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by ST25
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 『Hanawa Kazumi 's "How are you?" (January 13)』にて、『Idolblog-Ranking #11』を取り上げていただきました。

 Niyari.

 
 
 いつもありがとうございます。

 Pekori.
 
 
 Hanawa-San の導きによってお越しいただきました、Ladies と Gentlemen も本当にありがとうございます。

 Sukiyaki.
 
 
 欧米だ。
 
 
 
 
 〈日本の皆様へ〉

 今回は、いつもカタコトの日本語(カタカナ語)である塙さんのために、欧米仕様になっております。

 読みにくいかとは存じますが、ご了承ください。

 塙さんのためです。

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 藤永茂 『『闇の奥』の奥――コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷(三交社、2006年)
 
 
 映画『地獄の黙示録』の基にもなったコンラッドの小説『闇の奥』が書かれた当時の時代状況を、ベルギー国王レオポルド2世のコンゴ収奪を中心に、ポストコロニアニズムの立場から暴露している本。

 『闇の奥』の当時の時代状況を知ることができるのはとても有益なのだけど、いかんせん西欧を批判する著者の論調が感情的で辟易する。

 中国人・韓国人の反日行動と日本の「右翼」の言動との類似性を思い起こさせる。
 
 
 ただ、『地獄の黙示録』にも出てくる「切り落とされた腕の山」のエピソードの真実とか、初めて知った興味深い話とかもいろいろ出てくる。

 本当に「文明人」による残虐行為には枚挙に暇がない。
 
 
 それにしても、

アフリカには、コンゴには、過去もなく、未来もないのであろうか?
 私はそうは思わない。現代の情況の中で、ニヒリスティックなポーズをとることほど、転ぶ心配がなく、やさしいことはない。しかし、歴史の時間は、深く、ゆっくりと流れるものだ。ハイチ出身の詩人エメ・セゼールが『帰郷ノート』の中で静かに、しかも、高々と唱い上げた「アフリカ」がアフリカの地に溢れる日が必ずやってくる。もし、やってこなければ、それは人類の終焉を意味するだろう。「アフリカ」は火薬を発明しなかった。羅針盤で大海原を越えて他国を侵すことをしなかった。蒸気で鉄路を走り、船を漕ぐことをしなかった。鳥と競って大空を制することをしなかった。木々に学び、生き物を知り、大地と一つになって生きてきた。能不能のことではない。「アフリカ」が選んだ心のたたずまいを言っているのだ。 (p231)

 と思うのであれば、そして、アフリカの人たちのことを思うのであれば、開発経済学、成長理論、民主化論を勉強しようと考えるのが自然だと思うのだが。

 宮台真司言うところの、「社会システム論における“外部帰属化”」に見えてしまう。

 グレッグ・イーガン 『ひとりっ子(山岸真編訳/ハヤカワ文庫、2006年)
 
 
 『万物理論』で大きな感銘を受けた割に他の本をほとんど読んでいない現代の最高峰SF作家イーガンの日本オリジナル短篇集。

 科学的・数学的な説明は、「編・訳者あとがき」でも指摘されている通りハード目なために全く理解できていないところもあるけど、そのへんは何となくのイメージで読み進めた。

 それでも、展開されるドラマや、テーマである自己同一性(アイデンティティ)に関する洞察に関しては十分楽しめた。 (とはいえ、『万物理論』のおもしろさからするとかなり見劣りするけど。)
 
 
 “展開されるドラマ”のおもしろさから好きなのは「ルミナス」。

 いわば、2+2=4の「数学」と2+2=5の「オルタナティブ数学」とのせめぎ合いの話。

 ちょっとした宇宙戦争。しかも軍事とかの力による勝負ではなく、もっと原理的な次元での勝負。
 
 
 “テーマである自己同一性”という点に関しては、各作品でいろいろな観点から切り込まれていて一つを選びがたい。

 SF的な設定(特に脳科学的な進歩)によって「自己(自我、意識、脳)」にいろいろな改変が加えられ、ときには他者の「自己」との接合や交換もされ、まさに反実仮想の状況の中で改めて「自己の同一性を保つもの(アイデンティティ)とは何か?」について問いかけられている。

 したがって、設定はSFだけど描かれている内容は現世的に受け取ることができる。

 それが端的に現れているのが次の文。薬によって特定の意識や信念を自由にコントロールできる世界を描いている作品の最後の方に出てくる。

自分に忠実であるとは、相いれない衝動のすべてとともに生き、頭の中の数多くの声に悩まされ、混乱と疑念をうけいれることをいうのだろう。そうするには、もはや手遅れだ。揺るぎない確信をもつことの自由さを味わったわたしは、それなしでは生きられなくなっていた。 (p36)

 もちろん、ここでは、「揺るぎない確信をもつこと」は薬によって成し遂げられている。

 けれど、そんな薬がない現代でも「揺るぎない確信」を楽で胡散臭い手段によって「獲得」している(と思い込んでいる)人はいくらでもいる。

 であるなら、作品中に出てくる「人の命はなんら特別なものではないという信念」を手に入れられる薬は、(もし開発されても)果たして問題があるだろうか?

