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by ST25
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 上杉隆 『官邸崩壊――安倍政権迷走の一年(新潮社、2007年)
 
 
 安倍政権で起こった様々な出来事やエピソードを集めた本。

 爆笑。

 もちろん、政権はまだ継続中だし、話が詳しすぎたりするから、書いてある内容はある程度割り引いて読まなくてはいけないんだけど。
 
 
 今の内閣の惨状の原因について、「秘書官が」とか「官房長官が」とか「大臣が」とか、(当事者からのものも含めて)色々言われているけど、どう見ても原因の7割方は安倍首相にある。

 記者会見(官邸でのぶら下がり会見)での目線の持っていき方さえ自分で判断できなくて、毎日行われるぶら下がり会見ぐらいで「国民に直接訴える」とかいう抽象的理由から「カメラ目線」を助言してしまうような人を身近に置いてしまって、それをそのまま受け入れその不自然さに自分でも気付かないで、結局批判されて呆気なく元に戻す。そんな内閣総理大臣。
 
 
 もはや今の安倍晋三に自己主張(自分自身への自信)なんてものは完全になくなっていて、小泉前首相に助言されればその通りにし、自民党の重鎮から批判されればその通りにし、国民から批判されればその通りにする。

 となると、全て受け身で全て1テンポ遅れで行動や主張の一貫性もなくなる。

 そんなわけで、今後の政治の動向を判断するに際して、もう安倍晋三個人に注意を注ぐ必要は(ほとんど)ない。
 
 
 そんなどん臭い機械と化した首相が最近重視(従属)しているのが自民党の先生方だ。

 組閣に際して、派閥の領袖様に入閣して頂いたり若造を排除したりと「玄人好み」という名の旧来の自民党への回帰を行って、もう小泉政権時代を「例外」としてしまった。

 で、その自民党の先生方にとっての最大の懸案といえば「選挙」だ。

 参議院では過半数割れしてるし(参議院は)解散もできないから当分この状態が続く。で、衆議院の方も前回大勝ちしてしまったから次回大幅に議席を減らすのは避けられないし、その上、今の内閣がもうほとんど泥舟状態で今解散でもしようものなら大敗して衆参完全逆転での政権交代が目に見えている。

 この崖っぷち状態をどうすれば打開できるのか?

 民主党との大連立は弱者・自民党にとっての楽観でしかない。スーパースターがでてきて人気を挽回するにも人材がいないし自民党の先生方はもうそういう人は勘弁願いたいと思っている。民主党が自滅することは大いにあり得る。そのために時間を稼ぐの悪くはない。ただ、時間が経てば経つほど安倍政権の失点の方も致命的に増大している可能性が大いにあり得る。

 参院選後に安倍続投を(安倍本人のせいにしつつ)決断してしまった時点で自民党の敗戦は決まったようなものだ。あの時点で麻生にでも変えておけば、と思う。自民党の先生方も安倍首相も、導入されて10年も経つ小選挙区制の凝集的なメカニズム、ダイナミズムを理解していないのではないかと不思議になる。

 こう色々考えてきてそれらを総合すると、一つの結論として、中選挙区制復活論が噴出するかもしれない。

 ただ、中長期的にはともかく、目下の危機的状況を脱するには時間的に間に合わない。
 
 
 となると、大局としては、無難に、 安倍内閣総辞職 → 麻生内閣誕生 → 解散総選挙 → 衆院選での致命的敗北=野党転落を避ける しかない。

 なら参院選後にやっとけと思うんだけど、そうしなかったことに特に考え抜かれた戦略など安倍首相にも自民党にもないのだろう。

 あとは、いかにして総辞職のタイミングを利用するか/利用できるだけの状況を醸成できるか、に政治センスが問われることになる。
 
 
 けど、とにもかくにも、最近の政治を見ていて思うのは、小泉政権時代とまじめに向き合おうとしないためか、自民党全体の政治感覚が国民世論とかなりズレを生じさせている、ということ。

 だから、結局のところ、これから自民党がどう動くのかなんて分からない。勝手に自滅するかもね。

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 奥田英朗 『サウスバウンド(角川書店、2005年)
 
 
 文庫化されてるのを本屋で見かけ、つい買ってしまうのを抑えるべく再読。

 やっぱり痛快でおもしろい。

 世の中の常識も世間の目も全く意に介さない破天荒な元過激派の父親を持つ子供の視点で、いろいろな“現実”とやらとの葛藤・衝突が描かれている。

 子供のバイブル、『ぼくらの七日間戦争』のようなおもしろさがある。
 
 
 どの登場人物もキャラが立ってて映像化にはもってこいの作品。今の映像作品業界の技術だと、せいぜいキャラが立ってる分かりやすい人間しか描けないし。

 そんなわけで、10月に映画が公開される。

 この映画、話の半分は夏の沖縄が舞台なのになぜか秋公開という失策は置いとくとして、「予告編」を見た限り、せっかくの分かりやすいはっきりしたキャラが完全に死んでいる。トヨエツと天海祐希って、なんでそんな暗い人をキャスティングするか? なんか勘違いしてこの作品に“リアル”でも求めたのか? よくわからない。
 
