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by ST25
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 キャシー・アッカー 『血みどろ臓物ハイスクール(渡辺佐智江訳/白水社、1992年)
 
 
  ポストモダン・パンク作家、また稀代のアウトロー作家として欧米ではすでに熱い支持を獲得 ( 著者略歴より )している女性作家キャシー・アッカーの1984年発表の代表作。

 すげー!

 アッカーもすげーが、訳者の渡辺佐智江もすげい。

 この作品の前では、金原ひとみの「蛇にピアス」なんて、かわいい優等生的お作文にしか見えない。( まあ、もともと金原ひとみの作品の結末は優等生的ではあるのだけど。)

 何がすごいかと言うと、色々すごい。

 まず、何を書いてるかというと、 我々の心の中にくすぶる狂気と孤独と愛と憎悪の混沌 ( 訳者あとがきより )。

 それが、一人の10代前半の女の子ジェニーが、父親と何の道徳的くびきもなく恋愛・性交したり、ペルシア語を勉強したり、現職大統領の性癖を明かしたり、読書感想文を書いたり、作家ジャン・ジュネと放浪したりする中で描かれていく。

 その方法も、普通の小説もあれば、独白調もあり、童話もあり、パロディもあり、戯曲もあり、章全体が詩なのもあり、と自由奔放。( もちろん、性的言葉も頻出。)

 文の前後の脈絡がないのは当たり前。

 でも、それでも主人公の気持ちの流れがすごくよく分かるのだからすごい。

 まさに 我々の心の中にくすぶる狂気と孤独と愛と憎悪の混沌 が表現されているのだ。

 「なんでそんなナンセンスなものがきちんと何らかの感情を描きえているのか?」( 素人(特に若者)が勢いに任せてただ適当に言葉を書き付けただけではこうはならない)、については一冊を一回読んだだけではまだ分からない。

 他の作品も読んでみたい。

 けど、そんなキャシー・アッカーの作品が軒並み絶版で、古本屋か図書館でしか手に取れず、古本屋や図書館でさえもそんなにいっぱいあるわけではない状況というのは残念だ。
 
 
 それにしても、こんな青くて若くて欲動全開の魂の渇きを、女性が描きえて、女性が訳しえたというのは衝撃。
 
 
 ※ 言うまでもなく良い子は読んじゃダメ。

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 中島みち 『「尊厳死」に尊厳はあるか(岩波新書、2007年)
 
 
 医師が人工呼吸器を恣意的に外して殺人容疑で捜査された「射水市民病院事件」についての詳細なルポを通じて、「尊厳死とは何か」、「終末期医療のあり方とは」を明らかにしようとしている本。

 前半3分の2ほどが事件の詳細に当てられ、後半の3分の1ほどが尊厳死や終末期医療の現状と今後についての総括に当てられている。
 
 
 この一事件について詳しく記す理由として、著者は、この事件には現在の医療が抱える様々な問題が関わっているからだとしている。

 すなわち、 各診療科の風通しの悪さ、医療技術の進歩や社会の動きに伴う医療倫理の基準やルールの変化に鈍感な医師の独善とご都合主義、患者や患者家族との情緒的つながりに安住し「インフォームド・コンセント」も「チーム医療」もどこ吹く風といった昔ながらの体質、医師の恣意的誘導のままに決められていく患者家族の医師、医師が「脳死状態」と告げさえすれば直ちに患者の命を諦める家族の心模様と世の風潮、高齢者が自宅で死ねず病院が「姥捨て場」になっている現今の家族事情と医療経済事情、等々 (pp124-125)である。

 確かに、これらは大事な問題だし、この「射水市民病院事件」の背後に存在していた問題ではある。

 だけど、著者自身の膨大な取材が明らかにしたように、この事件に関しては、こういった“医療制度・医療文化に関わる一つ一つの問題”よりも、“当該医師個人の問題”に帰するところが大きい。医療知識や医療ルール・医療倫理に関して当然に想定されるべき最低のレベルを下回っているからだ。( 例えば「脳死」についての知識。)

 したがって、この「射水市民病院事件」を通して現在の尊厳死や終末期医療の問題一般に迫るという所期の目的は果たされていない。
 
 
 また、後半の3分の1で行われている総括的な話に関しても、「 安らかに見える死に方がなぜ“尊厳ある死に方”と言えるのか?」、あるいはさらに突き詰めれば、「 尊厳死はなぜ正当化されるのか?」といった、根源的で“それが全て”な問題が全く問われていない。
 
 
 そんなわけで、尊厳死や終末期医療を考える一つ事例を知る(「こんなことがあり得るのか!」)という点では有益だけど、(タイトルから想像される)尊厳死問題一般を考えるという点からするとあまりに不十分。
 
