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 カール・セーガン 『人はなぜエセ科学に騙されるのか(下) (青木薫訳/新潮文庫、2000年)
 
 
 「懐疑」を中心に科学的な思考の意義を説くエッセー。

 上巻(感想)は宇宙人誘拐説といった具体例(の素朴な科学的解釈)をたくさん扱っていたけど、下巻は科学の役割とか科学の楽しさとか科学教育とかいった科学全体に関する話が中心。

 そんなこともあって、社会に対して、あたかも“科学者代表”として科学の意義や楽しさを必死に訴えんとする著者の熱さや愚直さまで伝わってくる。

 また、科学との関係で自由や民主主義の意義にまで語り及んでいる視野の広さには感心する。

 下巻まで読んで初めて、気高く教養深い著者の素晴らしさに感じ入ることができる。「科学者の良心」という呼び名も伊達ではない。

 ただ、その愚直さは「科学の楽しさ」を伝えるには愚直すぎると思うけど。( それは本書の中でも出てくるけどファインマンとかグールドとかの仕事なのだろう。)
 
 
 最後に、著者らしく、個人的にも印象深い言葉を(再)引用しておこう。

 まず、独立戦争で活躍したアメリカの革命家イーサン・アレンの言葉。

理性など役に立たないという人たちがいる。そういう人が真面目に考えなくてはならないのは、いったい自分は理性的に理性に反対しているのか、理性的でなく理性に反対しているのかということだ。 (p77)

 続いて、『種の起源』のダーウィンの言葉。

確信というものは、知識のあるところよりも、知識のないところから生まれることが多い。あれこれの問題は科学では決して解明できないだろうなどと自信ありげに断言するのは、知識のある人々でなくて、無知な人々なのである。 (p96)

 最後に、2人のアメリカ大統領の言葉。

どうして知的好奇心などに助成しなくてはならないのか。
      ロナルド・レーガン、1980年、大統領選演説 (p290)

何にもまして助成に値するのは、科学と文学であります。どこの国であろうとも、知識こそは、人民の幸福の土台として何よりたしかなものだからです。
       ジョージ・ワシントン、1790年、議会演説 (p290)

 

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 読売ジャイアンツvs.横浜ベイスターズ ( 2008年4月23日18時~/@東京ドーム )

 ◆結果:巨人6-2横浜 ( 勝:西村、負:寺原 )
 
 
 野球を見てきた。

 何気に東京ドームは初めて。巨人ファンじゃないし、チケット取るの大変そうだし、で。 東京ドームも今となってはもう新しくはないけど、あちこち結構きれいな印象。(神宮、西武との比較。) ほぼ満員でも出口とか売店でそんなにイライラを感じないのも好印象。(神宮、西武との比較。)

 なにはともあれ、生はいい。あの開放感、臨場感、迫力。プロ野球はテレビと生とで印象が大きく違うものの1つだと思う。(F1も全然違う。) 野球少年は早いうちに絶対に行くべし。(って言わなくても行くと思うのはきっと正しくない。)

 それで、試合。(以下、主にアンチ巨人=今回は横浜ファンとしての視点。)

 先発はグライシンガーと寺原。

 5回までは完全な投手戦。上の方の席だったからピッチングの内容はテレビで見てるときより分からないけど、結果(バッターの振り方、打球の方向など)から推測するに、グライシンガーは変化球だけが、寺原はストレートだけが(どっちもそれが持ち味ではあるけど)良くて、芯で捕らえたような当たりもほとんどなかった。

 ところで、巨人の打順、「1番坂本」ってのは敵チームにとってありがたいだけだと思う。あんな軽量級で小技も粘り強さもない1番バッターって、特に1回の立ち上がりの時は、敵チームのピッチャーを精神的に楽にするだけだと思う。しかも、打率がそんなにいいわけでもない(.270台)となると、簡単に抑えられてピッチャーに勢いを与えることにもなるし。今日がまさにそうで、初回、寺原の150キロ前後の直球にまったくタイミングが合わず簡単に抑えられてた。例えば、「1番高橋由伸」とか「1番荒木(中日)」とかの場合のプレッシャーとか面倒臭さを思えば違いは一目瞭然。

 それで、試合は6回表に横浜が均衡を破って2点を入れはしたんだけど、ここが横浜が勝つためのポイントだったと思う。

 その回先頭打者の1番仁志がヒット。2番石井がバント。3番金城がヒットでつないで、1、3塁から4番村田のフェンス直撃の2塁打で1点目。(すばらしい流れ!) ランナー2、3塁でビグビーのいい当たりの犠牲フライで2点目。(よしっ!) なお2アウト3塁で吉村がフォアボール。(いけるっ!) そして、2アウト1、3塁。バッター佐伯。初球ボール。2球目ボール。ノーツーからの3球目、ゆるい変化球を体勢を崩しながら打って、内野へのファウルフライ・・・・・・・。