 
 それはさておき、今回印象に残ったのは話の終盤に出てくる次の言葉。

『税金なら納めん』 (中略) どこかのキャスターが、今年の流行語大賞はこれで決まりだって言ってた (p459)

世の中にはな、最後まで抵抗することで徐々に変わっていくことがあるんだ。奴隷制度や公民権運動がそうだ。平等は心やさしい権力者が与えたものではない。人民が戦って勝ち得たものだ。誰かが戦わない限り、社会は変わらない。おとうさんはその一人だ。
 (中略)
 おまえはおとうさんを見習わなくていい。おまえの考えで生きていけばいい。おとうさんの中にはな、自分でもどうしようもない腹の虫がいるんだ。それに従わないと、自分が自分じゃなくなる。要するに馬鹿なんだ (p485)

 ただ権威・権力に反対するだけでなく、理想があるのがいい。

 越後島研一 『ル・コルビュジエを見る(中公新書、2007年)
 
 
 「20世紀最高の建築家」とも言われるル・コルビュジエの創造の足跡やその魅力や日本への影響を紹介している。

 ちょっと前に読んでた本(山崎正和『装飾とデザイン』)にル・コルビュジエの代表作「サヴォワ邸」がでてきて興味を持ってたところに、タイミングよくこの本が出たから読んでみた。
 
 
 代表作「サヴォワ邸」は、ガウディの「サグラダファミリア」とは対照的な、装飾のない“白い箱”のようなシンプルな住宅だ。

 ぱっと見、研究所とか実験棟とか(なんとなくサンシャイン60とかクラゲとか)を思い起こさせる。

 無機質だし、街中に溢れてる平凡な建物と似てて、いまいち魅力が分からない。

 この本を読んでも、時代の流れの中での意義は分かったんだけど、建物自体の魅力はよく分からないままだった。

 著者が一生懸命言葉で伝えようとしているのは分かるんだけど、建物の特徴が分かるだけで、どうしてもそれが魅力にまではつながらない。

 「白い箱」的な建物を見慣れすぎたからだろうか。うーむ。シンプル・ビューティは好きな方なんだけど・・・。

 ル・コルビュジエ生誕120年ということで、「ル・コルビュジエ展」をやってるから(9月24日まで)、観に行ってみようかな。リアルに感じればまた違うかもしれない。
 
 
 ところで、日本人は持ち家志向が強くて実際に自分で家を建てる人も多いんだから、建築学って、もっと馴染み深い学問であってもいいと思うんだけど、意外なほどにマイナーだ。

 テレビCMを見て初めてガウディを知る、都知事選に出て初めて黒川紀章の作品を知る、そういうレベルの人が多い。

 自分も同じようなもんだ。( かつては週末に入ってくるモデルハウスとかの大量の折り込み広告を片っ端から見る少年だったんだけど。)

 建築についての玄人的な視点を持った国民がもっと増えれば、雑多な街並みも、景観訴訟も、眠るだけの家も、いろいろ変わるかもしれない。

 でも、建築学に触れる機会というのはなかなかない。ちょっと興味を持ってもとっかかりがなかったりする。小中高はおろか、大学(文系)の教養科目にもないし。

 そんなわけで、文系の学ぶ意欲のある人たちのスタンダード、新書には頑張ってほしいなと思う。

 行方昭夫 『英文の読み方(岩波新書、2007年)
 
 
 「 正確な日本語に訳せて初めて英語を理解できたと言える 」という考えの下、正確な英文読解力を身に付けるためのポイント(※前提的な英文法の知識がある人向け)を丁寧に解説している本。

 英文を理解するのに欠かせないにもかかわらず学校教育でしっかりと教えられることの少ない(と自分の経験から思う)ポイントがいっぱい説明されているし、英語を「 文法を理解して機械的に英単語を日本語に置き換えるだけ 」だと思っていては味わえない英文を読むことの楽しさも伝わってくる。

 だから、中高生くらいが読むといいと思う。もちろん、受験英語を終え、その英語を使って英語の簡単な本でも読んでみようかという大人にもいい。
 
 
 ただ、「 ここまで細かく訳し分ける必要があるの?」と疑問に思うところもないこともない。

 そうなると、そもそも「正 確な日本語に訳せて初めて英語を理解できたと言える 」という考えはどこまで妥当するのだろうか?という疑問に行き着く。

 とはいえ、「正確な日本語に訳せるようになること」が英語理解度の重要な尺度であることは間違いないし、自分はまだそこを目指すべき人間ではあるのだけど。
 
 
 ところで、思えば、まだ英語の小説(小説こそ微妙な読解・訳が重要になる)を一冊も読み通したことがない。

 この本で紹介されているgraded readersシリーズでも読んでみようか。( 思えば、graded readersシリーズなんて便利なものがあるのも初めて知った。)

 宮台真司 『世紀末の作法――終ワリナキ日常ヲ生キル知恵(角川文庫、2000年)
 
