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by ST25
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 伊藤修 『日本の経済――歴史・現状・論点(中公新書、2007年)
 
 
 明治から現在までの日本経済の流れ、および、貿易・産業・経営・財政・金融といった各論の現状に関するポイントをコンパクトかつ分かりやすくまとめた日本経済論の概説書。

 良書。

 読者に経済学に馴染みのない人を想定し、世間で流布している俗説を正すことに注意が払われている。

 そして、随所で核心を突く重要な基本データが載せられていて、説得力を高め、直感に反する事実の理解をスムーズにしてくれている。

 掲載されている興味深いデータとしては、「1人当たりGDPの歴史的国際比較(1820~1992年)」、「各国の貯蓄と投資の対GDP比の推移(1965~1993年)」、「実質GDP成長率の要因分解(1953~1971年)」、「代表的な大口不良債権企業の借入残高の推移(1986~1997年)」、「国民負担率とその内訳の国際比較」などがある。

 他にも色々なデータが載っているし、データがないところでも日本経済を理解する上で重要だけど知らなかったこととかがたくさんあって、ここで個別に取り上げるのは難しいくらいに勉強になることが多かった。
 
 
 ちなみに、各話題の最後でちょっとずつだけど出てくる政策的・政治的な話はナイーブすぎるから、軽く流しておけばよいと思う。

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 内山融 『小泉政権――「パトスの首相」は何を変えたのか (中公新書、2007年)
 
 
 「パトスの首相」、「強い首相」、「アイディアの政治/利益の政治」といった視点から小泉政権を振り返っている本。

 内容は2つに分けられる。

 内政と外交の主な事例を検討した前半部と、小泉政権を理論的に検討した後半部。

 前半部で取り上げられている事例は、既に当事者やマスコミや学者によって(かなり活き活きと)伝えられているものばかり。

 それを、今さら平板にまとめられても、おもしろくないし、意味もない。

 既存の情報や研究をまとめただけの典型的なダメな卒論みたい。

 後半部の理論的な検討で用いられている「パトス(=理性的でない)の首相」とか「強い首相」とか「アンチ利益誘導」とかっていう言葉は、ワイドショーのコメンテイターのタレントから政治評論家から新聞から一般市民まで、色々な人によって既に言われているものであって、新しくないし、意味もない。

 それから、総じて、分析・定義・論理とかに危ういところが多い。
 
 
 この本の著者は政治学者だけど、この本は政治学の成果を( 部分的かつ恣意的にはともかく、)包括的に用いて書かれたわけではない(と思う)。

 それにしても、政治学者の書く本は、なんでつまらないものが多いのだろうか?

 例えば、この本を示して、「 政治学を学ぶとこんな分析ができます! 」とか言われても、全然魅力的ではない。

 吉田豪 『元アイドル2(ワニマガジン社、2007年)
 
 
 松本伊代、岩崎良美、青田典子、鈴木早智子、桜庭あつこ、後藤理沙など、70年代から90年代に活躍した元アイドルに当時の本音を聞いたインタビュー集。

 個人的には妙にタイミングよく、昨日読んだ。 (どこかで誰かが元アイドルになったと今朝伝えられた。)(追記:引退宣言はしてないって翌日に伝えられた。)

 第1弾のときに酷かった点は改善されていて読みやすくなっていた。

 前回の第1弾では、とりわけ辛い経験をしてきた元アイドルをあえて集めていたけど、今回は芸能界という野蛮な世界の中で、若い女の子であるにもかかわらず自己主張をしたりのん気にやり過ごしたりして、(処世術として)ある程度成功した例を集めている。(だからといって、苦悩がないということでは全くない。)

 第1弾が極端な「絶望篇」だっただけに、次に(小さいものだけど)「希望篇」を作るというのはグッドな対応。

 この本から読み取れる最大の教訓は、「あとがき」でイタビュアーも述べているように、つまるところ、「 事務所は余計なプロデュースをするな!この点、ブログは素晴らしい! 」ということ。

 全く同感。

 芸能事務所に「売れるキャラ」が完全に見抜けるわけではないし、若い女の子が本来の自分とは大きく異なるキャラを演じきることは難しいし、(メディアを含めて)消費者の側は演じられたキャラより本来のキャラを求め見抜こうとするのだから。

 もともと性格上のアイドル不適格者は何をしたって不適格なのだ。

 無理してキャラを作り、本人は辛い思いをし、ファンは幻想を抱き、結局、キャラや本人が破綻・爆発して、ファンは裏切られ、本人は日の目を浴びなくなり、、、という不幸な結末にしかならない。
 
 
 それから、この本を読んで思ったのは、やっぱりアイドルの活躍如何が「事務所の力」とか「(番組プロデューサーなど)使い手の好み」といった、(アイドル本人の実質的な力とはほとんど関係ない)不公正な要因によってあまりに大きく左右される現状は何としても変えなければならないということ。

