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by ST25
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 奥菜恵 『紅い棘(双葉社、2008年)
 
 
 奥菜恵がこれまでの色々なことを綴った自叙伝。

 理想と現実の自分とのギャップに苦しんでる中高生の日記みたいで痛々しい。とても28歳(で普通とは違う経験を色々した人)が書いた文章とは思えない。表現者として生きていきたい!ありのままの自分を認めてほしい!ばっかり。( そのくせ具体的に何を表現したいかについては語られない。)

 色々な経験をしても、その都度ありきたりな言葉を安易に当てはめて(自己)満足していて、(彼女独自の)考えや言葉が全く深まっていかない。より適切な理解や言葉を見つけるより、聞き心地の良い言葉を当てはめて安易な安心と自己陶酔を満たすことで満足してしまっている。

 その結果、言葉に実感がこもっているのは、元夫への怒りが爆発してる箇所とか父親への愛情が語られてる箇所とかほんのわずか。( あなたの幸せってお金? 肩書き? 世間体? 高級レストランに行くこと? 外車を乗り回すこと? 私はそんなの求めてない! 私はお金と結婚したんじゃない! p108。)

 他のところは、飾り立てた言葉が空しく(痛々しく)流れていくだけで、読んでいても一人の人間の(重厚な、とまでは言わなくても、地に足の着いた)生や心を実感することができない。( 鏡の中に映ったへなちょこパンチの自分と目が合った。/「げっ、半べそ・・・」/その滑稽な自分の姿にちょっと笑えた。 p15。)
 
 
 そんなわけで、彼女としても本当に言いたいこと(心の中)を表現できてないんじゃないだろうか?
 
 
 でも、そんな不器用なところが、奥菜恵らしさ、なのだろう。

 けれど、そんな不器用さを、見つめることはおろか、(無理やり)気付こうともせず、さわやかに吹っ切れたように振る舞い活動していこうとしている奥菜恵というのは、相当に脆くて危ないと思う。

 神だのスピリチュアルだのパワースポットだの愛だの酒だの芝居だのってのも全て、安易な納得・安心や全面的な依存対象を得ることで自分と向き合うことから逃げるための方便や道具として、恣意的・独善的に持ち出されるに過ぎない。( 「昇華」という一足飛びな変化を表す言葉を多用していることからも、ありのままの自分から逃げようとしている姿勢が窺える。)

 深化か現状維持か、この先、彼女はどうなっていくのだろうか?
 
 

 この一歩が自分の道であるために
  内なる声に耳を傾けること
  信じること 諦めないこと
  この想いが私の軌跡となる (p11)

 

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 岩澤倫彦・フジテレビ調査報道班 『薬害C型肝炎 女たちの闘い――国が屈服した日(小学館文庫、2008年)
 
 
 薬害C型肝炎問題の世間への啓発を先導したフジテレビ「ニュースジャパン」のディレクターによる、問題発生から政治決断がなされるまでのドキュメント。

 患者たちの強いられた境遇や気持ちがよく伝わってくる。

 そして、だらしない政治家(大臣を含む)や官僚がいっぱい出てきて、なんだか残念な気持ちになる。

 ただ、法的な話、医学的な話については言及が不足していて、これを読んだだけでは判断を下しかねるところがある。( 裁判での国の主張を逐一検証・論破するというような部分はない。)

 そんなわけで、いくつか参考にリンクを。( たまには、こういう原資料に当たるのも問題の起こり方・態様のイメージとかリアリティを得るために大事だと思う。)

薬害肝炎-Wikipedia
薬害肝炎訴訟弁護団のHP中の国・製薬会社に責任を求める理由部分
国の包括的な調査報告書(2002年)(行間の狭いベタ打ち。もっと読みやすいの作れバカヤロウ)
もっとも国に厳しかった名古屋地裁判決についての国の意見(東京地裁判決のではなかったフォントを大きくした赤い文字まで使ってる)
自民党議員主導の「418人リスト」の調査結果(「反省すべきだけど責任はない」)
 
 
 それにしても、話はやや飛ぶけど、厚労省が正しい方向に機能していないというのは日本国民にとって本当に不幸なことだ。

 財務省は(ときどきかなりウザかったりするけど)歳出抑制や増税を(「国益」として)ひたすら追求している。同様に、国土交通省は道路整備や空港整備をひたすら追求している。環境省は自然保護やCO2削減をひたすら追求している。経産省は企業活動の促進をひたすら追求している。それぞれが対立することはあっても、お互い競い合うことで、色々な主張・利益が表に出て、論点・争点が見えてくる。そして、対立は(選挙で国民と繋がっている政治家・大臣が)政治判断によって解決すれば良い。