 
 90年代の中頃から終わり頃を中心に、社会問題に興味を持っている人は皆、宮台真司を読んでいた。会話をしていてふと出てくるちょっとした単語であるとか主張であるとかに、「あー、この人も宮台読んでるな(ニヤリ)」と感じさせたものだ。もちろん、中には宮台に心酔しすぎた「ミヤダイくん」を生み出しもしたんだけど。せっかくだから言っておくと、「ミヤダイくん」って、たいてい、宮台本人ほどのすばらしい能力を持ってない人が、宮台の考えを自分にそのまま移植することで万能感、「俺って頭いいだろ」感を感じて悦に浸っていただけだから、社会で生きていく中で、いずれ、宮台本人と自分とのそもそもの(いろんな)能力や感性の致命的な差に気付いて絶望してるんじゃないかと思うんだけどどうだろう? そもそも宮台を熱心に読んでしまう時点で、意味とか物語にすがらないマッタリした生き方ができてるとは言えないし。

 まあ、そんなイタ極端な人たちは置いといて、ともかく、ちょっと前はみんな宮台を読んでいた。その頃の宮台は、ブルセラ女子高生・援交女子高生の生き方を、「成熟した近代」という「終わりなき日常」があるだけの新しい時代に適応した生き方だとして賞賛していた。そして、意味、物語、道徳、歴史、偏差値、学歴、肩書き、社会的使命などにすがっている(主に)高学歴の男子(若者も大人も)の実存を見抜き、否定していた。いや、ただ否定するに留まらず、ある種、イデオロギー暴露をすることで、そういう人たちを辱(はずかし)めていた。(説教して安心するオヤジ!、歴史に慰撫されるオヤジ!etc.) それらは、鋭い心理的な洞察と冷酷なまでの現実主義的な分析に裏付けられていて、かなり説得的でもあった。それだけに、自分の内面(実存)に耳を傾けることなしに、もしくは、冷静に現実主義的な分析をすることなしに、安直に、「女子高生の性交を禁止しろ!(淫行防止条例を制定しろ!)」だとか「日本の悪いところが書いてある教科書は使うな!」だとかいった道徳的、自由主義史観(自慰史観ともいう)的主張を表立って語ることは(それなりに)はばかられた。

 翻って今の日本を見るに、宮台による抑止効果が全くなくなったかのように、実存的な主張を堂々とする人が増えたように見える。(ネットの浸透がそう見えさせているだけかもしれないし、社会のアトム化のさらなる進行によってそういう人や雑誌などの主張がより過激化( ←こういう現象をgroup polarization=集団分極化という)したためにそう見えるだけかもしれない。 ) そういう人たちの、主張の帰結への現実的な配慮の完全なる欠如や、感情やら道徳やらを主張の根拠にして全くはばからない態度を見るにつけ、彼らが宮台を読んでいない(もしくは読んだけど忘れた、あるいは読んだけど理解できなかった)であろうことは容易に推測される。( 道徳的主張をしてはばからない一人である弁護士の橋下徹は「宮台を読んでも理解できなかった」と宮崎哲弥に言っていたと宮崎がある対談で明かしている。)

 この背景には、宮台自身が主張の焦点を変えているというのもある。すなわち、「終わりなき日常を生きろ」という主張から「アイロニーとしての天皇」だとか何だとか、議論の主戦場もアプローチも変えた。彼なりの戦略に基づいてはいるのだろうけど、個人的には成功してるとも思えないし、その意図もいまいちよく分からない。

 また他方で、社会が変わったというのもある。すなわち、デフレ不況が深刻化して、若者の問題や関心が実存的な問題からそれ以前の経済的な問題へと移行した。その結果、宮台は捨てられ、稲葉振一郎をはじめとするリフレ派と言われる経済学で経済を語れる人たちが持てはやされる事態が生じた。

 そんなわけで、実存という視点からイデオロギー暴露する宮台は忘れられ、実存から道徳や歴史や政治を語る人が増殖した。(安倍先生による首相になる前となった後の豹変ぶりなんてまさに、彼が以前は実存的な理由からイデオロギー的主張をしていた端的な証拠だよね。)

 そんな状況なら、単純に過去の宮台を呼び起こせばよくね、ということで久しぶりにこの本を読んだ。(おー、なんという長い前フリ!)

 久しぶりに読んで、今の世にはびこっている社会問題についての各種発言への批判としてもモロに有効だし、その他にも実に色々と思考が促された。久しぶりに刺激的でおもしろい読書体験だった。

 そんなわけで言いたいことはいろいろあるけど、そん中から一つ。

 やっぱり、「まったり革命」は無理だ。もしくは無意味だ。そんなのできるの(もしくは有意味なの)は、ほんの一部の人だけだ。

 批判はいくつかの観点からできる。

 ということで、いろいろ批判していこうと思ったんだけど、あまりに長くなるし、若干宮台の主張で一貫した整理が出来ないところがあるから、今回はここで止めておこうと思う。(!w)

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