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 山田悠介 『オール(角川文庫、2009年)

 

 田舎から出て一流会社に就職するが、退屈な日々に満足できず仕事を辞め、アルバイトを転々とし、ふと見つけた求人看板を見て「何でも屋」として働くことになった健太郎。 「ゴミ屋敷を片づけたら500万円」という依頼や怪しげなものの運び屋など、刺激的で充実した生活を送るようになった。 そんな破天荒な雇われの「何でも屋」の日々を描いている。

 物語としてストーリーは破綻していないし、文は読みやすいし、途中ドキドキもあるし、それなりにカタルシスも感じられる。 

 だけど、その一つ一つは特に「すごい」と思わせるようなものではなく、あくまで想定の範囲内でしかない。

 そんなわけで、軽い物語であって、刺激を求める主人公・健太郎のような人には満足できる読み物ではないと思われる。





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 道尾秀介 『向日葵の咲かない夏(新潮文庫、2009年)

 

 ミステリー小説は言うまでもなく創作された読み物だ。 それならば、どんなトリックが仕掛けられ、どんな現実離れした世界が描かれていても、読み進めながら楽しめれば、それはおもしろい作品と言うべきだろう。

 その点、この小説はおもしろい。

 
 普通のミステリーかと思いきや、いつの間にか現実から離れた別世界へと導かれている。 話が別世界に行っても、その書き方は正常な世界を描いているかのようなとても平然とした書かれ方がされているところも上手い。
 

 首を吊って死んでいたクラスメイトが昆虫になってしまうことなんてほんの小さな仕掛けに過ぎない。

 そして、物語的な仕掛けはただエンターテインメントのためだけのものではない。 そこには人間の精神の特質を表現するという意図が込められている。 アマゾンのレビューでは「気持ち悪い作品」といった印象論が理由づけもなく語られている。 人間は自分の理解できないものに遭遇すると、それを自分流の物語や解釈の中に無理やり押し込んでしまう弱さを持っている。 同時多発テロの陰謀論なんかもその種の現象だろうと思われる。

 人間が自分の思考の中でしか生きられない以上、あらゆることを主観的に自分なりに判断や解釈するしかないところはある。 しかし、様々な意見や作品を経験することで相対化したり、根拠を求めるロジカルな思考を心がけたりすることで多少なりともその短所を和らげることができるだろう。

 独善的な、自分作の物語や自分流の解釈なんて火をつけて燃やしてしまえばいいのだ。






 重松清 『星のかけら(新潮文庫、2013年)

 

 久しぶりに、文庫化されたばかりの重松作品を読んでみた。 もともと雑誌『小学六年生』に連載されていたものに手が加えられている中篇。 とはいえ大人でも楽しめる。


 「去る者は日々に疎し」の言葉のとおり、いなくなってしまった人は、最初は強く心に刻まれて事あるごとに思い出されるものだが、時が経つにつれてその存在感は希薄になってくる。 それは避けがたいことであるし、「忘却」こそ人間に備わっている重要な機能だと唱える論者までいる。 あらゆる強烈な感情とともに生きることは到底不可能だからだ。 

 とはいえ、ふとした瞬間に気付くその「忘却」が寂しかったりするのも事実だ。 この小説では、その寂しい「忘却」を、「忘却」される側の者の登場によって拭い去ってくれる。 天へと昇りし者もまた「忘却」は寂しいのかもしれない。

 交通事故により小学生で命を落とした文(フミ)の登場により、地上において不甲斐なく生きることしかできていない少年たちは変わり始める。 

 であるのだが、この小説のおもしろいところは、不甲斐ない者を大きく前進させてくれる他界した文(フミ)が登場するためには、生ける者が(ほんのちょっとであっても)前へと進む行動を起こさないといけないところだ。 それはまるで、「どうせ忘れることになるのだから自分の力でしっかり生きて行って」という天から見守るものによる温かくも厳しいメッセージであるかのようだ。

 確かに、仲良く私立中学に通うユウキとヤノに、「星のかけら」が登場する隙はないだろう。 奇妙なことだが、この小説のメッセージは、タイトルにもなっている「星のかけら」は必要ない(必要とするべきではない)ということであるかのように思える。 









 

 寺島実郎 『何のために働くのか(文春新書、2013年)

 

 多摩大学の学長でもある著者が、「働くということ」について、その意味、先達たちからの教訓、時代認識、自らの経験といった視角から語り明かしている。


 まず、働くことの意味について「カセギ」と「ツトメ」というキーワードを出し語り始めている。実に現実的な視点に降りて話していることに非常に共感しながら読み始められた。

 「フロントランナーから学ぶ」という続いての章では、スズキの会長やソフトバンクの社長やHISの会長の話を持ち出し、彼らの行動力や人間力を見習えと言う。成功者が往々にして持ち合わせている行動力やバイタリティは、あらゆる可能性をこじ開けてくれるものであり、その重要性は疑うべくもない。が、それを持つことを望める人がどれだけ存在するのだろうか? 少なくとも多数派ではないだろう。