 なんで、ノーツーからあんな(きっと狙ってたわけでもなかった)球に手を出すかね・・・・・・。

 あのときはまだ完全に投手戦の雰囲気があって、寺原も崩れる前だったわけで、巨人の一発のある重量打線を考えても、3点取っておけば一気に勝ちを手繰り寄せられたのに・・・。1番からの好打順を見事に生かしたこれ以上ない良い流れだったのに・・・。グライシンガーがストライクが入らなくなってて辛そうだったのに・・・。あそこでグライシンガーをマウンドから引きずりおろしておけば、ピンチで出てくる交代ピッチャーが打たれる可能性だって高かったのに・・・。次は打率.370台で今日もそれまで2安打の相川様だったのに・・・。なのに、なのにあなたはノーツーから無理に手を出した・・・・・・。

 もうその後は、やっぱりというかなんというか・・・。巨人にとってこれ以上ないくらい嬉しい展開になっていったわけだ。 連打のタイムリーによる逆転勝利。そりゃ、4点差あっても最後にクルーンを出して理想通りの勝ち方を演じたくもなるわな。
 
 
 でも、まあ、横浜は負けたしホームランは出なかったけど、試合の流れが「均衡→横浜→巨人」と動きのある試合で、とても楽しかった。
 

 柿喰う客・フランス(からの凱旋)公演 『 恋人としては無理 』 ( 作・演出:中屋敷法仁/2008年4月13日/@ギャラリーSite )
 
 
 若手注目劇団「柿喰う客」がフランスの学生演劇祭で(日本語で)演じてきた作品の、一日限定での日本お披露目。( 演劇は言葉の分からない人たちの前で演じたって“大した”意味があるとは思えないけど。)

 キリスト教の十二使徒たちの俗っぽい人間模様をコミカルに描いている。

 メガネをかけたら誰、新聞を持ったら誰という風にして、全身真っ黒の服を着て顔だけ出してる5人の出演者が、13人(十二使徒とピラト)のどの登場人物をも適当に次々と演じていくというスピード感のある演出はおもしろい。役者たちもそのスピードに付いていって見事に演じ分けていた。

 けど、話としては十二使徒を普通の凡人にして適当にキャラ付けし、“愛”をただの“恋愛”と読み換えただけの、至って平凡な面白味のないもの。話の展開もないし。イエスを登場させないでその言葉を勝手に解釈するというのもありきたりすぎるし。

 そんなわけで、最初は演出の斬新さ・おもしろさで楽しめていたけど、途中からはただただ退屈なだけ。(ちょこちょこギャグとかネタにニヤリとする程度。)

 そしたら、最後の最後になって、いきなりトム・ハンクスとレオナルド・ダ・ヴィンチが出てきて一転、救われた。

 けど、時すでに遅し。やはり全体としては退屈で密度が薄い印象の方が強い。

 そんなわけで、あまりおもしろくなかった。


 カール・セーガン 『人はなぜエセ科学に騙されるのか(上) (青木薫訳/新潮文庫、2000年)
 
 
 「宇宙人による誘拐」や「悪霊」や「セラピー」といった話を素朴な論理的・科学的な視点で読み解いているエッセー。

 人間は他の生き物に比べれば格段に優れた能力を持っている。しかし、だからといって、その人間も完全無欠な“神”などではなく、依然、様々な弱さや無知を持ち合わせている。ここで取り上げられているエセ科学はどれも、その弱さや無知を(多くの場合は無意識のうちに)埋め合わせるために用いられている。

 これを見て思うのは、科学を信じる人だけでなく、エセ科学を信じる人も、人間の能力を信じている、ということだ。

 ただし、科学を信じる人が信じる「人間・人間の能力」とは“人間一般”や“人間が自力で生み出した科学”であり、一方、エセ科学を信じる人が信じる「人間」とは“自分”や“自分の能力や感覚”のことだ。

 科学を信じる著者が、ひたすら「懐疑」を語るのも、“人間一般”を信じつつもこの“自分”(という個人)の独善に陥るのを防ぐためだろう。

 エセ科学を信じる人に欠けているのは、自分という人間の能力や感覚の弱さや至らなさへの自覚だ。

 前田知洋のマジックをマジックだと知らされないで見たら自分が知らない不思議な力の存在を信じかねない。アニメを見ているだけでは平野綾が多重人格でもないのにあんなに色々な声を演じているなんて理解することはできない。何の予備知識もなく急に窓から飛び降りる自分の息子や娘を見て憑き物ではなくインフルエンザ(かかなりの低い確率でタミフル)の副作用だと理解できる人はいない。分かっていても錯視には騙される。