 
 そんなこの本を読んでるときにくすぶっていた尊厳死について根本的な疑問等を1つ2つ。

 思うに、尊厳死を主張する人たちというのは、①実は自殺を容認し、②実は年寄りの命の価値は小さい、と考えているのではないだろうか。

 でなければ、①'医療技術的に可能な治療をあえて拒否することが、②'死期が近い場合には許される、という主張を正当化することはできないはずだ。

 「“生きるか死ぬか”も、“いつ死ぬか”も、個人の自由だ!」と主張する限りにおいてしか整合性は保たれない。

 この2つの不誠実なダブルスタンダードは議論を混乱させるだけだ。

 はっきり言えばいいのに。
 
 
 それから、宮台真司みたいに“自己決定の貫徹”という観点からこの問題をも語ろうとする(と思われる)人たちには次のような批判を投げかける。

 すなわち、自己決定権というものはあくまで生きていることが前提となっている考えだ。したがって、その範囲外である「生きるか死ぬか」の問題にまで自己決定権の考え方を適用できると短絡的に主張することはできない。実際、産まれる段階では自己決定できない。生死に関しては次元が異なっているのだ。また、誕生が親の専権事項というのなら、デザイナー・ベイビーを創る親の自己決定権は保障されるべきなのか。

 人間には自己決定できないものの存在が付きまとう。

 それが、社会(階層)の固定化を防いだり、逆に社会(秩序)の安定化を作ったりしているのではないだろうか。詳しくは分からないけど、人類の進化もそれがあって初めて可能なのではないだろうか。

 思うに、(まだ試論的なレベルの主張ではあるけど、)生と死に関しては、何らかの“偶然性”、“人間の手の不可及性(※造語)”の存在が、必要なのではないだろうか。 (※ 妊娠中絶に関しては、どの段階から胎児をヒトと見るべきかという問題であるから、この主張によって直ちにプロライフ=妊娠中絶反対派になるということはない。)

 C.N.パーキンソン 『パーキンソンの法則(森永晴彦訳/至誠堂、1996年)
 
 
 今から50年程前に刊行され相当話題を呼んでいた(そして今でもそれなりに話に出てくることのある)、組織の生態・病理について事実と冗談とを混ぜながら至ってマジメ風に分析している本。

 山形浩生の書評およびお薦め本で知って読んだ。

 いわゆる狭義の「パーキンソンの法則」だけでなく、 議題の一項目の審議に要する時間は、その項目についての支出額に反比例する (p42)という“関心喪失点”の話や、 〔閣僚の〕メンバーの数は二十から三十、三十から四十へとまし、やがて千を越すことも遠くはない (p61)という“閣僚の定数”の話や、退職の潮時になった人を辞めさせる方法など、おもしろい話が色々と出てくる。

 山形浩生が指摘してるようにパーキンソンの法則からすると業務効率化というものの虚しさが明らかになる。

 また、“関心喪失点”の話は地方自治体・地方議員による「道路作れ」という(いまだになされる)主張の愚かしさの内実を暴露してくれる。

 と、それなりに現実にもそぐってしまう話でもある。
 
 
 こういう本を読むと、組織って、主客の転倒した人を生み、育て、そんな無能な人に居場所を与えるためだけにあるようにしか思えなくなる。

 けど、まあ、それなりに意義もあるのだろう。

 そんなわけで、ミルグロム&ロバーツの『組織の経済学』も読みたいけど、値段と分量のためなかなか手が出ない。

 高山聖史 『当確への布石(宝島社、2007年)
 
 
 2007年の「このミステリーがすごい!」大賞の優秀賞受賞作、に加筆したもの。

 ワイドショーの人気コメンテーターである女性大学助教授が衆院補選に出馬し開票を迎えるまでの“過去”に絡んだ様々な事件を描いたミステリー小説。

 謎や仕掛けは“質より量”で、一つ一つの質は低くてありがちなものにすぎない。けど、量は多い。

 その結果として、完成度・満足度・満腹感は高くはないけど、気分転換用の読み物としてとかならある程度は楽しめる。
 
 
 AmazonとかBooklogのレビューだと「選挙の描写はおもしろかった」というのがけっこうあるけど、多少なりとも選挙や政治のことを知ってる人間にとっては、目新しさもおもしろさもない。むしろ、ベタすぎて現実よりつまらないとさえ言える。

 政治家はとりわけ、自分のことを大きくおもしろく語ろうとする人種ではあるけど、政治家の自伝とか伝記にはもっとおもしろい逸話がいろいろ書かれてたりする。
 
 
 それから、こんなことはいくらなんでもあり得ない、と言わずにはいられないのが次のところ。原因と結果を取り違えている。(そして、真の原因を見逃している。)

この層〔=都心の有権者〕には、浮動票と同じ反応をする有権者が多いともいわれている。ゆえに、野党第一党支持であった有権者が、その選挙の流れを判断し、与党公認候補へ票を投ずることもあり得る場所なのである。 (p170)