 といった具合に思考が促される。
 
 
 
 この本は『万物理論』ほどのおもしろさはなかった。

 けど、だからこそ逆に、イーガンの他の長篇作品を読んでうっぷんや物足りなさを解消したい気分に駆られている。

 けど、今読むべき(読みたい)本のストックはいっぱいあるから我慢しなければ・・・。

 なんせ、年末年始に集めた今のストック分を読み終わらないと、年末年始から抜け出せないような気がするから・・・。

 竹中平蔵 『構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌(日本経済新聞社、2006年)
 
 
 竹中平蔵が、不良債権処理、郵政民営化、経済財政諮問会議に関してその内幕を語っている本。

 おもしろい。

 小泉政権の成功が、小泉純一郎という国民的人気のあるリーダーの存在に第一義的に依っていることは疑い得ない。

 けれど、竹中平蔵という政治センスのある政策専門家の存在なくしても成功はなかったというのもまた真実。(もちろん、「小泉あっての竹中」だけど。)

 小泉純一郎が首相になったとき、「改革なくして成長なし」などのスローガンばかりで「具体的な政策がない」と思ったものだが、それを補ったのが竹中平蔵であった。

 政治センスに関しても竹中平蔵は「学者大臣」と侮(あなど)れない。安倍晋三をはじめとした職業政治家も学ぶべきところは多い。

 そんなわけで、この本には重要な内容、おもしろい内容がたくさん出てくる。
 
 
 だからこそ、ここでは、逆に、問題点についていくつか指摘しておこうと思う。

 1つ目は、抵抗勢力とか野党とか「敵」が出てくると、「敵」を意図的に愚かに描いて、陳腐な善悪二元論に落としてしまう癖があること。

 2つ目は、不良債権処理とマクロ経済(景気)の動向を安易に結びつけてしまっていること。(この本の守備範囲を超えることだけど、さらにいえば、「本当に供給側がデフレの原因だったのか?」ということにつながる。)

 3つ目は、非拘束名簿式比例選挙で72万票を獲得してなった参院議員を4年という長い任期を残して辞任したことは、選挙を重んじる日本国民に対する冒涜、さらに言えば、民主主義を生み出した人類への侮辱であり、「批判は甘んじて受ける」なんていう無責任な言葉で償えるものではないこと。(小泉政権の終了とともに辞任するなら選挙の際にそれを明言しておくべきだ。)
 
 
 とはいえ、謙虚に学ぶべきところの多い本であることに変わりはない。

 沢木耕太郎 『危機の宰相(魁星出版、2006年)
 
 
 当時ほとんど誰も信じなかった「所得倍増」という考えを信じ、実現していった首相・池田勇人、大蔵省のエコノミスト・下村治、宏池会事務局長・田村敏雄の3人の物語。1977年に雑誌に掲載されたものの書籍化。

 「安保」という政治問題から「所得倍増」という経済問題に見事に舵を切ったことで知られる池田勇人が、いかにして「所得倍増」という考えを獲得していったのかのプロセス(とその後の顛末)が描かれているのはおもしろい。(※この過程を政治学的に描いている最近の本に、牧原出『内閣政治と「大蔵省支配」』がある。)
 
 
 ただ、読み物としてはあまりおもしろさを感じなかった。

 それと、一つ欠けていると思ったのは、「安定経済派」、「成長経済派(所得倍増)」それぞれの具体的な政策の内容。

 これが抜けているから、彼らが実際問題として何で対立していたのか、また、「所得倍増」実現のために池田勇人が何をしたのか、が全く分からない。

 この本が細かい経済学の話にまで踏み込んで書かれているだけに、逆に不思議な感じさえする。

 今では、「所得倍増」が達成できたのは、それが「(当時の状況からして達成が)約束された目標」だったからというのが通説であること。

 《私は経済成長についての計画主義者ではない。(中略)私の興味は計画にあるのではなくて、可能性の探求にある。だれかのつくった青写真に合わせて国民の活動を統制することではなく、国民の創造力に即して、その開発と解放の条件を検討することである》 (p209)

 と、「所得倍増」の理論的な支柱である下村治が述べていること。

 これらを考え合わせると、著者は「所得倍増“実現”」が池田らによるものではないと薄々気付きつつも、おもしろさのために、意図的か無意識かは分からないけれど、具体的な政策の話を書くことを避けたのではないかと思えてくる。
 
 
 そんなわけで、何かといまいちな本だった。

 とはいえ、この著者が、浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢を描いた『テロルの決算』(文春文庫)には興味が湧いてきた。古本屋で探してみよう。

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