by ST25
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パオロ・マッツァリーノ 『みんなの道徳解体新書』 (ちくまプリマー新書、2016年)
もっとも紙幅が割かれているのは、小中学校で用いられている道徳副読本の読み解き。もちろん、その全ての話がおかしいというわけではないけれど、その一定数は突っ込みどころ満載だと著者は言う。
例えば、流星を観測していた子が「うちゅうをうごかしているのは、だれなんだろう」とつぶやく話(p52、教育出版3年)。著者が一言。「だれでもないわ。」(p52)。この話から道徳的教訓を導き出すのは相当至難の業だ。こんなの読まされた後、先生に、「うちゅうをうごかしているのは誰だと思いますか」とか聞かれたら、とても困る。
このような意味不明の話もあれば、事実に基づいていない話もあるし、トランジスタラジオを使う若者が出てくるような時代遅れの話もあるし、なかなかおもしろい(ひどい)。中には人間のダメさを隠さない深い話もあって、そんな話の紹介もしてくれている。
そんなわけで、道徳の副読本なんて、ほとんどの大人が既に知っているとおり、そんな大それたものではない。当然、それを読んだところで道徳心が涵養されるなんてことはほとんどない。世の大人たちの道徳心の0.01パーセントも学校の「道徳」の授業で形成されたものではないだろう。
にもかかわらず、道徳的な子供を作ろうと思って、学校の道徳の授業を正式科目にすればいいんだと考える大人というのは相当ヤバイと思う。現実に生きていなくて、お花畑に住んでいる可能性が相当高い。過去の自分の記憶も相当捻じ曲げてしまっている可能性が高い。一体、どこのどいつだよ。
そんな疑問を抱きながら、文部科学省のホームページに行き、「道徳教育」のページへと辿り着いた。そこには、文科省が「児童生徒が道徳的価値について自ら考え、実際に行動できるようになることをねらいとして作成した道徳教育用教材」である『わたしたちの道徳』が掲載されていて、全ページ見られるようになっていた。これは小学校低・中・高学年、中学生と4種類あり、全国の小中学校に配布されているものらしい。試しに、中学生用のものを一通り全ページ見てみた。
まず何より、理想主義が過ぎる。「調和のある生活を送る」といって生活習慣を見直そうと言ったり、「真理・真実・理想を求め人生を切り拓く」といって夢や理想の実現のために今何をすべきか考えさせたり、「自分を見つめ個性を伸ばす」といって自分の直したいところを列挙させたり、「法やきまりを守り社会で共に生きる」といって法やきまりを守ることの意義を話し合わせたり、「つながりをもち住みよい社会に」といって町で見掛けた他社への配慮や思いやりのある行為について話し合わせたり、「国を愛し、伝統の継承と文化の創造を」といって世界の人から信頼され尊敬されるためにどのようなことが求められているかを考えさせたり、「認め合い学び合う心を」といって異なる意見を尊重しつつ自分も成長するにはどうすればいいかを考えさせたり、「異性を理解し尊重して」といって中学生の男女交際について友達と話し合わせたり、等々。こんな感じの内容が、エピソードや著名人の名言なども交えながら延々と続いている。これら全てのことを自信をもって教えられる人っているの? これらの理想的な人になるための解答を全て知っている人っているの? しかもそれを中学生に理解させようなんて無理にも程がある。皆、大人になる中で、もしくは大人になってから徐々に学んでいくようなことばかりではないの?
