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 川上未映子 『わたくし率 イン 歯ー、または世界(講談社文庫、2010年)


 芥川賞候補になった表題作の中篇と一つの短篇を収めた本。

 表題作は、虫歯になったことのない、体で一番硬い奥歯に自我を見出した女性が、恋をし、未来の自分の子供に宛てた手紙を書く。 しかし、終盤、恋も完全に頭の中での妄想であったことが明かされる。 こうして、強い自我を求めた弱い女性は弱い人間らしい結末を迎える。 そして、そこから一歩踏み出したところで物語は終わる。

 昔であれば生死をかけて悩みぬいたであろう自意識の問題をふざけた感じで小説にするのはいかにも現代的。 ただ、その主題、表現方法、物語の展開と、どこを取っても特に特筆するようなところはない。 特に、前半で情報を与えず、後半になって唐突に 「 実はこうだったんです・・・」 的な暴露で物語を展開させる手法は稚拙。

 一緒に収録されている短篇 「 感じる専門家 採用試験 」 の方は、妊婦、主婦の生活を、滑稽で独創的な言葉や視点で、それにもかかわらずリアリティを持って、紡いでいっていて、なかなかおもしろかった。

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 NODA・MAP 第15回公演 『ザ・キャラクター』 ( 作・演出:野田秀樹/出演:宮沢りえ、古田新、藤井隆、橋爪功ほか/2010年6月20日~8月8日/@東京芸術劇場・中ホール )


 完成度の高い芝居を作り続ける野田秀樹の最新作。 野田秀樹作品は、(感想書いてないけど、)『ザ・ダイバー』以来。


 「紙」に漢字を書く書道教室には「神」がいて、神に狂信的に従う閉鎖的な集団と化している。 そして、その狂信的な集団は悲劇的な結末へと自ら突き進んで行く。 

 オウム真理教が地下鉄サリン事件へと至る過程を下敷きにした話。


 そんな話を、「紙」と「神」を掛けたり、「神」と「袖」の類似性を用いたり、半紙に書いた漢字を偏とつくりに分解してその成り立ちにまで踏み込んで台詞に組み入れたり、書道教室の「神」たちをゼウスを頂点とするギリシア神話の神々になぞらえたり、等々、独創的なアイディアが多数盛り込まれていて、現実やそれと関連するメッセージ性をしっかりと保ちつつも、それだけにとどまらない完全に新たな芸術作品を築き上げている。

 狭い舞台の上で役者が使えるのは、人間と小道具だけだけど、その2つのもので想像を絶する無限の表現をする演出も健在で、その都度感心するし、舞台芸術であることの必然性をこれでもかというくらい主張してきて心地よい。

 作品のテーマ、一つは「安易さ」。 なぜ、麻原彰晃みたいな俗っぽい人間に心酔してしまうのか。 この芝居では、なぜ無責任で「スク水」好きな胡散臭い変態オヤジにはまってしまうのか。 安易に救いを求める心の幼さ、弱さが人々の中にあるのだろう。 そして、これは、この芝居を観て、「重い・・・」とか「救いがなくて自分の好みではない・・・」とかいう感想を相も変わらず能天気に垂れ流している人たちへの辛辣な問いかけになっている。 のだけど、きっと、いや絶対、届かないだろう。

 作品のもう一つのテーマは、「集団性」(主に日本人特有の)。 こちらは野田秀樹の作品に毎回のように顔を見せるものだ。 天才からすると、自分に自信(と才能)がないために群れて「皆と同じ」で安心したい一般ピープルの存在やその心性が理解できないし、許せないのだろう。 天才は孤独でもあるだろうし。 とはいえ、その集団性が、その集団性を保持するために、異質な個人や集団を抹殺せんがばかりに集中攻撃を仕掛ける様は、異様であるし、この帰結を思うと恐ろしくもある。


 そんなわけで、あらゆる面で素晴らしい芝居だった。

 そして、野田秀樹がしょうもない「演劇好き」たちに対して批判を投げかけているという確信を新たにした。 と同時に、なぜこんな届いてもいないし届きそうもない挑発を続けるのか、そんな状態で虚しくないのか、あるいは、本当に届けるつもりがあるのか、という野田秀樹に対する疑問も生まれてきた。 (その疑問の解決のヒントになるかもと思って、NHKの『爆笑問題の日本の教養』を見たけど薄っぺらくて何の役にも立たなかった。太田と野田が出てあの内容になってしまうのは、どんだけ制作力がないんだと思った。)

 重松清 『青い鳥(新潮文庫、2010年)


 吃音もちで上手く言いたいことが伝えられないけれど、その分、大切なことしか言わない国語の先生・村内先生が登場する8編の物語。

 様々な欠点をもつ孤独な中学生のそばに寄り添いその境遇や気持ちを理解することで、中学生の心の中の固く閉ざされた壁をとっぱらう。 あるいは、吃音という大きなハンデを背負い、不器用ながら自信を持って振る舞い、国語の教師をしているその姿が、気を張り虚勢を張った中学生に安心感を与える。


