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恒川恵市編『民主主義アイデンティティ――新興デモクラシーの形成〔比較政治叢書1〕』 (早稲田大学出版部、2006年)
「 編者が、まず「民主化の紛争理論」――民主主義体制の長期的持続は、激しい紛争と抑圧の過程で、人々が民主主義を価値として尊重する態度を学習する結果、可能となるという仮説――を提示し、研究会参加者がそれを念頭に置きながら、自分の専門とする地域の経験を分析し、紛争理論がどこまで有効か、紛争理論以外に、あるいは、それに付加すべき仮説はありうるかを検討した。 」(p.vi)
という本。
より具体的には、第1章で編者がこれまでの民主化研究をレビューし、「民主化の紛争理論」を導入する。それ以降の章では、アルゼンチンとチリ、アフリカ、東南アジア、韓国、台湾、ウクライナの民主化の事例が分析される。
個人的な判断から結果を言うと、ここで分析されている国や地域に関して、「民主化の紛争理論」は、あまり当てはまらないようである。
統一的に設定された仮説に無理やり合わせようとしていないのは、この種の共著本としては珍しく、好感が持てる。逆に、であるなら統一的な仮説を設定した意味が希薄になるとも言えるけれど。
事例分析の中でおもしろかったのは、第4章の東南アジアと第5章の韓国の2つ。
4章では、「民主化の紛争理論」は「客観的な事実としての過去の紛争経験」を重視するが、そうではなく、重要なのは「紛争の記憶や解釈」であると主張する。そして、民主主義に対する評価が一転二転するタイやフィリピンの民主化の過程を見ることでそれを証明する。
執筆者の浅見靖仁も指摘しているように、過去の紛争経験の「解釈」が重要であることは、60年以上前の戦争に関する激しく対立した議論が未だに絶えない日本にいる人間にとっては、とても説得力がある。ただ、タイやフィリピンの事例を読んでいると、「解釈」が、完全にその時々の世論に迎合した支配者の思うがままになされていて、結局、世論を導く社会・経済的条件の方が重要であることを物語っているように思えてしまう。
5章では、韓国が1987年に民主化した際に、「なぜ政府は民主化勢力に対して軍を投入するのを控えたのか?」、「民主化勢力の要求が民主化時もその後も控えめであったのはなぜか?」という二つの問題に答えている。
おもしろいのは、ゲーム理論を使ったモデルで仮説を設定してから実際の事実経過を追って、主張を行っているところ。ゲーム理論の用いられ方はかなり簡単なものだけれど、他の事例にも適用可能であるだけに有意義に思える。
民主化研究はこれまでの研究の蓄積がかなりあるようである。もちろん、他を圧倒する通説があるわけではないだろう。けれど、近年の国際政治におけるホットな話題の多くが、イラクや北朝鮮といった非民主的国家への民主主義国家による対応の問題であるならば、国際政治や外交の専門家ではなく、民主化の専門家による発言(とそれへの需要)がもっと増えてしかるべきだと思える。もちろん、その前提として、ある一つの国の民主化の研究ではなく、(この本のように)複数の国の比較へと発展していなければいけないわけだが。どうなのだろうか。