そして、まず隗より始めよ。国会議員の皆さん、文部科学省のお役人さん、あなたたちがまず実践してください。百聞は一見に如かず。授業で延々とお説教を聞かされるより、世の政治家たち、文科省の役人たちがお手本になるような行動をしていれば、子供たちもすぐにそれを見習おうと思ってくれる。全てとは言わない。半分だけでも構わない。実践してください。話はそれからだ。(そんな世の大人たちが誰も、本当に誰もできないことを説教される子供たちの身にもなってあげなさい。)
子供たちの道徳心を養いたかったら、道徳心をもった大人を増やすこと以外に道はないと思うのだ。
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伊藤之雄 『元老ーー近代日本の真の指導者たち』 (中公新書、2016年)
大日本帝国憲法が発布されて以後、選挙も政党も議会もあるのに「本格的政党内閣」ができるのは大正時代(1918年)の原敬内閣まで待たなければならず、それまで藩閥系の首相ばかりが続いている。また、原内閣後も政党内閣が続くわけではない。では、その頃の選挙・政党・議会の意味とは一体どのようなものだったのか? あるいは、そういったものが力を持っていないのなら、誰が/どの機関が力を持ち、首相は誰がどのように決めていたのか?
ここのところ、そんな疑問を抱いていた。高校の教科書をより詳しくしたような『詳説 日本史研究』(山川出版社)を読み、(記憶の限りでは)中学校では全く習わない「元老」とやらが天皇の輔弼機関として力を持っていたらしいということはわかった。
しかし、では、「元老」とは具体的に誰で、選挙も政党もある時代においてまで元老はいかにして力を持ち続けることができたのか?
ここがわからないことには当初の疑問は解決しない。そんな自分の悩みを解消してくれる本はないものかと本屋に行ったところ、そのものずばりなタイトルの本書を見つけた。目次を見ると、明治維新から敗戦までが章立てられている。昭和になってまで元老は関係していたのかと、「そんなこと(学校では)一言も聞いていないぞ」と驚き半分、疑い半分に本書を購入し、最後まで読み終えた。
「元老」なる言葉が公的に用いられる前の明治維新後に力を持っていたのは大久保、西郷、木戸、岩倉だった。憲法が制定され天皇が主権者になったが、天皇が政治的な責任を追及されるような事態に発展しないよう、重要事項の実質的な決定機関としてその時々の有力者が元老になって天皇を輔弼していく。後継首相の指名はその主要な役割の一つである。伊藤博文一人がその任を果たしていた時代もあれば、伊藤、山県、黒田、井上などが元老になっていた時期もあれば、山県が一人力を持っていた時期もある。そして、最後は西園寺が暴走しそうな陸軍と対抗しながら孤軍奮闘するが敗れ、元老はその役割を終える。
読んで驚いたが、元老を軸に日本政治を見ていくと、明治から昭和(終戦まで)にかけての日本の政治史がほぼ網羅されているのだ。元老は近代日本政治を理解するに際して「欠かせない」と言うにとどまらず、近代日本政治とは元老による政治のことだと言ってもよいくらいに思える。中学の歴史で習う、当時の政党や議会は、今の基準でこそ大事なものではあるが、当時のそれらは今のそれらとは果たしている役割が違いすぎて、一体どこまで意義があるのか疑問に思えるくらいだ。(この疑問を解決すべく政党政治の歴史に関する本を読むつもりだ。)
そして、ほぼ非公式で非民主的な元老が、これほど長くにわたって力を持ちえたのは、本書の終章などでも言及されているとおり、元老たちの個人的な卓越性や能力によるところが大きそうだ。近代的な政治制度を導入したばかりの未熟な日本において、彼らは、保護者的な役割を行き過ぎることなく抑制的に果たしている。このような視点から、本書では元老とされる人たちは、老練で冷静な政治家として描かれている。もちろん、本書で言及されないネガティブな点もたくさんあることだろう。しかし、元老が国民などからの強力な批判にさらされずに生き延びてきたということが、元老の内実(と本書の主張の正しさ)を教えてくれているように思える。
翻って現代の日本政治を見るに、民主主義が深化し、今や泰然自若と構えている元老のような政治家は皆無と言っていいだろう。それが悪いことだとは決して言わないが、ほんの少しだけ寂しい気持ちになってしまう。