 いや、もう、重松清は、すごい。 本当によくわかってる。 人間の心情、弱さ、醜さといったものを。

 完敗。

 原武史 『滝山コミューン一九七四(講談社文庫、2010年)


 東京都東久留米市の新興巨大団地・滝山団地の住民のために開校された市立第七小学校で、筆者が小6のとき(1974年)に経験した、ある種、異様な、しかしながら、本質においてその後の教育にも受け継がれていた「学校教育」について、その内部にいたものによる詳細なノンフィクション。

 その教育は、ソビエト連邦的な「集団主義」と、全共闘世代が理想とした「戦後民主主義の実践」を徹底的に追求するものであった。

 しかし、その教育に批判的でそこにおいて疎外感を感じていた筆者が描くその実態は、「集団主義」を崇高な理念とし、そこから外れる者を敵、劣等種族とみなすファッショな空間と、上(一部の指導者、一部のクラス)から押し付けられ完全に形骸化した「民主主義」(の真似事)であり、スターリニズムの実践でしかなかった。

 それにもかかわらず、そんな教育が行われえたのは、全共闘世代の理想に燃える教師たち、何もない新たな土地にやって来てその土地で自分たちの理想通りの学校を作ろうと理想に燃えていた母親たち、そして、当時の最先端であった巨大団地に住まう児童たちが、鉄道の駅からも距離のある「陸の孤島」のような土地で国家や周辺地域からも独立して一つの共同体(コミューン)を形成していたからであると筆者は考える。


 この本を読んで恐ろしく感じるのは、そこが洗脳された人々による異様な空間になっているからというのもあるけれど、他にも、自分が受けた教育(小学・中学)でも(本書の七小ほど酷くはないにしても)同じようなことをした心当たりがあるからでもある。

 「ダメ班」を決めるほどえげつないことはしなかったけど、事あるごとに班ごとに話し合って意見を出したり、毎日班ごとにその日の反省と次の日の目標を言わされたり、気持ち悪いくらいに皆が優等生的な振る舞いをしていて気持ち悪いくらいに一体感のあるクラスがあったり、等々。 その教育の理想や原点はこの本で書かれているような教育であったのだと知って、その愚かさを再認識した。


 と思う一方で、民主主義社会における教育には形式的であっても民主主義の実践を何らかの形で取り入れる必要はあるのだろうという思いもある。

 とはいえ、戦中戦前の日本やドイツの過ち、共産主義下のソ連の過ちという歴史を知っている現代の人々はその教訓を生かすことができるのである。 その点、1974年の時点であっても戦前の日本やドイツの過ちは生かせたはずであったのに、それを生かせずにファッショなことをやってしまった本書の教師たちや母親たちは相当な過失を犯している。

 古川昭夫 『英語多読法(小学館101新書、2010年)


 英語の多読による習得の、良さとその実践方法を説明している本。

 文法や精読偏重の日本では多読の有用性を説くことは非常に意味のあることだと思う。(かねてから思っている。)

 ただ、その上で、この本を読んでいて気になったのが、多読の成功例として出てくるのが、「国際地理オリンピックのメダル受賞者」だとか、「現役で東大に合格した高校生」だとか、「国立大付属中の中学生」だとか、「私立中の中学生」だとか、いわゆる「勉強のできる」人たちばかり。

 そりゃ、彼らなら飲み込みもいいし、上達もするだろう。 もともと中高レベルの英語の素地を平均以上に持っていたり、勉強のできる頭の使い方をできていたり、大量の英語の中から規則性に気づいて習得できたりする人たちなのだから。

 問題は、数学とか国語とかがかなりできない中高生が多読をしても、果たして、英語だけ進学校の学生以上の英語力になるのだろうか、ということだ。

 ありそうな現実は、そういう勉強ができない人たちは、この本に出てくる人たちより習得に時間がかかるから、この本に出てくる人たちの2倍、3倍の多読をすれば習得できるようになる、というものだろうか。

 もしそうなら、そんなもの誰がやるか、という話だ。

 何はともあれ、多読と言ったって、そんな楽園みたいに良いことだらけのはずはないだろう。


 ところで、話は変わって、この本を読んで、再び、ちょっと多読をやってみようかという気になってしまった。

 今の自分にとって、リーディングはそれほどネックなものではない。 必要なのは、リスニング、ライティング、スピーキング、語彙だ。(ほとんどだけど・・・。) この本によると、多読でリスニングや語彙の力も伸びるとのことで、思えば確かに、それほど荒唐無稽な主張ではない。

 かつて試みたときは、PENGUIN READERS のレベル2『Alice in Wonderland』と、レベル4『1984』と、OXFORD BOOKWORMSのステージ4『A Tale of Two Cities』を読んで止まってしまった。 3つとも楽々読めたし、内容も楽しかった。 簡単すぎて効果がなさそうというのが前回の感想ではあったけど、あの程度であれば、他のやりたいこと、やらなければいけないことの間に片手間でできる。

 今の自分にとっての効果という点では若干懐疑的ではありつつも、ちょっと気軽にやってみるか・・・。

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