 人間一人の素朴な感覚や理解力なんてのはこの程度のものなのだ。そして、科学的には、空想と記憶との境界が曖昧であることや疲労や薬や寝起きなどで幻覚が見えることも分かっている。

 「 (霊とかが)見えるんだからしょうがない 」なんていう、あまりに素朴に自分の感覚を信じすぎる人たちは、こういう人間のしょぼさをきちんと認識するべきなのだ。
 
 
 さて、最後に、個人的に何らかの思い入れのある文をいくつか引用しておこう。

気持ちよくさせてくれるものと真実との違いを識別できなくなった人たちばかりだ。 (p62)

 例の告白本の中で奥菜恵がやたらと「真実」という言葉を使ってて違和感があったんだけど、とりあえず収まった。

『魔女は存在する』と主張する人たちの言い分は、『もしも魔女が存在しないなら、どうしてこんなことが起こるのか?』というものだった。 (p63)

 つい最近(てほどでもないか)、某知人が同じ論法を使ってたのを思い出して思わず苦笑い。

(科学では)誰であろうと、専門家の厳しい批判の前で自説を証明しなければならないのだ。さまざまな意見を出し合って討議することに価値が置かれ、それぞれの意見を徹底的にぶつけあうことがよしとされる世界なのである。 (p73)

 自戒を込めて。そして、“場の空気”だの“温かさ”だの“優しさ”だのばかりを重んじる人たちに対して。


 東大作 『犯罪被害者の声が聞こえますか(新潮文庫、2008年)
 
 
 NHKのドキュメンタリー番組を基に書籍化したものの文庫化。

 日弁連副会長まで務めた弁護士がその妻を殺されたことで犯罪被害者やその家族が置かれていた惨状に気づき、同じ苦しみを味わっていた人たちと協力して国による補償や裁判に参加する制度の実現を求めて運動し、要求を実現していくまでの苦闘の様子を追っている。

 犯罪被害者が置かれていた惨状(とそれを放置してきた法曹・政治・行政の怠慢・不感症ぶり)には衝撃を受ける。

 例えば、民事で訴えても損害賠償を実際に払われる割合は相当低いこと(殺人事件で7%)、そのため犯罪によって強いられた医療費を被害者が自己負担していること、被害者や遺族は(公開であるはずの)刑事裁判の訴訟記録を見ることが許されていなかったこと、被害者や遺族は裁判の傍聴席を一般人と同じように抽選で確保しなくてはならなかったことなど。(運動の成果もあり、これらは改善されてきてはいる。)

 「 被害の賠償は加害者に払わせることができる 」や「 刑事司法は社会秩序のためのものであって被害者のためのものではない 」といった法律学の教科書的な理解で満足していては認識できない問題の存在を気づかせてくれる。( とは思えない日弁連なんていう団体もあるみたいだけど。こういう感覚のズレが信頼や委任を失わせ彼ら法曹が嫌がる司法の民主化を進めさせる。)

 これらの問題意識を共有した弁護士資格のある自民党議員等の後ろ盾もあり、刑事司法の目的に関し、今では政府は次のように考えている。

社会が個人によって成り立っているように個人もまた社会の中にあるのであって、刑事裁判等において違法性と責任が明らかになり、適正な処罰が行われることは、社会の秩序を回復するというだけでなく、当該犯罪等による被害を受けた個人の社会における正当な立場を回復する意味も持ち、このことは、現実の問題として、個人の権利利益の回復に重要な意義を有している。刑事司法は、社会の秩序の維持を図るという目的に加え、それが「事件の当事者」である生身の犯罪被害者等の権利利益の回復に重要な意義を有することも認識された上で、その手続きが進められるべきである。 (pp396-397)

 これは歴史的な大転換だ。だけど、「社会秩序」なんていう抽象的な言葉で様々な問題を覆い隠してきたこれまでのあり方に問題があったと考えるべきだろう。これまでは、国が国の利益(しかも、“国民なき「社会秩序」”)しか考えずに運用する排他的で自己中心的な法制度だったわけだ。被害(者)を放置したままで何が「社会秩序の維持」なのか。

 今後は、根本が改まっていることを法執行者たちがしっかり認識し、その理念を実現するよう行動していく必要がある。
 
 
 この本は、外国の制度の紹介などもあってNHKの番組(だったもの)らしく、包括的で堅実な作りになっている。けれど、犯罪被害者同様、当人たちには非がない(ことが多い)病気や障害の人たちとの位置づけや扱いの違いはどうなっているのか/どう考えているのかという相対化の視点がなく、疑問として残った。( 例えば、医療費全額タダという主張なんかは他の社会保障制度とのバランスを欠くことになる。)

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