忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 ウィリアム・シェイクスピア 『オセロー(福田恒存訳/新潮文庫、1973年)
 
 
 妬みを持ったイアーゴーのデマ(妻が不倫?)を聞いた高潔な黒人将軍オセローが嫉妬を生じさせ破滅に至る物語。四大悲劇の一つ。

 ありもしない話に心を動かされ悲劇に至ってしまうというのはいかにもシェイクスピアらしいやり口。“心(人間)の弱さ”という人類普遍の真理を感じさせる。あるいは、“言葉の強さ”と言ってもいいかもしれない。

 でも、この『オセロー』は、シェイクスピアの他の有名作品に比べると話が深まっていかない印象を受けた。

 人物の中での葛藤があまりないからかもしれない。

 オセローは、イアーゴーにデマを言われた後は全く妻を信じることなく破滅へと突き進んでいく。

 この単線性が話を浅いものにしてしまっているようだ。

 もともと話のシンプルさはシェイクスピアの戯曲の特徴の一つではあるけれど、それでもここまでシンプルだとさすがに軽すぎるようだ。

PR

※ 日々感じたこと考えたことを本記事とは別に、この記事の一番上に足していく形で不定期に書き連ねていきます。

☆★☆★☆★☆★☆

3月31日
・ 暫定税率維持の理由として「環境への配慮」を(ご都合主義以外の何者でもなく)言い出すのはいい加減止めませんか? 福田さん。暫定税率による歳入を環境対策にだけ使うのならまだしも・・・、自然を切り開いて道路造るんじゃ・・・。それに、ガソリンの値段が下がること(とは言っても昨今の原油高以前の水準よりはまだまだ高い)で“余計に”使われるガソリンの量はどれくらいなのだ? そんなに大きな量かね? 大体、ガソリンを多く消費するのは個人より企業であって、安くなったからと言ってそんなに無駄使いするようになるかね?
 ていうか、自民党がそんなに「環境への配慮」を言い出すとは。なら、なんで環境税をいつまで経っても導入しないんだ。

3月30日
・ 歌のような芸術系のものというのは、作品で表現したいことが表現されているか、そもそも表現したいことが良いか悪いか、といったあたりで評価されるべきものなのに、「うまい/へた」という学校教育的な一元的な基準で評価して満足してる人があまりに多くて愕然とする。特に歌。中でも特にアイドルの歌。だいたい、「うまい歌」が聴きたい輩がなんでポピュラー・ミュージックなんか聴いてるんだよ。「うまい歌」が聴きたい人は、音大の声楽科を卒業してる人を探すか、オペラを聴くかでもしろよ。(っていうかしてるでしょ?) それに、例えば、17歳の女の子の恋心を歌うのにオペラ歌手だとか音大卒の資質だとかは必要か?(むしろ無い方がいいくらいだ。)

3月27日
・ バカなのは誰だ? あるいは、責任を果たせないのは誰だ?

政府・与党は27日、租税特別措置法改正案に盛り込まれた暫定税率のうち、3月末の期限切れで増税となる「土地売買にかかる登録免許税」などについて、同法案を4月末に衆院で再可決した場合はその間の増税分を還付する方向で検討に入った。「国民生活に与える影響が大きいため、当面の混乱を避けるのが目的」(政府・与党関係者)という。 (毎日新聞:3月27日12時44分配信)

土地の売買による所有権の移転登記および信託登記等に係る登録免許税の特例措置を延長する。 (民主党税制改革大綱:PDF

 このような税目は他にもある。つまり、ガソリン税の暫定税率のような争点化してる問題だけを切り離すこと(で、いわゆる「国民生活の混乱」をある程度避けること)は可能なはずなのだ。それに応じないのは一体誰?(双方ということもないことはない。)

3月25日
・ 復刊された森嶋通夫の本を購入。

3月22日
この間読んだ本の中で紹介されてておもしろそうだった、清水義範『国語入試問題必勝法』(講談社文庫)を早速ブックオフで買って読んでみた。けど、おもしろくなかった。やりたいことは分かるし、そのアイディア自体はおもしろそうなんだけど、できあがったものはおもしろくなってない。ある程度の人なら誰でも思いつけそうなものと論の進め方が強引なものばかりなのが敗因だと思う。