 ここで、厚労省は手厚い医療や福祉の高福祉国家をひたすら追求する機関であるべきだ。だけど、厚労省からそういう主張がなされているとは皆目聞かない。( 医者や製薬会社の利益を追求したり、医療代・薬代を高くしたり、障害者に自己負担を求めたり、何十年も前からアメリカあたりでは常識だったアスベスト問題を(天然で?)放置したり、してる。)

 厚労省は、医療や福祉で国民を守れなかったときの責任の心配ばかりして臆病になってないで、もっと明確に高福祉国家を目指し、そもそも国民を守れない事象が発生するのを大胆に減らすことを目指せばいいのだ。そして、そうしようとしているにもかかわらず(医療や福祉で国民を)守れなかったときは、支出をケチったり経済活動を優先したり無駄に道路造ったりした財務省や経産省や国交省や内閣や国民の責任に(暗に)すればいいのだ。

 うざったく感じるところはあっても、これこそが厚労省の仕事だ。


 山形浩生 『要するに(河出文庫、2008年)
 
 
 会社員で評論家で翻訳家な山形浩生の雑文集。(大抵の文章は著者のウェブサイトで読める。)

 一応かつての単行本が基になってはいるけど、色々入れ替えたり並べ替えたりされてるから、単行本版に比べると大分まとまりのある構成になっている。

 扱われてるテーマは、社会・経済関係が多い。言われてる内容は、基本的な知識(であるべきもの)や真っ当な物事の見方(であるべきもの)を分かりやすく説明してるものが多い。( 例えば、「会社って何?」、「株価が変動する仕組みって?」、「新聞を読む意味って何?」、「少年犯罪者の顔写真って見てどうするの?」、「マイクロファイナンスって何?」。)

 もちろん、それ以外にも、ファイナンスの理論を社会や日常生活に応用したオリジナルな議論を展開しているものもある。

 けど、やはり、基本的には教科書的な部類に属する内容が多い。(教科書には絶対に書いてない内容であっても。) それは、タイトルを見ても、帯の宣伝文句社会人になる前に読んでごらん。を見ても分かる。

 個人的には、同じ著者の第一弾雑文集である『新教養主義宣言』(河出文庫)の方が、(文学系が多いという内容の違いはあるけど、)著者の主張が全面に出ていて、しかも書評として書かれたものが多く収録されていて次に繋がるものが多くて、好き。

 ちなみに、文庫用に、本文中で“超人”として登場している稲葉振一郎が「解説」を書いている。けど、大した解説もしないで自説(しかも仮説)を披露していて、“超人”の片鱗も見られず、(期待していただけに)がっかりする。

 と、あまり浮かないことばかり書いてきたけど、テレビや新聞からの情報で(自己)満足してる社会人なら、読んで得るところ大であること請け合い。


 高橋洋一 『さらば財務省!――官僚すべてを敵にした男の告白(講談社、2008年)
 
 
 小泉・安倍政権下で(主に竹中平蔵の手足として)郵政民営化や財投改革のシステム設計などを担った官僚による内幕もの。

 (一応)財務官僚でもある著者が経験したこと、考えていることがかなり率直に語られていて、官僚のダメさ(無責任、保身、陰湿な抵抗、経済・経営オンチなど)と、著者のダメさ(独善的、独善的、独善的、政治オンチなど)がよく伝わってくる。

 数学と経済学に通じている著者による郵政や財投や年金などの制度設計の話は説得的だけど、それ以外のところ(全体の8割くらい)に満ちている著者の独善的な推測や解釈や主張は、官僚の絶望的なダメさ(周知のことだから以下では特に触れない)とのあわせ技の効果もあって、読んでてすごく疲れる。
 
 
 例えば、政策を選ぶのは国民や政治家であって官僚はそれに従うだけだと最初に自分で言っておきながら、その後のページでは「正論」だの「国益」だの「普通に考えると」だのといった言葉で正当化された著者の主張が唯一の正しい解答であるかのようにたくさん語られている。これぞ、自らが批判した自分たちに都合がいいように誘導〔する〕(p3)という官僚の典型的な手口じゃないのか? (独善。)

