政府は民主化勢力に対して軍を投入するのを控えたのか?」、「民主化勢力の要求が民主化時もその後も控えめであったのはなぜか?」という二つの問題に答えている。

 おもしろいのは、ゲーム理論を使ったモデルで仮説を設定してから実際の事実経過を追って、主張を行っているところ。ゲーム理論の用いられ方はかなり簡単なものだけれど、他の事例にも適用可能であるだけに有意義に思える。
 
 
 民主化研究はこれまでの研究の蓄積がかなりあるようである。もちろん、他を圧倒する通説があるわけではないだろう。けれど、近年の国際政治におけるホットな話題の多くが、イラクや北朝鮮といった非民主的国家への民主主義国家による対応の問題であるならば、国際政治や外交の専門家ではなく、民主化の専門家による発言(とそれへの需要)がもっと増えてしかるべきだと思える。もちろん、その前提として、ある一つの国の民主化の研究ではなく、(この本のように)複数の国の比較へと発展していなければいけないわけだが。どうなのだろうか。

 安倍晋三『美しい国へ(文春新書、2006年)
 
 
 次期首相最有力候補による総裁選勝利のための着実な一手。

 全てではないにしろ、基本的には賛同できる内容。

 ・・・って、それでいいのか!?

 という気が、リベラルな自分にはするのだが。

 では、なぜこんなことになるのか?

 一つには、抽象的な話に(特に議論が噴出しそうな問題に関して)終始しているから。

 二つには、敵として想定しているのが国民の数パーセントが支持しているに過ぎない社会党・共産党だから。

 そりゃ、(ロールズ&ハーバーマス&センに好意を寄せているという意味での)リベラルな自分も賛同できるわけだ。

 この安倍晋三の戦略は、政治学の投票行動研究の言葉で言うところの「中位投票者」の支持を目指した合理的な行動ということになるのだろう。

 けれど、果たして、国民は安倍晋三にバランス感覚なんて求めているのだろうか?

 逆に、臆病さとか、器の小ささをアピールすることになり兼ねないような気さえするのだが。

 政治家に論理的思考力を(本当は期待したいんだけど)期待してもしょうがないから、論理的な破綻を批判するのは控えようと思っていたけれど、一つどうしても指摘しておきたいことがある。

国が紡いできた歴史や伝統、また文化に誇りをもちたいと思うのは、だれがなんといおうと、本来、ごく自然の感情なのである (p91)

 ならば、政治があれこれ口を出す必要はないんじゃないの?

 同じことは、「いい家族」に関しても言える。
 
 
 
 それにしても、この本を読んだだけでは具体的に何をするかは皆目分からないけど、安倍首相がやりたいことは、どうやら日本人の“価値観”を改革することらしい。教育とか家族とかだけでなく経済でも。熱意を持って仕事をすれば経済は成長するって言ってるし。(p31)
 
 
 「“価値観改革”なくして成長なし!」
 
 
 
 ・・・・って、そんなバカなっ。

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