3月20日
・ 福田首相は「民主党の意向が分からない」ってしきりに言ってるけど、民主党が財務省主流派である主計局系(≒事務次官出身者)じゃない、国際金融系(≒財務官出身者)であれば同意するって何度も匂わせてる(鳩山みたいな幹部が)のを俺は知ってるぞ。「財務省出身者でも国際金融系なら」というのは民主党なりの妥協だと思うぞ。
 ちなみに、民主党が「財務省出身者だから」拒否してると公言してる、読売新聞社説とか御手洗経団連会長って人たちは何なんだろう? 彼らが新聞を読んでないなんてことはないんだろうから、日本語理解力の問題? 記憶力の問題? 嫌いな人の発言は素直に聞けない邪心の問題?

・ 「日産・マキシマ、新型車発売」なんていうニュースを見つけた。懐かしい名前。かつて、いまいちパッとしない同名の日産車が日本にあったのだ。アメリカでは健在だったのか。というかアメリカでは有力車らしい。トヨタでいうカムリみたいなものか。日本ではダメだけどアメリカでは人気という。
 それにしても、この新型マキシマ、かっこいいとは思うけどトヨタ車(カムリ、ウィンダム、アルテッツァ、マークXあたり)に似すぎ。日産車のデザインは変に独自路線を行くと失敗する(フーガとか)からそれよりはマシなんだろうけど、こんな状態では低迷は続くんだろうなぁ。
 まぁ、もちろん、これはあくまでアメリカ販売用だから、これから単純に日本での日産の話をするのは適切ではないかもしれないけど。

3月18日
・ 作家の本棚の写真を収めた『本棚』という本を本屋で見つけた。本好きとしては、人の本棚を見るのはとてつもなく楽しい(very exciting)。作家や学者とかの「読書が仕事」みたいな人のものは特に。何を(種類)、どのくらい(冊数)、どのように(収納法)、持っているのか・・・。 ※ネットで見れる読書家の本棚:山形浩生(PDF)、柳下毅一郎(サイズ変更可)。
 そんなこんなで本棚について色々見たり考えたりしてる中で、奥にしまった本を忘れることで自分の蔵書を把握できなくなる問題の解決法を見つけた。(というほど大袈裟なものではなくて、ごくごく常識的なものだけど・・・) それは、一応自分も作ってはあるネット本棚「booklog(ブクログ)」を使うこと。意味がないと分かりつつも、これまでブクログではこのブログで取り上げたものだけを収納してきた。(たまに短い感想を書いたりはしてたけど。)それを、自分が持っているもの/新たに買ったもの全てを収納(登録)させてしまえばいいのだ。検索機能とか、カテゴリー化とか、アイウエオ順の並べ替えとかが可能だから、自分の持ってる本を簡単に確認することができる。105円の古本市場が非常に充実してる現在、これは非常に便利だ。万歳。
 てなわけで、とりあえず、カテゴリーを増やした上で、片っ端から登録を始めてみたけど、この調子では自分の持ってるものを登録し終えるのは一体いつになることやら・・・。でも、がんばってみよう・・・。

・ ニュース追いかけてるわけでも勉強したわけでもなくて、大雑把な雑感にすぎないけど、アメリカの今の金融危機はサブプライム問題が原因であるとするなら、流通する貨幣量を増やしても更なる悪化を防ぐ対症療法にしかならず、根本的な解決にはならない。根本的な解決には、金融機関とかが抱えてる大量の不良債権をどうにかしないといけない。つまり、これは、バーナンキ・マターではなくて、ブッシュ・マターなのだ。FRBの金利操作に一喜一憂するんじゃなくて、ブッシュ政権が公的資金を使って救済するかにこそ注目すればよろしいのだ。と思うのだ。