 その点、最近滞っているアイドルブログ・ランキングを頑張らないと、とも思った。

 アイドルブログ・ランキングは、ただ単にアイドルを序列化して喜ぶために作ったのではなく、アイドルにブログをおもしろくするためのチェックポイント(のようなもの)を知らせるためと(※どこまで伝えられているか/伝えようとしているかは甚だ怪しいけど )、「 ブログのアクセス数≒知名度≒事務所の大きさ 」という現状に対して内容の良し悪しという実質的な評価をすることで頑張っている人を正当に評価したい、という2つの理由が作り始めるに際して大きな動因になった。 (他にも、数値化して客観化・比較可能化したいというのも、今回の話の流れとは関係ないけど、大きな理由の1つ。)

 理念ある消費者として、理念あるアイドルファンとして、頑張らなければ。

 ちなみに、自分は、この本の著者みたいに、アイドルに裏切られるのを恐れるあまり裏切られるリスクの小さい岩佐真悠子みたいな自由奔放キャラに向かうことはせず、元々の性格からして正統派アイドルである真の正統派アイドル(ex.平田薫)を探す苦難の道にあえて進んでいく。(※正統派に限らず、本質的な性格が優れていることを応援の前提にしている。)

 小熊英二 『日本という国(理論社、2006年)
 
 
 「中学生以上すべての人の よりみちパン!セ」シリーズの1冊。

 帯の宣伝文の通り、 近代日本のはじまりから、学歴社会の成立、戦後のアメリカやアジアとの関係、そして憲法改正から自衛隊の海外派遣まで、いまの日本を考えるうえで欠かせない基礎知識を、ひとつながりの見取り図としてやさしく提示 している本。

 総じて、感情的にならず冷静なのが良い。

 それから、著者自身が勤めている大学の創立者である福澤諭吉の『学問のすすめ』における影の部分をはっきり書いたりと、物事の見過ごされがちな側面に視点を当てているのも良い。

 さらに、歴史を扱う際に、現在の基準で全てを理解しようとせず、当時の時代背景や政治的取引の存在に注意を払っているのも良い。
 
 
 勉強や学歴社会の意義、帝国主義時代の現実、アメリカの占領政策の変遷など、いかにも学校では避けられてしまいそうなテーマを扱っていて、このシリーズの編集の意図をしっかり果たしている手軽な“よりみち”入門書。

 トマス・ハーディ 『日陰者ジュード(上)(下)(川本静子訳/中公文庫、2007年)
 
 
 『テス』で有名なイギリスの作家トマス・ハーディによる1895年の作品。

 道徳を重んじる保守主義者による浅い読解に基づく非難を受けて、ハーディはこの作品以降、詩作に専念するようになったため、これが最後の小説となった。

 ただ、ハーディ自身も言ってるように、非難された箇所は小説全体からすれば些細な一部分にすぎないし、文学作品に安易にタブーを作る行為は文学の存在意義を掘り崩してしまう愚かな行為である。それに、今の日本の道徳観からしても、何ということもないようなレベルの話にすぎない。 (したがって、発表当時の非難を強調する中公文庫の宣伝スタンスには、「拝金主義」や「週刊誌的な扇情」といった読売新聞がよく批判する言葉での批判が免れない。)
 
 
 話は、真の愛(素直な愛情の気持ち)を貫こうと、信仰、道徳、伝統、世間、法律、打算といったものとの摩擦や葛藤を生じさせ、しかし結局苦境に陥っていく男女(特に青年ジュード)の悲劇を描いている。

 前半、「このレベルの葛藤だとただの昼ドラとか少女漫画(?)と変わんないんじゃないか!?」とか思ってたけど、後半になって、悲劇の重さがひしひしと伝わってきた。

 特に、道徳的・宗教的な世の中で、知的で精神的な女性スーと肉欲的で打算的な女性アラベラとの間で翻弄され続ける真面目な青年ジュードの一生は哀愁を感じさせる。

 若き日に憧れを抱いて体一つ出てきた学問の都クライストミンスターに、数々の苦境を経て再び戻ってきたジュードが、権威的な姿の学生を見に大学の記念祭に集まった一般大衆を前に行った名演説が、消える前のロウソクの炎のような儚さしか感じさせないのが悲しい。

現在の私の外見――病む貧しい男としての――は、私の最悪の姿ではありません。私はさまざまな信念の混沌の中にあり――闇の中をまさぐり――手本にならってではなく、本能に従って行動しています。八年か九年前、初めてここに来たとき、私はいろいろな固定思想を整然と持ち合わせていました。だが、それらは一つ一つ消え去っていき、年をとっていくほど、ますます確信が持てなくなりました。現在の私は、生の規範として、自分には害になっても他人には害にならず、かつ自分の最愛の者たちに実際に喜びをもたらそうとする気持に従っていくしかないと思います。 (中略) 『誰かこの世において如何なる事か人のために善きものなるやを知らん――誰かその身の後に日の下にあらんところの事を人に告げうる者あらんや』 (下巻、pp248-249、訳注略)

 
 だけど、この小説、確かに文学作品らしい深さはあるのだけど、2500円も払って読むほどのおもしろさはないと思う。

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