 著者がそんなに政治のことを調べてないことが伺える。
 
 
 そんなわけで、(謎、仕掛け、選挙描写、下調べ、等)全体的に浅くて薄い、特筆に価するような作品ではない。
 
 
 ただ、当初の安易な思い込みを裏切るタイトルの付け方はうまい。

 大屋雄裕 『自由とは何か――監視社会と「個人」の消滅(ちくま新書、2007年)
 
 
 あらゆる学者・学説を紹介しながら、「監視(カメラ)社会における自由とは何か」という現代的トピックを中心に、自由という概念を多面的に照らし出している。

 3章からなるうちの第1章と第3章は既存研究や歴史の紹介がほとんどを占めているから、内容的に興味深いのは監視社会という時事問題(を通して自由)を扱っている第2章。

 なんだけど、洞察が大雑把で突き詰められていない。
 
 
 例えば、メーガン法の問題点として、犯罪歴が職場に知れ渡りクビになったというような話が挙げられている。だけど、犯罪者の氏名の公表はメーガン法の有無にかかわらず存在している。( もちろん調べやすさの程度は異なるにしても。)

 このような基本的な事実を無視した上で、〔メーガン法は、〕再犯が起きる可能性だけでなく、更生して新たな罪を犯すことなく生きていく可能性や、自らの経験を踏まえてむしろ良き市民に成長していくような可能性をも消し去ってしまう。(pp138-139)と断定するのは、完全に論理に飛躍がある。( 全ての犯罪者の氏名を非公表にすべきだというのであれば話は別だけど。)

 さらに、著者は、メーガン法をも含む“アーキテクチャーによる事前規制”一般にも疑問を唱えている。( 全否定ではないけど。)

 「アーキテクチャー」とは、ローレンス・レッシグが提唱した、人々の規制手段のうちの1つ(他には、法・市場・社会規範がある)で、例えば、空港の長椅子に2席ごとに肘掛を作ることで横になって寝られることを防ぐ、みたいな「物理的に作られた環境(=アーキテクチャー)」によるコントロールのことである。

 著者は、アーキテクチャーによって規制された人々はそれがなければ欲していたであろう可能性さえ奪われるから不自由だし、しかもその不自由な状態に気付かないから虐殺に加担しても気付かない云々、という主張を展開し、事前規制やアーキテクチャーによるコントロールに懐疑的である。

 だけど、素朴に思いつく疑問として、「アーキテクチャー的な規制の全くない“自由な”社会とは一体どんなものなのか?」と問いたくなる。原始時代とか?

 すでにアーキテクチャー的な環境に満ちた現代社会において、今さら“アーキテクチャー的な権力による自由の喪失”を批判するのは馬鹿げている。そもそも、規制の手段(もしくは環境)自体を批判しようとする戦略が間違っているのだ。
 
 
 それから、全体的に、著者が出す“例え”には筋違いなものがけっこうある。

 例えば、監獄の“パノプティコン”のところで類似のシステムとしてAmazonの「おすすめサービス」を出しているのだけど、Amazonのサービスに「支配」(p112)されている(と考える)なんて、なんて薄弱な自我なんだと笑わずにはいられない。( ただ、章の最後で簡単に出されているだけの、「孤独死するか、一人身の老人はみんな体育館で暮らさせるか?」という例え話は、孤独死がどこまで問題かという問題はあるにしても、監視の問題を考えるのに有益。)
 
 
 このように、この本は、学問的議論の紹介を中心に据えつつも、イデオロギッシュに自由を擁護しようとする“運動家”みたいに感情ばかりが先走っているところがある。

 だから、一見、学者による誠実な本と見せかけて、その実、それとは反対なところがあるから、「勉強になる」とか言ってありがたがる必要のない本である。
 
 
 ちなみに、個人的には、街中の監視カメラは、安易に飛びついてはいけない話だとは思うけど、これというまともな反論も(今のところ)聞かないから、是としていいのではないかと大分思い始めている。

 ただ、今の現状は、“監視してる人の監視”が不十分だと思う。

 法律や規則でがんじがらめで、不祥事が起こった場合に国民に対して知らせる強い社会的責任があり、マスコミや市民の監視の目が厳しい警察でさえ、不祥事は起こり、しかもそれを隠そうとしたりするのに、果たして、そこまでの厳しい規律や規範や法的知識のない商店街の人とかがしっかり運用できるのかは懐疑的にならざるを得ない。

 これがクリアされ、あと、カメラ設置の事実をしっかり知らせた上でなら、設置もけっこうだと思う。( これなら、基本的には、他人の視線かカメラの視線(24時間可能)かの差しかないはず。良くもあり悪くもあるけど。)

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