・ 「第1章」が期待させといて大失敗だったから打ち切られたのかと思ってたら「第2章」やるんだ、ナルニア国物語。まだ完結編ではないみたいだけど、また失敗したらその次とかどうするんだろう? Show must go on!? もしそうなったら同時上映『モダンタイムズ』以外ないな。

3月17日
・ ネット、復っかぁ~つ!!!OCNサポートのおじさん、ありがとう!!!これでボクは生きていけます・・・。
 いや、これで、ほぼ1ヵ月ぶりにパソコンとネットが完全に復旧した。本格的に復旧に取り掛かってから1~2週間。この機にパソコンについて色々なことを学び、行うことになり、まぁ、いい機会になった。それと、マイクロソフトに対する軽蔑と悪意を強めた。大した技術力もないくせに庶民から大金巻き上げてぼろ儲けしやがって。覚えとけ。

3月15日
・ どうでもいいことだけど、なんで、塾・予備校・家庭教師とか教育系のCMってムカツクようなのが多いんだろう? 魂胆が見え透いてて偽善的になっているのだ。

3月11日
・ 児童ポルノの単純所持に刑を課す法律がアメリカの強力なプッシュもあり立法化される模様。ここのところネットの調子が悪くて調べられてないんだけど(新聞には必要な情報は載ってない。ましてやテレビニュースにおいてをや。)、写真や映像の単純所持というありきたりな行為を対象にするからには、「児童ポルノ」の定義は明確なものになるのだろうか? 児童に対するわいせつ行為をしてるのを撮ったもの、のようなものなら分かりやすいし単純所持の禁止もいいと思うけど、アイドルファンとしては、普通のグラビアまで対象になるのではないかという不安と恐怖がある。普通のアイドル雑誌を持ってるだけで捕まったりしないだろうね? スピードの写真集とかハロプロ系の写真集とか大丈夫だろうね? アイドル業界(アイドル-アイドルファン関係)の健全性、人間性、“非”性的現実を一般庶民は知らないで、やたらとイヤラシイ想像(アイドルを性的対象としてしか見ない)を膨らませてるだけに、恐怖と不安は故ないことではない。(ファンの方がアイドル本人と顔なじみだったりして、よっぽどアイドルを“人”として見ている。) この問題は要チェック。

 ・・・・・てなことを書くと、「お前、ロリコンだろ!」と考える人が出てくるんだろう。でも、人が自分のことをどう見るかというのは自分にはどうしようもないことだ。てなことを、自意識過剰な人はよく認識すべきだ。

・ 相変わらずパソコン/ネットの調子が悪くて(色々作業が必要で時間のかかる)記事の更新ができない。ちなみに、溜まってるネタ(本、芝居)は、タイトルだけ列挙すると、『まぐれ』、『要するに』、『キル』、『小説のたくらみ 知の楽しみ』。

3月4日
・ 成人年齢を18歳に引き下げることに関して、反対の人の方がけっこうな数で多いとの調査結果が公表された。理由で圧倒的に多いのは「精神が未熟だから」らしい。まだ、自分の中で論拠として体系的になってないけど、2つの(重要な)点に注意を払えば、賛成せざるをえないように思える。
 1.選挙権などの各種権利はよほどの理由がない限り制限されるべきではないこと。ましてや「精神が未熟だから」なんていう抽象的で且つ権利の保持と関係があるのか怪しい理由ではもってのほかだ。この人権に関する前提が忘れられているのは、現在の成人たちの民主社会に生きる者としての“未熟さ”を示している。
 2.近年の少年法や刑法の改正を通じて責任能力(刑事責任)はかなり若い年齢から認められるようになっていること。ルールを破ることこそまさに「精神の未熟さ」の現れだ、とも言える。それでも、それくらいの判断能力は若くても有していると考えたからこその少年法等の改正だったはずだ。実際、酒鬼薔薇は実によく社会を理解し、意識し、社会の中の自分という枠組みを有していた(面を世論は重視した)。さて、この2つの相反する流れの整合性をどうやって説明するのか。