須田亜香里 『コンプレックス力』 (産経新聞出版、2017年)
自己啓発本にありがちだと思われる、抽象的に漠然と話が進むということがなく、また、本人が実際に行動してきたことであるだけに説得力がある。そして、自伝的な面も大いにあって感動するところもある。
ところどころで「思考術ワーク」という読者が実践する用の自己啓発的な内容も入っている。自分は使わなかったが。
読み終わってから2週間くらい経った今、教訓的内容で覚えていることは一つもない。とはいえ、自伝的な本として十分楽しめた。是非とももっと色々なメンバーの自伝を読んでみたいと思った。人の数だけドラマがあると言うし、そのドラマ性こそAKBグループの楽しさでもあるし。
佐藤伸行 『ドナルド・トランプ』 (文春新書、2016年)
実際のところ、この本を読むことによって巷で流布しているトランプ像が変わることはあまりない。むしろ、その自由奔放さや豪胆さや節操のなさがより強められる。
また、この本ではトランプの人間像に焦点を当てているから、この本を読んで今後のトランプ政権の政策が推測できるようになるわけではない。もちろん、トランプの性格を知ることは推測の役には立つけれど。
と書いてくると、ただののぞき見趣味なことしか書いてない無意味な本に感じてしまいそうだけど、そんなことはない。
例えば、トランプ家はドイツ系の移民だったとか、ビジネスで大成功を収めるまでに自己破産をしたこともあるとか、白人の地位低下や非白人の悪事を煽るとかいった事実はトランプによる政治を占う手掛かりになりそうだ。
特に、白人についてのトランプの発言をたどりながら、「白人のルサンチマン」がトランプ支持の背景にあるという筆者が強調している点は日本では軽視されがちだ。確かに大統領選でヒスパニックなどが勝敗をわけるという報道はしばしばなされている。しかし、そうはいってもアメリカは依然として白人(ワスプ)が多数派を占め、白人が牛耳っている国には変わりはないと考えている人が多いだろう。けれど、本書でも述べられているデータによると非ヒスパニックの白人がマイノリティに転落する日も遠くないということだ。そして、それにともない白人たちが「かつてのアメリカ」の消失や「逆差別」を嘆いているというのだ。そういう人たちが移民を拒絶し、イスラムに嫌悪を抱き、トランプを支持するということは確かにありそうだ。
また、もっと浅いレベルのことで言えば、トランプがテレビ番組で人気を博していた人物であったということは日本であまり強調されることがないように思う。大金持ちが急に過激な発言で国民から支持されるようになったわけではない。この点、テレビで知名度を得ていて、なおかつビジネスで成功しているという点で、日本で言うところのホリエモンと同じような存在としてアメリカ国民から思われているのかもしれないと思った。
何はともあれ、トランプ大統領になった以上、「ありえない」「ありえない」と嘆いていてもどうしようもない。感情的にならず、冷静にトランプ政権やアメリカのことを見つめる視点を持ち続けたいものだ。そんな気持ちの実践の第一歩としてちょうどいい本だった。
福田ますみ 『でっちあげ』 (新潮文庫、2010年)
事実を書いているノンフィクションのドキュメントだけれど、事の進みの恐ろしさ、理不尽さに、ミステリーやホラーを読んでいるかのような気持ちになった。
周辺への聞き込みさえせず報道したマスコミ。事を荒立てずに済ませようと生徒・保護者の言い分を受け入れてしまう学校(校長、教頭)・教育委員会。あることないこと言ってくる保護者。適当な診断書を書く医師。本来、社会的に信頼されているような人たちばかりが登場するにもかかわらず、事態は最悪な方向へと進んだまま修正されることがなかった。
今回攻撃対象にされた教師と同じ事態は誰にでも起こりうる。急に街中で因縁をつけられて、というように。渡る世間に鬼はないなんてことはなさそうだ。そんな世の中の現実をふまえた仕組みであってほしいものだ。マスコミ、法曹はそういったことを本来防ぐための存在でもあるはずだ。それが機能しないとなると、いよいよ生きるっていうのは実に恐ろしいことだ。君子危うきに近寄らずが最善の策になりそうだ。
この事件を取り上げて、綿密に調べ上げたジャーナリストがいたのはせめてもの救いかもしれない。