 それから、 (自分が押し進めた公務員制度改革や社保庁解体によって)霞が関のサボタージュが始まり、安倍政権は足下をすくわれる。自分の考えた政策には一点の曇りもなかったが、それが安倍さんの退陣を早めたのかと思うと、どこかやりきれない気持ちも心の片隅にあった。(p17)と言うのだけど、安倍政権が倒れたのは参院選敗北による国会の“ねじれ化”(停滞化)が主因(安倍晋三の資質の問題も大きい要因)であって、思い上がりも甚だしい。(自己陶酔。)

 また、安倍総理が、事務次官会議が了承しなかった案件を閣議に諮るという凄いことをしたのにマスコミが報道しなかったのは、マスコミが自らの情報源である役所の意向に反する記事を書くと記者クラブから締め出されて情報が入ってこなくなるのを恐れたからだ(p247)と言うのだけど、「事務次官会議が了承しなかった案件を閣議に諮った」ことが報道されることを、役所はそこまで(=記者クラブから締め出すほど)嫌がるだろうか? また、それなら、なぜ、役所のダメさ加減がこれでもかというくらいに分かる記事や番組が世の中に溢れているのだろうか? (パラノイア。)

 最後に、色々なダメな要素が詰まったお得な箇所を一つ抜き出しておこう。

民主党は、人材バンクはけしからんと声を大にするが、けしからんのは民主党案のほうではなかろうか。
 われわれの案と民主党案のどちらが適切か、選ぶのは国民だ。国民が民主党案がよいと判断すれば、それでもいい。野党や反対派があくまでも人材バンク廃止にこだわるなら、国民の了解のもと、能力主義の導入と引き換えに、人材バンク廃止を呑むという選択肢もある。
 ただ問題なのは、国民には客観的に選択できるだけの材料が与えておらず、国民が民主党案を真に理解できていないという現実である。
 私はマスコミから取材されるたびに、民主党案の問題点を指摘した。しかし、口を酸っぱくしていくら説明しても、この件についてはどこも無視同然で、記事にしたマスコミは、今のところ一社もない。
 中川秀直元幹事長も、参院選のときに、民主党案の欠陥を声を大にして国民に訴えたが、これもまた暖簾に腕押しだった。
 マスコミが垂れ流すのは、民主党の「天下り全面禁止」という耳触りだけはよい謳い文句で、その先にある、高給取りばかりの役人天国にはまったく触れようとしない。
 理由は定かではないが、「霞が関が裏で糸を引いている。職員の労働団体である官公労がバックで糸を引いている」と分析する人もいる。 (p251)

 言うべきことは色々あるけど、一つだけ言うなら、財務省をはじめ各省庁から嫌われ、いじめられた人間が、「客観的」とか自称するな。

 
 こういう人は、得意の数学と経済学を活かしてしこしこと分析や制度設計の大量生産を行うか、独善や自己陶酔やパラノイアといった“政治家の資質”を活かして政界に入るか、どちらかに特化すべきだろう。


 大江健三郎 『治療塔(講談社文庫、2008年)
 
 
 20年近く前に書かれた大江健三郎のSF小説。

 とはいっても、SF的な設定・話は最初と最後(特に最後)に出てくるだけで、多くはそれとはあまり関係ないところで話が進んでいく。
 
 
 1986年のチャレンジャー号爆発事故とウィリアム・イェーツの詩から主要なイメージを得、小説の中でも重要なものとして登場してくる。

 そんな道具立てを用いて描かれるのは、宇宙開発競争や階級分化に代表される科学主義や資本主義という現代社会の進化の方向と、それとは反対の「人間主義」(とでも呼びそうなもの)や自然主義との相克。そして、全編を通してその描写の中に、人類に対する「悲しみ」が漂う。

 ただ、宇宙開発、科学主義、階級、工業化といった色々な問題の一つ一つは簡単かつ典型的に描かれる程度で、何らかの主題が深められることはない。ほとんどは、主要登場人物の頭や小さな集団の中というミクロなレベルで自己完結していて、社会とか科学といった外部のもの(≒SF的設定)との対話は行われていない。

 そのため、著者がこの小説で描こうとしている科学主義や資本主義の(過度の)深化に対する否定的な感情・主張(と再生への希望)は、全く説得的なものになっていない。

 で、結局、(文庫化のために付されている著者自身による「感想」でも強調されている)「悲しみ」、の雰囲気を味わうだけの小説。

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