 18、19歳の子供たちから「ふざけるな。人権侵害するな。」という反発でも起きれば言うことないんだけど・・・。

3月2日
・ ちょっと前のサッカーの東アジア選手権(?)見てて思ったんだけど、右サイドバックの内田(まだ19歳)はいい選手だ。動きにメリハリがあって、スピードのある動き、ボール回し、展開ができて(※足が速いというのとは全然違う)。ディフェンス面では一対一のとき粘り強さが足りない気はするけど、でも、日本サッカーがレベルアップするためにはこういう選手が必要なのだ。こういう選手がいればヒデの日本代表でのサッカーももっと楽しいものになっただろうに。(ポジションちがうけどシュンスケじゃダメなのだ。)

・ 野球では、日本ハムの中田翔は、かなりいいスイングしてる。けど、いい打球が左方向ばかりなのが気になる。あとは、変化球に対応できるか、ボール球に手を出さないで我慢できるか、守備の下手さがバッティングに影響しないかといったあたりがポイント。この点、テレビのスポーツニュースに情報としての価値はない。から、まだ判断しかねる。

・ やっぱ冬は冬眠に限りますなぁ。なんて言ってたらもう3月だった。というわけで、活動再開。
 いや、パソコンの調子が悪かったもんで、再セットアップ(もう3度目くらい)したら、今度はネットが・・・。もうやだっこんな生活っ。でも、マイPCは実によく頑張ってる。なんせもう8年だから。いや、でも、この古いマシンでブロードバンド・動画時代を耐えてる自分もよく頑張ってる、とは思うけど。
 

 寺島実郎 『寺島実郎の発言Ⅱ――経済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか(東洋経済新報社、2007年)
 
 
 寺島実郎の文章を戦争とマネーゲームの話を中心に集めた本。

 相変わらず、背筋を正される思いがする重い発言の数々。

 なのだけど、いかんせん、本のつくりが軽薄すぎる。

 同じ内容の文が3つも4つも収録されていて辟易する。というか、怒りさえ感じてくる。

 これでは、せっかくの腰の据わったマネーゲーム批判も説得力を失う。
 
 
 それから内容について1つ。

 著者は、戦後日本の「経済主義」と「私生活主義」への過度の傾斜を批判し、「徳」のある資本主義のあり方、「公」を伴った生活のあり方を模索し実践せよ、と主張する。

 しかし、「ああしろ」、「こうしろ」と上から御託を並べるだけでは、著者自身がもっとも嫌う「無責任な行動」になっていると断じざるを得ない。

 (自らの選択の結果として)資本主義と自由主義を基礎に成り立つこの現代社会において、「経済主義」も「私生活主義」も禁止されるどころか促進さえされる。

 その中でいかにして人々は「徳」や「公」の心を持ち得るのか。

 これは重要な問題だ。

 この緊張関係にまで思いを及ぼすことなしに当為論ばかり語ることに(主張者の自己満足以外の)意味はない。

 果たして、歴史にばかり知恵を求める著者にこの緊張関係を解く答えを出すことは可能だろうか。

 著者の人間観、現実観、学問観からして、それは難しいであろう。

 著者が念頭に置くのは常に高貴なるエリート的な人間像だ。

 そんな著者に庶民や庶民の行いについて語ることはできまい。

 語りえるのはせいぜい、外交のような一部の(優秀な)人間が関わる事象のみであろう。

 これがこの人の限界だ。

 その点、利己的な人間像を基礎にした経済学(的思考法)に一日も何日もの長がある。

 が、著者の現実観や学問観からしてそれを受け入れることはないであろう。

 問われているのは強靭な思考の前提だ。
 
 
 と、色々批判はあるけれど、自分の思考の甘さへの自省を含めて得るところのない本ではない。

 岡田憲治 『はじめてのデモクラシー講義(柏書房、2003年)
 
 
 「市民」という言葉に主眼を置きながら民主主義の歴史や思想を説明している本。ちなみに、ここでいう「市民」とは「シトワイヤン」ではなく「ブルジョア」のこと。(だからといって共産主義に偏った理解・説明ではない。)