 続く章で、筆者自身の経験が語られる。小難しい本を読み漁って先生に食って掛かった高校生時代。早大時代の博報堂でのアルバイト経験。三井物産で海外を渡り歩いて得たあらゆる知見。実にエキサイティングで魅力的な人生を歩んできている。ただし、一つ言えるのは、筆者は、自分の趣味に没頭したいと思うような凡人ではないということだ。

 続いて時代認識が語られる。グローバル化、アジアダイナミズム、IT革命、ものづくり、エネルギーなどいくつかの観点が選ばれている。

 その後の章は「企業の見極め方」という実に実践的なテーマになっている。ポイントとして挙げられているのは、自分自身をよく突き詰めて考えること、企業の収益の構造を確認すること、会社の人を見ることなどである。どこをどう見ていいか分からず、結局表面的な数字やイメージやらで判断せざるを得なくなりそうなところを、自分でもできる見極め方を提示していて、さすがは世界や時代を見抜いてきた分析力だと思った。ただ、そんなに優良な中小企業が簡単に見つかるだろうか?

 そして、最後の章で結論として、「不条理を取り除くため」に働くべきだと説く。


 どんなことにも当てはまるが、できる人というのは放っておいても勝手に自分でできるものだ。必然的に問題は、そうではない人たちをどうするかということになる。30%を超えるという非正規労働者、就職氷河期に特に多くいるであろう希望の職に就けなかった者、「失われた20年」を生きてきて理想もなくなり最低限の稼ぎさえあれば後は趣味に没頭してまったり生きたいと考える者、そういった人たちが多い現代の日本という時代を筆者はどう考えているのだろうか? 筆者が語るものの多くは、「できる者の話」、あるいは、「(高度成長であれ低成長であれ)右肩上がりの時代の話」にしか聞こえない。かつて、終身雇用などの「日本型雇用」と言われたものが実は大企業にしか当てはまらないという有力な批判が出されたことがあったが、同じ観点からの批判に筆者は向き合うべきではないだろうか?

 この本で語られる話はあまりに浮世離れした理想的な話ばかりにしか見えない。もちろん、難関大学を卒業し、一流企業に就職する人は絶対数ではそれなりに今でもいる。けれど、繰り返しになるけれど、それらの人たちはあーだこーだ言われなくてもできてしまうのだ。この、理想を持てない時代に青春時代を過ごしてきた若者たち、30%以上が非正規雇用という新たな労働環境の時代、未だに抜け出せずにいるデフレ、これらの今そこにある問題を視野に入れていない労働観なんてどれだけ存在意義があるだろうか。

 「不条理からの解放」という公共への視野のある筆者には時代の生んだ弱者への視点を期待したかった。


 

 「KRAFTWERK  3D concert 『アウトバーン/Autobahn』 」 ( 2013年5月8日(水)/@赤坂BLITZ )


 ドイツのテクノグループ「クラフトワーク」による、GW後に行われた3Dライブ。 配られた簡易な3Dメガネをかけると、定位置から動かないメンバーの背後の映像が、立体的に飛び出してきているように見えるという仕掛け。

 最初の曲である「アウトバーン」では、フォルクスワーゲンを運転してアウトバーンを疾走しているかのような立体的なアニメーションを見ながら音楽を楽しむことができた。 実際に車を運転しながら音楽を聴いても、そこまで音楽に耳を傾けるわけにはいかないから、できそうでできない最も理想的な環境で「アウトバーン」を堪能することができた。

 アルバム「アウトバーン」に収録されているのは落ち着いた感じの曲ばかりなだけに、同名のタイトルが付いたライブで、このアルバムの曲ばかりだったら微妙だなと心配してたけど、最初が「アウトバーン」なだけで、それ以降は盛り上がる定番の曲が盛りだくさんでとても楽しめた。

 放射能を歌っている「Radioactivity」では「フクシマ」ネタを盛り込むアレンジがしてあったり、定番の「“電卓”」があったり、個人的に好きな「Trans europe express」とか「Computer World」とか「The Robots」が最高でかなり気分を高めてくれたり、終始、心地よい最高な気分で楽しむことができた。 

 「これで終わりか」感が漂う中での「Musik non stop」はテンション下がったけど・・・ (アンコールもないだろうしという気持ちも相まって。)


 聴衆は、静かで大きく体を動かすことなく聞き入っている感じの人が多かった。 演者に合わせているということなのだろうか。 傍若無人で騒がしくて邪魔くさい人ばかりなのよりは圧倒的にいいけれど、ダンスミュージックだと思っていただけにちょっと予想外だった。


 CDだと静かで落ち着きすぎてる感のあるクラフトワークだけど、やはりライブは素晴らしかった。 何日間も行われてる中、1回しか行けなかったのが残念ではあるけど、その1回の貴重な数十分を心の底から堪能できたライブだった。


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