 前半の中世から現代に至る西洋の政治史(市民史)の説明は簡にして要を得ていて分かりやすい。( 高校の世界史だと細かい人名とか年号に捕らわれすぎていて、より重要なはずのこういう大きな流れを理解できていないことが多い。)

 ただ、後半の日本の(過去と現在の)話になると、前半では少しだった道徳的・俗説的な話がやたら多くなってきて、内容にまとまりもなくなり、読むに耐えなくなってくる。

 道徳と俗説の両方が見事に合わさっている記述を1箇所だけ引用。

そもそも高度経済成長というものがどうして可能になったのでしょうか? 第一には、みんなが一生懸命働いたからです。戦争で荒廃した社会を復興させなければならないという強い気持ちも働いたでしょう。しかし、いくらやる気があっても人々の努力が効率的に動員され、かつ生産へと結びつかなければ、毎年十%を超えるような経済成長が可能となるはずがありません。そして、それを可能にしたのが国家の力でした。 (p173)

 経済学の知見を知らなすぎる。(今どきの学生の非常識をバカにする前に自分を恥じろ。)
 
 
 全体として(「はじめてのデモクラシー講義」として)は、前半の歴史の説明は分かりやすいけど、今の実際の制度の説明もなく、不十分。それに、個人的見解も多数紛れ込んでいて、キャッチーなタイトルに見合った内容にはなっていない。

  柿喰う客・第12回公演 『 サバンナの掟 』 作・演出:中屋敷法仁2008年1月5日~6日@シアタートラム
 
 
 ひと月以上前の「柿喰う客」の芝居。

 再々演の作品。観るのは再演のとき以来2度目。

 やっぱりおもしろい。

 観終わった後の頭の熱くなりように「柿」を感じた。

 ただ、再演のときの方が、よりカオスでよりディープでよりおもしろかった。(演出、キャスト、劇場の大きさ等の理由による。)
 
 
 援交女子高生を買ってる女性総理大臣、アジアの恵まれない子供たちにワクチンを買うためにせっせと援交してる女子高生、自分の頭に銃を突きつけて生きがいを確認しながら生活してる刑事など総勢30名が、それぞれの思惑を実現すべく一大スペクタクルを繰り広げる。その一方で、援交相手にアソコを噛まれた女子高生がその噛んだ相手に心惹かれ探し回る・・・。

 相変わらず、単純で、アホで、くだらなくて、何物にも敬意を払ってなくて、全てをバカにしてて、おもしろい。

 でも、その一方で、個々で見ればありえるものを組み合わせただけでしかなかったり、普通のこと・正しいことをちょっと過剰にしただけだったり、人間のある核心を突いてたりして、さらにおもしろい。

 この二重のおもしろさが「柿喰う客」の頭を熱くしてくれるおもしろさ。

 あらゆるものに隙なく、対比とか矛盾とか批評性とか2つの意味・役割が潜み込まされている。

 こうした深みの存在の結果、外見のくだらなさとは裏腹に、実にリアルな世界が(強烈な批評性をもって)描かれることにもなっている。

 これぞ、現実を芸術的に表現する正統なあり方(の1つ)。

 すばらしい。有意味。

 ただ、それだけに、「アソコを噛まれた女子高生がその噛んだ相手に心を惹かれてしまう」という話は、それが何らかの現実性を有しているものだとしても、見せ方は単純(単層的)で描かれ方も不十分なために、違和感や安っぽさを感じさせてしまっている。( 今回のその女子高生役が心の闇や孤独感を表現しきれてなかったというのはあるにしても。)
 
 
 「15+15」の芝居より「15×15」の芝居の方がそりゃおもしろい。(つまり、「足す」より「掛ける」方がおもしろいと言いたい。)
 
 
 ところで、この劇団の芝居の雰囲気は、脚本家・演出家である中屋敷法仁の雰囲気と合っているから自らも出演した方が良いと思うのだけど、最近全然出ていない。

カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]